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第1章 〜邂逅〜 第1話

くゆらす煙のようにかたちのない私は、ただ曖昧な大気に溶け込み、目を瞑る


あの懐かしい温もりに触れたのはいつの日か

静寂しじまの裂け目で、ひたすら月を数える


慈悲無きうつつことわりは、私を暴き、手足にくさびを打ちつけた


風は嘲り、烏は罵る

花は俯き、鼠は孕む


みる炎に炙られて、心ない鎚に叩かれて、私の剣はようようその様相を露にする


水面でれた薄氷に似て、果敢はかなく脆い鋭利な刃


玻璃はりのように澄んだとて、虚妄にまみれて汚さらば、誰が触れると云うのだろう



■■■■■■■■■■



 数多あまたの棘を持つ鞭のように鋭い風が、無慈悲に少女の身体を打ち据えた。

 ボロ布一枚を纏う彼女にとって、痛烈な寒波の下僕は、敵意をもって牙を剥く野獣のごとき外敵にほかならない。

 

 この北国生まれの冷酷なる使者は、低山地の尾根伝いに南西に向かって吹いている。それが北ザルツァイ山脈にぶつかると、そのまま山腹を滑走し、冷気を着重ねて南部の山間に至る。


 そんな風の収束地である山と山の裂け目に、一本の街道の中継となる小都市が無防備な佇まいを見せていた。

 ザルツァイ山脈を背に南方へと扇状に城壁を建立して囲ませた高地都市ザファケル。


 さながら狼風は、身を細くして器用に裂け目をくぐり抜け、その爪牙をもって領内に来襲するのだ。


 少女はその身を締め付けるように両手で抱き、町の中央広場を引きり歩く。


 ひゅん、と何かが目の前をよぎった。


 空空カラカラと石畳を転がるつぶて

 見やれば、肌に斑を浮かべた半裸の男が祈るように投擲していた。

 どこぞで見た顔だった気もするが、もう憶えてはいない。


 少女は思った。もし自分よりも不幸な人間がいるならば彼のような者だろうと。凶悪な死病に罹患し、なす術なく身が朽ちるのを待つ破目になった彼のような者だけだろうと。

 家族に捨てられ、身ぐるみを奪われて、死に瀕してまだなお、神のため異端者につぶてを打つのだ。


 四方に走る大通りの中心に位置するこの広場は、石造りの内城壁に囲まれ、端々に砲台を備えながらも、今は穏やかな空気を湛えている。


 東西に敷かれた大通りは、すなわち中指街道をなぞったものであり、南に向いて階段を一段降りれば市庁舎と商工組合会館が横並び、二段降りれば住宅街や宿場町がある市街、町内唯一の自治区域である森精霊祠堂アルヴェルタへ続く道が、さらに降りれば巨大な外城壁と、その陰には無秩序にこびり付いたカビのように貧民達の住居区が広がっている。


 広場の中央には王都でも名高い古ウィクトレア朝様式の噴水。さらに北を見上げれば遥かなる山脈を背にし、二つの塔に挟まれた貴族街の入口である北大門が頑強な構えを見せている。

 その脇には直立不動の警備隊士。そぞろ続く道路が貴族街の門を抜け、最奥の領主館へと至る大階段となってうねり延びていた。


 大階段を踏む手前で折れる側道の先には三つの鐘を掲げる大カダルタ教会がそびえ立ち、建物の脇には死紋病により息絶えた斑点模様の遺体が折り重ねられている。敢えて死のピラミッドを衆目に晒しているのだ。

 昨年に比べればその数も随分少なくなったが、もう少し積まれれば、彼らは僧侶の手によって天を目指し燃え上がるだろう。


 つい先ほど日に4度鳴る大時鐘の3つ目が鳴り響いたばかりで、余韻を残しつつ、かすかな揺れを見せていた。

 

