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第六章 その手が掴むもの

 ……彼女を失った日のことを、決して忘れない。

 その出会いは、必然と呼ばれる種の運命だったと後から知った。

 まるで、歪な鏡を見ているような光景。色を反転させた、もう一人の自分。

 彼女との約束の場所、約束の時間よりも少し早くやってきた、ただそれだけのこと。誰もいないはずの場所に、その相手がいる。

 知らない相手。触れることも、近づくこともできない。予期していなかった遭遇に、体は警戒に固まる。

 一体どれくらいそうしていたのか、記憶の中では、そんな空白は無意味でしかない。彼女が現れた、その決定的な瞬間しか、もはや記憶していない。

 彼女の口から、その名が語られる。

 ――なるほど。

 静かに、理解する。

 その名は、彼女の口からすでに聞かされていた。その存在が自分とどういう関係にあるのか、知識の上では、もう知っている。

 だから、相手の正体がわかってしまえば、後のことは容易(たやす)い。彼女に導かれるままに、自己紹介をする。握手は、結局しなかった。まだ、そんなに親しい間柄でもないのだから。

 ――二人とも、仲良くする。

 それが、彼女の提案。笑顔で言われて、それを断ることなんてできない。相手も同じ意見なのか、二人して、うん、と頷いた。

 ――彼女と過ごした日々に。

 もう一人が加わった――。

 それが、新しい日常。

 彼女からいろいろなことを教えてもらうことは変わらない。しかし彼女の隣には、そのもう一人の姿がある。こちらが彼女に問いかければ、向かいの相手も同じように彼女に問いかける。新しい話を聞きたいとせがめば、あちらも別の話をと声を上げる。負けじと、負けじと。それは、お話の中で聞いた魔術師の決闘に似ていた。

 ――順番。順番。

 彼女は微笑み、そして話し出す。自分にも、相手にも。そしてそれは、二人一緒に。

 お互い、魔術師のことも家のことも、よく知っていた。それは彼女から教えてもらったことなのだと、なんとなく気づいていた。

 ――自分の存在意義。

 ――相手の存在意義。

 互いに同じ目的に向かっていても、その役目は異なる。それぞれの家の名前、それが異なるだけで、その役割は大きく異なる。

 ――そう。

 同じ形をしていても。

 身にまとう色が異なるように――。

 彼女と一緒にいるときは、二人とも同じ知識を得ていった。彼女とさよならをしてそれぞれの家に帰ってからは、互いに家の役目のためにと没頭する。そこだけが違っていて、それがゆえに決定的に違っていくもの。

 そびえる塔の形は同じでも、その色は次第に自身の色に染まっていく。それは競うように、互いに高く、もっと高く、と。ともに、一つの頂点を目指して。

 目指すものは同じだと。望むものは同じだと。――願うものは同じだと。

 そう信じていた幼い頃。彼女を中心に、三人はともに歩いた。握った手はいつまでも離さないものと、それは信じるまでもなく、疑うことのない――。

 ……そこは、暗い祭壇。

 魔術師として育った自分たちは、それが何なのか、知識の上では知っている。あらゆる古文書を呼び、あらゆる文献を漁り、あらゆる図面に見入っていた。だから、それが特別な魔術の儀式だということはすぐにわかった。

 特別――。そんなふうに見えるのに、自分たちにとっては馴染み深いもの。いや、これからそれが当たり前になっていく、掌大の大魔術。

 ――暗い祭壇。

 ――仄かな松明。

 ――()じれた輪。

 ――ウロボロス。

 儀式の中心に描かれた、歪な輪。それが描くは、禍々(まがまが)しきウロボロス。暗い祭壇に、しかし松明の明かりなど役に立たない。

 捩じれて、いく。消えて、いく。碾臼(ひきうす)みたいに、ゴリゴリ、と。

 これは、次へ向かうための儀式。魔術師がさらなる高みを目指すための、一種の儀礼。

 祭壇に捧げられるモノは、決まっている。生け贄は、声を上げない。それが役目だと、もう知っているかのように静かなもの。……いや、そうではないことを、自分たちはよく知っている。

 目を塞ぎたかった。耳を塞ぎたかった。しかし、それは許されない。次代の担い手たる自分たちが、そんなことをしてはいけない。

 魔術師とは、永遠に高みを目指す苦行者だ。一つ積んでは次の子へ託し、また積んでは次の子へと。永遠に、永遠に。どこまでも、どこまでも……。

 果てはない。終わりも見えない。

 ――不死の象徴などではなく。

 それは、無限の檻――。

 また一つ、階段を昇る。また一つ、塔は高くなる。――また一つ、世界へと近づく。

 それは、何を望むもの――?

