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ドラゴンVSクマムシ 最強はどっちだ~男の執念は復讐を成し遂げられるか?

作者: 長山宏隆

     1

『ついに、ついに、ここまで来たんだ。早く始まれ』

 ハンク・ボランは、岩場で対峙する二つの影を見ながら、心の中でそう叫んでいた。

 一つ目の影は巨大で、首の長い恐竜の背に羽を付けたようなシルエット。すなわち、ドラゴンだった。もう一つの小さな影は、ズングリムックリした体型の騎士だった。彼は、蛇腹のような甲冑を纏い、まるで、アルマジロかダンゴムシのようだった。

『雑魚のくせに、俺様に挑んでくるとは無礼千万』

 ドラゴンの目には、そんな蔑みにも似た光が宿っていた。

 地上最強の呼び名が高く、その名に恥じ戦歴を誇っていた。今まで目の前に現れたどんな強敵にも敗れたことのない無敗の絶対的王者。それが、ドラゴンだった。討伐を命じられ、大挙して押し寄せや騎士団を返り討ちにして全滅させたこともあった。同行してきた宮廷魔導師の大魔法さえ、彼に致命傷を負わせることは出来なかった。また、何年かに一度現れるという伝説の勇者や大賢者とも、何度か対峙したが、彼の敵ではなかった。

 そんなドラゴンにただの人間が単騎で挑んできたのだ。ドラゴンにとって、煩いハエが一匹飛んできたようなものだった。

『甘く見るなよ。俺は、今までの奴らとは、格が違うんだ』

 騎士、アルゴメスは、心の中でそううそぶいていた。

『こいつの単独討伐に史上初めて成功して、歴史に名を残してやるんだ』

 アルゴメスは、そんな野心を抱いていたが、その野心に全く根拠がないわけではなかった。

『こいつに出会えたお陰でな・・・』

 アルゴメスは、ハンクがいるであろう方向にチラッと視線を向け、ほくそ笑んだ。

 ドラゴン討伐に異常な執念を燃やし、そのための研究に半生を賭けて取り組んできたのがハンクだった。 

『もうじき、皆の仇を討ってやれる』

 二つの影を、見守るハンクの目に、涙が滲んできた。岩陰に身を潜め、その手には錬金術で生成した、望遠鏡が握られていた。それを通して勝負の様子を確認していたのだった。

 どれほど、この時が来ることを待ち望んだことだろう。

 ハンクは、あの時のことを、片時も忘れたことがなかった。

『何があったんだ』

 ハンクは、あの日、森に薬草を採集に行っていた。目的の薬草を見つけ、村に、ハンクの住むホムテッド村に戻る時のことだった。村の方から、幾筋もの黒煙が立ち上っていた。それに加え、時々、パーッと煌めく輝きが、夕焼けのように空を赤々と染めていた。

 異常事態が村を襲っているのは間違いなかった。

 ハンスは、ガムシャラに走った。一刻も早く、村に戻りたかった。

『大事なければいいんだけど』

 ハンクは、村が無事であることを祈りながら走っていた。

 だが、そんなハンクの祈りをあざ笑うかのように、村に近付くにつれ、黒煙に混ざって燃え盛る赤い炎の先端も見えてき。きな臭さも段々と強さを増していた。

『そんな・・・。間違いであってくれ』

 村中が、燃えている。その可能性が高いのは分かっていた。それでも、ハンクは、その可能性を心情的にはどうしても否定せずにはいられなかった。

『くそっ。盗賊か。魔物か。何で、俺たちの村が襲撃されなきゃならないんだ』

 村に近付くにつれ、現実が容赦なくハンクに突き付けられていった。あっちこっちの建物から、獲物を前に舌なめずりする爬虫類の舌の様に、チョロチョロと揺れ動く赤い炎が立ち上っていた。ハンクは、絶望的な気持ちになった。

『あ、あれは・・・』

 村から一つの影が舞い上がった。

 ハンクの存在に気付いたのか気付かなかったのか分からないが、蝙蝠が持つのと同じような翼を広げた巨大生物の影が、ハンクの頭上を通り過ぎて行った。空飛ぶトカゲ、ワイバーンのようにも思えたが、それより、はるかに巨大そうな影だった。

『ド、ドラゴン』

 ハンクは、愕然としてドラゴンが飛び去って行く様子を、真下から歩を止めて眺めていた。

 一匹で一国を滅ぼしかねないドラゴンに襲われては、村などひとたまりもないだろう。

『村は・・・』

 ハンクは、我に返ると、全力で村に向って走った。

「ああっ・・・」

 村の入り口まで来ると、ハンクは、その場に膝から崩れ落ちた。

 ハンクが森に行く前まで、存在していた家は全て瓦解炎上して、その面影さえ留めぬ姿へと変貌していた。半分は分かっていたこととはいえ、実際にその光景を目にするといたたまれない気持ちだった。

『くそッ、ドラゴンめ』

 ハンクの目から、止めどなく涙が流れ出てきた。

「うおーッ」

 ハンクの胸は、絶望と悲しみで一杯になっていた。

 頭を地面に擦りつけ、拳で地面を叩き、絶望的な気持ちを紛らわそうとしていた。

 ハンクが教会で告げられた魔法適正は、錬金術だった。火・水・風・土のどの属性にも属さず、使い手も希少。その上、錬金術という言葉には、常にうさん臭さそうなイメージが付いて回っていた。昔、錬金術師と名乗る者たち、実際には錬金術の適性は持っていなかったが、彼らが、詐欺まがいの行為、ただの土から金を作り出すといって多額の金を集める、そんな行為を繰り返したため、錬金術イコール詐欺という概念を作り上げてしまったからだった。

「錬金術師だって大丈夫だよ」

 気落ちするハンクに、そう声を掛けてくれたのは幼馴染のアンナだった、

「錬金術師って、ポーションが作れるんだよね。変なもん作らないで、皆の役に立つポーションを作って、錬金術師は役に立つんだって、ハンクが皆に証明してやればいいじゃない」

 アンナは、ハンクをそう言って励ましてくれた。

 確かに、近隣の村には医者も薬師もおらず、各病気や外傷には民間療法で対処していた。だが、それにも限界があった。

『そうか、俺が、錬金術でポーションを作れるようになれば皆の役に立てる。錬金術師と俺のスキルを馬鹿にした奴らも見返すことができる』

 ハンクは、錬金術の勉強をすることを決意したが、村では、錬金術の勉強のしようがなかった。ハンクは、父親を拝み倒して、町に出て働く許可を貰った。農業の働き手として長男のハンクを期待していた父親は初めいい顔はしなかったが、ダメと言っても何度も頭を下げるハンクの熱意に負け許可を出してくれた形だった。

「私、信じて待ってるからね」

 ハンクが、町に行くことを告げると、ハンナは、そう言ってくれた。

「必ず、戻ってくるから」

 ハンナにそう約束すると、ハンクは、町までの片道分の旅費を手に村を出た。

 町についても、働き口が決まっているわけではなかった。何のツテも持たぬハンクを簡単に雇ってくれる薬局などあるはずも無かった。それでも、ギルドで清掃、建築、薬草採取などの業務をこなし、薬局に通い続けた。そんな努力を続けた結果、最終的にはハンクは、薬局で下働きとして雇ってもらえることになった。

 ハンクは、下働きをしながら薬草の種類を覚え、どの薬草が、どういう組み合わせでどのようなポーションになっていくのかを見よう見まねで覚えていった。少ない給金を貯めて薬草やポーションの本、更に、錬金術の本などを買っていった。

 その後、努力の甲斐もあり、ハンクは、錬金術としての才能を急速に開花させていった。一年もすると、他の薬師が作るポーションより短時間で高品質な物を作成できるようになっていた。いつしか店主にもハンクの才能は認められ、店で販売するポーションの作成を任せるようになっていた。

 ハンクは、村に帰ることにした。

 だが、帰ったはいいが、ハンクのような若造、それも悪名高い錬金術師の作るポーションなんて、村人は誰も相手にしてくれなかった。

 そんな時、村に伝染病が流行った。高熱に加え咳や喉の痛みのような風邪の症状。体力のない子供は、かなりの確率で亡くなっていった。アンナも感染して床に服するようになった。

「私、ハンクを信じる」

 ベッドの中から弱々しい声で、ハンナは、そう言うと、両親の反対を押し切りハンクのポーションを飲み干した。結果は、劇的だった。昨日まで、熱を出して唸っていたアンナはどこに行ったのか、翌日には、元気に外を跳ねまわっていた。

 他の村人の中にも、ハンクのポーションを使う者が出てきた。それから、村を襲った伝染病は急速に下火になっていった。ハンクは、村の英雄になった。

 薬局も開業でき、アンナとの結婚も決まった。まさに人生の絶頂期と言ってもよかった。

 そこに、この仕打ち、ドラゴンにより村が全滅させられたのだ。ハンクにとり絶対に許せない行為だった。

『くそッ』

 ハンクは、両拳を大きく振り上げると、ドンッと地面に叩きつけた。

 ドサッと、その拍子に肩に掛けていた鞄が、ハンクの前に落ちてきた。

 地面に落ちた鞄の蓋は開き、そこから、ハンクが採取した薬草が零れ落ちていた。

『そうだ、俺は薬師だ。生き残ってる人がいたら治療しなければ』

 落ちた薬草を見て、ハンクは、薬師としての使命を思い出した。

「誰か、いませんか」

 ハンクは、まだ火の手のおさまらぬ村の中を、そう大声を張り上げながら走り回った。

 まず訪れたのは、アンナの家だった。

『何でだよ』

 ここに来るまでの惨状で予想はしていたが、現実を目の当たりにすると何ともいたたまれない気持ちになった。ハンクの目に、また涙が滲んできた。

 それから、村中、自分の薬局や実家を含め、隅々まで走り回ってみたが、結局、ハンクの呼びかけに答える者は誰一人としていなかった。

 ドラゴンにより、逃げる間もなく村全てを焼き払われてしまったようだった。

 村の中を走り回って分かったのだが、家の間や村はずれに点在する畑も、全て焼き払われていた。生存者の存在を期待するほうが無理なような有様だった。

『いや、そんなはずはない』

 ハンクは、探査魔法を使ってみることにした。錬金術以外の魔法はあまり得意ではなかったが、薬草を探す時などに重宝するのがこの探査魔法だった。欲しい薬草をイメージして探査魔法を発動すれば、その薬草のみ表示されるという優れものだった。勿論、複数の薬草を同時に探査することも可能だった。これは自分の将将来に必須の魔法、と必死に練習した甲斐があり、現在ではかなり使いこなせるようになっていた。

『探査』

 ハンクは、生命体に絞って探査を実行した。

『馬鹿な』

 ハンクの探査魔法に何一つ反応するものは無かった。

 それは、ドラゴンの暴力行為およびブレスは、逃げる間も与えず全ての生き物の生を奪い去ってしまった。ということを暗示していた。

『んな馬鹿な。一人ぐらい生存者がいたっていいだろ』

 ハンクは、駆けずり回って、探査魔法に反応するものを探し回ったが、やはり、生命反応らしきものは皆無だった。

「本当に、本当に一人残らず全滅かよ。そんなことってあんのかよ」

 ハンクは、そう呟くと、全身の力が抜けていくように、その場に膝を落とした。

 凄まじいドラゴンの破壊力だった。愛すべき家族。毎朝挨拶を交わしていた人々。薬師としてハンクを育ててくれた人々。ハンクの薬局を贔屓にしてくれた人々。それらの人々は、一瞬にしていなくなってしまった。帰るべき家も。そして愛すべき人も・・・。ハンクの安住の地は、地上から消え去ってしまったのだ。

 その惨状を一生忘れまいと、ハンクは、もう一度、辺りの光景を目に焼き付けるようジックリ見据えていった。黒煙が上り炎チラつく光景を・・・

『な、何だこれは』

 ハンクは、自分の探査魔法に極々微小な生命反応があることに気が付いた。サイズ的に、人間や家畜である可能性はなかった。というより、ドラゴンのブレスに曝され焼け爛れ、まだ熱さえ引かぬ地面の中から生命反応が出るなんて信じがたいことだった。地面に潜む細菌でさえ、一瞬にして炭化死滅してしまったことだろう。

『ドラゴンの高温のブレスに耐えた生物がいるってことか』

 ハンクは、周囲を見渡し破壊され家の残骸の中から板切れを見つけると、それを持って持って、生命反応のあった地面。焼焦げた地面の中央部に向った。口底からジュージューと革が焼けるような臭いが漂ってきた。

『早いとこ採取して帰らないと、やばそうだな』

 靴底ばかりではなかった。黒く焦げた地面からは、何もしなくても熱気がムッと立ち上ってくるようだった。

「あち、あち、あちッ」

 ハンクは、板で地面を削るように少し角度を付けて押し付けると、反対の手で、地面を撫でるようにサッサッと土を板に?き上げた。土に触れていた時間は、ほんの瞬間に過ぎなかったが、それでも、ハンクの手は、かなりの熱さを感じていた。ドラゴンのブレスが、それだけ高温だったということだろう。