 街の中心に敷かれた大路にほとんど人の姿はない。


 行き交う人々の目を引くことに夢中な旅商、大衆に囲ませて説法をする哲学者、旅の森精(アールヴ)に出くわし慌てて祈りを捧げる信者、石畳の上で騎士遊びに夢中な子ども達、かつては、きっとそんな人々の営みが見られたことだろう。


 少女は枯れた噴水台に座り込んだ。

 台座中央にす祈りの聖女ノエルの彫像は、両膝を地につけ、空を仰ぎながら諸手を胸の前に突き出し、掌を天に向けて開いている。


 彼女は日照りの苦しみから町を救うため、ザルツァイ山脈の霊峰に一人登り、山頂で命が尽きるまで祈りを捧げたという。この町は、こうした殉教者の加護の下でその繁栄を謳歌してきたのだ。


 天の恵みを掬おうとする聖女の掌を一雫の雨が打った。


 やがて発発ポツポツと街路を打つ雨音と、巡回警備隊の冷たい闊歩が広場に虚しく響き始める。

 

 そして、少女はこの静けさの中でもう一つの気配を感じ取っていた。


 影が彼女の目に届く。旅装に身を包んだ人の影だ。

 少女は素早く頭巾フードを目深にして身体を丸めた。骨骨(コツコツ)と石畳を鳴らす靴音が近づいてくる。

 ふとした拍子にその音がこちらに向かって早まり出すと、少女は心の中で舌打ちした。


 足音が止まると、一拍置いて男の低い声が聞こえた。


「この季節のザルツァイの風は身にこたえるな。どうせなら春先に訪れたかったものだが」


「・・・・・・」


 少女の返事がなくとも男は続けた。


「な、君。いつまでもそうしてると風邪を引くぞ?」


 少女は観念して目を合わさないように僅かに頭を上げた。旅装にしてはやや派手な白銀色の外套に身を包み、腰に片手剣を携えた男の姿が目に入る。視界に映ったのはその半身程度だが。


 少女は何か答えるべきかと考えたが、面倒くさくなってもう一度頭を引っ込めた。


「親御さんはいないのかい?この街は今だ警備が厳しいようだ。一緒にいたほうが良いだろう」


 流行時は重度の戒厳令が敷かれた。疫病の蔓延を防ぐため、ザファケルの領主は必要以上に人と人が接触することを禁じ、路上に倒れる者を隔離し、また外来者を取り締まる措置を講じたのである。その名残で警備はいまだ手厚い。

 それでもなお外部から城門をくぐることができたこの男は何者なのか。


 彼女にはどうでも良いことだった。


 少女はふらりと立ち上がり、台座から飛び降りると愛想も返事もなくその場を離れようとする。しかし、ふらつく足を引っ掛けたのか、前のめって転んでしまった。


「む、怪我しているのか?」


 旅人が駆け寄ると少女は首を背け拒否を示したが、代わりに腹が返事をした。


グウゥゥゥゥ・・・


 ばつが悪そうに、少女は黙ってお腹に手を当てる。


「なるほど。空腹ってわけか。よし。ここに干し肉と乾餅カンパンがいくつかある。食べる暇なく着いてしまったんでな。君が食べてくれないか?」


「・・・・・・」


 少女は少し逡巡したが、結局黙ってそれを受け取ると乾餅カンパンを一枚頬張り、残りを懐に突っ込みながらかろうじて聞こえる独り言のように呟いた。


「ありが・・・とう」


 男はやっと声を聞けたことが嬉しかったのか、深くうなづいた。


「気にすることはない。これも主の思し召しさ。元気が出たなら・・・交換と言ってはなんだが、少し案内を頼めないか?この町の宿場街に行きたいんだ」


 その問いに、俯いたまま、腕を持ち上げ、旅人が来た道を指差す。


「あっちのほう、か?それだけではちょっとな・・・。本当は領主に用があるんだが、謁見の前に宿を押さえておきたいんだ。この町の顔役の商会主ダントンと言う男に融通を図ってもらうつもりなんだが、知ってるかい?」


