記憶のデバッグと届かない手紙
この度は、数ある作品の中からこの物語をお手に取っていただき、誠にありがとうございます。どなたか1人でも、当作品の存在を知っていただけるだけで幸いです。
「強制選別・モード、接続。」
遼司が霊子銃のトリガーを引くと、青白い光が兄弟を包み込み、周囲の景色が一変した。古書店街の路地裏は消え失せ、代わりにセピア色のノイズが走る**「記憶の空間」**が広がる。
そこは、数年前の**「交通事故の現場」**だった。
雨のアスファルト。スリップ痕。そして、横転したバイク。
「……嫌だ、見たくない!兄さん、ごめんなさい!」
弟の意識体が、記憶の中で頭を抱えて叫ぶ。
「俺が……俺がもっとしっかりしていれば……!」
兄の意識体は、血まみれで倒れている弟(過去の自分たち)の姿を見て、絶望の表情を浮かべている。
遼司は、その記憶の光景を冷静に観察した。
(なるほどな。これが『情動収束』の原因か)
事故の瞬間、バイクを運転していたのは兄。後ろに乗っていた弟は、この事故で足を怪我し、サッカー選手になる夢を絶たれた。
兄は「俺が夢を奪った」という責任感に押しつぶされ、弟は「兄さんに罪悪感を背負わせた」という申し訳なさに囚われている。
ナイの楔(Wedge)は、この「互いを想うが故の苦しみ」に寄生し、「兄は弟を支配する暴君」、**「弟は兄に依存する無能」**という、偽りのキャラクターを演じさせていたのだ。
「おい、お前たち。よく見ろ」
遼司は、記憶の中の「倒れている弟」に近づいた。
そこには、事故直後の弟が、痛みに顔を歪めながらも、必死に何かを握りしめている姿があった。
「弟くん。君がその時、一番最初に言った言葉は何だ?」
弟の意識体が、ハッとして顔を上げる。「僕は……『ごめんなさい』って……」
「違うな。ディテクターは嘘をつかない」
遼司は霊子銃を、倒れている弟の手に向けた。
「デバッグ・ショット!」
光弾が弟の手を撃ち抜くと、握りしめられていたものが光を放った。
それは、泥だらけになった**「兄へのプレゼント」**だった。事故の日、弟は兄の就職祝いを買いに行くために、バイクに乗せてもらっていたのだ。
「兄さん……! 就職、おめでとう……!」
記憶の中の弟が叫んだ言葉は、謝罪ではなかった。兄への祝福だった。
「そして兄貴。お前もだ」
遼司は今度は兄の方を向いた。
記憶の中の兄は、自分の怪我も顧みず、弟を抱き起こそうとしていた。
「おい、しっかりしろ! 足なんてどうでもいい! お前が生きててくれれば、それでいいんだ!」
兄の意識体が、呆然と呟く。「俺は……あいつの夢を奪ったんじゃない。あいつの命が助かったことに、ただ……安堵していたのか?」
「そうだ。お前たちの『手紙(本心)』は、最初から届いていたはずなんだ。だが、事故というショックと、互いへの過剰な気遣いが、宛先を書き間違えさせた」
遼司は、二人の意識体の間に漂う黒い霧(ナイの楔)に銃口を向けた。
「ナイの野郎は、その書き損じを利用して、お前たちを『定型文の牢獄』に閉じ込めた。だが、もう終わりだ」
遼司の霊子銃が、最大出力で輝く。
「選別完了! 誤配を修正する!」
青白い閃光が、記憶空間を引き裂いた。黒い霧は断末魔を上げることなく消滅し、セピア色の景色が、鮮やかな色彩を取り戻していく。
光が収まると、遼司たちは元の路地裏に戻っていた。
兄と弟は、憑き物が落ちたような顔で、互いを見つめ合っていた。
「兄さん……。僕、ずっと言いたかったんです。あの時、助けてくれてありがとう」
「……バカ野郎。俺の方こそ、お前が生きててくれて、本当によかった」
二人の情動データから、歪んだ数値が消え去り、**「信頼(+200)」と「愛情(+180)」**という、正常で温かい数値が表示された。
「よし。一丁上がりだ」
遼司は霊子銃をしまい、通信機を入れた。
「こちらターゲット3、クリア。兄弟の情動データ、正常化を確認した」
『さすがです、局長! こちらターゲット1と2も、星さんが強行突入して……あ、ちょっと待ってください!』
八千代の通信に、ノイズが混じった。その背後で、激しい爆発音と、星の怒号が聞こえる。
『局長! ターゲット1(サザンクロス団地)の状況が変です! 娘の情動データが……測定不能!? ナイの本体が介入している可能性があります!』
「何だと?」
遼司の背筋に、嫌な汗が流れた。ナイの「ゲーム」は、ただの悪戯ではない。彼が本気で介入する場所こそが、このゲームの本命なのだ。
「兄弟、悪いが長居は無用だ。達者で暮らせよ」
遼司は唖然とする兄弟を残し、すぐさま転送ゲートを開いた。
目指すはサザンクロス団地。そこには、星と八千代、そして「完璧な娘」を演じる少女がいるはずだ。
(ナイ……。貴様の狙いは、俺たちを分散させることだったのか!)
遼司がゲートに飛び込むと同時に、アトランティア市の空が、不気味な紫色に染まり始めていた。日没が、迫っている。
この度は、私の作品を最後までお読みいただき、心より感謝申し上げます。




