俺のワキ毛で地球がヤバい
赤い日の差し込む爽やかな朝、俺が着替えるためいつものように夜用ジャージ脱いでいた時だった。ふと両わきに違和感を覚えて確認してみると床に向かって黒い塊が垂れ下がってることに気付く。
ん? なんだこれ。
手にとって見てみるとそれは縮れた毛であり、俺の脇から生えている事が確認できた。そう、垂れ下がったそれはワキ毛だったのである。
そんな、ワキ毛が一晩で1m以上も伸びることなんてあるのか?いや一生かけたってそんなに伸びないだろう。ワキ毛にも何か事情があるのだろうが今はそんなことに構っていられない。
机の上のハサミを手に取った俺は先ず左の脇からハサミを入れた。ワキ毛は思った以上に剛の者で、まるで〆縄を切っているかのような手応えである。何回かに分けてようやく左脇を処理した俺が右脇の処理に取り掛かろうとした時、何やら不穏な気配を左の視界端に感じた。恐る恐る再び左脇に目を移した俺は血の気が引くのを感じた。まるで滝を流れ落ちる水のように左脇からワキ毛が溢れてきていたのだ。あっという間に部屋の床はワキ毛に覆い尽くされる。
「うわわわわわ」
情けない声をあげながら俺は再びワキ毛を切断しようと試みるが、あまりの剛毛っぷりに刃が通らない。明らかに先ほどより固くなっている。そうしている間にもどんどんワキ毛は伸びてきて、まるで水かさが増すかのように床から溜まり始めた。
まずい、このままだと部屋がワキ毛に埋め尽くされてしまう! そうなったら朝ごはんが食べられないどうしよう!
何か策があるわけでもなくアタフタと部屋を見回していた俺はまた一つおかしな物を見つけた。部屋の中央あたりに黒い円が浮かんでいたのだ。それは深い井戸のような暗さで、あたかも見ている人を引き込んでしまいそうだった。その円だけで大分おかしいのだが、もっとおかしいのはそこから人が飛び出してきたことだ。
円から飛び出してカッコよく地面に着地したのは女性だった。その人物は峰不二子みたいな服装で黒く長い髪を持っている。普段の俺ならうんこ漏らすくらいビビる所だが今ワキ毛に殺されかけている最中なのでさほど驚きはしなかった。小便ちびったくらいだ。
「脇谷くん! よく聞いて!」
女性は間髪入れずに口を開いた。ん? なんで俺の名前を知っているんだ?
「あなたのワキ毛で地球がヤバイ!」
その女性は眉間にしわを寄せて叫んだ。
「え? え?」
「このままだとあなたのワキ毛は伸び続け世界中を覆い尽くす。そうすれば人々は自分のワキ毛か相手のワキ毛か区別が付かなくなり各地で暴動が多発、やがて地球全体を巻き込んだ戦争に発展するわ」
「そ、そんな」
俺は混乱してへたり込んだ。俺の脇毛で、世界が滅ぶ――? そんな事になったら朝ごはんが食べられないじゃないか!
「そんなの嫌だ! どうにかならないんですか!?」
「まだ打つ手はある。脇谷くん私と一緒に来て!」
女性は俺の手を掴んで強引に立たせた。
「どこに行くんですか!?」
「ワキ毛賢者のところよ」
俺を抱えた女性は黒い円に勢いよく飛び込んだ。
***
連れてこられた場所、そこを一言で形容するならば「闇」だった。その空間はひたすら黒いため遠近感さえ分からない。床も天井も真っ黒なため平衡感覚を失ってしまいそうだ。ただ隣に立っている女性が見えるので光がないわけではなく一面が黒い空間なのだろう。
「ここにワキ毛賢者がいるんですか?」
「ええ。そのはず」
女性は俺の顔を見ず正面を向いたまま答えた。無表情な彼女の頬に汗が滴っている。ワキ毛賢者を恐れているのだろうか。
「誰じゃ。我がワキ毛空間に立ち入る者は」
突然背後から低い声がした。弾かれたように振り返るとそこには人、のような物が立っていた。そいつは頭に毛がなくケツの穴みたいな顔をしていて、ワキ毛が異常に長かった。その人物? に向かって女性が大声で訴えはじめる。
「ワキ毛賢者様お聞きください! この少年の脇から異常な生体エネルギーを観測しました! これは100年前の『尻毛大乱』のときに観測されたものと同じ波動です!」
100年前にも同じ事があったのか。俺の身体から伸びたのが尻毛じゃなくてワキ毛で本当に良かった。
「あの時は一億人の人類が犠牲になったんです。また同じ事を繰り返すわけにはいきません!」
ケツ毛やべえ!
