4. レンタル彼女(仮)
休日が終わった次の日の朝、賢木はネクタイを締めて身支度を整えている。
「でかけるときは戸締まりと頼む。あとは好きにしてくれてかまわない」
賢木と一緒に家を出ることになると思って一緒に外に出ると、渡されたのはマンションのスペアキーだった。
「え? いいの?」
さすがにまずいだろうと思う。昨日今日会っただけの関係なのに。信用とか信頼とかそんな関係ができるほど時間を一緒にすごしていない。
しかし、次の彼の言葉でいろいろなことを納得する。
「問題ない。家電や家具はレンタルだ。重要書類は貸金庫に預けている」
今のショールームのような殺風景な風景についても同時に理解した。
まさかと思いながら聞いてみると、身につけるもの以外はすべてレンタルらしい。
物欲がないというより、本人としては必要なものだけを買い足せばいいという意識のようだった。
「じゃあ、あたしも“レンタル彼女”ってところかな?」
冗談まじりで言ってみたが、あたしと賢木の関係にその言葉はすとんと胸に落ちた。
帰って来た賢木と肩を寄せ合ってソファーに座り、ポテチをぱりぱりとかじる。今日はおうちデートということらしい。
大画面のホームシアターからは臨場感たっぷりのBGMが流れる。恋愛物の作品で、主人公が恋人の家に挨拶しに行っているところだった。
娘さんを下さいという主人公に、野球で勝負だとバットを父親から押し付けられた。父親が投げるボールは鋭く、主人公が振るバットは空を切る。
地面には幾つものボールが転がり、主人公は肩で息をしているが諦めようとしない。
ちらりと視線を横にむけて、モニターの光に照らされる賢木の顔を見る。そこには興奮や登場人物への感情移入は見えない。
「賢木はさ、こういうの見てどう思うの?」
「まず、バットを振るタイミングがまるで合っていない。何球か甘い球も来ているがすべて見逃してしまっている」
「そっちじゃなくてさ、結婚とか、家族になるとかってこと」
思い出すのは昼間に外に出たときに見かけた親子の姿。母親が小さな子供の手を引いて買い物をするというただの日常風景だった。
意識しないようにしているけれど、たぶん自分はだいぶ感傷的になってるのだろう。
「結婚した同僚が話していた。結婚はいいものだと。帰ると家族が待っていると安心できるそうだ」
「へぇ~」
「その一ヵ月後にはよく愚痴をこぼすようになっていた」
「そ、そっか」
「だが、それを語るときの表情は以前と同じように嬉しそうなものだった。なぜだろうな」
「さあ? 家族ってのはそういうもんなんじゃないの」
自分の家族のことを思い出しそうになるが途中でやめる。ぼんやりと映画を見ていると隣から視線を感じた。
「どしたの?」
賢木はジッとあたしを見て後、何かを考え込みポケットから取り出した手帳に何かを書き付けていた。
薄暗くしていた部屋で、その内容はよく見えなかった。
翌日、特に何かするわけでもなくマンションで賢木と過ごしていた。
―――ピンポーン
軽い電子音が鳴り響く。この音だけはどの家でも同じだなと思いながら、賢木がインターフォンの受話器を耳に当てる。モニターには二人の人間が映っていた。
賢木は何も言わず玄関に向かっていった。玄関の方から三人の話し声が聞こえる。
なにかのセールスにしては少し時間が遅い。来客だとしたら、自分がここにいるのは彼の世間体としてもまずいのではないかと気づいたときにはもう遅かった。
リビングの入口の開く音がした。
「あら?」
慌てて隠れようとした中途半端な姿勢でゆっくり振り返る。そこに立っていたのはモニターに映っていた二人だった。
ごく普通の四十歳ぐらいの男性と女性。男性は紺のポロシャツ、女性はゆったりとしたロングスカート。休みの日のお父さんとお母さんといった見た目である。