『よし、載ったな』

 微小生命体が、板の上に移動したことを確認すると、ハンクは、早々に黒焦げの地面から退散することにした。

「こ、これは・・・。この世界にもいたのか」

 ハンクは、自作のポケット顕微鏡を土に向け、驚きの声を上げていた。

 パサパサに焦げた土に、水を数滴たらして、ハンクは、土の中を詳しく観察しているところだった。その中を、モソモソと、歩きなれてないような足取りで動き回る八本脚の微小生物がいた。クマムシだった。

 ハンクは、前世の記憶を持つ転生者でもあった。生物化学研究所。それが、ハンクが前世で勤めていた研究所の名前だった。DNAの解析を主とする研究機関で、色々な生物の特性を示す遺伝子が、DNA上のどの部分にあるのか。それを明らかにして、人間の生活に役立つ物質の大量生産、商品化に結び付ける。ハンク、前世では、大高健児という名だったが、研究所の中で、そんな仕事に従事していた。

 健児は、土中から細菌や微生物を採取して、その細菌や微生物が有用な特性を持っていないか。新種の細菌ではないかなどを調べることが、趣味であり仕事でもあった。ポケット顕微鏡は、そんな健児にとって必需品がった。

 ある日、サンプルの採取に夢中になり、崖っぷちに迫っていることに気が付かなかった。

 その後、自分が転落した記憶を最後に、前世の記憶は終わっていた。ハッと気が付いた時には、この世界に赤ん坊として転移していたのだった。

 この世界で生きていくのに、錬金術の属性は最低のものだったが、薬師を目指すハンクにとって、天職のようであるのが次第に明らかになっていった。

 最近では、自分に錬金術の属性を与えてくれた神にも感謝していた。

 それが、このざまだった。

『俺は、絶対にドラゴンを許さない』

 ハンクは、そう心の中で誓った。


     2

「馬鹿野郎。俺は、英雄になる男だぞ」

 アルゴメスは、エールを飲み干すと、空になった木製ジョッキを叩きつけるようにして酒場のテーブルに置いた。

 ギルドでの出来事を思い返すと、まだ、腹の虫が収まらなかった。

 ジャイアント・ボアの討伐依頼。アルゴメス一人だけでは、ちょっと荷が重かった。顔見知りのパーティーに声を掛け、共同で依頼を受けないかと打診した。

「あんたの取り分が、依頼料を人数割りした半額でいいなら共同で受けてやってのいいぜ」

 パーティーのリーダーは、そう言って、声を立てて笑った。

「何だと、ふざけるなよ」

 アルゴメスは、リーダーの胸倉を掴みながら言った。

「おめえはな、口先だけで、何の役にもたちゃあしねえんだよ」

 リーダーは、鼻先でフンッというように言った。

「・・・」

 アルゴメスは、顔面の筋肉をピクピクと引きつらせながら、リーダーの顔を睨みつけた。

「そんな顔してもだめだ。おめえの剣の腕は、自分で言う程でもねえし、協調性もねえ。前衛を任せるには中途半端だし、弓矢や魔法も使えないから後衛も任せられねえ。だから、未だに、おめえとパーティーを組もうなんて奴は現れない、それで、ボッチなんじゃねえのか」

 リーダーは、アルゴメスの方に、グッと顔を近づけながら言った。

「大言壮語吐いてる時間があるんなら、腕を磨けよ。今のおめえと手を組むなら、うちのパーティーだけで依頼を受けた方が、成功率が高けえんだよ」

 リーダーは、胸倉を掴むアルゴメスの手首をグッと握った。

 いつの間にか、彼のパーティーメンバーたちが、アルゴメスを取り囲み臨戦態勢を整えていた。ここで、やり合えば、アルゴメスが一方的に袋にされかねなかった。

「いやなら、他のパーティーを当たってくれ。おまえと共同で依頼を受けようなんてパーティーがあればの話だけどな」

 リーダーは、そう言いうと、アルゴメスの手を胸元から引き剥がし、その場から去って行った。多くの冒険者仲間が見守る中、アルゴメスは、屈辱で口元をワナワナと震わせていた。とても、その場に留まる気にはなれなかった。ギルドを飛び出すと、この酒場に飛び込んだったのだった。

『くそッ。何言ってやがるんだ。確かに俺はメンバーに恵まれず、パーティーを組めないでD級でくすぶっているが、剣の腕はC級になっても遜色ないはずだ』

 アルゴメスは、プライドだけは異様に高く、自分が正当に評価されないのは周囲が悪いとしか思っていなかった。

「アルゴメスさんでしょね。相席よろしいでしょうか」

 一人の男が、テーブルを挟んでアルゴメスの前に立っていた。その男は、まるで魔法使いであるかのように黒ずくめのマントで身を包み、頭にも真っ黒なフードを被っていた。

「誰だ、てめえ」

 アルゴメスは、上目遣いに聞いた。

「私は、ハンク・ボランと申します」

 ハンクは、自己紹介すると、アルゴメスに小さくお辞儀した。

 アルゴメスは、警戒するような眼差しで、ハンクの格好を眺めまわしていた。

「お前、魔法使いか」

 アルゴメスは、座った眼で睨みつけるように言った。

「さようでございます」

 ハンクは、慇懃な態度で言った。

「ハンクとやらが、俺に、何の用だ」

 アルゴメスは、横柄に言った。

「アルゴメスさんに、仕事を依頼したく参りました」

 ハンクは、腰を折り、アルゴメスに顔を近づけると単刀直入に用件を言った。

「仕事だと」

 アルゴメスは、うさん臭そうにハンクを眺めながら言った。

「そうです。アルゴメスさんが、望んでいる英雄になれるようなお仕事です」

 ハンクは、周囲に気を配るようにしながら、声を潜めて言った。

「英雄だと」

 アルゴメスは、益々、うさん臭いものを見るような目付きをハンクに向けた。

「そうです。アルゴメスさんは、かねがね自分は英雄になる人間だ。とおっしゃっているとお聞き及んでおります。お話だけでも、お聞きになってはいただけないでしょうか」

 ハンクは、アルゴメスの反応を確かめるように言った。

「うるせえ。俺は、忙しいんだ。おめえみたいな奴の話を聞いてる暇なんってねえんだ」

 アルゴメスは、癇癪を起すように言った。

「そうですか。それは残念ですね。致し方ありません。アルゴメスさんにも、非常に利になるお話だと思ったのですが、分かりました。この話。他の方にさせていただきます」

 ハンクは、そう言って、立ち去ろうとした。

「ま、待て・・・」

 他の方にと言われると、何だか、惜しくなってしまう。アルゴメスの心に、迷いが生じていた。ハンクと話したことで、酔いも大分覚めてきていた。

「募集人員は、一名に限らせていただいております」

 顎に手を当て、まだ、迷っている様子のアルゴメスをみながら、ハンクは、ダメを押すように言い始めた。

「勿論、お話を聞いていただくだけでも大丈夫です。いやなら、断っていただければいいのですから。ですが、私は、お話を聞いていただければ、必ずや、依頼を受けていただけると信じております」

 ハンクは、逡巡するアルゴメスの心を軽くくすぐる様に言った。

「分かった、話だけでも聞かせてもらおうか」

『やった』と、アルゴメスの答えを聞いて、ハンクは、小躍りしたかったが、その気持ちはググっと抑え込み、表面上は平静を装った。

「それじゃあ、続きを聞かせてもらおうか」

 二人は、酒場からアルゴメスの泊まる宿に場所を移していた。

「仕事の話なので、できたら静かなところでお願いできれば」

 ハンクのそんな希望で、ここに移動してきたのだった。

 アルゴメスは、ベッドの端に、ハンクは椅子に座っていた。

「分かりました」

 ハンクは、そう言いながら、フードを下ろした。

 外では、あまり顔を覚えて欲しくなかったが、二人になった現在、顔を隠す必要もなく、フードを下ろした方が、相手の信用を得やすいだろうとの判断からだった。

「で、英雄になるのに、どんな仕事をすればいいんだ」

 アルゴメスは、ハンクを急かすように言った。

 山師だったら、長時間はなしを聞くだけ無駄。早々に退室してもらうつもりだった。アルゴメスは、まだ、ハンクを百パーセント信用したわけではなかった。

「その前に、アルゴメスさんは、クマムシという小さな生き物のことを知っていますか」

 ハンクは、おおよそ主題とは関係なさそうなことを口にした。

「クマムシ?何だそりゃあ。それが、今度の仕事と何か関係があるのか」

 アルゴメスは、訝し気にハンクを睨みつけた。

「クマムシというのは、目に見えないぐらい小さな動物ですが、その生命力には驚くべきものがあります。凍らせても火であぶっても、人間がとても生きていられないような環境に置かれても、また、ジャイアント・ボアの突進を受けても、おそらく剣で斬りつけられても無傷で生き延びることのできる生き物です。人によっては、クマムシのことを最強の生物と称しています」

 ハンクは、真空とか気圧、放射線などという単語を用いずに、クマムシの持つ凄さをアルゴメスに伝えるよう努めた。

「本当なら、凄え生き物だろうが、生憎、俺はそのクマムシなんて生き物のこと見たことも聞いたこともねえ。眉唾じゃねえのか」

 アルゴメスは、突飛な話を始めたハンクに猜疑の目を向けていた。

「では、アルゴメスさんは、実際にドラゴンを見たことがありますか」

 ハンクは、二ッと笑みを浮かべるようにしてアルゴメスに聞いた。

 ドラゴンを目撃することなど、一生にあるかないかだった。しかも、目撃した者の多くは、その場で命を落とすこととなる。ハンクのような例は、極々稀なこと。多くの人間は、ドラゴンの存在を伝承で知っているだけで、実際の目撃例は皆無に近いというのが実情だろう。

「俺も、まだ直接は見たことはないが、目撃証言もあるし、言伝えにも多く残っている。皆が信じているように、見たこと無くてもドラゴンがいることは間違いねえだろ」

 アルゴメスは、なんだこの野郎という感じで言った。

「クマムシも同じです。ドラゴンより見るのが難しいので、目撃証言も殆どなく、言伝えにも残されていません。ですが、クマムシは確実に存在しています」

 ハンクは、自信たっぷりに言った。

「まあ、そう言うことも無いとは言えないかもしれないが、もし、クマムシという生き物が存在したとしてそれがどうしたっていうんだ」

 アルゴメスは、鼻先で馬鹿にするよいに言った。

 ハンクの言うことは、強引なこじつけ、詭弁の様にしか思えなかった。

「ここからが、英雄に係わる話になります」

 ハンクは、ちょっと身を乗り出すようにして言った。

「ど、どういうことだ」

 アルゴメスは、英雄という言葉が不意に出てきたことに戸惑いを隠せなかった。

「地上最強と称される生き物は、クマムシだけではありませんよね」

 ハンクは、意味深にアルゴメスに聞いた。

「そりゃあ、地上最強っていえば、クマムシなんて奴はどうだか知らねえが、普通は、ドラゴンのことだろうよ」

 アルゴメスは、何で今さらそんなことを聞くんだとでもいいたげに言った。

「その地上最強と言われるドラゴンとクマムシが、戦ったらどうなると思います」

ハンクが、これからいたずらをしようといういたずらっ子のように、目をギラギラと輝かせながら言った。

「そんなの、俺に分かるはずねえだろ」

 アルゴメスは、引き気味に言った。

「最強の攻撃力、何者も焼き払うドラゴンブレストに岩をもかみ砕く鋭利な牙、どんなものも破壊しつくす威力を秘めた四肢と尾。どれ一つとっても、最強と呼ばれるにふさわしい攻撃力。かたや、最強の防御力を持ったクマムシ。ドラゴンブレスにも、四肢や尾。牙の攻撃にも耐えられるはずです。でも、このままでは、永遠の引き分けか、攻撃に耐えきれなくなったクマムシの敗北の目しか見えません。どうしたらいいとおもいます」

 ハンクは、再び、アルゴメスに疑問を投げかけた。

「そんなの知るかよ」

 アルゴメスは、プイッと顔を横に向けながら言った。

「ここで、出てくるのが、あなたというわけです」

 ハンクは、アルゴメスに顔を近づけながら言った。

「迫ってくんじゃねえ」

 アルゴメスは、両手を前に出して、怒声を上げた。

「クマムシには、攻撃力が全くありません。ですが、あなたとクマムシが協力すれば、ドラゴンを攻撃できる。ドラゴンを討伐できる可能性が出てくるってことですよ。もしそうなれば、あなたはドラゴンを討伐した英雄ということになります。素晴らしいと思いませんか」