 それは、何を目指すもの――?

 初めて、振り返る。

 ――歪な輪の中心に。

 彼女の亡骸(なきがら)が、静かに横たわっている――。


 目を開けると、路貴(ろき)の前には薄暗い闇があるだけだった。

 ……寝て、たのか?

 体を動かそうとして、ぎしりという痛みが走る。ああ、そういえば縛られてたんだっけ、なんて、まるで他人事のように思い出す。

 栖鳳楼(せいほうろう)家の、どこかの部屋。白見(しらみ)の町の、血族(けつぞく)の屋敷。そこに、いま路貴は囚われの身だ。別に、誰の助けも期待していない。路貴が捕まっていることを知っているのは、捕まえた栖鳳楼本人のみ。路貴がいなくなって気にかける人間なんて、誰もいやしない。

「…………」

 嫌な顔が浮かんで、路貴は短くハッと息を吐く。

 王貴士(おうきし)は今晩、雪火夏弥(ゆきびかや)楽園(エデン)を賭けた勝負を挑む。全てが、この一夜のうちに決まる。あらゆる決着が、たった一瞬で着いてしまう。

「知ったことか……」

 吐き捨てる。

 あいつの決着なんて、知ったことか。あいつがどうなろうと、それこそどうだっていい。ただ……。

 路貴は目を閉じ、意識を研ぎ澄ます。大分奥の部屋に閉じ込められたのか、周囲に人の気配はない。呪術師が探るのは物音ではなく、人の気配そのものだ。感情や思考、それが少しでも漏れているなら、路貴は見逃さない。

 さらに、路貴は魔術の気配も探る。栖鳳楼が立ち去った後にも確認はしていたが、部屋の周囲には魔術的な処置は何も施されていない。

 ――不用心だ。

 目を閉じたまま、自身の手元に意識を向ける。後手で縛られていた手に、いつの間にかナイフが握られている。

 呪術師にとって物質に直接影響を及ぼすのは難しいが、このナイフには路貴の呪詛が沁み込んでいる。扱いは、自分の手の延長のよう。三分かけて、路貴は束縛を断つことに成功する。

「――――チッ」

 一瞬ふらつく。一日身動きできなくてこの様かと、つい舌打ちしてしまう。

「メシくらいだせよ。……ああ、腹減った」

 路貴は携帯電話を確認する。知り合いがバイトの関係で連絡を取るためにと、路貴に渡したものだ。もともと、路貴が名継(なつぎ)の家にいた頃に使っていたものは、置いてきた。当然だ、家の連中にバレないように飛び出して来たのに、追跡手段を残すようなことはしない。

 時間は、あと少しで日付をまたぐ頃。まだ時間はあるが、そう呑気にかまえてもいられない。なにせ、路貴はまだ二人の勝負の場所を知らないのだから。

「――始まる前までに、見つけてやる」

 路貴は部屋を出る。確認通り、外には誰もいない。そもそも人が使わない場所なのか、明かりの一つも見えない。

 だが、ずっと闇の中にいた路貴にはむしろちょうどいい。その闇の中へと、路貴は躊躇うことなく姿を消した。


 時間を(さかのぼ)り、ここは雪火家。夕食が終わり、片付けも終わった頃。

 夕食後のお茶を、ローズは珍しく断った。いつもなら食後の一休み、なんてことをする時間なのに、それすらない。

「さあ、夏弥。特訓を再開するぞ」

 ローズはすでに、やる気満々だった。対する夏弥は、しかし急に動き出すことができず、まだ座ったままだ。

「夏弥?」

「ああ、わかってる」

 ようやく、重い腰を上げて夏弥も立ち上がる。

「でも、間に合うのか?」

 つい、そんな愚痴が漏れてしまう。

 朝から始まった夏弥の特訓、新しい魔術である『具現』の習得。夕飯が終わり、辺りはすっかり暗くなったというのに、一度も成功を見ていない。残りは、あと六時間ほど。それまでに、夏弥は自分の武器をこの手に掴まなければならない。