「えーと……、ども」
気まずさを誤魔化すように軽く頭をさげてみる。賢木の知り合いなのだろう。しかし、こんな時間に独身男が女子高生を連れ込んでいることをどう思うか。
親戚と誤魔化すにも相手の素性がまったくわからない。なんとかしろと、賢木に視線を送るがまるで気にした様子がない。
「きゃー! お友達? 囚慈さんのお友達? パパ、囚慈さんのお友達が降臨ですってよ。わたしはママの佐々木です!」
「僕はパパ。藤井と申します!」
「はぁ……」
唐突なハイテンションに反応が遅れる。
「えっと、はじめまして、華原です。あー、その、賢木さんにはいつもお世話になっています」
彼との関係をぼかして挨拶する。これでいいのかと賢木の方をちらりと見るが、特に訂正する気はないらしい。
「まあまあ、あなたが囚慈さんのガールフレンドね。“賢木さん”なんて初々しいわ。そうだ、夕食一緒に食べましょう。パパも、いいわよね?」
「もちろんだとも! ママのごはんはおいしいからな、期待してくれて大丈夫だ!」
「えーと……」
「彼らはレンタルライフ社から派遣されたレンタルパパとレンタルママだ」
戸惑うあたしに小声で教えてきた賢木の言葉を咀嚼するのに数秒かかる。
そういえばレンタルしている家具も『レンタルライフ』から借りたものだといっていた。
夕食の時間。
あたしは困り果てていた。
食卓の上にはできたての料理の皿がならんでいる。彩りもよく香ばしい唐揚げのにおいが空腹を刺激する。
自分が賢木の隣に座らされ、さあ召し上がれとすすめられるままに箸を握っていた。
「萌果ちゃんは若いんだからどんどん食べなきゃだめよ」
「そうだ、パパの分も分けてやろう」
「ずるいわ、パパったら。それじゃあ、ママのも食べてね」
唐揚げが山盛りになり、キャベツの千切りの丘よりも高くなった。
なんなんだろう、この状況は……。
パパが話題を出すとママが楽しそうに合いの手を入れる。やたらと息の合った二人だった。
二人はちょっとおかしいだろうというぐらい和やかに笑っている。そしてなんの気負いもなく話しかけてくる。
「萌果ちゃん、遠慮なんかしてくていいのよ。欲しいものがあったら何でもいっていいし、困っていることがあるなら相談してちょうだい」
レンタル彼女であるあたしと、レンタルパパとママの二人。この状況を引き起こした本人は黙々と作業のように料理を口に運びながら、あたしたちのやりとりを観察している。
「わあ、大変だ。萌果さんの口元にソースがついているよ!」
「大変。拭いてあげないと!」
両側からティッシュでむにむにと口元をぬぐうというか、もみくちゃにされる。
「大丈夫だって、子供じゃないんだから」
二つの手でおしのけて今度は自分でちゃんと拭く。
本当になんなんだ。
彼らの家族としての愛情は借り物でニセモノだ。お互いにどうしようもなく他人なはず。だけれど―――
「見てください、ママ。萌果さんが笑っていますよ!」
「やりましたね。初めて笑ってくれました!」
いえーいと手を合わせる二人。
うまく拭けないと思ったら、口元が自分の意志に反して筋肉が動く。どうやら、わたしは笑っているらしい。本当に珍しい、今日あったばっかりの人間の前で。
このよくわからない状況が自分には楽しいらしい。
ふと視線を感じると、賢木がこちらを見ていた。
「どうだ、家族というものは?」
「まあ、こういうのもいいんじゃないの。というかあんたはどうなのよ」
よく知っている家を出てよくわからない世界でよくわからない人間と生活しよくわからない状況にいる。
まったくもって不本意なことだが、この場にいることが楽しいと思ってしまった。
考えるのは得意ではない。悩むのも明日にしよう。今はこの災難でしかない状況に適応していこう。