バビロンの剣
この度は、数ある作品の中からこの物語をお手に取っていただき、誠にありがとうございます。どなたか1人でも、当作品の存在を知っていただけるだけで幸いです。
「お待たせしました、八千代さん。私が、局長の**『剣』**となります。阿武隈局長、佐伯のデータは確認済みです。行きましょう、バビロンへ。」
黒いレザースーツに身を包んだ女性、早乙女 星は、私に一瞥もくれず、ただ、その場に張り詰めた緊張感だけを振り撒いた。
「早乙女 星と申します。以後、現場での指揮は私が執ります。局長は、このSAGA SAGAの世界では最強という設定ですが、戦闘の経験値はゼロ。私の指示に忠実に従ってください。」
彼女は、口を開くときも、清廉な瞳を佐伯の解析スクリーンに向けたままだった。感情のない佐伯とは対照的な、明確な任務への絶対的な献身が見て取れる。
「私が、戦闘経験値ゼロ?」
「ええ。ホムンクルスに戦闘データがインプットされているとはいえ、それはあくまで『知識』です。対して、私は何千年にもわたり**『混沌』**と戦い続けています。この差異を理解してください。」
星はそう言うと、腰に提げた日本刀の鞘に手をかけた。その鞘には、細工された銀色の天秤の意匠が施されており、彼女の持つ厳格な正義の基準を密かに示していた。
八千代さんが静かに言った。「星、遼司局長はあなたの『剣』ではありません。あなたの『主』です。言葉遣いには気を付けて。」
「失礼しました、八千代さん。しかし、任務の効率が最優先です。」星は反論を止めない。
「佐伯、情報はどうなっている。」私が冷静に尋ねた。
「座標は固定されています。廃墟となったパチンコ店は、現世のデータでは既に30年前に閉鎖された建物。しかし、SAGA SAGA内では、その建物自体が特定の**信仰者集団の『ノード』**として機能している可能性があります。内部には、プレイヤーが複数存在すると予測されます。」佐伯は、私の視線を無視して、分析を続けた。
「では、行くとしよう。八千代、佐伯、任せたぞ。」
「ご武運を、遼司さん。」八千代さんは、いつものように優しい声で私を見送った。
特別神務機関局『SGMA』から提供されたダッジバンに乗って、私と星は歓楽街バビロンへと向かった。運転は星が務めたが、その運転はレースカーのような精密さと速さだった。
「バビロンは、SAGA SAGAの中でも最も『混沌』に近い場所です。プレイヤー同士のトラブル、NPCの無法地帯、全てが入り混じっています。しかし、旧支配者を信仰するプレイヤーたちは、統制された行動をとります。」星がハンドルを握ったまま、淡々と説明する。
「彼らは、何を企んでいる。」
「このSAGA SAGAの世界で、旧支配者を**『デジタル的な偶像』として復活させ、その信仰波を現世へと逆流させることです。それが成功すれば、遥か昔に創造神ショロトル様たちが封印した、『混沌の深淵』**の壁が崩壊します。我々は、その『偶像』が完成する前に、プレイヤーを鎮圧し、教団のシステムを完全に破壊しなければなりません。」
車が、ネオンサインが渦巻く巨大な歓楽街へと滑り込んだ。看板には、私の生きていた時代にはなかった、漢字とローマ字が混ざった奇妙な文字が並んでいる。
ターゲットである廃墟のパチンコ店は、歓楽街の裏通りにひっそりと佇んでいた。外壁は錆びつき、窓ガラスは割れている。しかし、その建物からだけ、奇妙な湿った空気が立ち上っているのを感じた。
「降りますよ、局長。」
星は車を路地の影に停めると、助手席のドアを開けた。私は黒いスーツの裾を払い、外へと出る。
【警報。対象感知。プレイヤー(信仰者)3名。NPC(統制型)5名。】
腰のディテクターが静かに警告する。
星は腰の日本刀を抜き放った。黒い鞘から現れた刀身は、月明かりのように白く輝き、その切っ先からは、清廉な殺気が放たれていた。
「局長は、私の後ろにいてください。私の使命は、あなたの**『不純な行動』**を排除し、あなたを安全に目標地点まで導くことです。」
「不純な行動?」
「ええ。あなたの『情』や『迷い』を断つことです。正義はただ一つ、悪を裁くことのみ。」
星はそう言い捨てると、廃墟となったパチンコ店の裏口へと、一気に駆け出した。
私は、その圧倒的な正義感と速さについて行くしかなかった。ホムンクルスの肉体は、星に遅れをとることはない。
裏口の鋼鉄製の扉は、閂が掛けられていた。星は、刀身の切っ先を閂の隙間に滑り込ませると、まるで紙を切るかのように、音もなくそれを両断した。
「行きます。内部は既に、**旧支配者の『法則』**が優勢となっています。常識は通用しないと考えてください。」
内部は、廃墟の割には、驚くほどに整頓されていた。かつてパチンコ台が並んでいた場所には、巨大な祭壇のようなものが築かれており、その中央には、黒い粘液に覆われた巨大な卵状の物体が鎮座していた。これが、佐伯が言っていた『デジタル的な偶像』なのだろう。
祭壇の周囲には、黒いローブに身を包んだプレイヤーらしき三人の人影と、無表情なNPCが五人、まるで警備員のように立っている。
「侵入者!」プレイヤーの一人が叫んだ。
星は、迷いなく突っ込んだ。その動きは、まさに『刹那』の速さ。
「邪悪なるものは、全て裁かれるべし!」
星の刀が閃いた。一瞬で、警備をしていたNPCの身体が、黒い霧となって霧散する。彼女の剣技は、刀をただの武器ではなく、正義の意思を伝えるための道具に変えていた。
「局長!プレイヤーは銃撃で。NPCは私が断ちます!」
星は、残りのNPCの群れの中に飛び込んだ。一方、プレイヤーの一人が、祭壇の横に置かれていた、妙に未来的な形状のライフルをこちらへ向けた。
(来るぞ……)
私は、腰の霊子銃を抜き放った。ホムンクルスの肉体は、敵の動きを既に読み切っている。感情はない。あるのは、**「任務の遂行」**という、生前の私が持っていたような、ただ一つの責任感だけだ。
この度は、私の作品を最後までお読みいただき、心より感謝申し上げます。