 その言葉を聞いた途端、少女はあからさまにビクンと肩を跳ね上げた。そして小刻みに身体を震わせ、怒りと悲しみを綯い交ぜにしたような声を漏らしたのである。


「・・・ダントンの仲間か・・・ッ・・・」


 少女の肩に触れようとした旅人の手を、少女は明らかな敵意を持って弾いた。

 面食らって呆然とする銀装の男を尻目に、少女はその脇をすり抜け歩速を早めていく。


 旅人は、唖然としながらも、少女が頑なに自分を見ようとしないことを怒るよりも訝しみ、訝しむ以上に憂えた。きっと、今この少女の中では退っ引きならない問題が起きていて、それ以外のことを考える余地など無いのだと。


 ともあれ、このままでは心境的に落ち着かない。男は気を取り直して少女に声をかけようとしたところ、彼女の足を止めたのは思いもよらぬ方向から飛んできた言葉だった。


「おい、そこの旦那。こいつにはかかわらねぇこった。どんな呪いをかけられるか知れたもんじゃねえぜ?」


 声の方に振り向くと、薄笑いを浮かべた道辺暮らしの物乞いが酒瓶をあおったまま瓶底を差し向けている。


「そのガキは魔女なのさ。疫病以上の疫病神ってか。こいつにかかわると最後は呪いで殺されるってもっぱらの噂だ。今やって来たばかりのお前さんだって多分例外じゃないぜぇ・・・けけ」


 旅人は怒気を含めた声で言葉を返した。


「この子が魔女か。お前は魔女という言葉の忌まわしさを、その歴史を知らんのか?」


 男は物乞いの言葉に憤慨を覚えつつ少女に気を遣ると、予想に反して彼女は狼狽うろたえもせず沈黙している。


「そうだ、ひひ、パトリク親父の刑は決まったかい?さすがに恩赦にはならんよな!一体いつやるんだい?」


 その言葉を聞いた途端に、少女は今までの冷静ぶりを投げ捨て、声を荒げた。


「ッ!パトリクおじさんは無実よ!絶対釈放されるわ!」


 刑?恩赦?釈放?

 何事にも興味無さげな態度を取る少女が豹変するほどの問題らしい。身内に罪人がいるのか?


 旅の男が口を開きかけたその時、今度は2頭の馬蹄の音が二人の喧騒を掻き消した。


「おい、お前達!何をしている」


「あ、この魔女ガキめ。またうろちょろしているのか」

 

 治安部隊の巡回衛士が3人の声を聞き咎め、馳せ参じたわけだ。

 二人の衛士は、鉄製の兜をかぶり、胸当て、四肢にも同じく鉄製の防具を備えた程度の簡易装備の出立だったが、ともに槍を手にし馬上の身ごなしは悪くない。おそらく都市部の民間自警団ではなく、れっきとした領主仕えの兵士なのだろう。

 だが、何を思ったか彼等は到着するや否や、さも当然とばかりに馬上から少女を罵倒し始めたのだ。

 彼らの心眼には、目の前の少女が野良犬か何かの姿になって映っているかのようだ。


「オマエは、まだ人様の前にその姿を見せていいと思ってんのか?」


「また前のようにぶちのめしてやろう」


「いや、俺はもう触りたくもないぜ。そうだー」


「待て。いきなり何を言い出す。無茶はよせ!」


 旅人の声を歯牙にも掛けず、衛士の一人は軽く手綱をしならせ、きゃくで馬の腹を締めた。


「せやぁ!今日は魔女を蹴飛ばしてやる!」


 なんと無茶なことをするのか。問答無用で騎馬が少女に向かって突っ込んでくる。


「おい!何を考えてー」


 旅装の男は意味が分からず呆気にとられていたが、すぐに身を硬直させ動けない少女の気配に気付き、咄嗟に身を捻って彼女を抱きかかえると、一直線に迫る馬の体当たりをすんでのところで躱した。


