2:王宮から逃走します
雷でも落ちたかのようなドーンという激しい音と共に、バリンバリンとガラスが砕け散るような甲高い音が響く。
気が付けば、目の前にはガタガタと震えて尻餅を付いているマリアージュがいて、イルネオの姿はどこにもない。
周りを見渡すと、王宮ホールの大きな窓やバルコニーへ続くガラス扉、シャンデリアのガラス細工などが、ことごとく砕け散っていて、集まっていた人々が顔面蒼白で立ちすくんでいた。
「あー、やっちゃったわ……」
小さい頃は泣く度に起きていた魔力暴走だけれど、久しぶりにやってしまったそれは思った以上にとんでもなかった。
大きくなって魔力量が増えたからかしら。私も成長したものね……って、それどころじゃないわ。
ガラスの破片が大々的に飛び散っているけれど、幸いにも招待客に怪我はないみたい。会場警備についていた大兄様と中兄様がいち早く騎士たちに指示して結界の魔道具を使ってくれたようね。国王陛下や第二王子殿下たち王族の皆様も、お父様がきちんとお守りしている。
そしてうっかり消してしまったかと思ったイルネオは、少し離れた場所で小兄様を下敷きにして倒れていた。
暴走させた魔力はピンポイントでイルネオに当たって吹き飛ばしていたみたい。無意識でも狙いを外さないあたり、自分がどれだけ怒ってたかよく分かるわ。
そしてあの瞬間に吹き飛んだイルネオの元まで駆けつけて受け止めるなんて、小兄様はやっぱり凄いわね。
なんて、つい感心していたら、イルネオが怒りの形相で立ち上がった。
「き、貴様、俺を殺す気か! 騎士ども、さっさとあれを捕らえないか!」
ああ、良かった。泣くのを堪えているのか目が潤んでいるし足も震えているけれど、こんなに元気という事は致命傷になるような攻撃はしてなかったみたい。
正直どうでもいいと思ってしまうけれど、さすがに死なせたら問題になるもの。よく加減したわね、私……って、だからそういう場合じゃなかった。
けれどイルネオの叫びに騎士たちは全く動かない。それもそうよね。指揮系統はお父様たちが握っているんだもの。国王陛下や殿下方の命令ならまだしも、親戚とはいえ王族ではない公爵子息に従うはずもない。
すると下敷きにされていた小兄様が立ち上がり、イルネオの肩を押さえた。
「まあまあ、イルネオ殿。危ないですから落ち着いて」
「離せ! 妹だからと手心を加える気か!」
「いや、まさかそんな。また暴走したら危ないってだけですよ」
小兄様はイルネオを宥めながらも、視線で私に逃げろと伝えてきた。招待客の避難誘導を始めた大兄様と中兄様も、同じような視線をチラチラと向けてくる。
王族の退出を促すお父様も同様で、誕生パーティーを台無しにされた第二王子殿下に至っては、なぜか申し訳なさそうに眉を下げていた。
これは見逃してくれるって事かしら?
となれば私の取るべき行動は一つしかないわね。スカートの裾を持ち上げると、遮る物のなくなったバルコニーに向けて走り出す。
視界の端でお母様が何やら身振り手振りをしているのが見える。あれは騎士団で使われるハンドサインだわ。小さな頃に教えてもらったきりだけど、今もちゃんと覚えている。
西へ向かえ?
ああ、お母様の実家である子爵領に逃げろって事ね。分かったわ。
「気高き風よ、天翔ける翼を我に。アイレアーラ!」
グッと親指を上げて了解と返事をして、バルコニーから空へ舞い上がる。
目指すは西の子爵領!
それなりに距離はあるけれど、こうして空を飛べば夜明け前には着くはずよ。
…… そう思って一晩中飛び続けたけれど、どこまで行っても全く見覚えのない景色。
そのうち山も越えて広々とした森に差し掛かり、さすがに気付いたわ。方角を間違えたって。
そうして魔力にはまだ余裕があるけれど空腹に耐えきれなくなった私は、朝日に煌めく川のそばに降り立った。
川の水ごと盛大に吹き飛ばして魚を取り、火魔法で焼こうとしては黒焦げにして……を繰り返し。最終的に川の一部を干上がらせながらどうにか枯れ枝に火をつける事に成功し、そこから焚き火を起こして魚を焼いて今に至る。
ここまで無駄にした川魚の数、二十三匹。罪のない命だったのに、細かな魔法制御が苦手な私のせいで申し訳ない事をしたわ。
イルネオの事はピンポイントで怪我なく吹き飛ばせたのに、なぜ今は細かな調整が出来ないのかしら。自分の不器用さにため息が出ちゃう。
でもそんな事より塩よ、塩。騎士になりたかった子どもの頃に野営の基本も叩き込まれているから、森でだって生きていける自信はあるけれど。さすがに塩なしじゃ、これ以上野宿なんて絶対に無理。
ドレスも靴もボロボロだから売れないけれど、幸いにもネックレスとイヤリング、髪飾りもある。これを売ればそれなりの金額になるはずだから、まずは町を探さないと。
でもさすがに王宮を壊したのだから、追手は出されているはずよね。殿下が許してくれても国王陛下が許してくれるとは思えないし。
そうなると王国に戻るのは危険だし、今から子爵領に向かうのも現実的じゃない。何より方角も分からないもの。
たぶんもう国境近くにいるはずだから、とりあえずこのまま森を抜けて隣国に逃げるしかないわよね。どこの国に出るのかは分からないけれど、その方が安全なはず。
それに私がいない方が、お父様たちに迷惑もかからないだろうし。エルメリーゼはこれから一人で生きていきます。今までありがとう、お父様、お母様。兄様たちも幸せになってね。私は大丈夫だから。
だってもう婚約破棄されたから何も取り繕う必要がないし、私は自由なのよ。これから先は自分の好きなように生きられるって何だかワクワクしちゃうわ。
さて、どうするかも決まったし、味のない魚も食べ終わったし、そろそろ行きますか。
火の後始末をして立ち上がり、飛翔魔法を唱えようとした矢先。
――グアァァァ!
魔獣のような叫び声と共に、森の奥から鳥たちが飛び立ち煙が上がった。もしかして誰か戦ってる? 人がいるなら塩も譲ってもらえないかしら⁉︎