熱
「あ……」
朝の気配を感じて目覚めると、懐かしい天井が俺を出迎えてきた。間違いない。ここは《ハーミット》の宿舎だ。天井まで蔦が伸びてきてるし色褪せてるし《エンペラー》の宿舎と比べるとボロだが温かみと味がある。お、扉がノックされてる。誰だろう?
「ウォールどの、入っていいだろうか?」
「シュルヒ……? あ、うん、いいよ」
シュルヒが入ってきたわけだが、すっかりいつもの彼女に戻っている。
「よく眠れたか?」
「うん、びっくりするくらい……」
俺は上体を起こすも、体は何故だかだるかった。頭も重い感じがするし多分風邪なんだろうけど、普通に会話もできるしそこまで酷くないはずだ。
「そうか、それならばよかった。例の発作のほうは……?」
「それも問題ないよ。それにしても俺、シュルヒの足手纏いになっちゃったな。協力するとか言っておきながら……」
「いや、どっちみち無謀すぎたのだ。こうして無事でいてくれて、それだけが救いだ……」
「「……」」
なんだか妙な空気になって照れ臭くなる。お互いに何か口にするのを待ってしまうような感じだ。
「ああいうことがあって、ウォールどのを救うのが先だと感じた。それに、あの発作を一刻も早く完治させねば大変なことになる……」
「それってどういうこと……?」
「強すぎるアビリティの中には、人格が入れ替わってしまうほど強い副作用があると元リーダーから聞いたことがある。放置すれば徐々に本来の人格さえも失っていき、いずれは別人になってしまう可能性が高いとのことだ」
「……なるほど、それで盗みたくなる間隔が少しずつ短くなってきてるのか……」
今やなんでも無差別に盗もうとする別人格のほうが強くなってる感じさえあるしな。しかしシュルヒの顔が浮かない。どうしたんだろう。
「シュルヒ?」
「あ、すまない。例の殺人鬼の正体がわかったのだ」
「え、誰だったんだ?」
「……リリアどのが、吐き気を堪えながらもみんなの前で話してくれた。向かってきた小舟には誰も乗っていなかったらしい」
「そ、それって、まさか……」
「グルーノどのの可能性が高そうだが、彼はそんなことをするような男ではないのだ。ゆえに信じられなくて……」
「シュルヒ……」
犯人が誰なのかはもう明らかなわけだが、それでも疑ってしまうほどグルーノの人柄が良いってことなんだろう。確かに直に話したときは俺も悪いやつじゃないと感じた。
となると、自分みたいにアビリティの副作用が原因なのかもしれないな。【仄身】という姿を隠す効果のアビリティなだけあって、副作用が出る際に自覚すらも消えてしまうタイプだと考えれば納得できる。
「副作用が原因なんだよ、きっと……」
「……信じたくないが、グルーノどのが犯人だと仮定するなら副作用が原因だと自分も思う」
「……厄介だな。アビリティの副作用っていうのは……」
「うむ……。とにかく、まずはウォールどのをなんとかするのが先決だ。人によって克服する方法は様々らしいが、元リーダーのアビリティ【慧眼】なら突き止められるはず。なのでこれから一緒に隠居したあの人の元へ行こう。ダリルどの、リリアどの、ロッカどのからも許可は得てあるのだ」
「……」
あれ、部屋の中がグルグル回ってるし、シュルヒが分身してる。眩暈か……。
「ウォールどの!?」
俺は気付くとうずくまってしまっていて、シュルヒに額を触られる感覚がした。
「……凄い熱だ。今日はもうゆっくり休んでいたほうがいい」
「……大したことないと思ったんだけどな。迷惑、かけっぱなしだ、俺って……」
「そんなことはない。自分のほうこそウォールどのには助けられてばかりだ。貴殿のおかげで自分は昔を思い出した。アリーシャがいた頃の温かみを思い出させてくれたのはそなただ……」
「シュルヒ……」
※※※
「お、おいアレ見ろ!」
「シュルヒ様がいないぞ!」
「ウォールっていう最近入った子も見ないわよ!?」
いつものように、《エンペラー》の宿舎前は多くの野次馬で賑わっていた。
「――お、おい見ろよ、ルーネ。やつがいない……!」
「……本当だ!」
バルコニーを指差すセインとルーネ。そこにウォールの姿はなく、それまでどんよりとしていた二人の顔が見る見る明るくなっていく。
「あいつがヘマやって追放されたとかならいいんだけどなあ」
「そうだといいけど……あ、リーダーのバジルさんが立ち上がってこっちに手を振ってるよ! 素敵……」
「おいおい……」
ルーネのものを含めて黄色い歓声が上がる中、バジルが何か言いたそうに咳払いしたので周囲が一気に静まり返っていく。これは彼が何か宣言する際に決まってやる合図のようなもので、頻繁に訪れる群衆たちもそのことをよく知っていたのである。
「みなさんには残念なお知らせかもしれません。シュルヒさんと新人のウォールさんは残念ながらパーティーを抜けることとなりました。お互いの意見の食い違いが生じたためです。悔いは残りますが、仕方のないことでもあります。なので、みなさん……くっ……決して彼らを非難なさらないようにお願いします……」
一瞬周囲がざわめいたあと、大歓声が沸き起こった。
「さすがリーダーのバジル様、器の広いお方!」
「抜けたやつは恩知らずだ!」
「「「そうだそうだっ!」」」
「俺を代わりに入れてください!」
「私でよければー!」
周囲が盛り上がる中、顔を見合わせてニヤリと笑うセインとルーネ。
「これで……いつでも手出しができるってわけだな」
「そうね……やられる前にやらなきゃ」
「そうと決まったら、ギルドへ行って情報集めといこうぜ!」
「……」
「ルーネ?」
「あ、なんでもない。ちょっとくらっと来ちゃって。でももうなんともないみたい」
「そうか、行こうぜ!」
「うんっ!」
上気した顔の二人は興奮冷めやらぬ様子で、野次馬を掻き分けるようにしてギルドへと向かったのだった。




