家族の物語の依頼
この度は、数ある作品の中からこの物語をお手に取っていただき、誠にありがとうございます。どなたか1人でも、当作品の存在を知っていただけるだけで幸いです。
穏やかなジャズが流れるオーナーの特別室で、遼司は紅茶の湯気に目を細めた。憂の言葉はすべてが回りくどく、その真意は測りかねる。しかし、「家族」という単語だけが、彼の感情の希薄な部分に確かな重みをもって響いた。
「次の『お掃除』は、どういった内容でしょうか、オーナー」
遼司の真面目な問いに、憂はニコリと笑って、目の前のティーカップを八千代の方向へ滑らせた。
「いい質問よ。前の『お掃除』は、旧い配線(旧支配者)をデバッグノードに集めて一掃する、まあ、言ってみれば大掛かりな**『配線工事』**だったわね」
憂は、部屋の隅にある骨董品の蓄音機を指さした。
「でも、今回の問題はもっと**『日常的』。ほら、哲人が作ったこの世界(第1層)で、最近ちょっと『ノイズ』**が多くなってきているのよ」
星は眉をひそめた。「ノイズ、ですか。楔(Wedge)のことでしょうか?」
「楔もそうだけど、もっと厄介なものよ」憂は、壁に飾られた哲人との写真に優しく触れた。「哲人はこのSAGA SAGAを『愛と正義の世界』として作った。だから、彼が残した清浄なGrandchild Meshが、この第1層の核になっている。でも、その核に、旧支配者たちが**『家族の物語』**という形でアクセスしようとしているの」
八千代が静かに口を開いた。「それは、情動データの偽装ということでしょうか?局長が以前ブロードキャストした『愛の記憶』を、彼らが逆に利用しようと?」
憂は満足そうに八千代を見た。「その通り、八千代さん。さすがは秘書ね。彼らは、哲人が最も愛し、最も保護したがっていた『家族の絆』に関するデータ、つまり哲人の心の隙間を突いてきているの」
遼司は、その言葉に微かな動揺を覚えた。孫の「心の隙間」という表現が、元郵便局員としての彼の正義感を揺さぶった。
「具体的には、どういう形で現れているのですか?」
憂は再び遼司の方を向いた。その目は、探偵の局長を見るのではなく、孫の心配をする祖父を見つめているようだった。
「哲人はね、この世界(第1層)でごく普通の生活を送っているわ。私と、子どもたちと。ただ、彼が愛した『正義』や『ロマン』の夢を、この第1層のどこかに**『遺物』**として残している」
「遺物……」
「ええ。旧支配者はその遺物に、自分たちの**偽りの『家族の物語』**を上書きしようとしている。もし上書きが成功すれば、哲人のGrandchild Meshは混濁し、この世界全体の防御システムが崩壊するでしょう」
憂は、テーブルに一枚の古い観光パンフレットを置いた。それは、SAGA SAGAの第1層にある、かつての佐賀県庁を模したアトラクション**『正義とロマンの塔』**のパンフレットだった。
「あなたたちの次の任務は、この『正義とロマンの塔』の最上階にある、哲人が設計した**『未来郵便局』を見つけ、そこに仕掛けられた偽装データ、つまり旧支配者の『偽の家族の情念』**をデバッグすること」
憂は遼司をまっすぐに見つめ、その口調には微かに命令の響きが混じった。
「阿武隈さん。これは『局長』としての任務ではない。『お爺様』としての責任よ。愛する孫が作った夢の遺物を、他者の悪意から守り抜くという**『家族の物語』**なの」
遼司は立ち上がった。体内に流れるホムンクルスのデータが、責任感という命令をクリアに処理した。
「承知いたしました。局長としてではなく、お爺様として。孫の遺物を守るために、直ちに作戦を開始します」
星は、遼司の覚悟に再び敬意を抱きつつ、憂の神格に畏怖した。憂は、彼が最も忠実に従う「家族への愛」というルールを使って、この世界を支配している。
八千代は、パンフレットの『未来郵便局』という文字を静かに見つめた。そこは、亡き夫(遼司)が生前、最も情熱を注いだ場所。孫の哲人が、祖父の夢をこの世界に再現したのだろう。
(局長、きっとその郵便局には、あなたと哲人様、そして私たち家族の『愛の記憶』が、たくさん詰まっているはずです……)
ミッション・ブリーフィング(特別室)
憂は、特別室の窓の外、穏やかなSAGA SAGAの街並みを一瞥した。
「ただし、今回の敵は、物理的な異形だけではないわ。彼らは、哲人が作ったこの世界のNPCたちに、**『悪意のある情動データ』を注入し始めている。塔の内部では、あなたたちが『正義の敵』**と見なされるかもしれない」
憂は、テーブルの上の魂魄解析機を指し示した。
「ディテクターを常に起動させて。偽りの情動データを持つNPCは、あなたたちの**『真の愛の記憶』に反応し、排除しようとしてくるわ。彼らの偽装データこそが、真の脅威。戦闘よりも、『真実を見抜く目』**が必要になる」
「真実を見抜く目……」遼司は、ディテクターを手に取った。
「ええ。正義の味方であるあなたが、偽りの悪意に満ちた『家族』のフリをするNPCたちを、見抜いてデバッグできるか。これが、次の『お掃除』の鍵よ」
憂は最後に紅茶を一口飲み、満足げに微笑んだ。
「さあ、お爺様。愛する者の夢を守りに行ってちょうだい。お茶会はこれで終わりよ」
憂が手をかざすと、特別室の景色が再び幾何学的な光の粒子に包まれた。遼司、八千代、星の三人は、光に吸い込まれるように、次の戦場、第1層のシンボルである『正義とロマンの塔』へと強制転送された。
この度は、私の作品を最後までお読みいただき、心より感謝申し上げます。