 ハンクは、アルゴメスを指さしながら言った。

「俺とそのクマムシとやらが、協力して戦うっていうのか。どうやって」

 アルゴメスは、自分が英雄になれると聞いて、ちょっと興奮したように聞いた。

「・・・」

 ハンクが、アルゴメスを指さしたまま、その場で固まっていた。

 その目は、困ったとでも言うように、キョロキョロと泳いでいた。この先の説明をどうするか、言葉に詰まってしまったのだ。

 これ以上話を進めるには、今までのハンクの研究成果を見てもらわなければならないが、

 現在、ここにそれらのもの持参してきてはいなかった。気軽に、街中を持ち歩けるようなものではなかったのだ。

「どうした」

 アルゴメスが、ハンクに聞いた。

「あ、あのですね、アルゴメスさん。ここから先は、説明し辛いので、場所を代えて説明させていただいたほうがいいと思います」

 ハンクのテンションは、急激に下がっていた。

「明日か明後日、お時間あるでしょうか」

 ハンクは、頭の中で自分の予定を確認しながら言った。

「冒険者家業は、開店休業状態だからな、明日でも明後日でも時間は取れる」

 アルゴメスは、やや自嘲気味に言った。

「それじゃあ、明日の夕暮れ時、こちらにおいでいただけるでしょうか」

 ハンクは、鞄から紙とペン、インクを散り出すと、それに略図を書き始めた。

「これから先の話を聞いていただくと、多分、もう引き返せなくなります。そのつもりで、もう一度よくお考えの上、おいでいただければと思います」

 そう言い終わると、ハンクは、書き終えた略図をアルゴメスに差し出した。

「・・・」

 アルゴメスは、無言でそれを眺めていた。

 イマイチ、アルゴメスは、ハンクを信用できないでいた。

「それでは、明日のおいでをお待ちしています」

 ハンクは、立ち上がると、そう挨拶した。

「ちょっと待て」

 アルゴメスが、ハンクを呼び止めた。

「ドラゴンを討伐することで、おめえにどんなメリットがあるっていうんだ」

 アルゴメスは、最後に、それだけは聞いておきたかった。

 自分に何の見返りも利益もならないのに、仕事の依頼をしてくる人間は要注意だった。

「復讐です」

 ハンクは、即答した。

「私の村は、ドラゴンに壊滅させられ、私は、全てを失いました」

 ハンクは、グッと悲しみを堪えるようにして言った。

「それじゃあ、三年前の事件のただ一人の生き残りって言うのは・・・」

 アルゴメスは、ハンクをマジマジと見詰めた。

 一村が丸ごと殲滅させられた事件は、ドラゴンの恐ろしさを知らしめる事件として世間一般的に有名な話だった。村を開けていたたった一人の村民だけが、生き残った。という説話込みで・・・。

「私ですよ。それでは・・・」

 ハンクは、そう言うと、踵を返し部屋から出ていった。

 その背中は、アルゴメスには、小刻みに震えているように見えた。

「そういうことか」

 アルゴメスは、ハンクの背中を見送りなら、そう呟いた。


     3

「ざけんなよ。何で、俺が。こんなダンゴムシの親玉みたいな奴と戦う必要があるんだ」

 檻に閉じ込められたアルゴメスが、大声で叫んだ。

 おなじ檻の中には、もう一つ魔物の影があった。彼と対峙したその魔物は、顔こそ犬ぽい形相を残していたが、全体的にズングリムックリで、短足。シルエットだけなら豚に近いような生物だったが、それが、牙を剥き出してアルゴメスに、今にも飛び掛からん勢いで迫って来ていた。その生物と豚との違いは、背中全体が、ダンゴムシのような甲殻の鎧に覆われていることだった。どちらかと言えば、ダンゴムシよりアルマジロに近いかも知れなかった。

「必要なことです。我慢して戦ってください」

 ハンクが、涼しい顔で言った。

『あんにゃろうふざけやがって。檻を出たらただじゃ置かねえからな』

 アルゴメスは、いきり立っていた。

 ハンクと初めて会った翌日の夕刻、アルゴメスは、ハンクの家というか店を訪れたていた。ハンクの書いた略図の目的地には、ハンクの経営する薬局が建っていた。

「こちらにどうぞ」

 ハンクは、アルゴメスを薬局の奥の調剤室のような部屋に招き入れた。

「よくお考えの上、ここにおいでいただいたと思っていいのですね」

 ハンクが、念を押すようにアルゴメスに聞いた。

 アルゴメスが、案内されたテーブルの上には予めお茶のセットが用意されていた。

「その前に、一つ聞きたいんだが」

 アルゴメスは、そう言うと、口元を歪めた。

 ドラゴンを討伐する。その動機が復讐と聞いて、アルゴメスは、少しハンクを信用してもいいかと思うようになったが、それにしても、どう考えても一つ腑に落ちない点があった。

「なんでしょうか」

 ハンクは、お茶の用意をしながら言った。

「俺なりに調べてみたんだが、クマムシについて知ってる奴は誰一人いなかった。クマムシって、何なんだ」

 アルゴメスは、知らないのは自分だけなのか。そう思って、昨日は恥ずかしくて聞けなかった質問をハンクにぶつけた。今日一日、ギルドや冒険者仲間に聞いて回り、誰もクマムシが何たるか知らないと確認したのだった。

「そうかもしれませんね。クマムシを見るためには特殊な道具が必要ですからね。この国では、あまり知れ渡っていないのでしょうね」

 ハンクは、そう言うと、淹れたてのお茶をアルゴメスの前に置いた。

「特殊な道具・・・」

 アルゴメスは、訝し気に、ハンクの言葉を復唱した。

「そうです。これですよ」

 ハンクは、胸ポケットからポケット顕微鏡を取り出すとアルゴメスに見せた。

「何だ、そりゃあ」

 アルゴメスは、初めて見る魔道具に首を傾げた。

「説明するより、実際に見てもらった方が早いですよね。こちらにどうぞ」

 ハンクは、壁沿いに並べられた作業台の方に、アルゴメスを手招きした。

「何だ、こりゃ」

 アルゴメスは、作業台の上にも変なものを発見した。

 薬局を経営してる魔法使いとなれば、ハンクが錬金術師であることは容易に想像がついた。作業台に載っているビーカーや試験管を始めとする様々な実験器具は、その考えの正しさを裏付けているように思えた。

 だが、ハンクが向かった作業台の上には、コケが生えたような土をいれた直径三十センチメートルぐらいの器が置かれているだけだった。

 錬金術師が、様々な薬草を用いてポーションを作ることは、アルゴメスも知っていた。薬師から、ギルドに薬草の採取の依頼があるのは日常のことだった。ランクの低い冒険者たちは、それがあるから生活できるような面もあったが、ギルドで苔の採取依頼など見たことなかった。また、苔がポーションの原料になるなんてことも聞いたことも無かった。

「クマムシは、この中にいます」

 ハンクは、作業台の上の魔道具に魔力を流し光らせると、その光で、器の中の苔を明るく照らし出させた。

「・・・」

 アルゴメスは、目を点の様にして、ハンクのやることを見ていた。

「ちょっと待っててくださいね」

 ハンクは、ポケット顕微鏡で苔の表面を観察し始めた。

「いました。いました。ここに来てください」

 ハンクは、ポケット顕微鏡を覗き込んだまま、アルゴメスを手招きした。

「本体には触らないようにして、この穴を覗いてみてもらえますか」

 ハンクは、顔を上げると、今まで自分が覗いていたポケット顕微鏡の接眼レンズの部分を、アルゴメスに指し示した。

「あ、ああ・・・」

 アルゴメスは、恐々と、ポケット顕微鏡を覗き込んだ。

「な、何だ、こいつは・・・」

 アルゴメスは、絶叫した。

 そこには、今まで見たことも無い、得体のしれない生き物が蠢いたいた。アルゴメスの知る毛主とも、ムカデとも違う生き物が、何本かの足をムズムズ動かし蠢いていた。それほど足の数は多くなかったが、ダンゴムシかゾウリムシあたりが、今見ている生物のイメージとして最も近いかも知れなかった。

「これが、クマムシです」

 ハンクは、静かに言った。

 アルゴメスは、ポケット顕微鏡から顔を上げ、大きく見開いた眼でハンクを見続けていた。

『どういうことだ』

 アルゴメスは、ハンクが支えるポケット顕微鏡の下を覗き込んだが、そこには、今見た生き物の姿はなく苔の生えた土くれがあるだけだった。

「・・・」

 アルゴメスは、ハンクの方にチラッと視線を向けると、直ぐに、もう一度、ポケット顕微鏡を覗き込んだ。

「どうなってんだ」

 アルゴメスは、ハンクに迫るような勢いで聞いた。

「これは、物を拡大して見ることができる魔道具です」

 ハンクは、ポケット顕微鏡をアルゴメスの前に掲げながら言った。

「アルゴメスさんの見たクマムシは、実際には、目で見えないぐらい小さいです」

 ハンクは、右手の親指と人差し指先端をくっつけ、オーケーのサインを作るようにして、それを、アルゴメスの目前に掲げながら言った。

「物を拡大するだって。一体、どういうことなんだ」

 アルゴメスは、意味が分からなかった。

「今は、クマムシは、凄く小さいってことを理解してくれればいいです」

 顕微鏡を理解してもらうには、レンズの原理から説明しなければならないだろう。そんなことをしていたら、いつまで経っても、肝心な話が進まない。ハンクは、そう判断した。

「それなら、それでもいいが、実際問題として、そんな、小せいもん何匹集めたって、ドラゴンにゃ敵わねえだろう」

 アルゴメスは、喘ぎながら言った。

 ハンクは、自分達と違う世界に生きている。何となく、そんな気がしてきた。

「今見てもらったクマムシのままでは、抜群の防御力を持っているとしても、ドラゴンどころか人にだって勝てないでしょう」

 ハンクは、当然でしょうねという感じで言った。

「それじゃあ、どうやって、あのムシを使ってドラゴンと戦おうっていうんだ」

 アルゴメスは、詐欺野郎がとでも言いたげな目でハンクを睨んだ。

「キメラって知っていますか」

 ハンクは、アルゴメスの問いに答えず、全く違うことを聞き返してきた。

「確か、頭がライオン、尾が蛇、胴がヤギってAランクの魔物のことじゃなかったか。俺は、まだ会ったことねえが、ドラゴン同様、できたら一生で会いたくねえっ手合いだな」

 アルゴメスは、吐き出すように言った。

「それは、別名キマイラとも呼ばれる魔物のことですね。間違いではありませんが、キメラという言葉には、もう一つの意味があります」

 この世界でキメラといえばアルゴメスの認識で正解だろう。

 ハンクも、それを否定するつもりはなかった。

「もう一つの意味ってのは何なんだ」

 アルゴメスは、他に意味があるってんなら言ってみろという調子で言った。

「複数の個体のDNAや細胞が共存している状況。としても使われることがあります」

 ハンクは、サラッと言った。

「ディ、DNA???細胞???何だそりゃ」

 アルゴメスは、頭が痛くなってきた。

「人が人。犬が犬。猫が猫でいるための生命の設計図だと思ってくれればいいです」

 ハンクは、これも詳しく説明せずに終わらせたかった。

「で、そのDNAとやらで何をするつもりなんだ」

 アルゴメスは、半分投やりな態度で聞いた。

「錬金術で、人とクマムシのDNAを癒合させ、人の体内に戻してやる。そうするとどうなると思います」

 ハンクは、さっきまでの冷静はどこに行ったのか、やや興奮気味に言った。

「ま、まさか・・・」

 アルゴメスは、口ごもった。

『こいつ。もしかして、危ない奴なんじゃないか』

 アルゴメスの脳裏に、そんな疑念が湧いてきた。

「そう、クマムシの防御力を持った最強の戦士が、誕生するってわけです。素晴らしいと思いませんか」

 ハンクは、自己陶酔するように言った。

「そんな行為、神が許すと思うか」

 アルゴメスは、その実験台に自分がされるのではと心配になってきた。

 まともに教会に行ったことも無いアルゴメスだったが、この局面を回避するのに今ここで一時だけ神の信者になることにした。

「あなたの持つ野心はそんなものだったんですか」

 ハンクは、アルゴメスを指さしながら言った。

「俺は、英雄になって見せる。常日頃そう公言していたのは、あなたでは無いのですか。そんなちっぽけな信仰心のために、英雄になるという夢を捨て去ってしまっていいのですか」

