置き去りのタータン
サブタイに反して冒頭はウエディングドレスのお話です。
「ヘプバーンのようなウエディングドレスは作れるかしら? 五十年代にヨーロッパで流行ったようなドレスよ」
マチが連れてきた老婦人はソファに座るなりにこやかにそう告げた。
浅緑の紗の着物を涼しげに着こなしレースの日傘を差したその婦人は、原口菜穂子と名乗った。孫娘の千秋も来店する予定だったのだが、急な仕事で来られなくなったそうだ。
「ヘプバーンというと、ジバンシィの? 確かミモレ丈のバレリーナのようなドレスでしたね」
『ヘプバーン』『ウエディングドレス』『五十年代』と聞いて、真っ先にミュージカル映画『パリの恋人』が浮かんだ。そこで着用されたウエディングドレスは、フランスのファッションデザイナーであるユベール・ド・ジバンシィの作品だ。キュッとしまったウエストに、生地をたっぷりと使ったサーキュラースカートはまさにクラシカル・チュチュのようだった。永遠の妖精、オードリー・ヘプバーンのイメージにぴったりだ。戦後、クリスチャン・ディオールによってもたらされた「ニュールック」というスタイルを汲んでいる。確か、ヘプバーン自身の結婚式でもジバンシィのデザインしたパフスリーブのシンプルなドレスを着用していた。
わたしの言葉を聞いて原口夫人は嬉しそうに顔をほころばせた。
「話のわかる方だわ。あなたぐらいの年齢のお嬢さんだとヘプバーンを知っていても、彼女のウエディングドレスを知っている方はなかなかいないわ。あなたは違うようね」
「オードリー・ヘプバーンといえば今でもファッション界に影響を与える偉大な人物ですから。全てではありませんが作品はいくつか見させていただいてます。ですが、なぜヘプバーンのドレスを?」
「孫の要望なの。どうしても五十年代に流行ったようなヴィンテージ風のウエディングドレスがいいそうよ」
「なぜまた五十年代のドレスを?」
「それが笑ってしまうんですけど、私からドレスを受け継いだように見せたいらしいのよ。でも私が結婚をしたときはウエディングドレスを着るなんて方は滅多にいなかったし、私も当然のように白無垢だったから。そのときに着た白無垢は娘も着たの」
「素敵なご家族なんですね」
「そうなのよ、ありがとう。でもうちは女ばかりでね。私も娘も結婚には失敗してるのよ。それで孫は呪いの白無垢なんて絶対に着ないと言ってるの。だから和装ではなく洋装で式を上げると意気込んでいる訳。縁起がいいものじゃないから私も無理に勧められなくて」
確かに、その白無垢は夫人が言うように決して縁起が良いものではない。
「絶対に幸せになって、欧米のようにウエディングドレスを代々受け継いでいきたいそうなの。でも今時のドレスは露出も多いし、海外で安く作っているそうだから質が悪いのではないかと心配で。それで温かみのある手仕事のビンテージドレスにしようって。でもヴィンテージを扱うお店を探したのだけれど、なかなか孫の気に入るものがなくて……。だったらいっそオーダーメイドにしたらどうかって話をしたの。それなら気に入ったデザインで作っていただけるでしょう? だから多少値が張っても信頼の置ける方に作って頂こうと思ったの。それでマチちゃんが自分でウエディングドレスを作っていたことを思い出してお願いをしたら、適任者がいるってあなたのポートフォリオを見せてくれたのよ。シンプルだけど繊細で、孫もあなたの作品をとても気に入っていたわ」
お世辞だとしても、嬉しい言葉をもらってわたしははにかみながら頭を下げた。
「でも、本当に大丈夫かしら? 式まで、あと二ヶ月しかないのに」
「そこは心配しなくて大丈夫ですよ、菜穂子さん」
わたしの隣で話を聞いていたマチが嬉々として言い放つ。
「彼女、手が早いで有名なんです」
なにか、違う意味にも取れてしまうがするのだが、そこは深く考えない。原口夫人も納得している様子だ。わたしもにこやかにうなずいた。
「それでは原口様。早速、生地見本を取り寄せますので、今度はお孫さんと一緒にいらしてください。日曜日にお待ちしています」
そう言うと夫人はくすぐったそうに小さく微笑んだ。
「そんな仰々しく呼ぶのはやめて頂戴な。わたしのことはどうぞ菜穂子と呼んでください」
その言葉に戸惑いながら、わたしは改めて言い直した。
「菜穂子さん。また日曜日にいらしてください」
原口夫人、もとい菜穂子さんは快活な方のようだ。
さて、忙しくなりそうだ。
気合いを入れながら菜穂子さんを店先へ送る途中、彼女は唐突に言った。
「あのチェックの生地、とても素敵ね」
指をさしたその先には、先ほど老紳士が置いていったタータンがあった。
そう。問題は『まゆみ』と名乗るタータンだ。
アボット氏の姿が見えなくなってから、『まゆみ』はずっと泣きじゃくっていた。
【触らないで!】
『まゆみ』はわたしが触れようとすると金切り声をあげた。脳天を突き破るような声に耳鳴りがするほどだ。祥平ですら生地が刺さると言って触れるのを嫌がった。なるほど、おそらく他の仕立屋もこの生地を敬遠したのかもしれない。
「大丈夫なのかよ、こんなもん引き受けて」
祥平が嫌々ながらも帰り際に店内の隅に『まゆみ』を運びながら言った。
確かに、後悔していないかと問われれば無いとは言えない。それでも使命感が先にあった。
