決意のコート
「簡単にあきらめていいのか」
祖父の声がうつむくわたしの頭の上に降ってくる。
「せっかく自分の店を持ったというのに、そんな簡単にあきらめていいのか?」
覚悟を問う祖父に「あきらめたくない!」と正面を切って言いたかったが、現実の厳しさを知ってしまった以上そう簡単に言える言葉ではなかった。
スツールの上で無理矢理正座をしているせいで脛がジンジンと痛む。だがそれも仕方がない。始めから説教をされたくてここで祖父と向き合っているのだから。
恐る恐る顔を上げて祖父の様子をうかがうと、残高が少なくなっていく一方の預金通帳を見て渋い顔をしていた。
「こんなことなら、早まって前の職場を辞めなければよかったんだ。店を開くにしても入念に準備をして、機が熟したら辞めればよかっただろう? 仕事が嫌だったから店を開くというのは、完全に逆だろう」
そんなことは言われなくてもわかっていた。でも、どうしてもあの職場で仕事をするのが嫌だった。あの頃、自分でしていたことを思い出すとゾッとする。
ファストファッションの忙しない服が苦手だった。「人と布が気持ちよくいられる服を作りたい」と意気込んで入社した中小企業のアパレルメーカーで、パターンナーとして働いていたのだ。
服飾学校を卒業したばかりのわたしは、将来の希望に目を輝かせていた。のだけれど。アパレルメーカーで働くことがどういうことなのか、わたしにはわかっていなかった。
そこは完璧に画一化された世界。
前例のないことを極端に恐れるありきたりなデザイン。生地の性格、特性を無視したパターン。価格競争の果てに取引先の顔色伺いをした結果の粗悪な素材。
現実を知って愕然とした。服は、ただその形に縫ってあればいいというような扱いに嫌悪した。
どうしてこんなに酷いことが出来るの?
布だって人と同じ。個性があって、夢がある。
「ここがあたしのいいところよ」
「こんな形になりたい」
全てが上等な素材なわけではない。けれど、それぞれの良さを引き出してあげれば良い服になるはずなのだ。
それを壊して、のっぺらぼうなクローンを次々と作り上げる。
なんてむごいことをしているのだろう。
人の手によって生み出され、人の手によって壊される。
わかってはいる。服は家具とは違って長く使えるものではない。いつかは別れなければならないときが来るのだ。けれど、そのときまで大切に着て彼らに敬意を払う。
そんな理想を粉々に打ち砕かれて、それでもわたしは必死に働いた。いつか、自分の王国を持つために。
お金を貯めるためだけに残業も休日出勤も積極的に引き受けた。なにも考えず、ただ会社をまわしていくためのネジになりきって。
だがあるとき、デザイナーが持ってきたサンプルを見て凍り付いた。生地はよれ、しわが寄り、縫製もいい加減だ。それだというのに、デザイナーは「好評だったから同じパターンで作りたい」と言った。
「これが?」
まるでハンガーに磔にされているようだ。恨めしげにわたしを見つめるその服は、数シーズン前に自分が作っていたものだった。
やっと自分のしていることに気がついた。わたしはこんなに酷いものを作っていたのか。耐えられなくなって、すぐに仕事を辞めた。
予定よりも早く仕事を辞めてしまったせいで貯金は目標額にまで達していなかったが、友人たちの助けもあってなんとか仕立屋を立ち上げることが出来た。念願だった自分の王国だ。
当然のことながら、仕立屋を始めたからと言って仕事がすぐに舞い込んでくるというわけでなかった。数ヶ月の間は自分で納得の出来る、心地のよい服をとことんまで突き詰めて作った。素材を自分で吟味し、布と対話しながらパターンを引く。もちろん縫製も手を抜くことはない。数年間、CAD(コンピューター支援設計)仕事ばかりをしていたせいですっかり錆びついた縫製技術を取り戻すためのリハビリでもあった。そうやって制作した作品を、ポートファリオにまとめた。
半年間ほどはそんな調子でも充分やっていけたが、一年を過ぎる頃になるとさすがに苦しくなってきた。貯金は減っていく一方。服を作るのは想像以上にお金がかかるのだ。