 ハンクは、アルゴメスを挑発するように言った。

「そ、そう言われてもな・・・」

 アルゴメスは、言葉を濁した。

 マッドサイエンティストのようなハンクの言動に、アルゴメスは、一種の恐怖のようなものも感じ始めていた。

「あなたは、ギルドで冒険者仲間に何と呼ばれているかしっていますか」

 ハンクは、テーブルをパンと叩くと、アルゴメスに言い寄った。

「詐欺師ですよ」

 ハンクは、そう言うと、ここで言葉を区切った。

「・・・」

 一瞬の沈黙が流れ、アルゴメス眉間に皺が寄った。

『実力もないくせに大言壮語ばかり吐きやがって。あいつは詐欺師だ』

 ギルド内で、そんな陰口が多く聞かれているのも事実だった。

『見てろよ、いつかあいつらを見返してやる』

 アルゴメスが、冒険者を続けている理由は、そんな反抗心からだった。

 図らずも、ハンクは、アルゴメスの逆鱗に触れたしまったのだった。

「いいのですか。そんなことを言わせておいて」

 自分の言葉に食いついてきたとみたハンクは、アルゴメスに畳みかけるように言った。

「貴様の話に載れば、絶対ドラゴンに勝てるのか」

 アルゴメスは、ハンクの胸元に掴みかかった。

「絶対とは言いませんが、ある程度確証あります」

 ハンクは、真顔で言った。

「本当か」

 アルゴメスは。ハンクに詰め寄るように言った。

「その確証とやらを見せて見ろ」

 アルゴメスは、胸元を握る手にグッと力を込めた。

「お見せしますので、これを放していただけないでしょうか」

 ハンクは、自分の胸元を掴むアルゴメスの腕を指さすと、ニコッと笑顔を浮かべた。

「フンッ。これでいいか」

 アルゴメスは、突き放すようにしてハンクの胸元から手を放した。

「ありがとうございます」

 ハンクは、自分の胸元を直しながら言った。

「礼なんかいいから、速く見せろよ」

 アルゴメスは、ハンクを急かせた。

「では、お見せいたします」

 そう言うと、ハンクは、調剤室の薬局から入ってきたドアとは反対側のドア、自宅に続いているドアのようだったが、そのドアの方に向った。

「ミャールおいで」

 そのドアを細く開くと、そう呼び掛けた。

 ミャーッとその隙間から猫、いや、顔は猫だが体には顕微鏡で見たクマムシのような装甲を纏っていた。そんな、見たことも無い真っ黒い動物が姿を現した。

「な、何だ、こいつは」

 アルゴメスは、素っ頓狂な声を上げた、

「これは、猫とクマムシのキメラ、猫型キメラのミャールです」

 ハンクは、そう言いながら、その動物を抱き上げた。

「これが、キメラ・・・」

 アルゴメスは、ハンクに抱かれるミャールをマジマジと見詰めた。

 ミャールは、ハンクに抱かれ、嬉しそうにその腕に顔をスリスリさせていた。

「見ててくださいよ」

 ハンクは、そう言うと、作業台からナイフを手に取り、その切っ先をミャールに向かって振り下ろした。

「おい、何するつもりだ」

 アルゴメスは、椅子から腰を浮かした。

「エッ」

 次の瞬間、アルゴメスは、そのままの姿勢で固まっていた。

「本当かよ」

 アルゴメスは、ナイフの切っ先に目を釘付けにさせられたいた。

「どうです」

 ハンクが、どや顔で言った。

 振り下ろされたナイフは、ミャールに刺さることなく、その表面で止まっていた。

「傷もついて無いでしょう」

 ハンクが、ナイフを持ち上げると、そこには、ナイフが当たった痕すらついていなかった。

 よく見ると、ミャールは、ダンゴムシのように頭を隠して丸くなっていた。

「これが、防御モードです」

 ハンクは、ドアをノックするようミャールをコツコツと叩きながら言った。

 本来は、周辺の環境が乾燥し、自身も体の水分が失われ乾眠という状態になった時に、クマムシは、各種耐性を示す。ハンクは、キメラたちが、クマムシの乾眠のような状態になった時、これを防御モードと呼んでいた。

「こうなったら、蹴ろうが、岩に叩きつけようが、火に投げ込もうが、果ては、凍てついた川に投げ込んで氷漬けにしようが、通常モードに戻ればケロッとしているんですよね」

 ハンクは、丸くなったミャールを右手の掌に載せて、ヒョイッとアルゴメスの方に、『よく御覧下さい』とでもいうように差し出した。

「これが、さっきの猫もどきかよ」

 アルゴメスは、上から下からと見る方向を変え、ボールのように丸くなったミャールを懐疑的な目付きで眺めまわした。

「腰の剣で、お試しいただいてもいいですよ」

 ハンクは、ミャールを椅子の上に置いた。

「本当に、大丈夫なのか」

 アルゴメスは、首を傾げながら、腰の剣を抜いた。

「御存分に」

 ハンクは、自信満々に言った。

「そうか、それじゃあ、一応試させてもらうぜ」

 アルゴメスは、そう言うと、剣を振り上げた。


    4

 コンコンコンっと乾いた音を響かせ、ボール状のミャールが床の上を飛び跳ねながら壁際に向かって転がって行った。

「本当に斬れねえな」

 アルゴメスは、剣を振り下ろした恰好のまま動けなくなっていた。

 剣がミャール当たった瞬間、岩にでも当たったような衝撃を受けた。剣は折れないで済んだものの、その柄を握っていたアルゴメスの両手はまだジーンと痺れていた。

 だが、ミャールの方に岩のような重量感はなく、剣を受けた衝撃で椅子から簡単に転げ落ちていった。

「どうです」

 ハンクが、壁際に行って、ミャールを拾い上げながら言った。

 掌にミャールを載せると、これ見よがしに、ハンクは手首のスナップだけでミャールを軽く中空に投げ上げては、落ちてくるミャールを掌で受け取るという動作を繰り返していた。

「確認してください」

 ハンクは、その動作を続けながら、アルゴメスに近付いて来ると、ミャールをパッと両手で受けとめて、「傷一つ付いて無いと思いますが」と言ってアルゴメスの方に差し出した。

「どうです」

 アルゴメスが、ミャールを受け取るのを躊躇していると、その手に視線を向け、何か察しったように、ハンクは、両手でミャールをクルクル回しながら表面を満遍なく見せていった。

「驚いたな。軽くて鉄より強いとはな」

 アルゴメスも、ミャールの物理的攻撃に対する防御力の高さを認めざるを得なかった。

 剣を鞘に戻すと、アルゴメスは、手を握ったり開いたりを数回繰り返した、まだ、手の感覚が少しおかしかった。

「火に対する強さも実証済みです。何しろ、元はドラゴンのブレスで焼け焦げた地面の中で生きていたクマムシですからね」

 ハンクは、どうだと言わんばかりに、胸を反らせた。

「こいつは、ドラゴンのブレスにも耐えたというのか。剣や鎧の素材として欲しいな」

 アルゴメスは、ハンクから奪うようにミャールを受け取った。

「無理だと思います。防御モードに入ったミャールは、絶対に殺せないし、からどんな器具を使っても素材を剥ぎ取のことは不可能です」

 ハンクは、残念そうに言った、

 当然、ハンクのことだから、そんなことは実証済みだろう。

「話を聞いただけなら絶対信じられねえが、実際に、こいつは俺の剣檄を受けても傷一つ付いちゃいねえ」

 アルゴメスは、ミャールをあっちこっちから確認するように見ながら言った。

「でも何で、こんなに軽いんだ」

 アルゴメスは、重さを確認するよう、ミャームを上下に揺すった。

「一種のミイラみたいな状態なのではないかと思われます。身体を乾燥させることで引き締め強度を増し軽くなっているのではと推測しています」

 ハンクは、アルゴメスにそう説明した。

「ミイラになったものが、元に戻るのかよ」

 アルゴメスは、気持ち悪いものを持つよう、ミャールを体からできるだけ引き離すようにして持っていた。

「それは、心配ありません」

 そう言うと、ハンクは、何かを求めるように、両手を差し出した。

「ミャール。おいで」

 ハンクが、そう呼び掛けると、ミャールは、一瞬で、通常モード、鎧を着たような猫の姿に戻って、ハンクの腕の中へ跳び戻っていった。

「す、すげえな」

 アルミンは、素直に感嘆の声を上げた。

 防御モードへの変換も早かったが、通常モードへの変換も負けず劣らずだった。

「こいつらを何匹か集めれば、こいつらだけでもドラゴンの討伐ができそうじゃねえか」

 アルゴメスは、ミャールに尊敬の眼差しのようなものを向けていた。

「それは無理ですね」

 ハンクは、アルゴメスの言葉を否定した。

「ドラゴンのブレス、爪による殴りつけ攻撃や蹴り踏みつけなどの強力な物理的攻撃にも耐えられましたが、犬や猫では二十匹三十匹いても、攻撃量不足で最終的には返り討ちにあってしまいました」

 ハンクは、首を横に振りながら言った。

「やったことあんのかよ」

 アルゴメスは、『まったく』というようにあきれ気味に言った。

「でもそれなら、オオカミやクマみたいにもっと強力な野生動物を使うって手もあるだろ」

 アルゴメスは、どうだと言わんばかりに提案した。

「そこまで行くと私一人では手に負えません。テイマーに協力を仰ぐしかありませんが、テイマーでもキメラ化した野生動物を御しきれるかどうかが問題になってきますし、ドラゴンを倒した後、キメラ化した野生動物をどうするかが問題になってきます」

 ハンクは、心配そうな表情を浮かべた。

「そうか。死なねえなら、後々ドラゴン以上の脅威になっちまうかも知れねえってことか」

 アルゴメスも、ハンクの考えに同意っするしかなかった。

「そうです」

 ハンクも、その言葉に頷いた。

「それで、俺に声を掛けたってことは、もしかして・・・」

 アルゴメスは、ハンクをキッと睨みつけた。

 その腕の中では、ミュールが嬉しそうスリスリしていた。

「アルゴメスさんが、考えている通りだと思います」

 ハンクは、何の感情も交えずサラッと言った。

「ちょ、ちょっと待てよ。英雄にはいつかなりたいとは思っているが、俺の剣の腕でドラゴンに太刀打ちできるとは思えない。俺だって、そこまで自惚れちゃいねえ」

 アルゴメスは、額から汗をダラダラと垂らし、どうすべきか逡巡を繰り返していた。

 英雄にはなりたかったが、キメラ化して人間を捨てなきゃいけない。そのことに対する恐怖と不安が心の奥底に混在していた。キメラ化すれば、確実にドラゴンに勝てるという保証もなかった。必要なら、肉体の改造さえ厭わないつもりだったが、いざそのチャンスが目の前にぶら下げられると、心の葛藤からイマイチ踏み込めないでいる自分がそこにいた。

「確かにドラゴンの硬い鱗を切り裂くためには、剣技を極めた上に聖剣が必要となるでしょう。ですが、何も、硬い鱗で覆われた外皮以外の場所を攻撃すればいいんです。普通の剣士では不可能ですが、キメラになった剣士ならそれが可能です」

 ハンクは、アルゴメスの意思を確かめるように言った。

「そんな方法が、本当にあるのか」

 アルゴメスは、ハンクの自信に満ちた態度に、心が少し揺れた。

「勿論。でも、何かあると困りますからね」

 ハンクはそう言って、アルゴメスの耳元に近付くと、ヒソヒソ声で自分の秘策を披露した。

「ハハハ・・・。そいつはいいや。それなら、確かにドラゴンに勝てる」

 アルゴメスは、ハンクの秘策を聞き終えると高笑いをしながら、そう言った。

「英雄になるのは俺様だ。この際、キメラにでもなんにでもなってやろうじゃないか」

 アルゴメスは、そう言って、ハンクに握手を求めて手を差し出した。


    5

「貴様、ふざけてんじゃねえぞ。早くここから出せよ」

 アルゴメスは、檻のハンクに向かって怒鳴った。その感にも、目の前の犬型キメラは、唸り声を上げながらアルゴメスとの距離を詰めてきていた。

「訓練が必要であることは、アルゴメスさんにもお伝え済みですし、合意もいただいたはずですよね」

 ハンクは、ティーカップを口元に運びながら涼しい顔で言った。

 檻の中でキメラと対峙しピンチに陥っているアルゴメスとは対照的に、ハンクは、テーブルの上に用意されたお茶のセットを涼しい顔で楽しんでいた。それがまた、アルゴメスの神経を逆なでしていた。

『お伝え済みだと、あの野郎・・・』

 アルゴメスの心の奥底に、ハンクに対する怒りが沸々と沸き上がってくると同時に、あの時のことが思い出されてきた。

「ありがとうございす」

 ハンクは、アルゴメスと握手しながら、ウルウルと涙目になっていた。

「これで、村の者たちの無念がはらせます」

 ハンクは、普段は冷静な錬金術師の顔を見せていたが、ドラゴンや滅亡した村のことになると異様に興奮するようだった。

「礼なんていらねえよ。これで俺も、自分の夢を果たせるんだからな」

 アルゴメスは、涙ぐむハンクの顔を笑顔で見詰めていた。

「それとですね、アルゴメスさんにキメラになっていただく前に、実は、もう一つ言っておかなければならないことがあります」

 ハンクは、涙でグチャグチャになった顔で、アルゴメスに言った。

「クマムシとキメラになりますと、自然に、防御モードに移行できるようにはなるのですが、そのままでは少々問題があるのです」

 ハンクは、申し訳なさそうに言った。

『今さら、何だよ』とは思ったが、アルゴメスは、ここは大人の対応をすることにした。

「で、どんな、問題があるっていうんだ」

 アルゴメスは、笑顔のまま言った。

「通常モードから防御モードに移行するには、少々時間が掛かってしまうのです」

 ハンクは、アルゴメスの目を真っ直ぐに覗き込むように言った。

「危ないと思ってから、防御モードに移行するまでにタイムラグが生じるってことか」

 アルゴメスの笑顔が一瞬歪んだ。

「そうです。通常ですと通常モードから防御モードに移行するまで、一・二時間かかってしまいます」

『それじゃあ、防御モードに移行できても、何にもならねえじゃねえか。移行するのに一時間もかかっていたら、その間に殺されちまうだろうが』

 ハンクの言葉に、アルゴメスの眉間はピクッと動いた。

「ミャールの様に、瞬時で、反応できるようにようになるには、少々訓練が必要になります」

 ハンクは、アルゴメスを刺激に無いように、ソフトに言った。

「・・・」

 アルゴメスは、笑顔を浮かべていたが、目は笑っていなかった。

「期間にして、半年ほど、簡単な訓練を受けていただくだけですから・・・」

 ハンクは、アルゴメスをなだめるように言った。

「ま、それぐらいならいいだろう」

 アルゴメスは、その場の空気を悪くしたくなかったこともあり、あまり深く考えず合意してしまったが、それが失敗の元だった。

 翌日から、二人のドラゴン討伐作戦がスタートした。

 最初の日は、ハンクの錬金術による手術だった。

 アルゴメスの背中の皮膚を数ミリメートルの深さまで切り開き、現れた皮膚の基底細胞、分裂を繰り返し常に新しい細胞を皮膚表面に供給する細胞。その細胞のDNAとクマムシのDNAを錬金術で融合させる。ハンクからそんな説明を受けたが、アルゴメスにはチンプンカンプンだった。

