最後の会話
冬の時期に見る桜の木は、本当に桜の木なのかって疑うくらいに、乏しかった。
木に桜の花びらがないように、僕の隣にも誰もいない。
何もないのに、僕はそこから動かないでいた。
ただただ、何もない桜の木を見続けて。
「ハッハクシュ!」
気づくと時間はかなり経っていた。
「そろそろ帰るか」
家に帰ると母さんが、心配そうな顔で、おかえりなさい、とだけ言った。
僕は、ただいま、とだけ言って、部屋に戻る。
部屋の電気を付け、僕はそのままベッドに倒れこんだ。
「課題やらなきゃな」
部屋着に着替えて、机の上にある9つの封筒を机の端に避ける。
僕はカバンから、課題と筆箱を取り出した。
数学のプリントをやり進めても、端にある封筒が気になって集中できない。
まひろが死ぬ1週間前に、まひろから手渡された9つの封筒。
僕はまだ、その封筒を開けられずにいた。
「私が死んだら、ここにある9つの封筒を順番に開けてもらいたいの。中には、私からの頼みごと? やりたかったことみたいなのが入ってるから」
まひろはそう言って、笑っていた。とても弱々しく。だけど、その封筒を僕は受け取れなかった。
君はまだ死なない。絶対に生きるんだとも言えなかった。既に医者の余命宣告よりもまひろは長く生きていたから。
「それを頼むのは、僕じゃないよ。もっと他の人に―――」
僕の言葉を遮るようにまひろは言う。
「東くん、君に頼みごとをしてもいいかな?」
今度のまひろは全く笑っていなかった。
普段、まひろは僕のことを優くんと呼ぶ。しかし、この時のまひろは違った。本当に真剣なのだ。
「わかった」
僕がそう言うと、まひろは輝かしい笑顔で、ありがとう、と言った。
「約束だからね。何時間も何日も何年何十年何百年かかってもいいから、全部やり遂げて」
「何百年は無理だろ」
「いちいち、そういうとこ言うの、優くんの悪い癖だよ?」
まひろは大袈裟に頬を膨らませている。
「あーはいはい」
「もう! 絶対反省してない!」
二人同時だったと思う。
「ふふ、はははははは! ははは」
僕たちは二人きりの病室で、大笑いをした。
これが、僕とまひろの最後の会話だった。
あとで編集します