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黒猫通れば菓子屋が儲かる

ブルーベリーの花言葉 「親切」

「今日も目が死んでるねぇ」


「今日”も”ってなんだ。いつも死んでるみたいに言うな」


「鏡見たらぁ? 面白かったよぉ、百面相」


「お前はもう少し表情を変えろ」


「無茶言うなぁ」


 表情を変えずに肌を粟立てるような笑い声をたてたそいつは、口を開けたついでにとばかりに真っ赤な舌を見せつけ口の周りを舐めた。


「っていうかさぁ、やっぱり今日もこんな簡素な食事なのぉ? いい加減飽きたよぉ」


 言葉につられた(よう)()が見下ろす手元には、レタスとプチトマトに胡麻ドレッシングをかけた素朴なサラダとブルーベリージャムをたっぷり上に載せた食パン。一人暮らしに慣れた男が作れる朝食なんてこんなものだ。むしろ社会人が作る分には充分だろう。ホットケーキやエッグベネなんちゃらなんて食べなくても生きていけるのだ。


「文句があるなら食うなよ」


 初冬には少し肌寒いTシャツの背中を朝日が頼りなく暖める。沈黙したカーテンの向こうから、蜜柑の木に留まっていたウグイスが楽しげに囀る声が聞こえた。外は、理想の朝と言ってもいい外出日和だ。


「いけずぅ」


 目の前のうるさい仏頂面が居なければの話である。いけずはどっちだという言葉をトーストと共に呑み込んでじろりと睨みつけた。せっかく作ってやってるのになんて言い草だろうか。

 この居候──テンジの足音は静かすぎて、いつも気配を感じることが出来ない。その割に一度口を開けばいらんことをぺちゃくちゃ話し出す。両極端なヤツである。

「もっとさぁ、美味しいふれんちとーすととか作ってくれればいいのに」


「フレンチ……って、まさかお前またひとりでテレビ見てたのか!? 電気代いくらかかると思ってんだ!」


「寝起きで怒鳴る元気が有るなんて、陽二は力が有り余ってるねぇ」


 でもそのえねるぎぃをもーっと朝食作りに使ってほしいねぇ、とぼやきつつぺろりと完食したテンジは椅子から音も無く飛び降りた。いけしゃあしゃあとした態度に怒りでわなわな震える陽二。しかし彼の言う通り、こんなことでまた『えねるぎぃ』を使うのももったいない。


「あ、そうだぁ」


 陽二がそのしなやかな黒い背中を睨みあげた事に気づいていたのかいないのか。くるりとふかふかの踵が返されたと思えば、きらりと瞬く二つの満月が陽二を照らした。その下で、赤い口内がぬらりと姿を現す。


「ごちそうさまぁ、陽二くん?」


猫又、化け猫。呼び方は色々あるが要するに、テンジは猫の妖怪らしい。



 (はら)陽二は、生粋の不運体質である。


 小学校の運動会、徒競走で足を捻って頭から地面に衝突。中学のテストでは解答欄をずらして気づかず最下位。高校の放課後、想いを寄せていた女の子がクラスメイトに告白するシーンを偶然発見し玉砕。

大学のコンパで余興と称して行われた稲荷寿司ロシアンルーレットは、仕組まれているのかいじめなのかと半ば人間不信になるくらいよく当たった。陽二の反応に笑っていた楽観的かつお調子者で有名な先輩すら段々真顔になり、最終的になんかごめんねと申し訳なさそうにカシオレを奢ってくれる始末。さらに数十秒後、初めて口をつけたお詫びですら苦手な飲み物だと知るはめになったのは笑うしかない。

社会人になってからも体質は変わらなかった。大事な時にプリンターが故障するのはまだ良い方で、仕事用USBもパソコンの不調に巻き込まれ物理的圧力に負けうっかり浸水し……いったい何本目なのか数えるのを諦めた。

しかし人間の適応力というものは恐ろしいものである。テレビで流れるいかにもヤラセな恐怖映像を「またか」と鼻で笑うノリで、陽二も水浸しになったUSBを見下ろして「またか」とため息ひとつで動揺を収められるようになってしまったのだ。呪いだの祟りだの騒いでいた幼少期が嘘のようである。


 そんな当たり障りのない、いや当たり障りしかない毎日にも転機が訪れた。その日、彼はなんと一度も不運な目に合わなかったのだ。通勤途中で鳥のフンと熱いキスを交わすことも、作業中にパソコンが勝手なアップデートを始めることも、社員食堂のおばちゃんが転んで煮物が顔面にぶちまけられることも、帰りの電車で人身事故が起きることも無かった。


