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月の下の四足白の馬  作者: とみた伊那
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新月7

ナイジェルはちょっと口ごもった。話している相手はオレンジの長い裾のドレスを着て濃い化粧をしているが、まだ子供にしか見えない若い娘である。娘はそれを察したようにさらに話を続けた。

「そう、売られたの。小麦二袋と引き換えに。小麦は大した量じゃなかったけれど、口減らしにはなったわ。他に兄さんが四人いたから、あの小さなブドウ畑でその人数を養うには無理があったの。私、畑に出ても重い荷は運べないし、畑を耕すのも全然うまくできなかったわ。丸一日かかっても、他の兄さん達の半分も畑を耕すことができなかったの。いつも残った仕事を兄さん達に手伝ってもらっていて、家族の中で一番役に立たなかったもの。私がもっとちゃんと畑で働くことができていれば、多分兄さん達の誰かが代わりに売られたと思うわ」

 ナイジェルが水桶を足元に置いたまま返事に困っているのを見て、娘は彼の手を取って笑った。

「せっかくお会いできたのに、いきなり暗い話になってしまってごめんなさい。でもね、良いことがあるのよ。みんなの前で踊るのもあと少し。親方からそう言われているの。それが終わったら、私、自由になるの」

 娘は笑顔を見せた。

「自由? つまり一座から解放されて故郷に帰れるってことかい」

娘は少しうつむき、上目使いでナイジェルを見た。娘の口が少しだけ動いて小さな笑顔に変わった。

「それもあるけど……。もっと本当に自由になれるってこと。あ、私洗いますから」

ナイジェルは言われたままに上着を脱ぎ、娘に渡した。その下の袖もワインの染みがついていたので、シャツも脱いで差し出した。ナイジェルの上半身が、店の板の隙間から漏れる光に浮かび上がった。服を着ている時は痩せてみえるが、脱ぐと鍛えられたその身体は弱い光の下、その筋肉の陰影をはっきり見せた。シャツを受け取るために手を伸ばした娘は、一瞬びっくりしたように差し出した手を引っ込めた。

「ははは、急に脱いでしまってびっくりしたか。ああ、自分でやるから」

そう言うと、かがんで脱いだシャツの袖口に水をかけた。

「あなた」

娘はシャツを渡すと慌てて後ろのヤマナラシの樹の影に隠れ、そこから声をかけた。

「上着の襟に紋章がついてる。乗ってきた馬も立派だった。偉い軍人さんなの? 」

「ああ、そうだ。騎兵隊にいる。二十歳そこそこだけど一応連隊長だよ。明日、戦場に行く」

シャツを絞りながら、ナイジェルは何故こんなところで自分の身分を話してしまったのか、自分でも不思議だった。

「だからそんなにりりしくてたくましいのね。こんなに立派な人に会えるなんて、私、あなたにお会いできたから、ここで踊っていて良かった」

「りりしく、たくましいか。他からはそういう風に見えるものなのか」

ナイジェルはワインで汚れた袖をこすりながら苦笑いをした。

「連隊長と言っても単なる生贄だよ。君は知っているのか? 私の立場を。明日、国境線の戦場に行く。敵のゲル国の兵が二千に対して、こっちはたったの三百だ。はじめから敵う訳がない。時間稼ぎだよ。どう見てもゲル国には敵わない。和平条約を結ぶしかない。だが国王陛下は、和平の条件として一人娘のクリスターニァ姫を人質として差し出す決心が未だにつかないでいる。それを決心していただくために、犠牲が必要なのだ。今度の戦いで誰かが死に、ゲル国には太刀打ちできないと分かれば、国王陛下も和平に応じる気になるであろう。その生贄の羊に選ばれたのが私だ。貴族とはいえ、男爵家の三男だ。爵位を継ぐ資格は無い。死んでも誰も困らない。生贄にはもってこいという訳さ」

 娘は思わず隠れていた樹の影から身を乗り出した。

「そんな危ないところに行くなんて、お父様とお母様は反対しなかったの? 」

「反対? 何を」

ナイジェルには意外な言葉だった。

「私の家はちっぽけな貴族だが、そんな意気地無しはいない。選ばれたことを誇りに思っている。それにここで一族の誰かが名誉の戦死をすれば、それによって身分が上がるかもしれない。今は国王陛下に直接お目通りすらかなわないが、宮殿に堂々と入れる。そういう身分になれることを代々願ってきた。今ここで私が選ばれたことは、男爵家としての誇りなのだ。ただ……」

ナイジェルは一度、大きく息を吐いた。


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