 兎に角、ハンクは、両目が飛び出したようなメガネを掛け、傷口を覗き込んで何やら作業に没頭していた。目が飛び出したように見えるのはポケット顕微鏡だった。本来、電子顕微鏡下でマイクロサージェリーを使って行う作業を、ポケット顕微鏡と魔力で行っているのだ。どう考えても、無謀な挑戦としか言いようがなかった。ポケット顕微鏡という低倍率の視野の下、魔力でナノ単位の動きをコントロールするなど、今まで誰もやったことのない超ハイレベルの超絶テクニックといえた。勘と経験の賜物と言っても過言ではなかった。こうして、実際に手術していても、うまく両方のDNAを融合させられる確率はそれほど高くなかった。成功する確率は、慣れてきたとはいえ、二・三回に一度という程度だろう。そんな偉業を成功に導けたのは、一重に、ハンクの『ドラゴンに復讐してやる』という執念があったればこそ、これらの技術を習得できたといえるだろう。

 冒険者をしているアルゴメスには、皮膚を切開されたぐらい、こらえられない痛みではなかったが、背中での作業。ハンクが、何をやっているのが分からないことが不安と言えば不安だった。聞こえてくるのは、息をひそめて作業していたハンクが、ハーハーと息を整えようとする音や『アーッ』というため息ばかりだった。

「意識を集中しなければならないから、手術中は話し掛けないでください」

 手術前、ハンクにそう注意されている以上、気楽に話しかけるわけにもいかなかった。

 傷口に、サーッと何か液体が注がれた感触がした。ポーションだった。

「終わりました」

 疲れたような声で、ハンクがそう言った。

 手術は、成功だった。翌日に、アルゴメスは、背中に違和感を覚えた。日を追うごとにその違和感は大きくなり、一週間もすると、背中一面、蛇腹のようなクマムシの鎧で覆われていた。手足も短くなったような気がするが、服を着てしまえば、それらは、思ったほど目立たなかった。アルゴメスにとって、嬉しい誤算だった。ゆっくりではあるが、防除モードに移行することにも成功していた。

「そろそろ、急速に防御モードに移行する訓練を始めましょうか」

 ハンクにそう言われ、連れてこられたのがここだった。

 ここは、ハンクの自宅兼薬局の裏手にある物置のような小屋だった。

「おい、ここは何なんだよ」

 アルゴメスは、大声でハンクに聞いた。

 二人が入ると、一斉に、犬たちがワンワンワンと鳴きはじめた。犬たちは一匹ずつ、二段になった檻のようなものに入れられていたが、その声は、小屋の中に反響して鳴き声の渦となり、鼓膜が破られそうだった。普通に話した人の声など、鳴き声の渦に簡単にかき消されてしまいそうだった。

「私が作り出した犬型キメラの飼育小屋です」

 ハンクは、アルゴメスの耳元に顔を近づけると、声を張って言った。その肩には、ミャールが載っていた。

「キメラ?」

 そう言われてよく見ると、鳴いているのはただの犬ではなく、ミャール同様背中が蛇腹の鎧のようなもので覆われていた。

「こいつらと俺の訓練に何か関係あるのかよ」

 アルゴメスは、ハンクにそう聞いたが、犬の声で聞こえなかったのか、それを、無視するように奥に進んで行った。

「置いていくなよ」

 アルゴメスは、耳を手で塞ぎながら、慌ててハンクの後を追った。

 ハンクは、奥のドアを開けると、隣の部屋へと入って行った。

「この部屋の方が、いくらかいいみたいだな」

 アルゴメスが、部屋に入ってドアを閉めると、犬の鳴き声は少し小さくなった。

「ここは、何をするとこをなんだ」

 アルゴメスは、部屋の中を見渡しながら言った。

 その部屋は、鉄格子のようなもので半分に仕切られ、アルゴメスたちがいる側の奥には、テーブルが置かれティーセットが用意されていた。

「訓練場っていうところですかね」

 ハンクは、指を顎に当て、考え込むようにしながら言った。

「この部屋がかよ。ここで、一体どんな訓練をしようって言うんだ」

 アルゴメスは、鉄格子に近付くと、それを手でガチャガチャ揺らし強度を確かめるようにしながら言った。

「説明するより、実際に体験してもらった方が早いと思います。この中に入ってください」

 ハンクは、檻の向こう側に入るためのドアを開き、アルゴメスを手招きした。

「この中に入るのかよ・・・」

 アルゴメスは、悪い予感しかしなかった。

「アルゴメスさんは、冒険者ですよね。冒険者は、怖いの知らずと聞いておりますが」

 ハンクが、揶揄するように言った。

「俺が、怖がってると思ってるのか。馬鹿にすんじゃねえ」

 アルゴメスは、プライドをくすぐられたのか、あっさりと檻の中に入って行った。

 ガチャンと、背後から鍵の掛かる音がした。

「おめえ何してやがんだ」

 アルゴメスは、檻のドアを閉めるとすかさず鍵を掛けてしまったのだった。

「訓練の準備です」

 ハンクは、しれッとそう言った。

「ざけんじゃねえぞ」

 アルゴメスは、怒っていた。

「ちょっと、お待ち下さい」

 そう言うと、ハンクは、アルゴメスの怒りを無視するように部屋から出て行った。

『あんにゃろう、後で、覚えておけよ』

 アルゴメスは、心の中で悪態をつきながら、お檻の背面た側面の壁に蹴りやパンチを叩き込んでいた。

 ガタッと、何かが開く音がした。

 音が聞こえたのは、隣と犬舎とこの部屋の境になっている壁の方からだった。アルゴメスが、そっちの方に目を向けると、壁の下の方、足元の小窓が口を開いていた。隠し扉のサイズが小さかったことと場所が足元だったことで、そんなところに隠し扉があることに気がついていなかったのだ。

 ウーッと、威嚇をしながら、その小窓から一匹の犬型キメラが入ってきた。

「・・・」

 アルゴメスは、ゴクッと生唾を飲み込んだ。

 小窓が閉められると、程なく、ハンクの部屋に戻ってきた。

 その間にも、犬型キメラは、ジリジリとアルゴメスとの距離を詰めてきていた。

 これが、アルゴメスが、逃げ場のない檻に閉じ込められ、犬型キメラと対峙している理由だった。

「どんな訓練かしらねえが、剣ぐらい持たせろよな」

 アルゴメスは、無理だと知りながらも、ハンクに文句の一つも言ってやらなければ、腹の虫が収まらなかった。

「だめです。防御モードに素早く移行するには、実際に攻撃を受け苦痛から一刻も早く逃れたいと心の底から念じ続けることが重要だと分かっています。存分に痛みをご堪能下さい」

 ハンクは、ハンクの肩からテーブルに降りていたミャールの頭を撫でながら言った。

『こんにゃろう、口では、デリケートな手術で、痛みに耐えながら手術を行うことなど不可能。何て言いながら、本当は、この訓練を自分で受けたくないからなんじゃねえのかよ』

 アルゴメスの頭には、そんなうがった考え方も浮かんできた。

「くそったれが」

 アルゴメスは、唾を吐きかけるようにハンクに言った。

「御心配なく。殺される前に、防御モードに移行できれば、傷はいくらでもポーションでお直しします。ポーションは初級、中級、上級と取り揃えておりますのでどのような傷にも対応可能です」

 錬金術師のハンクにとって、ポーション作成はお手の物だった。

「後で、覚えてろよ。ギャーッ」

 アルゴメスが、そう叫び終わるのと、犬型キメラが、アルゴメスに襲い掛かったのは、ほぼ同時だった。

「さて、何分ぐらいで、防御モードに移行できますかね」

 ハンクは、犬型キメラがアルゴメスに飛び掛かった瞬間、テーブルに置いてあった砂時計をカタッとひっくり返した。

     

     6

「くそッ。あんにゃろう、ぶっ殺してやる」

 アルゴメスは、ポーションを飲み終えると、空きボトルをテーブルに叩きつけた。

 手を見ると、ミルミル傷口がふさがり、後も残さず治っていくのが見て取れた。

 それだけ、ハンクの作るポーションが高品質である証拠だろう。

 それでも、アルゴメスは、ハンクが許せなかった。訓練を始めて一週間。毎日毎日、激痛に襲われながら激しい訓練に耐えていた。死にそうになったことも一度や二度じゃなかった。それも、英雄になるためと我慢を重ねてきたが、日に日にハンクに対する憎悪は増大し、もう、爆発寸前だった。

 犬型キメラとの訓練で、防御モードを解除するとアルゴメスは、体中血だらけだった。防御モードに移行したくても、まだ移行が完了するまで現状では一時間近く掛かってしまうのだ。防御モードに移行できた時点で訓練は終了となるが、それまでの間、犬型キメラ相手に素手で戦わなければならなかった。

 あまりにも損傷が重度で命にかかわりそうな時は、さすがに、ハンクも犬型キメラを止めてはくれるが、殆どは移行できるまで犬型キメラの攻撃を受けたまま放置される。

 当然訓練が終われば、指にも、手の甲や掌、腕にも。勿論、足にも直径数ミリメートルの穴が無数に開き出血し、その周辺は、内出血と炎症で赤紫に腫れあがっていた。腫れてないところを探す方が大変なぐらいだった。痛みで手を伸ばすどころか、指を広げる事すらできなかった。

 そんな状態のアルゴメスに、ハンクは、自力で自室に帰るように命じた。その場でポーションを飲ませてくれれば、直ぐに治ってしまうのだろうが、痛みを忘れないようにするためと称して、ポージョンは自分の部屋に戻ってからでなければ与えられなかった。

 全身の激痛に耐えるため体を小さく丸めて、部屋まで戻る。普段なら何でもない動作だったが、訓練後の傷だらけの体では、一歩一歩が地獄の責め苦のようだった。足を突く度に、その衝撃で足に激痛が走る。ズキン、ズキンと頭まで響いて来る神経そのものを刺激する痛みだった。少し痛みが引くまで、次の足すら出せなかった。バランスを崩し手でさせようものなら、腕にも激痛が走る。小屋から母屋までの十数メートルが何と長いことか。母屋に戻れたら戻れたで、階段に登るのがまた一苦労だった。目の前が霞み気を失いかけて、階段から転落しそうになったこともあった。

 しかも、その間、ハンクは優雅にティータイムを楽しんでいるのだ。

 部屋に戻ってポーションを飲めば、傷が治ることは分かっていても、それにしてもあまりの仕打ちだった。

『英雄になるため』と、自分を鼓舞しそんな生活に必死に耐えてきたもののもう限界だった。

「待ってろよ」

 アルゴメスは、血走った眼で剣を取ると、ゆっくり部屋から出て行った。

「何で、ハンクは、わざとアルゴメスさんに恨まれるようにゃことするにゃ」

 階段を降り、調剤室のドアの前まで来ると、聞いたことのない声が聞こえた。

『子供?』

 その声は、中性的で子供の声のようだった。

『何で子供が・・・』

 アルゴメスは、ここに来てから子供の姿など一度も見たことが無かった。

 ドアの隙間から、アルゴメスはそーっと調剤室の中を覗き込んだ。

「その方が、訓練の成果が早く出るんじゃないかと思ってね」

 ハンクは、テーブルの上にちょこんと座ったミャールに話し掛けていた。

『エッ』

 アルゴメスは、声を出しそうになってしまった。

 部屋の中には、ハンクとミャールの姿しか確認できなかった。

『もしかして、あいつ・・・』

 アルゴメスは、自分がここに来た理由も忘れ、ハンクとミャールの姿に見入っていた。

「そうかしら、ハンクが、恨まれるだけじゃにゃいの」

 ミャールが、尻尾をピン立ててハンクに言った。

『やっぱり、あの猫喋れるんだ』

 アルゴメスは、自分の口を押えた。

「犬たちを使った実験では、弱いくせに負けん気が強い個体ほど防御モードへの移行時間短縮を早期に実現できることが分かっている」

 ハンクは、ミャームの目の前に顔を突き出すと、その場に、両手で頬杖を突いた。

「そうゆう問題じゃなくて、アルゴメスさんに犬舎でポーションを飲ませてあげればいいんじゃないてこと。母屋に帰ってくる時の姿、かなり痛々しくて可哀そうになっちゃうわ」

 ミャームは、ハンクの額に自分の額をゴツンさせると、そのまま、頭を左右に振ってスリスリし始めた。

『あの猫、いいこと言うじゃねえか』

 アルゴメスは、そのまま、二人の会話に耳を傾けることにした。

「今までの実験結果から、私は、防御モードに移行できるようになるための一つ鍵は痛みなんじゃないかと思っている。訓練で瀕死の重傷や、見るのも痛ましい損傷を受けた固体ほど、そして、外傷を治療するまで放置されていた時間がながかった個体ほど、うまく防御モードに移行できている。ミャールも自分でそんなこと言っていたよね」

