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月の下の四足白の馬  作者: とみた伊那
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新月5

 ナイジェルはいたたまれなくなって窓に目をやった。窓枠の壁に、飾りとして昔付けられたのであろう、乾燥した薔薇が逆さに吊るされている。それが長い年月、そのまま放っておかれたのであろう。埃をかぶっていた。

 干からびた薔薇。

 一瞬ナイジェルは身震いをした。そこに、血まみれになって逆さに吊るされた自分の姿を見たのだ。ゾクッとして薔薇から目をそらし、再び踊っている少女を見た。

「犠牲が必要なのだ」

犠牲? あの娘と同じことを私は求められているのか?

 ナイジェルはワインを飲む手を止め、次第にその踊りに見入っていった。

 どこかが違う。ロマの踊りを見るのは初めてではなかった。他の酒場の娘の踊り、祭で踊る村娘の踊り、それらのどれとも違う。何か異世界の雰囲気がそこにあるのだ。

 あの娘は何に対して生贄となっているのか。

 ギターを弾いている年配の男はこの店の親方なのだろうか。透きとおるような真っ白な娘の肌とは対照的に、日に焼けて黒くインド人のような彫りの深い顔立ちに、さらに深い皺が刻まれていた。何曲かが終ると、その男は娘に向かってタンバリンを放り投げた。娘はそれを受け取ると、タンバリンを震わせながら大きく背中をのけぞらせ、リズムに乗った早いステップを踏んだ。それに合わせて酒場の客達は一斉に立ち上がり、ヤンヤとはやしたて、思い思いに被っていた帽子やテーブルの上の皿を叩いたり、叩く物が無い客は手拍子をした。

 勢い良く立ち上がった隣の客に押され、ぼうっと座ったままのナイジェルは手にしていたグラスを倒し、ワインが袖にかかった。

「おっと、ダンナ。悪いな」

 こんなことはしょっちゅうなのだろう。それだけ言うと男はナイジェルに尻を向け、帽子を叩きながら腰を振った。


 ノリの良いその曲が終わると娘はタンバリンを放り投げ、代わりにギターを弾いていた親方の帽子を取り、それを逆さにして客の間を回って金を集め始めた。興奮した客達はツギの当てられた帽子の中に次々とコインを放り投げ、疲れて再び椅子に座り始めた。少女は最後に一番隅の席にいたナイジェルの前にやってきて、帽子を出して止まった。

「あ、コイン」

ナイジェルはポケットをまさぐり、手に触れた数枚を帽子の中に放り込んだ。

「ありがとう、あの、服」

 見ると、さっき倒したワインでナイジェルの白いシャツの袖が赤く濡れていた。

「もしよければ」

さっきまでの激しい踊りとは対照的に、娘の声は聞き取れないくらい小さなものだった。

「この店の裏庭に水桶が置いてあります。そこで洗えますから」

それだけ言うと再び親方のところに走り、集めた金を帽子ごと渡すと、娘を取り囲むようにして親方とその周りの男達は揃って店の外に出ていった。


「さっ、酒の追加はいらんか。次のあの踊り子の出番まで時間がある。今のうちに、ウチの酒をたらふく飲んでくれ」

再び店の中のランプが付けられると、さっきの男が大きな声でグラスを差し出した。

「おい、酒が無くなった。もう一杯追加。チクショウ。これが最後のコインだ。酒がねえ。金もねえ。全くつまんねえ世の中だぜ。え、ダンナ。もう飲まねえのか。金なんか惜しんだって死んじまえば何にもならねえんだよ。どうせ俺達はあと大して生きられねえんだ」

 気のせいか踊り子が現れる前と比べ、客の酒のペースが早いように思われる。あちこちで財布を逆さにして最後のコインを出す音がしていた。隣の百姓だけではない。どうせ隣国が攻めてきたら明日は分からぬ身、あるものは今のうちに使ってしまえ、そんな空気が店全体に流れていた。

(まだ子供のように見える、あの娘。そして戦場だけではない。ここでも死の臭いがしている)

 給仕の勧めを断り、ナイジェルはテーブルの隅に置いた馬のムチを手に取ると、外に出て娘が言っていた裏庭にまわった。



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