「……嘘だろ」


 終点まで寝過ごすことも無く、予定通り最寄のホームに吐き出され陽二は恐れを抱いた。自分に不運な出来事が起こらない日などあるはずが無いのだ。傍から見たら可哀そうになるくらいひねくれた思考回路だがもちろん陽二は真剣である。これほど長い期間凡庸な時間が過ごせているのだ、きっとその反動で江戸川乱歩も真っ青な恐ろしい事件に巻き込まれるに違いない。震えあがりながら駅を後にし、バスジャックを起こされてたまるかと早歩きで家に向かう。家に入ってしまえばひとまず動かずにいられる。それまで、どうかそれまで、神様……!

願った瞬間、さっと目の前を横切る黒い影。


「うあっ!?」


「ぶみゃあご」


 反射的に上がる自分の悲鳴と下手くそな鳴き声が織り成す絶妙に微妙なハーモニーに恐る恐る目を開けると、そこに居たのは一匹の黒い猫だった。


───遭遇したのは乱歩じゃなくてポーだったか


 ぼんやりと考えながら腰を起こす。周りを見渡せばそこは近所の公園で、切れそうな外灯の下、ぽつりと薄汚れた段ボール箱が置かれていた。

『拾ってください』

 ありがちな文句は掠れていて、長い間置かれっぱなしになっていたのだろうと予測出来る。たまらなくなって陽二は四つ足揃えて沈黙している猫に向き直った。黒猫のため汚れは見えにくいが、不規則な電灯に照らされた毛はぼさぼさだ。首輪も無く、ひげも汚れている。ただ、目だけは二つの月のように静寂な光を保ち続けていた。冷たいが、芯を感じられるロウソクのような瞳。猫というより蛍に似た光を見つめていた陽二の頭に、ふと奇妙な想念がよぎった。


「まさか、この猫に会うことが、不運?」


 あり得ない話ではない。黒猫は不吉な出来事の象徴とも言われるとも聞いたことがある。だが少なくとも陽二にとって、この猫に手を差し伸べる事は苦痛でも何でもなかった。陽二は極端に不運な人間だったが、それを除けば周りとなんら変わらない成人男性だ。最低限の良心くらいは持っている。

抱き上げたぼろぼろの身体は、それでも確かに暖かかく、この暖かみを切り捨てた人間への怒りは増すばかりだ。だが、今はそれを気にしている場合ではない。陽二は急いで家に帰り、大人しく腕におさまっていた黒猫を風呂場に入れた。動物を飼った経験は無いに等しいが、汚れは落とした方が良いだろう。

「すぐ綺麗にしてやるからな」

「キミの裸を見ずに済むなら大歓迎だねぇ」

 繰り返すが、原陽二は喋る猫を拾ってしまうくらいの、生粋の不運体質である。



 いやあ助かっちゃったねぇ。まさか人間に拾われる日が来るとは思わなかったよぉ。散歩中だったんだけどねぇ……久しぶりにさっぱりできるしまぁいっかぁ。え、だんぼぉる? あの面妖な素材の箱のことかい? あれは前からあったものだけど……もしかしてボクのこと、捨て猫か何かと勘違いしてたのぉ? ……なぁんだ。ボクはただの野良猫だよぉん。そういやキミ、目が合っただけで世話を決意するなんてちょろすぎやしないかい?

 呆然と立ち尽くす陽二を前に、面白いおもちゃを見つけたとばかりにまくしたる黒猫。何とか


「なんだお前」


と下手なチンピラが喧嘩を売るような台詞を絞り出した陽二に対し


「か弱い子猫ちゃんだよぉ」


 黒猫は口喧嘩のバーゲンセールがごとくしれっとぬかした。

 それ以来、『テンジ』と名乗った黒猫は陽二の部屋に住みついている。さすがに風呂場まで連れてきておいて突き返すわけにもいかず世話をしてやったのが運のつきだったのだろう。