 ハンクは、スリスリするミャールの方に頭を突き出しながら言った。

「それは、そうにゃけどにぇ」

 ミャールは、スリスリに加え、喉をゴロゴロ言わせながら言った。

 ハンクは、元々、ミャームまで防御モードに移行できるようにする気はなかった。

 ミャールと初めて出会ったのは、あの日。ドラゴンに、村を滅亡させられた日だった。

 村の惨状を伝えるため、隣村に知らせに行かねばと村はずれまで来た時、道端の草むらから、何か黒いものが、ひょっこり飛び出してきた。それは、ハンクの顔を見上げる様に、ミャーッと鳴いた。子猫だった。

『も、もしかして、村の生き残りじゃ』

 いつもなら、子猫など気に掛けないハンクだったが、その子猫から目が離せなかった。

 逃げる途中で親とはぐれたのか、ドラゴンに親を殺されやむなく一匹で逃げてきたのかは不明だったが、こんなところにいるということは、村の生き残りの可能性が高かった。

 ハンクは、子猫を抱き上げると、鞄の中に入れた。飼うことにしたのだった。

 これが、ハンクとミャールの出会いだった。

 後からミャールに聞いたことだったが、他に生き残りがいなかったこともあるが、それ以上に、ハンクの持つ魔力がミャールには魅力的に映ったそうだった。それが、ミャールがハンクの前に姿を現した理由だった。精霊は、気に入った人間の下にしか現れないのだ。

 それから、薬局を新たに経営しながら、実験に没頭した。

 鼠、蛇、蜘蛛、小鳥などにクマムシのDNAを融合させ、クマムシのDNAのどの部分に防御モードに移行するための遺伝子があるのか徹底的に調べたのだった。実験に必要な鼠や蛇などは、何故かミャールが毎日捕まえてきてくれた。ミャールはハンクの考えが分かるかのようだった。そのお陰で、検体を採取する時間が省け大幅に実験の進展速度は早まった。

「やったぞ」

 ついに、ハンクは、防御モードを発動させるのに必要な遺伝子を発見するのに成功した。

「もっと大きな動物で実験しなければ」

 そう考えた時、ハンクの顔から喜びの表情は消え、椅子にドアッと腰を落とした。

 実験に使えそうな野生動物は、近隣の森で調達できるだろう。だが、どうやって・・・。研究者のハンクに、攻撃魔法は使えなかった。剣や弓の物理攻撃も苦手だった。

「でも、どうやって捕まえるか。って罠しかないだろうな」

 ハンクが、ボソッと独り言を言った。

 罠を仕掛けるとすると、仕掛けを作らなければならなかったし、その構造も調べなければならない。勿論、けもの道も・・・。実験を始める前にやることは山積みだった。

『実証試験は、少しお預けかな』

 そう考えながら、ハッとハンクは、溜息をついた。

「何、溜息何てついてんのにゃ」

 誰もいないはずの部屋の中で、そんな声が聞こえた。

「だ、誰だ?」

 ハンクは、慌てて周囲をキョロキョロと見渡した。

「私にゃ」

 ハンクは、声のする方に顔を向けた。

「ま、まさか・・・」

 そこには、すまし顔で座るミャールの姿があった。

「そうにゃ、私にゃ」

 ツンとお澄まし顔のまま、ミールが言った。

「もしかしてミャールって精霊」

 思い返せば、ミャールの行動には、ただの猫と思えないようなものが多々あった。ハンクは、そのことを思い出しながらミャールに聞いた。

「そうにゃ。気が付かなかったにゃ」

 ミャールは、心外そうに言った。

『名前を付けた時点で、ミャールとの契約は成立していたってことなのか』

 ハンクは、ミャールが異様に自分に懐いてくれた理由を理解した。

 その後、ミャールが、ハンクに語ったことは、驚くべき事実だった。

 ドラゴンの襲撃のあった日、森の精霊たちも上へ下への大騒ぎだった。

 精霊たちは、森の精霊王の下に集っていた。

『このままでは、森も焼き払われてしまうのでは』

 そんな不安というか危機感が、精霊たちの間に広がっていた。

 かと言って、ドラゴン相手では、有効な手立てもなかった。

「誰かに人間と契約を結んでもらって、強力な魔法でドラゴンに対抗してもらおう」

 一人の精霊が、そんなことを言い出した。

 人間と精霊が使い魔の契約を結べば、人の魔力は精霊の魔力を借りることで強大になる。平時ならいいかもしれないが、既に、ドラゴンが出現している現在、今さら感しかなかった。

「でも、何もしないよりはいいだろう」

 精霊王のその一言で、人間の下に精霊を贈ることにきまったものの、誰を派遣するかということになると皆沈黙した。精霊が力を貸したとして、人間がドラゴンを倒せるほどの魔法を駆使できるようになるはずはなかった。誰も、貧乏くじは引きたくなかった。

「そうだ、昨日、森の奥の木の祠で新しい森の精霊が生まれたと聞いています。その者を派遣しては」

 誰かが、そんな意見を言った。

 乱暴な意見だったが、その場に、『自分が行きます』と立候補する者も無く、皆の責任逃れのような形で、生まれたばかりの森の精霊の派遣が決まってしまった。

 それが、ミャールだったのだ。

 今まで、ハンクに話し掛けなかったのは、生まれたばかりでうまく話せないからだった。

もう少し成長して話せるようになったら話し掛けよう。そう思ってるうちに、タイミングを失い、現在に至ってしまったというのが実情のようだった。

「困ったことがあるにゃら、私に相談するにゃ」

 ミャームは、ハンクに言った。

「実は・・・」

 ハンクは、一瞬躊躇したが、結局、実験での悩みをミャールに話した。

「そんなこと心配することにゃいにゃ。私が、最初の実験台ににゃってあげるにゃ」

 ミャールは、こともなげに言った。

「エッ・・・」

 ハンクは、目を白黒させミャールを見入っていた。

「驚くことにゃいでしょ。ドラゴン討伐は、私に課せられた任務の一部でもあるにゃ。実体化している時は、体も普通の生き物と同じ構造にゃし、ドラゴンとの対決にそにゃえて、私自身も強くにゃれるにゃら強くにゃっておかにゃければにゃらにゃいじゃにゃい」

 ミャールは、そう言って、ハンクに歩み寄るとその腕にスリスリした。ハンクが、ミャールにそうされることが好きな事を知っての行動。アザトいといえばアザトい行動だった。

 その後も、少し押し問答を続けたが、結局、ミャールを実験台として使わせてもらうことにした。手術は成功したが、小動物で実験している時と同じく解決できない問題があった。通常モードから防御モードに移行するまで時間が掛かり過ぎてしまうという問題だった。これは、クマムシでも瞬時に防御モードに移行できないことから、遺伝的問題ではないように思えた。

『何か、方法はないだろうか』

 ハンクの試行錯誤の日々が、また始まった。

 ただ、犬たちの確保は、ミャールのお陰で思いのほかスムーズに事態が進んだ。それは、ミャールが『誘眠魔法』を使えたからだった。

『森林浴しにゃがら、日溜りで一休みしてるようにゃ。そんな心地よさを与えてにゃげれば、どんな動物だってウトウトするにゃ』

 ミャールは、『誘眠魔法』の原理をそんな風に説明したくれた。

 森で野良犬を眠らせて捕獲しては、キメラ化していった。が、どの個体も、防御モードへの移行時間が思いのほか掛かり、とても戦闘で使えるようなも代物ではなかった。

『乾眠は、環境の変化に応じて体に起こる変化。それを、短時間で起こさせようとするのは不可能なのか』

 クマムシは、本来、水生もしくは湿潤な環境で生きている生物。乾燥状態に耐えうる乾眠に移行するのに時間が掛かるのはある程度仕方のないことだろう。それに対し、哺乳動物は、常に乾燥環境で生きている。ハンクは、それほど時間を掛けずに乾眠状態、防御モードに移行できるのではないかと考えていたのだった。

 ハンクの構想では、キメラ化した犬軍団を結成してドラゴンに挑むつもりだった。このままでは、そんな計画は頓挫しそうだった。

 そんなハンクの下に、ある日、体中傷だらけになったミャールが姿を現わした。

「ど、どうしたんだ」

 ハンクは、慌ててポーションを取りに行った。

「大丈夫にゃ。私も、キメラ化したんにゃから少しは強くにゃらにゃければと思て、犬型キメラたちとバトルをしたにゃ」

 ミャールは、傷をぺろぺろ舐めながら言った。

「ミャールは魔法が使えるんだから、物理的な攻撃なんて必要ないだろ。さっ、早くこれを飲むんだ」

 ハンクは、ミャールにポーションを差し出した。

「ありがとうにゃー。でも、ポーションなんて必要にゃいにゃ」

 ミャールの外傷は、ハンクの目の前でミルミルなおって言った。

 精霊の持つ自己回復魔法だった。

「何で、そんな魔法が使えるのに、血だらけになってるんだ」

 ハンクは、呆れたように聞いた。

「回復魔法や疼痛耐性魔法を使ってばかりにゃ、強くにゃれないと思うにゃ。強くにゃるには、痛みを知っておいたほうが、にゃにクソって相手に思えて、早く強くなれそうにゃ」

 ミャールは、同意を求めるように言った。

 猫にしか見えなかったが、ミャールは、本来、森に住む黒豹の化身だそうだった。年齢を重ねて行けば、見た目も立派な黒豹へと変わっていくらしかった。体に似合わず過激な発言をするのは、そんな理由によるものなのだろう。

 その後も、ミャールは、しばしば、血まみれになってハンクの下に訪れた。

 心配するハンクをよそに、ミャールは、犬舎に通い詰めているようだった。

『アレッ』

 ある日、ハンクは、そんなミャールに徐々に変化が起きていることに気が行いた。

 怪我の度合いが軽くなってきているのだ。

 翌日、ハンクは、ミャールの後を付けて、犬舎に行った。

 一斉に鳴きだす犬型キメラたち。それを無視するように、ミャームは、犬のケージの前を悠々と歩いて行くと、ある犬型キメラのケージの前で立ち止まった。その犬型キメラは、犬型キメラ全体の中でも、かなり凶暴なやつだった。ミャールの姿を認めると、鉄格子を挟んで、犬型キメラが威嚇しながら狂ったように鳴き始めた。ミャールは、鉄格子の間を擦り抜けその犬のケージの中に入って行った。

 ウーッ。ワンワンワン。ドタン、ドタンと、騒がしい犬舎の中で、そのケージの中から一際大音響を立てて色々な音が鳴り響いてきた。犬型キメラが、ミャールに襲い掛かったのだ。

『まずい』

 ハンクは、ミャールが入って行ったケージの前に急いだ。

『アッ、・・・』

 ハンクは、ケージの中の光景に驚き、そのまま見入ってしまった。

 犬型キメラが、ボール状の物に噛みついたり、それを首を振って壁に投げ付けたりして攻撃を繰り返していた。

『ミャール・・・』

 そのボール状の物が、ミャールが防御モードに移行した姿であるのは間違いなかった。ミャールは、瞬時に防御モードに移行することに成功していたのだった。

 『組織の損傷』か『痛むの刺激』が、防御モードへの移行時間を短縮する鍵ではないかと考え、ハンクは、翌日から新しい実験を始めたのだった。

「アルゴメスさんににゃって、ドラゴンを倒して英雄ににゃるって目標があるんにゃもの、きっと、速く強くにゃりたいって気持ちは強いと思うにゃ」

 ミャールは、スリスリを止めると、ハンクの顔を見上げる様にして言った。

「そうだとは思うけどね。人間は、精霊や犬以上に感情に左右される動物だと思うんだ」

 ハンクは、正面に向き直ってはいたものの、顔は、ミャールの方に突き出したままだった。

「それにゃあ、アルゴメスさんに冷たい態度を取ってるのもそのせいにゃの」

 ミャームが、顔を傾げながら聞いた。

「痛みの問題は勿論だけど、まだ、データはないからはっきりしないけど、誰かが、憎まれ役になった方が、アロゴメスみたいな性格の人にはいいんと思うんだよね。多分、反抗心剥き出しにして反発してくるだろうから、そのエネルギーが防御モードへの移行を促進するんじゃないかと思っているんだ」

 ハンクは、そう言うと、もとスリスリしてくれとういうように、額をミャールの方に突き出した。

「もう・・・」

 ミャールも、そう言うと、ハンクの額に頭突きをするよう頭をぶつけ、そのまま、スリスリを始めた。

『そういうことか。一時、保留ってことにしておいてやるぜ』

 アルゴメスは、ドアを離れると、静かに自分の部屋に戻って行った。


     6

「勝てると思うかにゃ」

 肩に載ったミャールが、双眼鏡を覗くハンクに言った。

 ミャールは、双眼鏡こそ待っていなかったが、ハンターに有用な『遠目』というスキルを持っていた。遠くの物を拡大して見ることのできるスキルだが、それで、ミャールもドラゴンとアルゴメスの勝負を見守っていたのだった。

