鏡像の弟、あるいは最適化された絶望
この度は、数ある作品の中からこの物語をお手に取っていただき、誠にありがとうございます。どなたか1人でも、当作品の存在を知っていただけるだけで幸いです。
第3層「混沌の境界」。
そこは、SAGA SAGAの最深部でありながら、まるでウユニ塩湖のように、足元まで鏡面の世界が広がっていた。
空には無数の数式と、神代文字が星のように瞬いている。
その静謐な空間で、阿武隈遼司は、自分と同じ顔をした青年と対峙していた。
「……カイン、だと?」
遼司は警戒を強め、霊子銃のグリップを握りしめた。
目の前の青年は、若き日の遼司に似ている。だが、その肌は陶器のように白く、瞳には感情の光が一切ない。まるで、精密に作られたアンドロイドのようだ。
「ええ。旧支配者(ご主人様)たちが、君の戦闘データを解析して作り出した、最新型のホムンクルスです」
カインは、遼司と同じ型の霊子銃――ただし、銃身は漆黒で、赤いラインが走っている――を優雅に構えた。
「君が『家族ゲーム』で見せた非論理的な出力(愛の情念)。あれは興味深いバグでしたが、システムとしてはあまりに不安定だ。だから、僕はその『不純物』をすべて取り除き、純粋な戦闘論理だけで構成されました」
カインの銃口が、揺らぎなく遼司の眉間に向けられる。
「つまり、僕は君の『完成形』であり……君を廃棄処分にするための『弟』です」
「……あいにくだがな。俺は一人っ子じゃない。兄貴が二人いたんだ」
遼司は不敵に笑い、先に動いた。
「出来の悪い弟に、世間の厳しさを教えてやるよ!」
パン! パン!
遼司の霊子銃が火を噴く。
熟練の早撃ち。青白いデバッグ弾がカインの急所を襲う。
しかし。
「遅いですね、兄さん」
カインは一歩も動かなかった。
ただ、首をわずかに傾けただけ。
それだけの動作で、遼司の弾丸はカインの頬を掠めることすらなく、虚空へと消えた。
「なッ……!?」
「君の射撃パターン、反射速度、癖……すべて学習済みです。君がトリガーに指をかけた瞬間、弾道予測は完了しています」
カインはため息交じりに、漆黒の銃を向けたまま言った。
「さて、こちらの番ですね」
ドォン!!
轟音と共に、赤い閃光が放たれた。
遼司は咄嗟に反応し、横に飛んだが――。
「ぐあぁぁぁッ!!」
回避しきれなかった衝撃波が、遼司の右肩をごっそりと抉り取った。
ホムンクルスの義体が悲鳴を上げ、青いデータ血液が飛散する。
「局長!!」
「遼司さん!」
八千代と星が駆け寄ろうとするが、カインは銃口を二人に向けることなく、左手を軽く振った。
「邪魔をしないでください。これは『家族』の問題です」
その言葉と共に、空間から黒い檻が出現し、八千代と星を閉じ込めた。
星が日本刀で檻を斬りつけるが、刃が通らない。
「こ、これは……物理障壁ではありません! 『概念』による隔離です!」
「その通り。そこは特等席です。旧型の最期を、よく見ていてください」
カインは、血を流して膝をつく遼司へと、ゆっくり歩み寄った。
その足取りには、一切の隙がない。
「どうしました? 立ち上がってください。君の自慢の『愛』とやらで、僕を倒してみせるんじゃなかったんですか?」
「……へっ。減らず口を……」
遼司は脂汗を流しながら、左手で霊子銃を拾い上げた。
右腕は動かない。だが、彼の目は死んでいなかった。
「てめえ……。ただのコピー品のくせに、随分と饒舌じゃねえか」
「コピー? 違いますね。僕は『最適化』された存在です」
カインは冷淡に言い放つ。
「君は、妻への未練、孫への責任、過去への後悔……そんな無駄なデータばかりを抱え込んでいる。だから動きが鈍い。判断が遅れる。僕は、そんなノイズを持たない。だからこそ、最強なんです」
カインは、遼司の目前まで迫ると、銃口を遼司の額に押し当てた。
「さようなら、兄さん。君のデータは、僕の中で有効活用してあげますよ」
絶体絶命。
だが、その時。
檻の中の八千代が、叫んだ。
「違います! カインさん、貴方は間違っています!」
カインの指が、トリガーの上で止まる。
「……何が違うと言うんですか、お婆さん」
「貴方は、遼司さんの『強さ』を何も分かっていない! 遼司さんが強いのは、無駄なデータを持っているからではありません!」
八千代は、檻の格子を握りしめ、涙ながらに訴えた。
「その『無駄』なものを、守ろうとするから……! 守るべき痛みを知っているから、彼は倒れないんです! 痛みを知らない貴方には、絶対に勝てない理由が、そこにあるんです!」
八千代の言葉に、遼司の肩が震えた。
痛みで意識が飛びそうだった脳裏に、家族の笑顔が蘇る。
妻の淹れたコーヒーの香り。孫の描いた似顔絵。
それらは、戦闘においては確かに「ノイズ」かもしれない。
だが、郵便局員・阿武隈遼司にとっては、それこそが生きるための「燃料」なのだ。
「……八千代の言う通りだ」
遼司は、額に銃を突きつけられたまま、ニヤリと笑った。
「カイン。てめえは確かに完璧だ。無駄がねえ。……だがな、完璧すぎる手紙なんてのは、読んでてもつまらねえんだよ!」
「……何?」
「人間ってのはな、書き損じたり、涙で滲んだり、遠回りしたりするから……想いが伝わるんだ!」
遼司のホムンクルスの核が、爆発的な熱量を発した。
右腕の傷口から、青いデータではなく、金色の光が噴き出す。
それは、システム上の限界を超えた、魂のオーバーロード。
「うおおおおおッ!!」
遼司は、動かないはずの右腕で、カインの足首を掴んだ。
論理を超えた膂力。
「なッ……!? 損傷率70%を超えているはずなのに、なぜ動く!?」
カインが初めて狼狽する。
「知るかよ! ……これが、昭和の頑固親父の『底力』だぁぁぁ!!」
遼司は左手の霊子銃を、カインの腹部に押し当てた。
零距離射撃。
「受け取れ! 俺の『愛』のこもった、特大の不在通知だ!」
ズドオオオオオオン!!
青白い光と赤い閃光が交錯し、第3層の静寂を打ち破った。
鏡面の大地に亀裂が走り、二人の姿が爆風に飲み込まれていく。
この度は、私の作品を最後までお読みいただき、心より感謝申し上げます。