「この馬鹿がっ!避けなければ死んでいたぞ!」


「ふん。邪魔立てするな余所者め!」


 もう一人の衛士が手にした槍を横薙ぎに振り回すと、あわや旅人はそれを横転して潜るように避けた。


「くっ」「きゃあっ」

 

 少女は男とは逆の方向に身を投げ出して避けていた。


「ふざけー」


 再び立ち上がろうとした瞬間、馬上から槍の穂先を突きつけられ、男はピタリと動きを止めた。


「おっと、剣を抜くなよ。今のは警告だからな。抜けばどうなるかは分かるだろう?お前はそこで阿呆になった気分になって、ただじっとしとけ」


 よく見ている。男は手を掛けた腰の得物を抜くことも手を離すこと制止されたのだ。


 かたや少女も見えない殺意に当てられ、明らかに身体の自由を失っていた。騎馬の重量が圧殺の力を蹄に込めて迫り来る。この恐怖は大人といえどそう耐えられるものではない。


「ほれ、行くぞー。魔女、どうした。抵抗もできないか?」


「やめ、やめてったらー」


「そりゃ、今度はこれだ!」


 衛士は再び手綱をしならせると、馬を嘶かせ威嚇した。


(いい加減にー)「鎮まれッ!!」


 旅の男は素早く腰の片手剣を外すと、思い切り鞘ごと地面にぶつけた。

 その瞬間、石床には奇妙な模様の亀裂が入り、一瞬遅れて落雷のような音が轟き響いた。


「ひぐわア!?」


 衛士は半身の重心を崩し、無様に馬鞍から滑り落ちる。

 騎馬は慌てて小さく前脚を掻きながら静かに着地すると、耳を伏せてこうべを垂れたきり動かなくなった。


「な、なな何をしたー」


 転げた衛士が兜をずらし半身を起こしながら、素っ頓狂な声を出した。

 それもそうだろう。彼らの中の常識では、旅人の動作とその結果がまるで結びつかないはずだ。この因果の線上にある要素は、精霊の力でも魔術の力でも、無論ただの人の力でもないのだから。


 旅装の男は衛士のあまりの理不尽さに、明らかに激昂していた。


「貴様らふざけるなよ。この少女が何者かは知らんが、街を歩いているだけで殺されてよい筈がなかろう。いや、それを守るのが貴様らの役目だろうがっ」


「く、くくぅ、他所者が街の治安に口を挟むな!お、お前もしょっぴかれたいのか!」


 大層な口を!ともう一人の衛士が手槍を構えた時、ほぼ同時に、あ!と驚愕の呻きがほとばしった。


「おま!あ、いえ、き、貴殿はもしや、グリエマ参謀長様の・・・」


 衛士の一人が恐る恐る声に出した言葉に、男は少しだけ落ち着きを取り戻した。


「聞き及んでいたか。いかにも私は亡き参謀長ケルベス=グリエマ殿の後継。中央教皇庁から来た修道士ニコラス=アルツァスだ。知れたところで貴様らに問おう。この少女は何故このように嫌われ、蔑まれているのか。この腕や足には無数のつぶての痣がある。誰も彼女を守る者はいないのか?」


「や、それは・・・」


 少女は顔を上げ、庇って立つ男の横顔を初めてはっきりと目にした。

 自分のために怒りをあらわにするこの正義漢は、くすんだ金髪を壮年男のように撫で上げているが、意外なほどに若かった。


 その性根を表すように筋が通った高い鼻を中心に彫の深い顔立ちにはどこか野生的な色気があり、諸処に見える大小のきずあとが戦場の空気を感じさせる。ただ、やや吊り上がった冷徹で計算高そうな目が彼の言動にはどこか不釣り合いなように感じられる。


