新月4
その時、店の中でざわめきが起こった。
「さ、お待たせしました。そこの真中に座っているお客さんたち、ちょっとそのテーブルを付けてくれ。それを台にするから。これから今大人気のロマの踊り子の登場だよ」
店主らしき色の黒い年配の男が声をかけると客達は手慣れた様子で立ち上がり、テーブルを二つ並べてその周りに椅子を並べた。テーブルの周りに置ききれない椅子はその後ろに並べ、その後ろの客は椅子の代わりに余ったテーブルの上に腰かけた。窓際に座っていた客は一斉に窓を閉めた。店の中はあっという間に中央のテーブルを中心とした空間が出来上がった。
先ほどの店主らしき男はギターと木の丸椅子を持ってきた。その椅子をテーブルからやや離れた客のいない空いた場所に置くとそこに座り、歌いながらギターを弾き始めた。
太陽が沈んだら
好きなあの娘に会いに行こう
闇が全てを隠してくれる
もしも月が出ていたら
あの娘と一緒に逃げてしまおう
月が夜道を照らしてくれる
けれど信じちゃいけない
月の光は娘さえも悪魔に変える
歌が始まると同時に、今までワインを運んでいた給仕達は手慣れたように店の隅のランプの灯りを消して回り、それによって真中のテーブルだけが、残ったわずかのオレンジ色のランプの光で浮かび上がった。ランプは店の奥から消えてゆき、最後に入り口のランプが消えた。それと同時に外から子供のような小さな少女が走ってきて、出来合いのテーブルの上に飛び乗った。酔っ払いの男達は一斉に歓声をあげた。
「ヘイ、ヘイ、ヘイ」
腕を上にあげて三回手を叩くと、それを合図に少女の踊りが始まった。テーブルの周りを酔っ払った男達が取り囲んでいる。その後ろでは、さっきまでワインを運んでいた大人の男が二人、歌を歌いながら娘に合わせて腰でリズムを取り始める。常連の客ばかりなのだろうか。少女が現れた途端に店は活気づいた。
ナイジェルは他の客に押し出され、中心のテーブルから一番離れた場所に置かれた椅子に腰かけて、肩肘をつきながら見るともなしに眺めた。
小さい。何歳なのだろう。化粧は濃いがまだ子供のようだ。手足は異常に細いのに、踊りだけは何かに取りつかれたた猛獣のような勢いがある。何よりあの目だ。目だけがぎらぎらと光っている。そして何かを思い詰めたように、一点だけを見つめている。一点? 私を見ているのか? いや、まさか。気のせいだ。急にナイジェルの脳裏に光が走った。
生贄だ!
あれは男達を兆発しているのではない。あの目を見ろ。あれは何かを覚悟した者の目だ。全ての男達の生贄として、この酒場のテーブルの上で踊っているのだ。何故、誰も気付かない。あの娘は今にも悲鳴をあげんばかりなのに、あの周りの男達は、ただヤンヤと娘をあおっているだけなのか。