無個性の叫びを仕分ける
この度は、数ある作品の中からこの物語をお手に取っていただき、誠にありがとうございます。どなたか1人でも、当作品の存在を知っていただけるだけで幸いです。
SGMA本部からの転送を終えた遼司は、古書店街の裏寂れた路地裏に降り立った。ここは、第1層の中でも時間が止まったような、ノスタルジックな空気が漂う場所だ。煤けたレンガ造りの建物の隙間に、目的のカフェの裏口がある。
路地は薄暗く、埃っぽい。そして、その静寂の中で、二つの声が不自然なほど規則的に響いていた。
「……だから、お前はいつもそうなんだ。兄さんに迷惑をかけるな」
「ごめんなさい、兄さん。僕が悪いんです。すぐに直します」
兄は二十代前半、弟は高校生くらいに見える。二人は壁にもたれかかるように立っていた。
兄の顔には疲労の色が濃い。弟は俯き、キャスケット帽のつばで顔を隠している。
遼司は遠巻きにディテクターを起動した。佐伯が検出した**「情動収束」**の状態を、自分の目で確認する。
二人の情動データは、確かに極めて不自然だった。
兄の情動データ:
• 表層:「責任感」(+150)
• 定型文:「叱責」
• 裏層:「後悔」(-300)と「恐怖」(-200)
弟の情動データ:
• 表層:「罪悪感」(-100)
• 定型文:「謝罪」
• 裏層:「無関心」(0)と「諦め」(-500)
遼司の脳裏に、佐伯の言葉が蘇る。「まるで、壊れた自動書簡だ」。
彼らは感情を殺し、ただ役割を演じることで、ナイの楔によって引き起こされた心の崩壊を一時的に糊塗していた。
「兄さん、また同じミスをしましたね。すみません」
「もういい。何度言ったらわかる。お前のその甘さが、いつか俺たちの全てを壊すんだぞ」
会話は続く。内容が何であれ、決まったパターンを反復するのみ。彼らが本当に何に苦しんでいるのかは、その定型文からは決して読み取れない。
遼司は、静かに霊子銃を抜いた。郵便局員として、最も触れたくない「手紙」だった。
「お二人さん。少し、いいかね」
遼司の低い声が、機械的な会話を切り裂いた。
二人は同時に顔を上げ、黒いスーツの男(遼司)に視線を向けた。
兄の表情が、一瞬で「責任感」の定型文から逸脱し、警戒へと変わった。
「何だ、あんたは。探偵か? うちの用事に関わるな」
「探偵、というより、仕分け人だ。お宅らの『手紙』が、どうにも宛先不明でな」
遼司は霊子銃の銃口を下げ、ディテクターとして二人に向ける。
「兄さん。お前が弟を叱責しているのは、弟がミスをしたからじゃない。お前が、過去の出来事で弟を救えなかったという**『罪悪感』**を、弟のミスに転嫁しているだけだ」
兄の目が、大きく見開かれた。その瞳の奥に、強い動揺のスパイクが一瞬だけ走った。
「黙れ! 何を知っている! 俺は弟のために……!」
「嘘をつくな。お前の情動データは叫んでいる。『弟にまた何かあったら、俺の人生は終わりだ』と。それは弟への愛じゃない。お前自身の**『存在否定』**から逃げているだけだ」
遼司の指摘は、ナイが仕掛けた楔の核心を突いていた。この兄は、過去に弟に起こった何らかの事故や事件を自分の責任と感じ、「完璧な兄」を演じることで、自身の存在を証明しようとしていた。その「完璧さ」が崩れることへの恐怖が、ナイの楔によって「弟への憎悪」へと変換されようとしているのだ。
兄のホムンクルスの肉体が軋む。彼の皮膚の表面に、黒い砂(楔の破片)が滲み出し始めた。
「俺は……俺は間違っていない! 間違っているのは、この無能な……!」
兄が、弟に手を上げようと振りかぶった。その瞬間、遼司は動いた。
「強制選別・モード」
霊子銃から放たれた青白い光弾は、兄の腕を狙うのではなく、二人の空間を分断するように、空中で複雑な軌跡を描いた。
『ターゲット:過去の出来事(罪悪感)』
『アクション:分離』
光弾が描いた軌跡は、二人の間に壁のようなフィールドを形成し、兄の腕が弟に触れる直前で止まった。
遼司はフィールドを隔てて、弟に向かって話しかけた。
弟は、未だに俯いたままだ。
「ボウズ。君の『ごめんなさい』は、もう誰にも届かない。君は、自分の存在を証明するために、兄の期待通りの『謝罪』という定型文を演じているだけだ。それは、君が本当に抱えている**『恐怖』**という手紙を、ずっと郵便受けの奥に隠し続けているからだ」
弟が、初めて顔を上げた。その目は虚ろだが、定型文を繰り返すのをやめていた。
「過去の出来事を乗り越えるためには、『情動収束』という偽りの安定を壊す必要がある。お前たちが本当に書きたかった手紙は何だ。正直に言ってみろ」
遼司の銃口は、彼らの情動データが最も収束している中心点、すなわち過去の出来事の記憶に向けて固定されていた。
「このままでは、お前たちの『家族』というデータは、ナイの悪趣味なゲームによって完全に破壊されるぞ」
この度は、私の作品を最後までお読みいただき、心より感謝申し上げます。