「アルツァス・・・様!た、大変失礼いたしました。まさかお一人で徒行なされておいでとはつゆとも知らず・・・不埒心得違いの数々どうかお許しを!」


 2人の巡回兵は電光石火の早さで馬鞍から飛び降り、這いつくばるように頭を下げた。


「いや、今そんなことはどうでもいい。この少女のことについてただしていることに答えろ」


 衛士たちは雨も寒さも忘れ、顔を熱くさせた。


 少女は、というと冷たい怒りを示すその貴族らしき男の節くれ立った手を白痴のように眺めている。


 呆気にとられた顔を酒瓶で隠しつつ、そそくさと声なく退散していく物乞いを尻目に兵士は絞るように声を出した。


「はい。さればお話しいたします。ですがこの雨空。まずは領主の館にご案内を」


「いらん。目通りの日はまだ先だ。はぐらかすな」


 兵士は、益々身を縮こませながら、思いつく限りのもてなしを提案したが、頑固なこの客人は首を縦に振らない。仕方無く、少女共々この新任の参謀長を隊の屯所に招くのであった。


・・・・・・


 衛兵達は、広場からすぐ近い内城壁の内部に造られた屯所に二人を通すと、手拭いを渡した。

 彼らが入るのと入れ違いに慌ただしげに出て行く兵士もいた。


「よく出入りがあるのか?」


「いえ、今日は珍しいです。どうも門兵が生き倒れを保護したようで、先ほど出て行ったのはその身分調査に向かったようですが」


「そうか。一応まともに仕事はしているようだな」


「や、それはもちろん・・・」


 屯所の中は完全な一部屋の間取りで、奥には都市部の地図と思われる作戦机と4脚の椅子があるほか、家具というべきものは一切無い味気ない空間だった。


 衛士は石壁の掛け金具に手持ちの槍をかけると椅子を引いて手振りで着席を勧めた。そして、ニコラスが促すまでもなく、兵士はこの少女がザファケルに現れた日のことを語り始めた。


ーー2年程前のことだったかと。たった一人で町の酒場に姿を見せたこいつは、父親を探していて、その場にいる飲み客に問いかけてきたようです。初めは同情を見せた飲み客達でしたが、頭巾を被ったまま顔を見せないこいつをついからかいたくなったのでしょう。

 衛兵は言葉を止め、当時を再現するかのように、少女の被り物を強引に剥ぎ取った。


「いやっ!返して!」


「おい、乱暴は・・・」


 ニコラスは、自分の言葉がぶつりと途切れたことに気づいただろうか。驚きとともに、初めてまともに見た少女の容貌は予想すらしていないものだった。

 

「お分かりになられましたか?この髪、この目が魔女と言われる所以ゆえんなのです」


 確かに納得した。

 少女が今まで目を合わせようとしなかった理由も、なぜ皆が彼女を魔女と呼ぶのかも。


 やや紫がかったさざなみのような銀髪、ウサギのように真っ赤な虹彩。

 王立魔道研究所において実証された、魔術を行使した人間の特徴と酷似している。


 少女の燃えるような瞳が憎々しげに冷たい光を放っている。


 言葉に詰まるニコラスの姿に、衛兵は幾分か溜飲を下げた面持ちで言葉を続けた。


ーーそれから間もなくのことです。頭巾を奪った男をはじめ、その場にいた者が次々と発病した。死病の戒厳は何年も昔に解除されていたにもかかわらずです

 その日を境に再び死紋病にかかる者が後を絶たなくなりました。病魔は復活したわけです。そして、こいつは今もなお健在でいる


「アルツァス様はお分かりになりますか?一度は解放されたと信じたあの病にまたも襲われるこの街の悲惨さが!?」

 

 この悲痛な声は当然だった。ニコラス自身、何度もこの鬼病によって友人知人を失い、悔しい思いを味わってきたことはもちろん忘れてはいない。


「・・・パトリクという者とは?」


 先ほどの物乞いの言葉が頭に浮かび、ニコラスは脈絡なく質問した。


「アルルの身元引受人です。酒場に居合わせた際にこいつをかばって、世話をし始めた奇特な男ですよ。もう一人娘がいて生活も苦しいはずの煙草露商ですがね。ああ、現在は魔女嫌疑で拘留していまして」