「そう願いたいね」

 ハンクは、祈るような気持でアルゴメスに、双眼鏡の焦点を合わせた。

 ドラゴンが住むドルケーノ山を訪れるのは、ハンクにとり約一年ぶりのことだった。

 前回の訪問時には、十数頭の犬型キメラが一緒だった。

『これで勝てるんじゃないか』

 ハンクは、自分の生み出したキメラたちに、絶大な信頼を置いていた。

 薪割用の斧で思いっきり叩こうが、燃え盛る火の中に投げ込もうが、防御モードに移行した犬型キメラを筋ほども傷つけることはできなかった。前世では、地球最強とさえ言われていたクマムシだ。むざむざドラゴンに後れを取るとは思えなかった。

 犬型キメラたちは、ワンワンと鳴きながら果敢にドラゴンに攻撃を仕掛けていった。手や足、尻尾の攻撃をかいくぐっては、ドラゴンに噛みつき攻撃を繰り返していた。だが、それにより戦いに進展はみられなかった。

『犬の牙では、ドラゴンの鱗に文字通り歯が立たないってことか』

 ハンクは、ギリギリと歯噛みした。

 犬型キメラたちの攻撃力不足を、ハンクは、痛感した。

 元々、地球最強といわれながら、クマムシに攻撃力は無かった。様々な過酷な環境にあっても抵抗し生き延びることができることからそう呼ばれているに過ぎなかった。それに犬の攻撃力を加えたキメラでも、ドラゴンに打ち勝つだけの攻撃力を期待するのは無理があったようだった。

 それでも、犬型キメラたちは、ドラゴンの攻撃によく耐え忍んでいた。ドラゴンにダメージを与えられないまでも、一匹も掛けることなく数分に渡って交戦していた。

「ギャーッ」

 ドラゴンは、一声咆哮すると、口を開けて犬型キメラの方を向いた。

『気を付けろ。ブレスが来るぞ』

 ハンクは、犬型キメラたちに向い、心の中でそう叫んだ。

 ゴーッと、超高温のドラゴンブレスが地表を薙いで行った。ハンクの予想通りだった。

 ドラゴンブレスが通過した後には、全てが炭化した真っ黒い世界が広がっているだけだった。

『だ、大丈夫か』

 犬型キメラの姿も、その世界から消えていた。

『ドラゴンブレスには、敵わなかったか』

 ハンクが、そう諦めかけた時、地表の一部がプルプルっと震えた。そこから何が飛び出ると、地面が黒ずんでないところに降り立った。それを合図にしたかのように、その後も、次々と炭化した地面の中から、、何かが飛びしていた。

『無事だったのか』

 ハンクは、喜びの表情を浮かべた。

 炭化した地面から飛び出したのは、犬型キメラたちだった。

 彼らも、元のクマムシ同様、ドラゴンブレスに耐えたのだった。

「ギィヤ―ッ」

 ドラゴンは、怒りとも驚きともつかぬ咆哮を上げると犬型キメラの方に向って行った。

「何てことするんだ」

 ハンクは、思わず声に出して叫んでしまった。

 ドラゴンが、犬型キメラたちを食べ始めたのだ。

 最初は、ドラゴンの突然の攻撃に驚き、反応できずにボーっと立っていた数匹が、次に、攻撃しようとドラゴンに向かって行った犬型キメラたちが、次々にドラゴンの口の中に消えていった。ハンクも想定外の攻撃方法だった。

「どうするにゃ。逃げるしかないにゃ」

 ミャールが、慌てたように言った。

「戻ってくるキメラがいるかもしれない。もう少し、ここで待とう」

 ハンクは、その場に留まりしばらく待ったが、戻ってきたのは二匹だけだった。

『防御モードなら、もしかしたら胃酸や消化酵素に耐えられるかも』

 そんな淡い期待を抱いて、山麓で夜営しながら一週間ほど待ったが、それ以上戻ってくる犬型キメラはいなかった。

 惨敗ではあったが、得るものもある戦いだった。犠牲になった犬型キメラたちのためにも、今回の教訓は絶対に活かさなければならなかった。

 犬型キメラは、ドラゴンの攻撃に耐えられた。それは、大きな収穫だった。では、犬型キメラに足りなかったものは何か。ハンクは、それを『攻撃力』と『知性』と結論付けた。

 犬型キメラ以上に攻撃力と知性を持ったキメラを作り出すに、はどうすればいいか。その答えが、人間だった。

 それが、ハンクが、アルゴメスをスカウトした理由だった。そして、ドラゴンを討伐するためにハンクが考え抜いた作戦は、アルゴメスにも伝えてあった。

『ついに、ついに、この時が来やがった。ゾクゾクするぜ』

 アルゴメスは、ドラゴンとの距離を少しずつ詰めていった。

 この勝負、アルゴメスは、自分の勝利を確信していた。

『こっちから行ってやるぜ』

 気分の高揚しているアルゴメスは、自分から攻撃に行った。

「ダ―ッ」

 アルゴメスは、飛び上がると剣を頭上まで振り上げた。

 それに反応するよう、ドラゴンは、アルゴメスに向かって腕を横殴りに振るってきた。

「やられるか」

 アルゴメスは、ドラゴンの手に向かって剣を振り下ろした。

 コンッという、鈍い金属音のような音がして、剣はドラゴンの爪で弾かれた。にもかかわらず、ドラゴンの手の勢いは止まらなかった。その手が、アルゴメスを空中で叩き落そうとしているのは間違いなかった。

「くそったれが」

 ドラゴンの手は、アルゴメスの眼前に迫っていった。

 ドーンっと、次の瞬間、ドラゴンの手で弾き飛ばされたアルゴメスが、岩場に勢いよく激突した。当たりの岩は吹き飛ばされ、舞い上がった土埃で周辺は見えなくなった。

「死んでにゃいわよにぇ」

 ミャールが、ハンクに聞いた。

「あれで死ぬんじゃ、半年間、何のために訓練を続けたか分かんないだろ」

 ハンクは、土埃が舞い上がる方向に双眼鏡を向けた。

 土埃がおさまってくると、激突の衝撃でできたクレーターの中央に、巨大なボールのようなものがめり込んでいるのが見えてきた。そのボールは、一瞬、揺らいだかと思うと、アルゴメスに姿を換えていた。ボールに見えたのは、防御モードに移行したアルゴメスの姿だったのだ。

 さすが、七万五千気圧という超高圧に耐え、百五十度以上に熱っせらても生存しているクマムシである。ドラゴンに弾き飛ばされた衝撃にも耐え抜いたようだった。既に、犬型キメラで実証済みだったが、体の大きいアルゴメスでも同じかどうか一抹の不安がないわけではなかった。だが、その不安は杞憂に終わったようだった。

「馬鹿野郎。ドラゴンが来るぞ。早く何とかしろ」

 ハンクは、聞こえるはずのないアルゴメスにそんな檄を飛ばしていた。

 今度は、ドラゴンが、アルゴメスに向かって飛び掛かってきていたのだ。

 ドーンと、ドラゴンは、アルゴメスの真上に着地した。アルゴメスを踏み潰す目的で飛び掛かってきたのは明らかだった。

 ドラゴンは、ドンドンと何度も、アルゴメスを踏み潰した。

「普通は、これでぺっちゃんこにゃ」

 ミャールが、解説者のように言った。

「普通ならね。でも、大丈夫。アルゴメスは、これぐらいじゃ潰れないよ」

 ハンクは、先ほどの衝撃にアルゴメスが耐えたことで自信を持ったようだった。

 そして、今回も、アルゴメスの防御モードへの移行が間に合ったと信じていた。一撃でアルゴメスが潰れていれば、こんなに執拗にドラゴンは攻撃を繰返さないだろう。これだけ、ドラゴンが攻撃を繰返すことこそ、ハンクは、アルゴメスが防御モードへの移行に成功した証と捉えていた。

「でも、このままにゃ、反撃できにゃいにゃ」

 ミャールは、ちょっと不安気に言った。

「無理して反撃する必要なんてないさ。ドラゴンの攻撃に耐えて、耐えて、耐え抜くうちに自然に勝機は見えてくるはずだよ」

 ハンクは、アルゴメスに授けた作戦のことを思い出していた。

「そうかにゃあ?」

 ミャールは、疑問符付きで言った。

「そういうもんだよ」

 ハンクは、はぐらかすように言った。

「ギャーッ」

 ドラゴンは、勝利の雄叫びのように一声鳴くと、今度は、岩場にめり込んだハンクを、周りを取り囲む岩共々蹴り上げた。

 アルゴメスを含めた岩の破片群は、放物線を描いて遥か彼方へと消えていった。ドラゴンは、それを追いかけるように空に舞い上がっていった。

「場所を移動しよう」

 ハンクは、ミャールにそう言うと、腰をかがめドラゴンに見つからないよう岩陰から岩陰へと移動していった。

「クソッ。やりたい放題やってくれるじゃねえか」

 アルゴメスは、新たにできたクレーターの中心部で、頭を軽く叩きながら言った。

 防御モードに移行していながら、ドラゴンの攻撃は頭に響くような衝撃の連続だった。

「こんなのとまともにやり合って、勝てるわけねえ」

 アルゴメスは、改めてドラゴンの凄さを思い知らされた。

「でもな、最後の勝つのは俺だ」

 アルゴメスは、自分を鼓舞するように言った。

「来やがったな」

 ドスンと、ドラゴンが、アルゴメスから十数メートル離れたところに着地した。

「今度は、こっちから行ってやるぜ」

 アルゴメスは、剣を片手に、ドラゴンに向かって走った、

 ドラゴンが横を向くと、シュッという音と共に、丸太のようなものが、アルゴメスに横殴りに襲いかかってきた。ドラゴンの尾だった。

「やられるかよ」

 アルゴメスは、走る勢いをそのまま、コロコロ前転しながら防御モードへと移行した。その上をドラゴンの尾が横切っていった。身体を丸めている分、アルゴメスの身長は低くなり、頭部を狙ったドラゴンの尾は空を切ったのだった。

 アルゴメスは、その音を合図に、通常モードに戻ると尚もドラゴンに駆け寄って行った。

『この剣の錆にしてやる』

 アルゴメスは、ドラゴンの腕を掻い潜ると、その胸の辺りを斬りつけた。

「ギャギャガ―ッ」

 ドラゴンが、今まで聞いたことが無いような鳴き声を上げた。

『斬っただけでは、致命傷はあたえられねえか』

 アルゴメスは、心の中で呟いた。

 が、剣の手ごたえは充分感じていた。硬い鱗で覆われたドラゴンを聖剣以外で傷つけるのは無理と言われてきたが、アルゴメスが、斬りつけたところに傷痕こそ見えなかったが、一筋の糸を引くようにツツツーッと血液が流れてきているのが見えた。ドラゴンの皮膚の表面、本当に表面の表面だけだろうが、そこに浅い切り傷を負わせられたのだ。

『聖剣には及ばないものの、流石に最高級品だけのことはあるな』

 アルゴメスは、手にした剣に視線を落とした。

 それは、付与魔法が施された、最高級ミスリル製の剣だった。

『もしかしたら、これで俺の人生終わりかもしれない』

 そう考え、有り金全部つぎ込み、足りない分はハンクに借金して購入したのだった。

『突きなら、もう少し深い傷を負わせられそうだな』

 そう考えながら、ドラゴンに視線を移した。

『ヤベえ』

 アルゴメスは、顔から血の気が引いていった。

 先ほどまでのドラゴンの顔付とは打って変わり、目は血走り、口角も般若の口の様に左右に吊り上がっていた。さっきの咆哮は、怒りの咆哮だったのだ。

 口の中が、ミルミル真っ赤に染まっていくのが見えた。

「ドラゴンブレスがくるにゃ。大丈夫かにゃ」

 これも、第三者の立場で見てるような、ミャールの言い草だった。

『おまえ本当は心配してないだろ』と思ったが、ハンクはそのことには触れないことにした。

「犬型キメラで、ブレスに耐えられることも実証済みだが、人でも同じ結果が得られることを祈るよ」

 ハンクが、そう言う間にも、ドラゴンの口から吐き出された真っ赤なブレスは、アルゴメスの姿を覆い隠してしまった。

「ヤバくにゃい。このブレス」

 ミャールは、実際にドラゴンブレスを目の当たりにして、その威力に驚いたようだった。

「俺たちの住む村を、あっという間に焼き払ったブレスだからな」

 ハンクは、苦々し気に言った。

「そうにゃんだ。私。覚えてにゃくて・・・」

 ミャールは、バツが悪そうに言った。

『こんなに凄えなんて聞いてねえぞ』

 アルゴメスは、防御モードでブレスを受けながらその威力に怯えていた。

 今のところ何とか持ちこたえているが、後三十秒もブレスを浴び続けたらどうなるか分からなかった。ジワジワトと、防御モードの内部にまで熱が浸透し始めていた。このままでは、蒸し焼きになりかねなかった。

『犬型キメラが、ブレスに耐えたなんて嘘じゃねえのか』

 防御モードの内側でも、もう蒸し風呂のようだった。外殻も熱で赤くなってきたようで、内側も赤外線ランプで照らされたようにボーっと赤く照らし出されてきた。

『このまま死んだら、ハンクの野郎、死霊になって呪い殺してやる』

 もう限界だった。温度は急に上昇しこれ以上は、生命の危機だった。

『ウッ・・・』

 息も絶え絶えになっていたアルゴメスは、温度が下がってきたことに気がついた。ブレス攻撃が終わったようだった。直ぐにでも、防御モードを解除したかったが、油断禁物だった。いつ、第二波のブレス攻撃が始まるか分かったもんじゃなかった。

