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花嫁のドレス

「なお」と言う名の可愛らしい女性。それはいつしかわたしの中でヘプバーンのイメージと重ね合わさっていた。タータンをデザインしたその女性は、アボット氏の心を奪ったその女性は、一体どこに居るのだろうか。そこまで考えて慌てて首を振った。

 違う違う。今はドレスに集中!

 ともすれば『まゆみ』の話していた女性のことで頭がいっぱいになってしまうが、今はそんなことを考えている場合ではなかった。

 ウエディングドレスの試着補正に予想以上に手こずっていた。

「千秋さん、痩せましたね」

 わたしは不格好に皺の出るドレスをピンでつまみながら千秋さんを見上げた。「ごめんね」と小さく謝りながらされるがままになっている彼女に苦笑するしかない。

 ヘプバーンのドレスにインスパイアされたウエディングドレスは数回に及ぶデザイン検討の末、千秋さんの一目惚れしたレースを使ったフレンチスリーブの襟付きのデザインに収まっていた。ふんだんにリバーレースを使った総レース仕様だ。背中に並べたくるみボタンとバックウエストのリボンが愛らしい。

 しかし、前回採寸したときよりもかなりサイズダウンをしている。既製品やレンタルのドレスのように、背中でレースアップをするタイプなら多少のごまかしはきくが、ボタン留め仕様でジャストサイズのドレスとなるとおかしな皺が入っているだけで一気に品格を失ってしまう。ボーンを入れるとなれば尚更だ。

 シーチングで組み立てておいて正解だった。心の中で安堵のため息を漏らす。

「お式までこれ以上痩せるのも太るのも禁止ですよ」

 念のために釘を刺しておく。

「せっかくのミモレ丈なんだもの、せめてもう少し足が長く見えるようにしたくって」

 その気持ち、わからないでもない。式まであと1ヶ月あまり。当日をベストな状態で迎えたいのはわかるが、体型維持も花嫁の立派な仕事だ。わたしは余計な皺をテキパキとつまんだ。

「千秋さんはそのままで十分素敵ですよ」

「縁さんはそう言うけれどね、仮縫いでこんなにきれいなドレスなんだもの。実際はもっと素敵になるってことでしょう? だったら、衣装をきれいに見せるのもモデルのお仕事じゃない?」

「花嫁はモデルじゃありません。それじゃわたしの仕事がなくなってしまいます。あなたを一番美しく見せるためにここにいるんですから」

 そう言うと、肩を小さくすくめる。

「殺し文句だわ。惚れちゃいそう」

 茶目っ気たっぷりに言う千秋さんは実際とても輝いている。

「あーあ。おばあちゃんが初恋の人と結婚してればなぁ。私ももうちょっと足が長くなったんじゃないかしら?」

 大きなため息とともはき出された言葉を聞いて、補正を眺めていた菜穂子さんが笑った。

「なにを言っているのよ。そんな昔の話」

「相手の方は背の高い方だったんですか?」

 何気なく問い返す。

「外国人だったんですって」

 千秋さんの継いだ答えに驚いて顔を上げる。

「外国人、ですか?」

「やめてよ千秋。恥ずかしいわ。もう六十年も昔の話よ。錆びついているわ」

 ヘップバーンの映画を一緒に観たと言っていたが、公開当初であれば確かに六十年は経っている。けれどその頃日本はまだ戦後の爪痕が大きく残っていたはずだ。そんな時代に外国人が容易に入国することが出来たのだろうか。その小さな疑問は、菜穂子さんが答えてくれた。

「彼は進駐軍の兵隊さんだったのよ。でもその頃は朝鮮戦争が始まっていたから、正しくは駐留軍だったのかしらね」

 記憶を呼び覚ますように時折目を細めながら、菜穂子さんは続けた。

「彼は諍いに巻き込まれた私を助けてくれたの。背が高くて青い目をした、とても親切な青年だったわ。軍服を着ていたものだから最初は怖かったけれど、彼は片言の日本語で大丈夫かと聞いてきてね。英語ばかりを話す兵隊さんとは違うのだと思って少し親近感が湧いたのを覚えているわ」

 うっとりと話す菜穂子さんの声に、ピンを止める手がいつの間にか止まった。

「映画もね、彼が連れて行ってくれたのよ。私は初めてだったから、人混みの中ではぐれないようにと手をつないだけれど、それきりだったわね。きっと迎えに来るよと言って彼は国へ帰っていったけれど、私はずっとからかわれているものだと思っていたの。だってとおも年の違う外人さんなんですもの。本気にしたら酷い目に遭うと思っていたわ。でも恋をしていたと気付いたときには彼はもういなかったから……。だから、儚い思い出よ。はじめから実るはずもなかったし、そもそも始まってもいなかったから」

「でも、忘れられずにずっと覚えているんでしょう?」

「年寄りは昔のことばかり覚えてるものなのよ」

 千秋さんが意地悪く問いかけると菜穂子さんは苦笑した。

「ずっと気になっていたのだけれど、あのチェックの生地、そのとき彼と話した色合いに似ているのよね。蘇芳すおう萌葱もえぎはなだの線を入れたのよ」

 そう言って『まゆみ』を指さした。

「重ね色目って知ってるかしら? 日本に昔からある色彩のこと。それを真似て作ったの。というのは建前で、よく山錦木やまにしきぎの新芽を天ぷらにして食べていたのよ。だからその色合わせも好きでね。確か、『まゆみ』って名前を付けたのよ」