「アルル?」


「あ、失礼。こいつの名です。引き受けた後もパトリクが発症していないのは、つまり、同族であろうという嫌疑です」


「なるほどな。だがお前達は勘違いしている。疫病はたとえ魔女といえど管理できるようなものじゃない。近年の神教乖離思想は冒険者に知恵を与えたぞ。今までの魔女と呼ばれた人物による呪術の正体は、個人に対し調合された毒物を放つ精霊術を用いた儀式だと実証されたんだ。死紋病はマナの腐敗の影響を受けた不特定多数が罹患するものだ。この少女の力でどうこうできるものではあるまい」


 冒険者とは、険しきをおかす者。険しきとは未知未踏のものだ。それは単に山海地の開拓に限らず、日常に潜む事象の因果の謎を解き明かすことでもある。


 これまで自然界の謎とは、あまねく神の御業として、宗教的価値観のもと立ち入ることすらはばかられてきた。

 しかし、およそ10年前に何の前触れも無く蔓延した死病は、人の心に絶望をもたらすと同時に神への懐疑を植え付けた。どれだけ祈り縋っても神がその奇蹟を与えぬのならば、自ら森羅万象の法則を究明し、これをもって死を超克するほかやるかたなし。追いつめられた人間の一部にこうした理念を抱き、神への精神的依存から離脱する思想が芽生えた。

 彼らは周囲から神教乖離思想家と呼ばれ、また既存の冒険者とも区別され、あるいは教会から背徳者の烙印を押されたのである。

 そんな冒険者らが優先的に取り組んだのは、害悪魔法マレフィキウムの科学的実証にほかならなかった。

 彼らは、今でこそ世間的にある程度の地位を確立しているが、その礎となったのは、悪魔崇拝者や悪魔契約者又は魔女が用いる魔術や呪術と呼ばれたものの原理解明に成功した魔道研究者だったのである。


 これはある意味必然的なことで、彼らは自らの所為が害悪でないことを世間に示さないことには理想への到達はおろか道を歩くことすらできなかったからだ。

何より悪魔契約者として、あるいは魔女として謂われのない罪で裁かれた仲間の無念を晴らさんがためであったことは言うまでもない。


 残念ながらニコラスの力説は教養無き衛兵達の心には響こうはずも無く、彼らは戸惑いながらもできるだけ淡々とした口調で先を続けた。


ーーパトリクを正式に通報したのはダントン商会のグエコという男でして。グエコは、パトリクが悪魔崇拝者である根拠として、彼が露店で売り捌いていた薬煙草に目をつけたんです


 薬煙草に含まれる薬草の成分を解析したところ、“夢霧草”という精神撹乱剤が含まれていたようでして


 疫病蔓延のどさくさに紛れ、薬として麻薬の類を販売するとは外道の所業なり。と、新しい領主様の怒りは大変なもので、即座にパトリクは召し捕られ投獄されたんです


 そこまでに話が至り、ついにアルルは沈黙を破った。


「おじさんはダントンのやつに嵌められたのよ」


 一同の目が少女に向けられた。

 アルルは俯いたまま、床に向かって言葉を吐き続けた。


「本当よ。おじさんは、偶然ダントンと帝国の男が話をしている現場を見てしまったの。それを知ったあいつは、おじさんに濡れ衣を着せて亡き者にしようって魂胆なのよ」


「帝国だって!?」

 

「聞くに及びませんよ」


 場に響いた声の主は、扉を押し開いて現れた新たな衛兵だった。彼が身につけている皮鎧の胸には、市章と並び衛士長の焼印がくっきりと刻まれている。


 この国では身分を示す為に、必ず公的着衣に職位を表す焼印を押す慣習がある。これを烙証印スティグマタ制度と呼ぶのだが、本来罪人に押されるべき烙印を正統な政事に用いるのは、この国の創始者が元奴隷の身であったことに由来する。