女性の言葉を黙って聞いていたワキ毛賢者は俺の方をゆっくり向いた。
「無理じゃ」
「そんな!」
食い下がる女性を制するようにワキ毛賢者は続ける。
「これはワキ毛神の意志じゃ。ワキ毛神は人類に対して大いに怒っておる。人類の根絶を企てるほどにな」
ワキ毛賢者はさらに低い声でゆっくり言った。
「これは貴様ら人間がワキ毛をないがしろにした結果じゃ。貴様らはまるでワキ毛が汚い物であるかのように脱毛に次ぐ脱毛! そんなにワキ毛が憎いのか!」
ワキ毛賢者の怒りを表すかのように、突然、真っ黒だった空間が深紅に染まる。
「ワキ毛賢者様、落ち着いてください! 私たち人類とワキ毛は分かり合える、今までの歴史のようにこれからも共存できるはずです!」
「ほう、では女よ。貴様は一切脱毛などしておらんのだな」
「いいえ永久脱毛しています」
女性は突然真顔になった。
「やっぱり貴様ら人間はクソじゃ! おい小僧、喜べ!」
突然俺の方に話題が振られてビクッとする。
「お前の脇におるのは神! ワキ毛神じゃ!」
「……え? 俺の脇にワキ毛神?」
思わず自分の脇を二度見する。先ほどまで黒い空間にいたため気付かなかったが、やはり俺の脇からは滝のようにワキ毛が漏れ出ている。
「そうじゃ! その異常な速度で生えるワキ毛こそワキ毛神が人の世に顕現した姿! 貴様はワキ毛神の依り代として選ばれたのじゃ!」
そ、そんな……。
俺は絶望に飲み込まれそうだった。このままでは俺のせいで世界が終わってしまう。
「諦めないで脇谷君! ワキ毛賢者様お願いします、どうかワキ毛神の怒りを収める方法を教えてください!」
女性は諦めていない。この世界をワキ毛から救おうとしている。俺は顔を上げた。そうだ。他の誰よりも俺が諦めるわけにはいかないのだ。
「誰が教えるものか! そもそもそんな方法など存在せん! 諦めてワキ毛の裁きを受けるのじゃ!」
既に俺のワキ毛は腰のあたりまでカサを増しており、このままいけば世界を救うどころか俺たちが先にワキ毛の餌食になってしまう。
「何が神の怒りだ!」
俺は力任せに叫んだ。
「口を慎め依り代よ。ワキ毛神を崇めよ。ワキ毛神の意志に従うのだ!」
ワキ毛賢者はワキ毛のくせに尻の穴みたいな口で続ける。
「さあ祈れ!『ぐんぐん伸びるよワッキ毛ー』と! 何度も何度も叫ぶのじゃ! 貴様の神を称えるのじゃ!」
「ふざけるな!」
俺は人生で初めて他人に食い下がった。
「俺は絶対ワキ毛の思い通りになんかならない! 」
「受け入れよ! それが貴様の、人類の運命なのじゃ! さあ一緒に『ぐんぐん伸びるよワッキ毛ー』!」
ワキ毛賢者は地鳴りのように笑う。あふれるワキ毛は既に俺の胸のあたりまで伸びてきている。
「そんな運命なら、俺が変えてやる。神の意志だろうが怒りだろうが、そんなの俺には関係無え!」
俺は右手で左ワキ毛を、左手で右ワキ毛を掴んだ。
その瞬間ワキ毛賢者の顔色が変わる。
「何をする気だ!」
「毛根から全部引っこ抜いてやる!」
「よせ! そのワキ毛はすでに貴様の本体! それを抜くということはワキ毛神の命と同時に貴様の命も失われるという事、それでも良いのか!?」
そうか、これを抜いたら俺の命も無いのか……。
……それでも俺は世界を選ぶ! 命と引き換えになったとしても世界を救うんだ!
俺は手をクロスさせた状態ですべての力を腕に込め、二刀流の剣士が抜刀するようにすべてのワキ毛を一気に引きちぎった。
「そ、そんな、ぎゃあああああ!」
ワキ毛賢者は頭から溶け始めた。同時に真っ赤に染まっていた空間に天井からヒビが入り、地震のような揺れが俺たちを襲う。
本来ならばすぐ逃げねばならないのだろう。しかしワキ毛を全て抜き取った俺はまるで魂を抜かれたかのように力が入らず、惰性でワキ毛の海に沈んでいくだけだった。
俺は世界を救ったぞ。見たかこの野郎……。
***
気が付くと自室のベッドに横たわっていた。もしかしたら自分は幽霊なのではないかと頬っぺたをつねってみたがシッカリ痛い。
「……俺、生きてる?」
「ええ。生きてるわよ脇谷君」
気付けばベッドのふちに女性が腰掛けている。
「ワキ毛を抜いたら貴方が死ぬなんて嘘。ワキ毛賢者はハッタリを言っただけよ」
「よ、よかったぁ」
腹の底から安堵した。
「でも安心は出来ないわ。ワキ毛神は力を失っているけれど、いずれまた人間への復讐を企てるかもしれない」
そうなればまた俺も危険に晒されることだろう。だが俺は不思議と不安に襲われることはなかった。恐らく命を懸けた事で少し胆が据わったのだ。
「それはそうと脇谷君、さっきはちょっと格好よかったよ」
そう言って笑う女性の顔を見ていてると、またワキ毛でもケツ毛でも引きちぎれそうな気がした。
おわり
お読みいただきありがとうございました!