「夏弥が自分を信じられなくてどうする。夏弥はただ、自分自身を信じて集中すればいい」

「そりゃそうなんだけど……」

 そもそも一日で新しい魔術を体得しようなんてこと自体が無謀だったのではないか、とは流石(さすが)に口にしない。夏弥が現在身につけている魔術も、使い物になるまでに一週間くらいかかったのだと、そんな弱音は表に出さない。出さないが、その事実は夏弥の身に染みついているから、愚痴も出るというもの。

 夏弥の態度に気づいて、ローズはまるで関係のないことを口にする。

「夏弥、手を出せ」

 唐突に言われて、夏弥は対応に困る。なおもローズが言い募るから、夏弥は言われたとおりに右手を差し出した。

 ローズの左手が、互いの指を絡めるように握り返してくる。

「……!」

 突然の状況に、夏弥は反射的に身を引いた。なのに、ローズは逃がすまいとさらに夏弥の身体を引き寄せる。

 男の夏弥とは明らかに違う感触。柔らかいとか細いとか、これが女の子の手の感触かと、(じか)に感じ取れてしまう。

 こんなに細くて、少し力を入れたら壊れてしまいそうなのに、その白い手はしっかりと夏弥の手を捕えて離さない。夏弥が逃げてしまわないように、より強く握り返してくる。まるで心臓まで握り締められているみたいに、呼吸が苦しくなる。

「おいっ、ローズ…………」

「――俺と夏弥の間には縁がある」

 夏弥の動揺など無視して、ローズは落ち着いた声で呟く。

「式神の俺と、主人(マスター)である夏弥とを繋ぐ縁。どんなに遠く離れていても、お互いを知ることができる結びつきだ。より強く繋がっていれば、相手の思考や感情までも感じ取れるだろう」

 式神とは、主人を助ける存在。主人の魔術の手助けをし、さらには主人の危機に気づきいち早く救うもの。

 ゆえに、式神と主人の間には縁が存在する。それは目に見えるような形をもったものではなく、それは結ばれた者同士でしか感じることができないモノ。

 魔術は系統だった学問だから、それを絆と呼ぶのは理知的ではない。それは、互いの肉体(からだ)精神(こころ)に根差したモノ。お互いの位置を知るなどは基本的なことで、肉体の状態、すなわち傷や疲労、魔力の消耗具合を感じ取り、精神の状態、すなわち動揺や恐怖、喜びも哀しみまでも共有するとされている。

 それは、実際には契約の証でしかない。主人と従者マスター・アンド・サーヴァント、その関係を強いるためだけの、見えない鎖。

 そんなものが、しかしローズにとっては貴いかのよう。まるで、その縁を尊ぶように、ローズは目を閉じる。夏弥も倣って、目を閉じる。感じるのは、右手に絡められた彼女の感触と温もり。

 ――いや、それだけだろうか。

 不思議と、気持ちが安らいでいく。(しん)から、燃えるように熱いのに、それは柔らかく温かいものだと、魅入ってしまう。

 言葉にしてしまったら嘘みたいだから、夏弥は口を閉ざす。ただ、自分の(なか)に流れ込んでくるこの感情に耳を傾ける。まるで、あらゆる境界が融けてしまったかのよう。自分と彼女、それを隔てるものはなく、お互いに、お互いの声を聴く。お互いの温かさに触れて、お互いが貴いと信じるものに羨望の眼差しを向ける。

「――俺を信じろ」

 その声は、自然と夏弥の胸の内に落ちていくように転がる。本当に、その声だけで今までの不安とか疑心とか、そういうモノが溶けてなくなってしまったみたいに、軽い。

「夏弥は、何も迷わなくていい。俺が請け負う。俺が支える。俺は、たとえどこにいたって、夏弥の隣にいる」

 (こた)えるべき言葉を、しかし夏弥は口にしない。口にするまでもなく、それはお互いが知っている。彼女が口にしたことは、夏弥もまた口にすること。だから、語る必要なんてない。

 彼女が呟いて、夏弥が想って――。

 彼女は願って、夏弥は応えて――。

 それを、お互いに()っている。お互い、疑う必要なんてない。――だから、迷うなんてことはしないんだ。

 ……ふっ、と。

 彼女の指から力が抜けるのを感じる。名残惜しくて、離れたくないのに、夏弥の指からも力が抜けていく。何も語らずとも、それだけでお互いの気持ちなんてものが、通じ合えたみたいに。