 ビリビリと雷に打たれたような感覚があった。菜穂子さんがなんの話をしているのかわからなかった。初恋の話? それとも『まゆみ』の話? 震える指先を思わず押さえる。

「失礼ですが、菜穂子さん。あなたはその方に『なお』と呼ばれていませんでしたか?」

「え? ええ。『なほこ』って発音しづらいみたいで『なお』って呼ばれていたけど……。縁ちゃんにお話ししたかしら?」

 まさかこんなことがあるのだろうか……。

「その方の名前を伺っても?」

 不思議そうな顔をして菜穂子さんが答える。

「ハロルドよ。ハロルド……、なんて言ったかしら」

「……アボットではありませんか?」

 私の言葉に、話を聞いていた『まゆみ』が息を飲むのがわかった。

「……ええ、そうよ」

 訳がわからないというように、菜穂子さんは戸惑いながら答える。

 わたしは『まゆみ』に笑いかけた。

 ああ。君の運命は、どうやらここに繋がっていたようだ。

「運命というものがもしもあるなら、菜穂子さんは信じますか?」

 わたしはアボット氏と『まゆみ』のことを二人に話した。

 にわかには信じられる話ではないことはわかっている。驚きと好奇心に身を乗り出す千秋さんとは対照的に、菜穂子さんは戸惑いを隠せないでいた。

「アボット氏とお会いになりますか?」

 話の結びに問いかけると、菜穂子さんは困惑の笑みを浮かべた。

「会っても良いのかしら。もうずっと前の出来事よ。私のことなんて忘れているかもしれないし……」

「おそらく彼は、ずっとあなたのことを探しておられた。何年も、何十年も。生地が服に仕立てられるのを忘れてしまうくらい長い間。もちろん無理強いをするつもりはありません。菜穂子さんの意思を尊重します」

 しばらくの沈黙の後に、菜穂子さんは口を開いた。

「ねえ、千秋。今から招待客を増やせないかしら?」

 彼女さんの問いかけに千秋さんは満面の笑みでうなずく。

「もちろんよ、おばあちゃん」


 爪にひび割れがないか入念にチェックをして、手を洗う。髪を縛り上げながら作業所に戻ると、棚に置いていたレースの生地を手に取った。

【いよいよね】

 マダムが穏やかに声をかけてきた。

「必ず善き日を彩るための素晴らしいドレスに仕立てます」

 そう言うと、マダムは満足そうにうなずいた。

 ウエディングドレスの仕立てがいよいよ始まろうとしている。

 試着補正を経て修正したセカンドパターンをプロッターから出力した。

 まずは裁断だ。生地にゆがみが出ないようにするためには広く平らな場所での裁断が望ましい。しかし、作業台の上ではパターンが入りきらないので、床にハトロン紙を数枚敷き詰めての作業になる。もちろん靴など履いてはいられない。念のため新品の靴下に履き替えた。

 総レース仕様のため、見頃・袖部分はレースをあらかじめオーガンジーで裏打ちをする必要があった。裏打ち布がレースとよくなじむようにしていかないと、皺の原因になる。慎重にしつけ糸で仮止めしていく。

 裁断が終わると、今度は印付けだ。白く繊細な生地のためチョークでの印付けなどもってのほかだ。細番手の新品の梁と細い絹ミシン糸を使って縫いじつけをする。生地に動きが多く、しつけ糸がつれやすいので、ゆるめにかけるのがポイントだ。

 縫製は薄い生地のため、どうしても縫い縮みが出やすい。こんなときの裏技がある。細く切ったハトロン紙を布の下に敷いて縫うと縫い縮みが起きにくく、きれいに仕上がるのだ。

 次々とミシンをかけていると、作業を眺めていた『まゆみ』が近寄ってきた。

【とってもきれいだね。ぼくもこんな風になれるのかな?】

 その言葉に、わたしは顔を上げて笑った。

「どちらかというと、君は格好良くなるよ」

【『なお』が見つかったから、お父さんはもうぼくのことなんていらなくなっちゃうのかな?】

『まゆみ』が不安げに問いかけた。その顔があまりにも悲痛に満ちていたものだから、わたしは思わず腕を伸ばして彼を抱きしめようとした。けれど、伸ばした手は『まゆみ』に

 触れることなく空を彷徨った。わたしはその手を見つめて『まゆみ』に笑いかける。

「そんなことはないよ。アボット氏はどんなことがあっても君と一緒にいたいから、わたしのところへ来たんだ。たとえ『なお』が見つかったとしてもね」

【ほんとうに?】

「きっとね。『まゆみ』はアボット氏のことが本当に好きなんだね」

【うん。お父さんが大好きだよ。だから、笑っていて欲しいんだ。悲しい顔なんてして欲しくないんだよ】

 一体、『まゆみ』はどこまで知っているのだろう。アボット氏がもう長くは生きられないということを。おそらくなにか予感があったのだろう。だからこそ不安でずっと泣いていたのだ。だから……。

「それなら、ちゃんと笑っていてもらおう。悲しいことなんて消し飛ぶくらい幸せな笑顔で」

 そう言うと『まゆみ』は嬉しそうにうなずいた。

 時計の針がカチカチと時を刻む。丁寧にドレスを仕立てながら、この運命の行く末を思った。

 残された時間は多くは無いかもしれない。それでも、永遠に心に刻むことの出来る時間はまだ残されているはずだ。わたしはそれを掴みに行こう。


かなり無理矢理感満載でした(ーー;)

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