四苦八苦するわたしを見かねた学生時代の恩師、猪瀬喜久子先生が、母校に併設されている服飾博物館の臨時学芸員の職を紹介してくれたおかげでなんとか食いつないでいくことが出来たのだが……。夏期の間は学生実習が入るため、七月から九月の間は食い扶持がなくなってしまうということだ。休憩所で途方に暮れていると、通りがかった猪瀬先生が「どうせなら、別のメーカーでやり直したら?」と言ってきた。
「パターンナーは新卒より、実務経験があった方が優遇されるから」
そんなことを言われても、わたしはもう酷い服を作るのはこりごりだった。
「いえ。一人の方が気楽です」
首を振ると、猪瀬先生は苦笑して腕を叩いてきた。
「腕がいい分、枠にはめられるのは向いてないのよね、あなたは」
腕がいいのも、枠にはまらないのも、それは全てわたしの持っている個性のせいだ。「そんな個性など、なければよかった」と、思わないこともないが、その個性のおかげで随分助けられたのも事実。特別憎んではいない。
「聞いているのか。縁」
唐突に祖父の声が響いた。
「わざわざ呼び出しておいて、その態度はあんまりだな」
祖父は呆れながら作業台に出しっ放しになっていたパターンナー募集のチラシを手に取った。「考えておいて」と猪瀬先生が持ってきたものだった。
「まあ、縁なら苦もなく出来るだろうが……。おれがもう少し長く店をやっていたらな」
チラシを片手に、ポートフォリオにまとめるための写真や仕様書を眺めてため息をついた。
「おまえの作った服をおれの洋装店に置けなかったのは、唯一心残りだったよ」
わかってる。何度も聞いたから。病院のベットの上で、祖父は何度も繰り返していた。わたしだって祖父と一緒に洋装店を切り盛りしていきたかった。
サーキュレーターのモーター音がかすかに響く。わたしは汗ばむ手を握りしめて、顔を上げた。
「おじいちゃん、わたし、あきらめたくない! おじいちゃんがずっと守ってきたこの場所で、仕立屋続けたい!」
「やっと言ったな」祖父はそんな顔をしていた。
「かけがえのない一着を作るんだぞ」
「わかってる。もう、半端なものは作らない」
本当は答えなんて最初から決まっていた。あきらめるつもりなんてなかった。ただ、祖父に背中を押してもらいたかっただけだ。決して後戻りしないために腹を据えたかった。
「お客が来たようだ」
不意に祖父が言った。ハッとして顔を上げると、戸口に幼なじみの村田マチが立っていた。
マチはわたしの顔をまじまじと見つめた。
「とうとうおじいさんに泣きついたのね」
一拍おいてうなずく。
「まあ、ね」
わたしはしびれる足をスツールから下ろし、壁に掛けていた男物のチェスターコートをそっと手に取った。学生時代に、初めて祖父のために仕立てたコートだ。だが、このコートが祖父への最後のプレゼントになってしまった。
祖父はもうこの世にはいない。わたしがまだ学生だった六年前に亡くなっている。どうやらこのコートは祖父の心を写し取っていたらしい。ときどき出してきては、こうして話をする。そんなことが出来るもの、わたしの変わった個性のおかげだった。
それは、「布の声が聞こえる」という個性だ。
本来であれば、熟練の職人が経験を重ねて得ていくものをわたしは幼いことから当たり前のように知っていた。生地の特性、相性、デザイン性そういったものを、経験ではなく布自身に聞いていたからだ。彼らはわたしにそっと教えてくれた。どうしたらきれいなドレープが出るのかを。どうしたら最適なパターンを引けるのかを。けれどそれはわたしにしか聞こえない囁きだった。
祖父のコートを丁寧にクローゼットにしまうのを見て、マチがたずねた。
「おじいさんは、なんて?」
「かけがえのない一着を作れって」
「じゃあ、もう決めたのね」
「うん。仕立屋、続ける」
わたしは橘縁。仕立屋『StandBloom』の店主だ。
果たしてタイトルはうまく起動するだろうか?