 離れた手を惜しむように、指先が彼女の熱を最後まで引く。目を(つむ)ったままでも、その距離がわかるよう。そして、何の合図もないのに、二人同時に瞼を開ける。交差した視線に、夏弥は瞳で頷きを返す。

「わかった」

 二人は、距離を開ける。けれど、もう何も不安に思うことなんてない。目を閉じても、わかる。お互いの存在が、こんなにも近くに感じ取れる。

 だから、迷わない。信じることが、できる。互いの言葉が、口にする前からわかるみたいに、胸の(なか)に縁の川が流れるように。

 ……よし。

 心の中で、一つ頷いて。

 夏弥は目を瞑り、そして特訓を再開する。

 ――さあ、イメージしろ。

「――さあ、イメージしろ」

 ――それは、自身の一部。

「――それは、自身の一部」

 ――手の延長線上。

「――手の延長線上」

 ――それは、敵を滅ぼす凶器ではなく。

「――それは、敵を滅ぼす凶器ではなく」

 ――己が意思を告げるモノ。

「――己が意思を告げるモノ」

 ――代弁ではない、語ることもない。

「――代弁ではない、語ることもない」

 ――それは、自身の意思と等価な存在。

「――それは、自身の意思と等価な存在」

 ――救済を……。

「――救済を……」

 ――破壊のために非ず、殺戮のために非ず。

「――破壊のために非ず、殺戮のために非ず」

 ――そう、決意した意思のあるがままに。

「――そう、決意した意思のあるがままに」

 ――願いを力に、祈りを形に。

「――願いを力に、祈りを形に」

 ――自身に告げる。

「――自身に告げる」

 ――自身に命じる。

「――自身に命じる」

 ――自身に、問う。

「――自身に、問う」

 ――おまえは、迷うか。

「――おまえは、迷うか」

 ――おまえは、迷うな。

「――おまえは、迷うな」

 ――迷うことなし。

「――迷うことなし」

 ――さあ。

「――さあ」

「「――イメージしろ」」

 刃の無い剣、恐怖を象徴しない武器、薄く伸ばされた鋼の板、華美な飾りはなく、それは機能だけに忠実にあればいい。

 その機能、それは夏弥の心を映すモノ、それは夏弥の意思を複写したモノ、ゆえに夏弥の手の延長となり、夏弥の魔力も術式も受け入れる、どんな物質よりも夏弥に近い、(いな)、夏弥と等価なモノ、損失もなく、貪欲さもなく、それは呼吸するように、それは視るのと等しく、聴くのと等しく、触れるモノは夏弥自身の皮膚感覚と同等、発するモノまで夏弥と同質の色を帯びている。

 夏弥自身がこの世に存在する唯一無二であるように、その手に掴むその在り様もこの世で唯一の存在となる。

 それは、存在する。

 形があり、質量があり、感触があり、温度があり。

 心があり、思考があり、意思があり、感情があり。

 この世に存在するということ、すなわち衝動があるということ、それは誰の衝動か、誰からの衝動か、あらゆる原初、あらゆる起源、全ての存在には(いん)があり願いがあり祈りがあり、ゆえに存在する全てに相応しい歴史がある。

 ――だから。

 イメージする――。

 それを担うもの、それを創るもの、抱えるもの、帯びるもの、歩んだ道を()る、どこまでもどこまでも続く旅人の道、やがて至る最果てへの(しるべ)

 それが夏弥の歩んだ道、それはこの存在が歩む道、その歴史を、その命を、その意思を、その衝動を。

 ――それには、原初がある。

 ――それには、起源がある。

 それは、存在する。

 伸ばした手の、その(なか)に。握りしめる、その細い柄。灼熱するようなその熱さに、その確固たる存在を示す鼓動を聴く。もう一つの手で刃に触れる。洗練された薄さ、峰から刃にかけては夏弥の掌よりも大きい。刃渡りは一メートルよりも長い。触れずとも、目にするまでもなく、夏弥はその刃を思い浮かべることができる。剣の形をしているにもかかわらず、その刃に鋭利さはない。薄く伸ばされた鉄の板のように、どこまでも均一で、とてもモノを斬るためのものとは思えない。