 二人の衛兵は、素早く立ち上がり敬礼をした。


「貴殿は?」


「この屯所の責任者。衛士長のバラク=ロッキンダムと申します」


「この度ルクセンカッツェ公の招請を受け、グリエマ参謀長の後を継ぐことになった中央教皇庁のニコラス=アルツァスだ」


「アルツァス卿。この田舎までようこそおいでくださいました。卿がこの屯所にいらっしゃる事情は、部下から既に聞き及んでおります」

 

(ロッキンダム・・・どこかで聞いた名だが)


「卿はよしてくれ。出自は平民なんだ」


 バラクと名乗った中年男は、余計な言葉は不要と言わんばかりに兵隊らしい小気味好さで即答した。


「では、アルツァス殿。この少女の言葉を信用すべきではありません。魔女の戯言です」


「衛士長。あなたまで“魔女”か・・・」


「おじさんは!直接あいつらが話してるのを聞いたの!帝国が襲撃してきてからでは遅いのよ。さっさとおじさんを解放して、ダントンの取り調べを始めなさい!」


 アルルは目を鋭くして二人の会話に割って入った。火が点いたら止まらない性格のようだ。


 やれやれ、と衛兵たちは一斉に肩を竦める。


「パトリクは取調官の前では否定もせず黙秘していると聞いているぞ」


「え・・・うそよ。なんで」


「さてな。言い逃れをしたらボロが出ると思ったのだろう。時間の問題だ。このままダンマリではいずれ拷問にかけられるのではないか?」


「そんな・・・」


 思わぬ反論に、アルルはもはや同様も隠せず、その赤い目をうるませた。


「バラク殿、相手はまだ小さな女の子だぞ」


「魔女ですよ。まったく度し難いことだ」  


 少女を微塵も信じていない目で吐き捨てる。


 その時、アルルのこぼれそうな涙を拾ったのは、屯所の扉を鈍鈍どんどんと叩く音と、女の怒鳴り声だった。


「アルルが世話になってるって!?」


 無遠慮に扉を開け大股で入り込んできたのは、赤いリボンを首に巻いた小柄な女性だった。


「カタリナ。これで何度目かね」


「バラクさん、迷惑かけますよーだ」


「姉様・・・」


 アルルの目が申し訳なさげに光を失う。


「君はこの子の身内か」


「ん?見慣れない顔ね。あんたもいたいけな少女をイジめるのが得意な下衆男?なら、アタシが相手になるわよ?」


「おっと」


 ニコラスは素直に驚いて見せた。顔を合わせた女の目は、消沈の街には似つかわない程に強い意志を秘めていたからだ。その背丈と鼻周りの雀斑そばかすは少しばかり幼い印象を与えようものの、その身のこなしと衛兵に向かって啖呵を切る度胸が年の頃をかさ増しして見せていた。


「バカモノ!!この方は新しい参謀長様だ。ふざけた口を聞くとその赤巻が鉄の輪に変わるぞ!」


 バラクに代わり衛士が顔を赤くして恫喝した。しかし、カタリナと呼ばれた娘は鼻で笑って切り返す。


「ふんっ、それは結構ね。新しい参謀長様なら、是非この腐った支配構造を壊す政略を練って欲しいもんだわ」


「ふふ。こりゃ手強そうな姉君だな」


 ニコラスは感心してにやりと笑った。馬鹿丁寧な対応より喧嘩腰に絡んでくる相手の方が好感を持てるのは、やはり自分の性根が同類だからだろう。


「アルル!まったく。だから歩き廻るなって」 


「ごめんなさい」


 少女は縮こまって素直に頭を下げた。どうやら姉には随分と信頼を寄せているようだ。


「カタリナといったな。俺は教皇庁のニコラス=アルツァスと云う者だ。ここでの所用はもう済んだ。実は先刻君の妹に頼んだものの断られてしまったんだが・・・宿を探している。どうやら君のほうが宿場町は詳しそうだし、案内を頼めないか?」