「んん? 出かけるのかい陽二くんや」


 質素なマンションの玄関口でビジネスシューズのつま先を軽く打ちつけた陽二を見上げ、テンジはのんびりと声をかけた。日常と化した異常な光景に突っ込む者は誰もいない。


「いつまでも化け猫に構ってられるか

「化け猫じゃないもん。可愛いお猫様だもん」


「自分で言ったら世話無いぞ」


 妖怪(推定)と軽口を叩けるくらい強靭に成長した自分の適応力が恨めしい。ため息をついた陽二と裏腹にテンジはどこまでも呑気だ。


「留守番は任せてねぇ」


「TV観たいだけだろお前は。というかいつまでウチに居座るつもりなんだ?」


「そりゃあご主人様と添い遂げる覚悟だからねぇ」


「よーしオレが帰るまでにさっさと出てけよ行ってきます」


「……育ちは悪くないんだろうけどねぇ」


 きちんと挨拶を残していった割に乱暴に閉まったドアの外でカギがかかる音を聞きつつ、ふとある事を思い出してテンジは首を傾げた。


「あれ、そういえば今日って───」



「……何やってんだ俺は…」


 違和感は感じていたのだ。やたらと電車に子どもが多いという違和感は。勤労感謝の日に休暇をとれる会社は少ない、と昼餉(ひるげ)の話題にしたことさえあるのに。しかしそうと決まれば今から休みを返上するまで。祝日の半分を勘違いによる移動で使い切ってしまったことでメンタルは大分削れていたが、数多の不運を乗り越えてきた陽二は何もかものやる気をなくすほどの無気力を背負ってはいなかった。


 夕飯と明日の朝食のために買い物をして、バスを使って家に帰る。普段なら徒歩で帰れる距離だがせめてもの休みらしい贅沢をするくらいいいだろう。エコバックの中に卵と食パンと砂糖が入っているのは安かったからだ。アップルミントは部屋に緑を増やそうと考えて買ってみただけである。テンジに影響されてフレンチトーストの材料を買ってみたというわけではない。決して。ドアを開けて帰ったぞ、と告げる前に──妙に家の中が寒々しいことに気づいた。


 知らない間につけられている電気も、テレビの喧噪もない。ひっくり返った小物も、漁られた棚もない。窓際で退屈そうに座っていた、ソファーの上で眠りこけていた、玄関先まで出迎えていた真っ黒な影がどこにも見当たらない。


 憎まれ口ばかり叩く煩い黒猫の姿が、影も形も消えていた。




 ……楽しくない。

 休みのために録りためていたドラマも、消化するつもりだったゲームも心の底から楽しめない。理由は陽二自身で分かっていた。自分でも腹が立つことに、テンジが家を出て行ったことが気がかりになって仕方がないのだ。


 散歩に出ていったのか、本当に出て行ったのか。そもそも腹の底で何を考えているのか分からないヤツだった。


 「ここはボクには合わないねぇ」とこの家を離れるテンジの姿は容易に想像出来るし、「え、ボクがこーんなに自由に出来る家を手放せると思うのぉ? お馬鹿さんだねぇ」と笑う姿もなくはないだろう。



 『留守番はまかせてねぇ』


 ふとその言葉が頭に蘇った瞬間──陽二は最悪の結末を思い浮かべて背筋を凍らせた。


 陽二は、不運な人間である。しかしその不運が人を巻き込むことはほとんど無い。あったとしても、【学校で自分の班の発表順が一番になってしまった】とかそういう程度だ。自分だけが不運を被る状況であればその通りになる。だが、それが人以外だったとしたらどうなるのか。


 一度だけ、生き物と言えるモノを飼ったことがある。小学生のころに育てたアジサイだ。しかし、それも陽二の不運の力には抗えずクラスで一番早くに枯れてしまった。昔の話であり、植物=生き物という図を深く考えていなかったからすっかり忘れていたのだ。


 じゃあ、テンジはどうなる?

 

 口を開けばゆったりとした暴言ばかり吐くうるさい黒猫。衣食住を共にして、寝る時は上に乗っかり邪魔をしてくる同居人。


 でも、彼が一度でも「おかえり」を言わない日は無かった。


 陽二は何かに弾かれたようにして立ち上がり、夕焼けの滲む外へと飛び出した。逢魔ヶ時……妖の類に逢うにふさわしい、夕方のこと。




「もしかして、原さんですか?」


 どこから探そうか迷っている間に、後ろからふわふわした声が聞こえて肩が跳ねる。気まずいことをしているわけでもないのにそんな反応をしてしまう自分に腹を立てながら陽二は振り返った。