「一度引き受けたからには後には戻れない。前に進むのみ」
とは言ったものの、わたし自身ここまで言うことを聞かない布に出会うのは初めてだった。
せめて来客中は静かにしていて欲しいものだったが、結局菜穂子さんが帰るまで『まゆみ』はアボット氏を求めて泣き続けた。父を求める姿はまるで迷子の子供のようで、見ているのが辛くなってくる。そんな騒々しい気配を感じ取ったのだろう、菜穂子さんは帰り際に『まゆみ』に気を取られたのかもしれない。
「祥ちゃんとなにかあった?」
マチは何かが起きたことを察しはしたのだろうが、見当違いの言葉にわたしは思わず苦笑した。
「ちょっとね。クセのある生地が来たんだ」
そう言って『まゆみ』を指すとマチはニヤリと笑って小突いてきた。
「急に大繁盛じゃない」
まあ、確かにそうなのだけれど……。『まゆみ』に触れられない以上、なにも始められない。
しかし困ったことに、アボット氏に話を聞こうと置いていった名刺の電話番号にかけても一向に繋がる気配がなかった。仕方無くメールを送ると、翌日の朝に大まかな仕立て寸法が送られてきた。文末に「何卒よろしくお願いいたします」と書き込まれていたが、大まかな数字を元に引いたパターンなど、所詮は簡易オーダーでしかない。これでは仕立屋としてのプライドが傷つく。なんとしてでもいい仕事をしなければ。半分が意地だ。
だが、会いたいと伝えてもやんわりと断られるだけで、記載された住所をたずねても留守の上、オートロックマンションのため中に入ることすら出来ない。その上『まゆみ』も頑として生地に触れさせてはくれないので、困り果てていた。これでは八方ふさがりだ。
“これから昼飯いかね?”
そんなとき、祥平が連絡を寄越してきた。“悠長におまえとランチしてる余裕なんて無い”苛ついてそう返そうとして思い直し、メールを打ち替えた。
“情報あるなら行く”
「タータン登録所にない?」
わたしはテーブルの向かいに座った祥平の言葉を繰り返した。Bランチのオムライスを頬張った彼は大きくうなずいた。
『タータン登録所』正式には、スコットランド・タータン登録所だ。スコットランド国立公文書館の配下にあるタータン登録所には、スコットランドのみならず世界中のタータンが登録されてあり、そこに登録されていないものは正式にタータンを名乗ることが出来ない。現在はウェブサイトでの登録も可能で、毎年百五十種ほど新たに登録されているというのだが……。
「一万種近くあるんだよ! まさか全部調べたわけ?」
度肝を抜かれて声が大きくなる。人がまばらな昼下がりの学食によく響いた。
口の中のものを飲み下した祥平がしてやったりと得意げな笑顔を浮かべている。
「一応な。一通り見たよ。それから名前で検索したけど、やっぱり無かったな」
「つまり、『まゆみ』は正式なタータンじゃないってこと?」
「そうなるな。そもそも、あのタータンには名前が無いはずなんだよ。それを、あのご老人は『まゆみ』と名付けた。なぜ日本名を? 謎は深まるばかり」
「待って。名前は恋人が付けたって言ってた。『まゆみ』に発音が近い英単語なんて聞いたことある?」
「無いなあ」
祥平の言葉にわたしは大きくため息をついた。
「なんだよ。情報があるって言うから来たのに、完璧に骨折り損。オムライスの五百五十円返せ!」
全く。こっちは連日耳鳴り酷くて食欲もわかないというのに。かじりかけのエッグタルトを投げつけたくなる。そんな苛つくわたしを落ち着かせようと祥平は頭をぽんぽんと叩いてきた。
「まあ、待て待て。それだけだったらわざわざ学校に呼び出さないよ。もう一つあるんだよ。よーく思い出して見ろ。あのご老人はそもそも誰に紹介されてきたのか」
そこまで聞いて、わたしはハッと息を飲んだ。
「猪瀬先生……」
「ご名答!」
「ばーさんならなにか知ってる可能性高くねーかと思って」
そこで言葉を切ると、祥平はわたしの背中に向かって手招きをした。振り返ると、そこには猪瀬先生がいた。
「相変わらず仲がいいわね。お二人さん」
猪瀬先生はわたしたちを見比べると意味ありげな笑みを浮かべた。
「夏風邪をこじらせて入院しているみたいよ。お見舞いに行こうかしらって話をしたら、長居するつもりは無いから来ないでくれって」
アボット氏のことを聞くと、猪瀬先生はけろりとした顔で教えてくれた。
「お互い年だから、調子が悪いだのは日常茶飯事。いちいち騒ぎ立てるなってね。どうも消化器系が弱ってるそうよ。年取るとね、夏の暑さが胃腸に来るのよ」
そんなことを言いながらレバニラ定食をペロリと平らげる猪瀬先生は、とても胃腸が弱そうには見えない。
「それからね、あの画廊売りに出すそうよ。もう年だから若い世代に譲りたいって。昔のよしみで安く個展を開かせてもらってたけど、これからはどうなるかしらね」
「年取ったから、お国へ帰るのかね」
祥平がぼそっと呟いた。
「あら。彼、日本に帰化しているはずよ」
猪瀬先生の言葉に、わたしは首をかしげる。
確か、アボット氏は三ヶ月後にここを離れると言っていた。口振りから察するにもう戻ってこないような印象を受けたのだが……。それならば、一体どこへ行くというんだ?
オードリー・ヘプバーン可愛すぎです(*´∀`)