探偵の仕分けと郵便の重量
この度は、数ある作品の中からこの物語をお手に取っていただき、誠にありがとうございます。どなたか1人でも、当作品の存在を知っていただけるだけで幸いです。
SGMA本部、地下司令室。
遼司は、ホムンクルスとしての完璧な肉体を、重力に逆らうかのように静かに椅子に沈めていた。眼前では、先ほどデバッグを終えたばかりの兄弟の情動データが、無数の光の粒子となってホログラムに流れ込んでいる。
「兄と弟の『手紙』は、無事に仕分けされました。宛先不明の闇は晴れた」
八千代が、淡々と報告する。その声は、任務完了の安堵よりも、長年の夫婦生活で培われた情動の疲労を滲ませていた。
「『罪悪感』という名の楔は、愛の形を歪める。彼らのケースは、互いを想うがゆえに、定型文という名の檻に閉じこもった、哀しい物語だった」
星が、天秤の意匠が施された日本刀のメンテナンスをしながら、静かに続けた。彼女にとって、情動の歪みは、**秤**の上に載せられた不正な分銅に過ぎない。しかし、その不正が、どれほどの「魂魄の重量」を持つのかは、人間の妻であった八千代の報告によってしか理解できない。
遼司は、霊子銃をテーブルに置き、その冷たい金属の感触を確かめるように指先で撫でた。
「罪悪感、か。俺もまた、**『夫としての責任』**という定型文に逃げ込み、お前たちに、肝心な『言葉』を届けられなかった郵便局員だ」
彼の言葉には、ホムンクルスとしての希薄な感情の層の下に、元郵便局員・緒妻哲信としての、現世で病に倒れた男の後悔の情念が、微かに混ざり合っていた。その情念こそが、このセキュリティソフト(ホムンクルス)を動かす、最も強力な**「起動スイッチ」**だった。
「局長」
八千代が、遼司の視線を受け止めた。
「次のターゲットの解析を急ぐべきです。ナイの目的は、このSAGA SAGAを『存在否定』の楔で満たすこと。彼の**『ゲーム』**は、止まらない」
ホログラムマップが切り替わり、第1層・夕焼町の郊外にあるサザンクロス団地の一室が点滅した。
佐伯が、解析結果を投影する。
「次のターゲットは、母と高校生の娘の二人家族です。これまでで最も、外部からの**情動スパイク(感情爆発)**が観測されない地点です」
遼司のホムンクルスの瞳が、ホログラムのデータに穿孔するように集中する。
「情動スパイクがない? 通常、楔を打たれた情動は、過剰な**『ノイズ』**となって現れるはずだ。怒り、悲嘆、あるいは過度な愛着、そのどれかだ」
「それが問題なのです、局長」佐伯が顔を曇らせた。「検出されたのは、情動の急激な変化ではなく、情動収束。通常、情動が活性化するはずの生活サイクルの中で、この二人の情動データは、常にゼロ値に収束し続けています」
「ゼロ、だと?」
それは、存在しない手紙。書く意思すら持たず、ただ『手紙を書いているフリ』を完璧に演じる、精神の白紙化を意味していた。
「まるで、感情を無理やり押し込めて、自己を『無』に帰そうとしているかのような、不自然なデータ収束です。ナイが言った、**『存在否定』**の楔が、この家庭を、外側は『愛』という名の完璧な定型文で固め、中身を空っぽにしている」
「**『壊れた自動書簡』**の完成形、というわけですか」
遼司は、探偵としてではなく、一人の郵便局員として、その「手紙」の重さを測りかねていた。
「郵便局員として、最も触れたくない手紙だ。感情を殺し、定型文に逃げた、『無個性の叫び』。それは、かつて俺が、家族に残してしまった『手紙』の姿に、酷似している」
遼司は立ち上がった。黒いスーツの背中には、郵便局員が負うべき「責任」という名の重い荷が乗っているように見えた。
「八千代」
「はい、局長」
「今回の任務の**『仕分け人』**は、お前だ」
遼司は、八千代の魂魄解析機が光る指先を見つめた。
「お前は、長年、**『妻』という定型文を背負い、そして、俺の『無個性の叫び』**を受け止め続けた。定型文の裏に隠された真実のインクを届けることができるのは、探偵(俺)のロジックではない。妻としての、お前の情念だ。お前の『愛の経験則』で、その『無関心』の楔を揺さぶれ」
八千代は静かにコートの襟を正した。
「承知いたしました、局長。郵便局員の妻として、宛先不明の手紙を、必ずや**『真実の住所』**に届けます」
星が、その毅然とした八千代の姿に、神の直感を重ねる。
「では、私も出撃します。八千代殿の『情念』が定型文の仮面を剥がした瞬間、**断罪**の楔を打ち込む。それが、正義の女神アストレアの役割」
三人の影が、再び第2層へのゲートに吸い込まれていく。彼らは、仮想現実(SAGA SAGA)という名の郵便局で、最も危険な「愛」という名の荷物を、仕分け続けていくしかなかった。
この度は、私の作品を最後までお読みいただき、心より感謝申し上げます。




