猫神の断罪と大神様の庭
この度は、数ある作品の中からこの物語をお手に取っていただき、誠にありがとうございます。どなたか1人でも、当作品の存在を知っていただけるだけで幸いです。
「星、誘導はまだか!」
遼司は、ディテクターの警告音が鳴り止まない喧騒の中で叫んだ。エントランスホール全体が、黒い粘液状の楔(Wedge)と、それを取り込んだ巨大な猫型ぬいぐるみの異形たちに包囲されていた。
「誘導中です!しかし、この異形たちの動き……単なる旧支配者のノイズにしては、統率が取れすぎています!」
星は、天秤の日本刀を鮮やかに振るい、異形の触手を切り払いながら叫んだ。彼女は高位神アストレアの化身として、敵の「質の変化」を敏感に感じ取っていた。
「局長!異形のデータ構成が変化しています!楔のノイズの奥に、極めて純度の高い神気が混入しています!」八千代が悲鳴に近い声を上げる。「これは……旧支配者のものではありません!」
「神気だと?」
遼司は霊子銃を構え、迫りくる猫型異形の眉間を撃ち抜いた。デバッグ弾が命中すると、異形は黒い霧となって散ったが、その中心から金色の光が漏れ出した。
「ふふふ……。相変わらず、野蛮な『お掃除』ね」
突如、塔のエントランスホール全体に、鈴を転がしたような、しかし絶対的な威厳に満ちた女性の声が響き渡った。
その声を聞いた瞬間、星の動きがピタリと止まった。「この声は……まさか……!」
ホールの空間が歪み、黄金の光の中から、優雅な黒猫の姿をした幻影が現れた。その猫は、ただの動物ではない。その瞳には、星々を砕くほどの神力が宿っている。
「バステト神……!」 星がその場で片膝をつき、頭を垂れた。
それは、SAGA SAGAのシステム管理者であるショロトルよりも遥かに格上の存在。上位の超絶神にして、破壊と創造、そして家庭を司る女神。
『久しぶりね、アストレア(星)。貴女が仕えるその男……阿武隈 遼司といったかしら?彼、少し調子に乗りすぎているんじゃない?』
バステトの幻影は、冷ややかな視線を遼司に向けた。
『前回の作戦……。貴方、**「愛の情念」を囮**に使ったわね?』
遼司は、圧倒的な神の威圧感に気圧されそうになりながらも、背筋を伸ばした。
「世界を守るための、苦渋の決断でした。それに、その愛は偽りではありません」
『黙りなさい』
バステトの一喝で、ホールの空気が凍りついた。
『貴方が守ろうとしているこの世界は、誰が創り、誰が守っていると思っているの? 私が敬愛する大神様……貴方たちが「オーナー」と呼ぶあの方と、その夫君である哲人が育んだ「愛の結晶」よ』
バステトの声には、憂——大神様への狂信的なまでの崇拝が滲んでいた。
『家庭とは、愛とは、守るべき聖域。それを「戦術」として利用し、あまつさえ薄汚い旧支配者の囮にするなど……家庭の守護神であるこの私が、断じて許さない』
その頃、第3層の境界にいる創造神ショロトルは、モニターの前で頭を抱えていた。
「あわわわ……!バステト姉さん!介入しちゃダメだって!大神様は『見守る』っておっしゃったじゃないか!」
ショロトルは慌てて通信回線を開いた。「バステト姉さん!彼は私の最高傑作のホムンクルスで……」
『黙んなさい、駄犬』
バステトの冷徹な念話が、ショロトルの脳内に直接響いた。
『貴方が作ったセキュリティソフトだから、何? 貴方が甘やかすから、彼は「愛」を道具のように扱い始めたのよ。大神様の慈悲深い世界に、愛を冒涜する守護者など不要。私が直接、テストしてあげるわ』
塔のエントランス。
バステトの幻影が、右前足を優雅に上げた。
『旧支配者の薄汚い猫人形なんて、私の趣味じゃないわ。……消えなさい』
バステトが足を振り下ろすと、ホールを埋め尽くしていた無数の猫型異形が、一瞬にして金色の炎に包まれ、消滅した。
圧倒的な神威。遼司が霊子銃で一匹ずつ処理していた敵を、彼女は溜息一つで全滅させたのだ。
「助けて……くれたのか?」遼司が呟く。
『勘違いしないで。私の神域にゴミがあったから掃除しただけよ』
バステトの視線が、遼司の魂の奥底を射抜くように見つめた。
『阿武隈 遼司。……いいえ、あえてこう呼ばせてもらうわ。「お爺様」』
その呼び名に、遼司の心臓が大きく跳ねた。憂もそう呼んだ。そして今、この強大な女神もまた、彼をそう呼ぶ。
『とぼけないで。大神様の世界で、魂の出自を隠せると思って? 貴方たちがこの世界に呼ばれた本当の理由……それは、貴方が創造主(哲人)にとって、かけがえのない**「血のルーツ」**だからよ』
バステトは八千代を一瞥し、意地悪く笑った。
『そこの秘書もね。貴女のその献身、ただの業務命令にしては健気すぎるわ。……まあいいわ、その「秘密」も、私の試練でどこまで保つかしら』
『お爺様。貴方が目指す「未来郵便局」への道は、私が閉ざしたわ。通りたければ、証明してみせなさい。貴方が単なるデータの塊ではなく、孫の未来を守る「真の祖父」であることを』
重厚な扉に、黄金の文字が浮かび上がる。
【家庭の守護神の試練:過去への執着と、未来への責任】
『貴方の心が、過去の「安息」に逃げるようなら、貴方はここで終わり。さあ、真の試練を始めましょうか』
光が弾け、遼司たちの視界が反転する。
エントランスホールの景色が消え、代わりに現れたのは、夕暮れ時のどこか懐かしい街並みだった。
そこは、遼司が30年前に生きていた、昭和の終わりの佐賀の街角だった。
「ここは……」
遼司が呆然と立ち尽くす中、通りの向こうから、買い物かごを下げた女性が歩いてくる。
「あら、あなた。お帰りなさい。今日は早かったのね」
それは、若き日の妻、**八千代(本物の妻の姿)**だった。
隣にいる「現在の八千代(秘書姿)」が息を呑む。「局長……あれは……」
バステト神の冷酷な試練が幕を開けた。それは、遼司の魂が、幸せだった過去の幻影(妻との安息)を選ぶか、それとも苦難に満ちた未来を守るために、今の秘書と共に歩むかを選ぶ、神の審判だった。
この度は、私の作品を最後までお読みいただき、心より感謝申し上げます。