『どっちにしても、第二波のブレス攻撃を受けたら助かりそうにないがな』

 どうするべきか、考えていると、アルゴメスの体が、グラッと一瞬揺れたかと思うと、フーッと上に持ち上げられていった。

     7

「いにゃ~!あの人食べられちゃうにゃ」

 ミャールが、驚いたように言った。

 アルゴメスが、最初に感じた揺れはドラゴンに齧り付かれた時のもので、持ち上げられてように感じたのは、ドラゴンがアルゴメスをくわえたまま顔を上げたからだった。

「大丈夫。これで、いいんだ」

 ハンクは、ドラゴンが防御モードのアルゴメスを?み砕こうと、奥歯でガチガチしている様子を見ながら言った。

 ドラゴンでも、防御モードに移行したキメラを噛み砕けないのは、犬型キメラで確認済みだったが、人型のキメラでも同じか一抹の不安がないわけではなかった。サイズが大きくなった分、衝撃に対する耐性の低下は否めなかった。

『ドラゴンブレスにも耐えたんだ、ドアゴンの咀嚼力にも耐えられるはずだ』

 ハンクは、ミャールに対しては大丈夫と言いながら、内心祈るような気持だった。これに耐えられなければ、ハンクの計画は、根底から崩れることになってしまう。

『クマムシは、七万五千気圧にも耐えられるんだ、きっと、ドラゴンの咀嚼力にだって・・・』

 ハンクの目は、ドラゴンの口元に釘付けになっていた。

「ああ~っ」

 ミャールが、感嘆の声を上げた。

「あの人、食べられちゃったにゃ」

 ミャールが、ハンクの方に顔を向けながら言った。

 ドアゴンの喉がゴクンと鳴り、口の中の物が喉を通過して下降していくのが分かった。最初の目的地は胃袋の中だ。

「うまくいったみたいだな」

 ハンクは、ニヤッと笑みを浮かべた。

「どういうことにゃ」

 ミャールは、気が気で無さそうに聞いた。

 人が、ドラゴンに食べられたのだ。慌てる素振りも見せないハンクの方が異常だろう。

「もう少し、このまま様子を見ていれば分かるさ」

 ハンクは、双眼鏡でドラゴンの姿を追っていた。

「もう、あの人、ドラゴンに飲み込まれちゃったんだにゃ。死んじゃったかもしれないんだよ。少しは心配にならにゃいのにゃ」

 落ち着きはらっているようにみえるハンクに、ミャールは、腹の虫が収まらなかった。

「見ろ」

 ハンクが、ドラゴンの方を指さした。

「にゃ、にゃにが起こっているにゃ」

 ミャールは、ドラゴンの方に視線を向けると、頭に抜けていくような素っ頓狂な声を上げた。ドラゴンが、岩場に倒れ七転八倒しているのだ。驚くなという方が無理だろう。

「どんな魔法を使ったにゃ」

 ミャールは、ハンクに詰め寄った。

「もう少し見てれば、魔法のタネが分かるよ」

 ハンクは、ドラゴンの動向を一瞬たりと見逃すまいと、双眼鏡を通してドラゴンの動きを見入っていた。

 痛みに耐えきらず空に逃げようとしたのか、翼を広げ空に向かって飛び立とうとしたが、直ぐに失速すると墜落した。そのまま仰向けに倒れると、ピクピクと全身痙攣が始まった。

「ど、ドラゴンが、死にそうにゃ。数千年も生きたといわれるドラゴンが。信じられにゃい」

 ミャールは、目の前で起こっている出来事が現実のこととは思えなかった。

「行ってみるか」

 ハンクは、岩場の影から立ち上がると、断末魔の痙攣を発するドラゴンに慎重に近付いて行った。瀕死とはいえ、ドラゴンに攻撃されれば、ハンクなどひとたまりもないだろう。

 二人が近付く途中、ドラゴンの四肢が強直するようにピンと伸ばされた。

「いよいよ最後か」

 ハンクが、嬉しそうに言った。

 四肢の強直が解けると。ドラゴンは、ガクンと脱力して動かなくなった。

「あの人は、どうにゃったにゃ。死んじゃったにょか」

 ミャールは、そう言えばというように聞いた。

「ドラゴンが死んだんだから、生きてるはずだ」

 ハンクが、そう言うと、ダランと舌の垂れ下がったドラゴンの口の中から、アルゴメスが姿を現した。

「お~い」

 ハンクとアルゴメスは、お互いに、手を振り呼びかけながら、走り寄って行った。

「あの人は、ドラゴンに飲み込まれてから何をやったんにゃ」

 ハンクの肩に載ったミャールが、走っているハンクに聞いた。

「犬型キメラは、多分、ドラゴンの胃液にやられたんだと思う」

 ハンクは、犬型キメラが、何故、戻ってこなかったのかを考察するため、死んでしまったネズミ型キメラの死体を、塩酸に漬けてみた。キメラの外殻は物理的衝撃や温度に対する耐性は強いものの、酸に対する抵抗性は思いのほか脆弱だった。一時間余りで、キメラの甲殻鎧は解け始めた。

 胃に中に食物が数時間留まると考えれば、飲み込まれた犬型キメラが全滅したとしてもおかしくなかった。

「それじゃあ、あの人も、飲み込まれたら終わりじゃにゃいの」

 ミャールは、不思議そうに言った。

「それを逆手に取ったのさ」

 ハンクは、したり顔で言った。

「防御モードのまま飲み込まれれば、胃まで生きたまま無傷で到達できる。胃液にとかされるまでに、防御モードなら時間的猶予もある」

 ハンクは、いたずらっ子が、自分のいたずらが大成功した時のように自慢げに言った。

「それで、にゃにをしたわけにゃ」

 ミャールが、相槌を打って先を促がした。

「外皮は、硬い鱗に覆われ剣や魔法では歯が立たないけど、鱗のない内臓を攻撃されたらどうかな」

 ハンクは、ニヤッと笑った。

「そ、それにゃあ・・・」

 ミャールは、その手があったかというように言った。

「そう、胃に中で通常モードに戻ったアルゴメスに、胃の底に剣で一気に穴をあけてもらい、強力な胃液をお腹の中にばらまいてもらったのさ。自分は、胃壁にでもよじ登って、胃液に溶かされないよう注意してね」

 ハンクの目論見通り、ドラゴンも内臓に対する防御は持っていなかったのだ。

 自分の胃液で自分の内臓を消化される。ドラゴンといえ、耐えがたい激痛だっただろう。

「にゃるほど。作戦通りってことにゃ」

 ミャールは、一人、悦に浸っていた。

 その間に、アルゴメスは、すぐそこまで迫っていた。

「やったー」

 ハンクは、アルゴメスとの喜びの再開にむけ、両手を挙げた。

「やったぞー」

 アルゴメスも、嬉しそうにスキップでもするよう跳ね跳びながら近づいてきた。

「御苦労様で・・・」

 ハンクが、アルゴメスに抱き着こうとした瞬間、ハンクの体は硬直した。

「あんた、なにやってるにゃ」

 前進の毛を逆立てたミャールの悲鳴に近い、悲痛な叫びが響き渡った。

「色々と俺のために頑張ってくれたようだが、俺は英雄になるんだ。これから先、あんたは邪魔になるだけだ」

 アルゴメスの剣が、ハンクの腹部を深々と貫いていた。

 抱き合おうと両手を広げて小走りに近付いてきたハンクに向け、アルゴメスは、サッと剣を抜くとハンクの腹部に切っ先を向けて体当たりした。一瞬の出来事で、ハンクに避ける暇もなかった。

「こんにゃことして、どういうつもりにゃ」

 ミャールは、怒りの目をアルゴメスに向けたいた。

「最初から、こうするつもりだった。それだけのことさ」

 アルゴメスは、鼻で笑うように言った。

「許さにゃ」

 ミャールの体から、巨大なオーラが立ち上った。

「や、止めるんだ。ミャール」

 ハンクが、ミャールを止めた。

「もう、私は、長くない。ふるさとへ、ホムテッド村のあったところへ、私を連れて行って欲しい。皆のところに・・・」

 ハンクは、哀願するように言った。

「分かったにゃ」

 凄まじい勢いで広がっていったオーラは、消え去っていた。

「それじゃあ、精々、幸せに包まれて成仏するんだな。ドラゴンも、俺が、討伐してやったしな。俺を恨むなよ」

 アルゴメスは、悪びれた様子もなく言った。

「一つ教えといてやる」

 ハンクは、苦悶の表情を浮かべながら、アルゴメスの胸倉を掴むと自分の方に引き付けた。

「お前も、私が、犬型キメラに時々手術をしていたのは知っているだろう」

 ハンクは、吐き出すように言った。

「知ってるが、それがどうかしたか」

 アルゴメスは、そんなことどうでもよさそうな口調で言った。

 確かに、アルゴメスも、ハンクが時々犬型キメラに手術のようなものを実施していたことは知っていた。刃物の歯が絶たない外殻を避け。口の中、舌に手術を施していたのだが、アルゴメスは、それは、ハンクが何か実験をしているものと解していた。

「クマムシの寿命は、三か月から一年ぐらい。老いの様子を観察して、時々、私が、新しいクマムシの新しいDNAを換装してやらねば、キメラたちは、それぐらいの寿命で死ぬんだ。あれは、そのための手術だったんだよ」

 ハンクは、苦悶の表情に笑いを浮かべようとしていた。

 クマムシの寿命問題から外れた存在は、ミャームだけだった。精霊の本体は、実体のない霊のようなもの。元々、寿命など存在していない。そのために、ミャールにだけは、寿命問題が付いて回らないのだろう。

「で、でたらめ言うな。そんな、虚言に俺が惑わされるわけねえだろ」

 そう言いながらも、アルゴメスの顔は、血の気が引いたように真っ白になっていた。

「それじゃあ、あばよ。永遠にな」

 アルゴメスは、ハンクの腹部から剣を引き抜いた。

 ハンクは、糸を切られたマリオネット人形の様に、前屈みに倒れていった。

「危にゃい」

 ハンクの体は、巨大な黒豹の背中で受け止められ、そこに乗せられていた。

「それが、お前の本当の姿ってわけか」

 アルゴメスは、黒豹の姿になったミャールに言った。

「煩いわにぇ」

 ミャールは、アルゴメスに威嚇のポーズを取った。

「ご主人様の最後の願いをかなえてやるのに、急いだほうがいいんじゃねえか」

 アルゴメスは、ミャームの背中でぐったりして動かないハンクを見るように言った。

「あんたにゃ言われたくにゃいわ」

 そう言うと、ミャームは、走り去って行った。

「最後に、あんなハッタリかましやがって」

 ミャールの背中を見送りながら、アルゴメスは、ペッと唾を吐きだした。

「後は、地元のギルドにドラゴン討伐の報告をすれば、俺は英雄よ」

 アルゴメスは、改めて自分の倒したドラゴンを見ながら言った。

「よーし、行くか」

 アルゴメスは、ドラゴン討伐の証拠に鱗を一枚はぎ取ると、山を下りることにした。

『何でだ』

 山を下り始め、暫くするとアルゴメスは、異常に気が付いた。倦怠感が半端じゃなかった。

『ドラゴンと戦ったせいか?』

 アルゴメスの足取りは、重かった。

 山を下っているにも関わらず。登っている時より疲労感は強かった。

『ま、まさか・・・』

 アルゴメスは、ハンクの言っていたことを思い出していた。

 標高が下がるにつれ、丸裸の岩山から森の中へと景色は変っていったが、アルゴメスの足取りは更に重くなっていった。

『クソッ、そんなことがあるはずねえ』

 アルゴメスは、ハンクの言葉を打ち消すと、腕で額に汗を拭った。

『な、なんだ・・・』

 その時、アルゴメスは、違和感を覚えた。自分の腕がやけにゴツゴツと骨ばっているような気がしたのだ。

『そ、そんな馬鹿な・・・』

 アルゴメスが、腕を確認すると、筋肉ではち切れんばかりだった強靭な腕は消え、そこには、申し訳程度に筋肉が付着しただけの弱々しい腕があるばかりだった。皮膚の張りも失われ、シミのようなものも表面に浮いていた。

「嘘だ。そんなことありえねえ」

 アルゴメスは、山麓で見た湖へと向かった。

「そんなはずねえ。ありえねえ。これは、何かの間違いだ」

 アルゴメスは、湖の湖面に映し出された自分の顔を見てそう叫んだ。そこには、年老い皺だらけになったアルゴメスの顔が映し出されていたのだ。

 アルゴメスの体は、急激な老いに向かっていたのだった。

「うぎゃあ――――ッ」

 森の中に悲痛なアルゴメスの号泣の声が響き渡った。


「最強生物「クマムシ」の遺伝子を人間の幹細胞に挿入する遺伝子実験を○○の軍事研究チームが実行」

 本当にやってる国があるなんてビックリ。事実は小説より奇なりですね。


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