仕分け人、情動の座標を探る
この度は、数ある作品の中からこの物語をお手に取っていただき、誠にありがとうございます。どなたか1人でも、当作品の存在を知っていただけるだけで幸いです。
阿武隈探偵事務所の地下中枢——SGMA本部。
遼司の指示を受け、佐伯智春は、巨大なメインサーバーのホログラムを前に、高速で解析プログラムを走らせていた。彼の白い指がキーボードの上を滑るたび、アトランティア市の情動データがリアルタイムで可視化されていく。
「八千代さん、市内全域の情動メッシュをオーバーレイ。重点エリアは、家族構成が複雑な夕焼町西部、それから高級住宅地バビロン・ヒルズの端。ナイのターゲットは『愛』を歪ませることで、最も大きな『負の情動』を引き出せる場所のはずだ」
八千代は、オペレーター席で冷静に答える。「了解しました。佐伯君、どう? 解析の進捗は」
「現状、市内の情動データの平均値は**『静かな幸福(120±15)』**を維持しています。ナイの『楔』は極めて小さいノイズであり、大規模な異常は検出されていません。対象は、最大で3組」
佐伯は、コーヒーカップに手を伸ばす一瞬も惜しむように、淡々と続けた。
「遼司局長、貴方が『宛先不明』とした、あの悪意の砂(楔の破片)。あれの情動波長は**『憎悪(マイナス250)』を起点に、『自己肯定感の崩壊(マイナス400)』**を終点としています。まるで、家族という繋がりの中で、自らの存在意義を否定された者のデータ構造です」
「なるほどな。親から子へ、あるいは配偶者へ向けられるはずの愛情が、**『存在否定』**に変換されている……」
遼司は、佐伯が映し出した波形図を睨みつけた。郵便局員として何十年も他人の「想い」を運んできた彼にとって、この情動の歪みは、他人の手紙を勝手に開封するほどの「冒涜」に感じられた。
「星、お前はどう見る」
窓際で控えていた星が答えた。
「直感(神の勘)では、ターゲットは『家族』の形を保ったまま、内部で最も深く腐敗している場所です。外見は『愛』、中身は『毒』。旧支配者の常套手段です」
佐伯が、突如解析を停止した。
「検出しました。通常、情動データの急激な変化は『情動スパイク』として表れますが、この3地点は逆です」
ホログラムマップの3箇所が、かすかに点滅した。
「情動収束。」
佐伯は、珍しく感情を混ぜた声で報告した。
「まるで、感情を無理やり押し込めて、自己を『無』に帰そうとしているかのような、不自然なデータ収束です。まるで……**『壊れた自動書簡』**だ」
自動書簡。それは、感情を表に出せない人々が、システムに自動で手紙の文面を作成させる、哲人開発のプログラムだ。
遼司の表情が硬くなる。
「郵便局員として、最も触れたくない手紙だ。感情を殺し、定型文に逃げた、**『無個性の叫び』**だ」
「その通りです。この3地点の家族は、ナイによって『存在否定』の楔を打たれた結果、その場を保つために**極度の『愛情定型化』**をシステムに強制しています。表層上は幸福に見えますが、中身は空っぽだ」
ターゲット1:団地高層階「完璧な一家」
佐伯が、第1のターゲットの家族写真をスクリーンに映し出す。
「アトランティア市・サザンクロス団地の高層階。父、母、娘一人の構成。娘の情動データは『完璧な娘』としての定型文を繰り返しており、自由な発想がありません。父と母の情動は『娘への期待』という名の『自己満足』に収束しています」
「娘は、両親の理想の形を演じさせられている。その『演技』が崩壊したとき、ナイの楔が暴発する」遼司は即座に分析した。
ターゲット2:高級住宅地「虚飾の夫婦」
「ターゲット2:バビロン・ヒルズの高級住宅地。夫婦二人。夫は常に妻を賞賛する定型文、妻は常に夫に感謝する定型文を繰り返しています。情動のベクトルは外向き、つまり**『他人からの評価』**に依存しています」
星が鋭く指摘する。「虚飾の愛。その評価が崩れた時、彼らは互いを庇い合うどころか、破滅させるでしょう」
ターゲット3:古書店街のカフェ「逃避する兄弟」
「ターゲット3:古書店街にある、小さなカフェの裏。兄弟二人(兄と弟)。兄は弟を叱責する『責任感』の定型文、弟は兄に謝罪する『罪悪感』の定型文に収束しています。互いに向き合わず、過去の出来事から目を背けている」
この3番目のターゲットは、他の2組とは異なる、内向きの「逃避」の匂いがした。
遼司は立ち上がり、霊子銃をホルスターに収めた。
「八千代、星。作戦を指示する。タイムリミットは日没まで。時間は限られている」
彼は佐伯に振り返った。
「佐伯。3番目のターゲット。古書店街のカフェへ、転送ゲートを開いてくれ。ここは、俺の**『仕分け(ソーティング)』**が最も活きる場所かもしれん」
「了解しました。局長は、過去の因縁に囚われた兄と、罪悪感を抱く弟の『手紙』を読み解くわけですね」
「ああ。俺は元郵便局員だ。宛先の無い手紙には、必ず書き手がいる。その『書き手』を、俺の銃で叩き起こしてやる」
遼司の目には、迷いの光はなかった。彼らは3組の歪んだ家族を救うため、それぞれのターゲットに向けて、SGMA本部から散開した。
この度は、私の作品を最後までお読みいただき、心より感謝申し上げます。