「・・・参謀長様」


 カタリナは斜に構えていた身体をニコラスの正面に据え、彼と妹を交互に見較べた。

 品の良い亜麻色の髪を三つ編みにして団子髪シニヨンに巻いているからか、正面から見れば短髪の少年然としており、濃い眉と爛々と光る大きな瞳がますます年不相応の意志の強さを思わせる。


「うん?」


「見れば長旅から到着されたばかりのご様子。さぞお疲れのことでしょう。超絶に人見知りの妹が、珍しくも比較的貴方様の近くに立っていることからも、恐らく助けの手を差し伸べていただいたものかと。誠にかたじけのう存じます」


 急に改まった態度にバラクの片眉がピクリと動く。


「されど、宿場町はアタシども家族の敵のねぐら。どうしてのこのこ参ることができましょうや」


「なるほど。君もアルルと同様、ダントンとやらの目論見を疑っているのか」


 ニコラスはふと溜息を吐くと、外套マントの前止め金具を外し、広げて見せた。

 一同は、彼の所作にピンとこなかったのか、ニコラスが着込んている使い古されたなめし皮の胴衣に注目したが、そこに焼き刻まれている双頭の一角獣ウニコル月十字紋ルナクルクスに気づくと、揃って驚きの声を上げた。


「え、これって!」


「まさか!」


「中央のーー」


「聖騎士!!」


 バラクまで声を上げ、目を剥いた。

 

 この国の教会騎士とは、教皇庁から要請を受けて王政機関より派遣される騎士を示す。そして彼らの胸に刻まれた一角獣ウニコル紋と月十字ルナクルクス紋の重ね押しは、中央すなわちディケロニア烙聖国教皇庁の教会騎士の身に押印されるものであることは子どもでも知っている。


 皆が驚いた理由はそこではない。


 建国以来、政教一致を貫いてきた本国であったが、近年、歴史の軋轢から王室と教皇庁とが相剋しているこの時代において、"双頭"の一角獣ウニコルを紋章に組み入れることを許可されている騎士とは、謂わば両体制の揺るぎない信頼を得た、特別な存在であることを意味するのだ。


 このような人物を、人は畏敬を込めて、聖なる証を刻まれた騎士即ち『聖騎士』と呼んだのである。


「こんなものにぶら下がるのもどうかと思うが、この紋章にかけて君らを守ることぐらいはできそうだ」


 カタリナの目がきらりと光った。これは思わぬ拾い物だとでも言いたげな怪しさを伴って。


「でしたら、アタシ達のねぐらに参りませんか?おもてなしいたしますわよ」


「こ、こら!貴様、悪巫山戯わるふざけにも程があるぞ!」


 今度こそ衛士長の雷が部屋中に鳴り響いた。

 カタリナは鬱陶しげに手を仰いで続ける。


「中央の聖騎士様は、田舎の不浄女ごときはお見捨てになってしまわれるのですかぁ?」


 半分皮肉を込めて言った科白の筈だった。聖騎士のちょっとした狼狽を拝んでやろうと。


「・・・アルルは君の仕事を?」


「知ってるわ」


「神は人を職業で差別したりはしない。仕事の助けは出来ないが、言葉に甘え今日のところは君のねぐらに参るとしよう」


 思いがけず即答を受けて、カタリナは無意識のまま首に手を当てた。

 売春婦は外出時に必ず赤い色のリボンを身につけなければならない。娼婦たちが着る薄着の着衣では焼印を押せない為に作られたこの国の規則の一つだ。


 カタリナはこの町に住む僧侶どもの人でなしぶりを、身をもって知っている。真面目を絵に描いたようなニコラスの表情を窺いながら、彼の言葉をぐるりと頭の中で一回りさせた後、初めて笑顔を見せた。

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