 声の主は、小柄な女性。黒いセミロングの髪をポニーテールにしてスポーティーな印象だ。


「私、神崎です。神崎(かんざき)恭子(きょうこ)。……覚えてませんか?」


ちらりと見えた不安そうな表情に記憶が蘇る。


「あ、病院の……」


「はい!」


 社会人になってから初めて事故に遭い、首を痛め病院に通っていた時によく話をしていた女性だった。もっとも彼女は病気の姉の看病をしていたらしく健康らしい。


「あのすみません、ここらへんで黒猫を……見かけませんでしたか?」


 話しながら、陽二は自分がテンジのことを「口うるさい黒猫」程度にしか説明できないことに気が付いた。そういえば、テンジに首輪を着けようなんて考えたことも無い。


「黒猫……! はいはいはい、見ました!」


 テンションが高い。うっすらと酒の匂いもしているようだ。日の明るいうちに呑んでいたらしい。だが神崎の酒飲み事情よりも、テンジの居場所の方が大事である。


「□□霊園の近くで……でも、うーんと……逃げちゃったので、近くの駅とか、商店街を探してみた方が早いと思います」


「ありがとうございます!」


「原さんちの猫ちゃんだったんですね。毛艶が良くて、とても大切にされているんだろうと思っていましたが」


「……もし本当に大切にしているのなら、こうなってませんよ」


 困り顔でこちらを見つめる神崎に、自分が失言したことを知った陽二はその場から逃げるように立ち去った。




 駅、商店街。車の下や、路地裏。神崎の言っていたテンジの、というより猫の居そうなところは手当たり次第探したが、どこにも見つからない。


 まさか車に轢かれて──陽二は嫌な想像を振り払うように頭を振った。ありえない、信じない、……信じたくない。


 ぐるりと町を一周し、陽二はいつの間にか公園にたどり着いていた。テンジと初めて会った場所。そう頭が理解した途端……どっと自責の念が押し寄せて、陽二は地面に膝を着いた。


 本当はずっと怖かったのだ。家族や友人と一緒に暮らしていたら、いつかとんでもない不幸を呼んでしまうのではないか。大好きな人を辛い目にあわせてしまうのではないか、と。だからテンジといる時は罪悪感などなかった。文句を言い合い、貶し合う。俺はこいつが嫌いなのだから、こいつが勝手に苦しい思いをしても何も思わない。だからテンジはここにいて良いのだと、勝手な都合を押しつけて自分の孤独を紛らわせていた。


 嫌いなやつと同じ釜の飯を食い、住処を共にするなんて続けられるわけがないのに。


 テンジは俺の浅ましい思いを分かっていたのだろうか。分かっていて、見限ったのだろうか。分からない。俺はあいつを分かろうともしなかった。


 今ここでテンジを探しているのは自身のエゴかもしれない。でも、薄っぺらい自尊心で包んだ言葉が最後になるのは、嫌だ。


「あの」


 呆然とした頭に、落ち着いたハスキーボイスが流れ込んでくる。瞬きをして、声の主の方を見た。


「いやぁ、なっさけない顔だねぇ、陽二くん」


 公園で遊ぶ子どもたち、それを見守る親たち。バスケの練習をしている中学生に、肩身の狭そうなホームレス。公園にいる彼らの視線をを気にする余裕など、陽二には無い。ボブカットの美女の手に抱かれているテンジを見て……陽二の涙腺は崩壊した。



 黒猫が不吉だ、っていう考えは海外のものなんだよねぇ。だからボクらも結構な風評被害を受けるんだぁんもぐもぐ。え? 日本だとどうなんだって? ふふふふん、逆だよぎゃーく。幸福を運ぶって大事にだーいじにされるのさ。陽二は全然知らなかったみたいだけどねぇんもぐもぐ。……陽二は獏ってしってる? ……そうそう、悪夢を食べてくれるアレ。じゃあ福猫、って知ってる? ……ふふふ、知らないよねぇ? 獏が悪夢を食べるなら、福猫は不運を食べるのさもぐもぐ。……ここまで言えば、キミでも分かるかなぁ? だから化け猫じゃないって言ったでしょぉ? 崇高な任務を務めるお猫様だって……え? 陽二君の不運を食べつくしたら? そりゃあ、新しい餌を求めてさすらうよん? ……でも……まあ……


 キミがどーしてもいてほしいなんて言うなら、こういう朝食を一緒にするのも悪くは……ないんじゃない?

アップルミントの花言葉 「かけがえのない時間」

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