古書店街の小さな反乱
この度は、数ある作品の中からこの物語をお手に取っていただき、誠にありがとうございます。どなたか1人でも、当作品の存在を知っていただけるだけで幸いです。
探偵事務所のドアが勢いよく開いた。
「遼司さん! 大変です!」
息を切らして駆け込んできたのは、古書店街のカフェの店主――かつて遼司が救った「兄弟」の兄、健人だった。
「どうした、健人。また弟と喧嘩か?」
遼司がコーヒーカップを置いて尋ねると、健人は首を横に振った。
「違います! うちの店じゃないんです。……隣の古本屋の爺さんが、急におかしくなっちまって!」
健人の話によると、古書店街の長老的存在である「源さん」が、店の商品である古書を次々と燃やし始めたという。
源さんは温厚な人物で、本を何より大切にしていたはずだ。
「……また『情動収束』か?」
八千代が不安げに呟く。
「いや、違うかもしれん。……とにかく行ってみよう」
遼司たちは健人の案内で、古書店街へと急いだ。
***
古書店「源氏堂」。
店の前には人だかりができており、中から煙が上がっている。
「燃えろ! 全部燃えてしまえ!」
白髪の老人――源さんが、店の前で本を火にくべていた。
その目は血走り、鬼のような形相だ。
「やめろ、源さん! あんたの大事な本だろ!」
「うるさい! こんなものはゴミだ! 全部嘘っぱちだ!」
源さんは、止めようとする健人の弟・翔太を突き飛ばし、さらに本を燃やそうとする。
『解析。対象の情動データに異常あり。……しかし、これは楔による強制的な歪みではありません』
カインの声が、遼司の脳内に響く。
『これは、彼自身の意志による「怒り」です』
「自分の意志だと?」
遼司は人垣をかき分け、源さんの前に立った。
「よう、源さん。随分と派手な焚き火だな」
「……遼司か。止めるなよ。俺は今、正気に戻ったんだ」
源さんは、燃え盛る本を指差した。
「俺はずっと、この本の中に『真実』があると信じてきた。歴史も、哲学も、物語も……。だが、全部無駄だったんだ!」
源さんは、一冊の本を遼司に投げつけた。
それは、この世界(SAGA SAGA)の歴史書だった。
「昨日、俺は見たんだよ。……空が割れて、黒い雨が降るのを」
源さんの言葉に、周囲のNPCたちがざわめく。
ナイと旧支配者達の「侵略」の記憶。
多くのNPCは、憂の権能によって記憶を修正されているはずだが、源さんのような「知識欲の強い個体」には、修正しきれない記憶の残滓が残ってしまったのかもしれない。
「あんなデタラメな光景、どの本にも書いてなかった! 俺たちが信じてきた世界は、一体何なんだ! 誰かが作った『作り話』なのか!?」
源さんの叫びは、SAGA SAGAの住人(NPC)が抱く、根源的な恐怖だった。
自分たちの世界が、誰かの手で管理された「偽物」かもしれないという疑念。
「だから燃やすんだ! 偽物の歴史なんて、いらねえ!」
源さんが火のついた松明を、店の中に投げ込もうとした瞬間。
バシッ!
遼司の手が、源さんの腕を掴んだ。
「……離せ!」
「離さねえよ。……源さん、あんたは間違ってる」
遼司は、源さんの目を見据えた。
「確かに、この世界には理不尽なことや、説明のつかないことが山ほどある。……俺だって、正直よく分からねえことだらけだ」
遼司は、自分の右腕を一瞥した。
死んだはずの自分が、なぜここにいるのか。
なぜ、こんな身体で戦っているのか。
「だがな。……あんたが本を読んで感動した気持ちや、その知識を誰かに教えた時の喜びは……全部『嘘』だったのか?」
「……っ!」
「世界が作り物だろうが、神様の気まぐれだろうが……あんたが感じた『心』だけは、絶対に本物だろ!」
遼司は、源さんの手から松明を取り上げ、足で踏み消した。
「本を燃やしても、不安は消えねえよ。……むしろ、その本の中にこそ、理不尽な世界を生き抜くヒントが書いてあるんじゃねえのか?」
源さんは、力が抜けたようにその場に座り込んだ。
「……俺は、怖かったんだ。自分が何者なのか、分からなくなっちまって……」
「みんな同じさ。……俺も、迷いながら生きてる」
遼司は、源さんの肩に手を置いた。
「また、面白い本教えてくれよ。……俺、最近ちょっと、勉強したい気分なんだ」
源さんは、涙を拭いながら小さく頷いた。
「……ああ。とっておきの冒険小説がある。……主人公が、ひねくれ者の探偵なんだ」
「へっ。そいつは俺向きだな」
周囲で見守っていた健人と翔太が、ホッとしたように顔を見合わせた。
星と八千代も、微笑ましそうに見ている。
『……情動データの安定を確認。事象、解決です』
カインの声も、少しだけ安堵しているように聞こえた。
「よし、撤収だ! ……源さん、店の掃除手伝うぞ!」
「ああ、すまねえな……」
古書店街に、再び穏やかな時間が戻ってきた。
世界の真実に触れてしまったNPCの不安。
それは、今後も形を変えて現れるかもしれない。
だが、彼らには「隣人」がいる。
一緒に悩み、笑い、支え合える探偵たちが。
遼司は、黒く煤けた歴史書を拾い上げ、埃を払った。
そこには、哲人が書いたであろう「架空の歴史」が記されている。
だが、今の遼司には、それもまた愛おしい「真実」の一部に見えた。
この度は、私の作品を最後までお読みいただき、心より感謝申し上げます。読書のお一人でも、心に響いて頂けましたら幸いです。




