迷子の依頼人
この度は、数ある作品の中からこの物語をお手に取っていただき、誠にありがとうございます。どなたか1人でも、当作品の存在を知っていただけるだけで幸いです。
「正義とロマンの塔」での任務を終え、遼司たちは第1層にある拠点、**「阿武隈探偵事務所」**へと戻っていた。
古びた映画館のような外観を持つこの事務所は、表向きはしがない探偵事務所だが、その実態は創造神直属の治安維持組織『SGMA』へのゲートである。
「ふぅ……。久しぶりに『仕分け』をした気分だ」
遼司は、事務所のソファに深く腰を下ろし、ネクタイを少し緩めた。ホムンクルスの肉体は疲労を感じないはずだが、魂魄に蓄積した「情念の負荷」は、心地よい重みとなって彼に残っていた。
八千代が、湯気の立つコーヒーをテーブルに置く。もちろん、遼司好みの濃いブラックだ。
「お疲れ様でした、局長。哲人様からの『招待状』……無事に確保できて何よりです」
「ああ。あいつが俺たちを待っている。その事実だけで、俺はあと100年は戦える気がするよ」
遼司は胸ポケットに入れた金色の封筒を確かめ、微かに笑んだ。
星は、窓際でブラインドの隙間から外を監視している。彼女の警戒心は、塔での一件以来、一段と高まっていた。
「局長。油断は禁物です。塔での一件は、旧支配者が私たちの『情念』を学習し始めた証拠。次はもっと巧妙な手で来るでしょう」
その時だった。
事務所のドアベルが、カランコロンと軽やかな音を立てた。
「おや、珍しい。表の依頼人か?」
遼司が顔を上げると、ドアの隙間から、一人の少年が顔を覗かせていた。
整った顔立ちをした小学生くらいの男の子だ。半ズボンにサスペンダー、キャスケットを被り、手には少し古びたテディベアを抱えている。どこか育ちの良さを感じさせるが、その瞳は、吸い込まれそうなほど深い漆黒だった。
「あの……ここは、探偵事務所ですか?」
少年の声は、鈴を転がすように澄んでいた。
八千代がすぐに駆け寄り、膝をついて目線を合わせる。「ええ、そうよ。阿武隈探偵事務所へようこそ。どうしたの? 迷子?」
少年はふるふると首を振った。
「ううん。依頼に来たの。……僕の『パパ』を探してほしいんだ」
「パパ?」
「うん。パパはね、この世界の『神様』と喧嘩して、どこかに行っちゃったの。でも、パパは言ってたんだ。『いつか、黒いお巡りさんが迎えに来てくれる』って」
少年は、遼司の黒いスーツをじっと見つめた。
遼司は、少年の視線に奇妙な寒気を覚えた。ディテクターのアラートは鳴っていない。しかし、郵便局員としての長年の勘が告げていた。この手紙(依頼)は、宛先が書かれていない、と。
「ボウズ、名前は?」
遼司が尋ねると、少年は無邪気な笑顔で答えた。
「ナイ。僕の名前はナイだよ」
星が、弾かれたように振り返った。「ナイ……!」
彼女の神の直感が、激しく警鐘を鳴らしている。しかし、目の前の少年からは、邪悪な気配も、旧支配者のノイズも一切感じられない。ただの、純粋無垢なNPCの子供にしか見えないのだ。
「それで、ナイ君。パパの手がかりは?」
ナイは、抱えていたテディベアを遼司に差し出した。
「これ。パパが最後にくれたの。この中身を見れば、パパの居場所がわかるって」
遼司がテディベアを受け取ろうとした瞬間、八千代が鋭い声で制止した。
「局長! 触らないで!」
しかし、遅かった。
遼司の指先がテディベアに触れた瞬間、ぬいぐるみの背中が裂け、中から綿ではなく、大量の**黒い砂(楔の破片)**が溢れ出した。
「なっ……!」
黒い砂は、床に落ちると瞬時に文字を形成した。
【GAME START】
「キャハハハハハ! 引っかかった!」
ナイの表情が、無邪気な笑顔から、底知れない嘲笑へと一変した。
少年の姿がノイズのようにブレる。その漆黒の瞳には、一切の情動が宿っていなかった。
「はじめまして、お爺ちゃん。そして、怖い顔のお姉さんたち」
ナイは空中にふわりと浮き上がった。
「僕、ずっと見てたんだ。君たちが『愛』とか『家族』とか言って、必死に頑張ってるのを。滑稽で、健気で、最高に面白いね!」
星が抜刀し、瞬時に間合いを詰める。「貴様……旧支配者のリーダーか!」
星の刃がナイの首を捉えた——はずだった。
しかし、刀は少年の体をすり抜け、空を切った。彼は実体を持たないホログラムのように、そこに「在りながら無い」存在だった。
「リーダーなんて堅苦しい呼び方は嫌だな。僕はナイ。ただの遊び人さ」
ナイは指をパチンと鳴らした。
すると、事務所の壁一面に、無数のモニター映像が浮かび上がった。
映し出されているのは、SAGA SAGAの第1層にある、様々な「家族」の風景。公園で遊ぶ親子、食卓を囲む一家、老夫婦の散歩……。
「さて、ここでゲームをしよう。この中に、僕が**『ちょっとした悪戯』を仕込んだ家族が3組**いる。彼らはもうすぐ、幸せな家族ごっこを止めて、周りの人を食べ始めちゃうかもしれない」
映像の中で、一人の父親が、突然包丁を握りしめる姿が映った。
「制限時間は日没まで。君たちの得意な『家族愛』で、彼らを見つけ出して救えるかな? 失敗したら……ドカーン! このエリア一帯が、楽しい混沌のパーティー会場になっちゃうよ!」
ナイは、窓枠に腰掛け、悪魔的なウインクを投げかけた。
「じゃあ、頑張ってね、正義の味方さん!」
少年の姿は、黒い砂となって風に溶け、跡形もなく消え去った。
事務所には、重苦しい静寂と、床に残された**【GAME START】**の黒い文字だけが残された。
「……最悪の依頼人だ」
遼司は、コーヒーを一気に飲み干し、八千代と星を見た。
「佐伯に連絡しろ。アトランティア市全域の『情動データ異常』を解析させろ。ナイの悪戯で動揺している家族のデータを、一つ残らず仕分けてやる」
遼司は、静かに霊子銃を握りしめた。
「行くぞ。孫の世界で、悪趣味なゲームをさせるわけにはいかない」
この度は、私の作品を最後までお読みいただき、心より感謝申し上げます。