 両手で、柄を握り締める。まっすぐ持てば、それほど重さは感じない。しかし長剣であるがゆえに、振ったときには体が持っていかれる。その認識のとおりに、体は自然と低くかまえる。長剣に相応しく、柄も長い。刃も柄も同じ色、同じ素材で、剣というよりは剣を模した鉄の板のよう。とても何かを断ち斬るためのものとは思えない、刃の無い剣。

 夏弥は目を開けた。

「――――」

 目を開く前から思い描いていたモノが、夏弥の目の前にある。

 部屋の明かりに照らされて、その鋼色は光を反射する。刃も柄も、その一色に塗りつぶされている。凝った飾りも模様もなく、剣という形だけを持ったような鉄の板。大剣の部類に入るのに、そこに威圧的な雰囲気はない。

 明かりを跳ね返すその切っ先には刃がない。本物の剣を知っている人間が見たら、作り途中か出来損ないの剣と(わら)うだろうか、呆れるだろうか。

 ――けれど。

 夏弥は胸の内で、一つ頷く。

「――これが、俺の剣、か」

「そうだ。それが、夏弥の武器――」

 不思議と、達成感のようなものはない。新たな魔術を習得し、こうして武器を手にすることができたというのに、夏弥の心にあるのは安堵にも似た静けさだけ。

 ――確かに。

 夏弥は納得する。

 ローズの言うとおりだ。もう、これだけで十分。試す必要なんて、ない。これが夏弥のイメージしたものなら、まさしく夏弥の手の延長線上にある存在。なら、試しに振るう必要なんて、ない。夏弥はすでに、この武器の扱いを十分すぎるほどに心得ているのだから。


 (なか)ば放心気味の夏弥の耳にチャイムの音が届く。それで意識が戻り、夏弥はゆっくりと視線を上げる。もう一度、チャイムの音。夏弥は焦ることなく、玄関へと向かう。引き戸を開けると、彼女は当然のようにそこにいた。

「夏弥、時間よ」

 栖鳳楼は勝負に臨むときの、あの真剣な眼差しで夏弥を見返す。

「準備は……………………できてる、のかしら?」

 栖鳳楼の視線が、自然と夏弥の右手に納まった剣へと向かう。栖鳳楼の眉が不思議そうに寄るのを、まあそうだろう、と夏弥は心の内で笑みを漏らす。

 そんな彼女に示すように、夏弥は自信を込めて頷く。

「ああ。バッチリ、間に合った」

 栖鳳楼はまだ夏弥の剣の検分を止めない。たっぷり一〇秒観察したのちに、ぽつりと声を漏らす。

「変わった武器ね」

 そうだろうな、と再度夏弥は胸の内で笑う。刃のない剣、大きい割に質量を感じさせないように薄い。凶器にはほど遠い、武器と呼べるかもわからない、剣の形を真似ただけの鉄の板。

 そんな怪訝な目も、栖鳳楼はすぐに打ち切る。

「まあいいわ。夏弥がそれで十全だって言うなら」

 行きましょう、と栖鳳楼は外を示す。玄関にある時計に目を向けると、時刻はすでに一時を回っていた。ローズとともに、夏弥は栖鳳楼の後に従って雪火家を後にする。

「場所は?」

「丘ノ上高校のグラウンド。広さも視界も申し分ないでしょう」

 丘ノ上高校に通う夏弥には、馴染み深い場所だ。だから、(かえ)って抵抗感が胸の内に染み出してくる。いつも通う学校という場所で魔術師同士の戦いをするというのは、自分の今までの生活が脅かされるようで、快くない。

「他の人に見つかったりしないか?あそこ、周りネットだけで、外から丸見えだぞ」

「見ようとする人間がいれば、の話でしょ。それを予防するために、結界を張るんだから。何のためにあたしがいると思ってるの」

「…………そうでした」

 わかればいいの、とでもいうように、栖鳳楼は視線を正面へと戻し、歩みを続ける。二人が歩くのは大通りではなく、夏弥が普段から登校に利用している人通りの少ない道。この辺りに住んでいるのは老人ばかりで、日中でも人の姿を見るのは稀だ。真夜中ともなれば、どこの家も明かりを落として、静かに寝入っている。辺りを見回し、人気がないのを確認してから、夏弥は愚痴るように(こぼ)す。

「こんなでかいと、やっぱ目立つよな」

 目を向けた先は、夏弥の右手に握られた剣。『剣』と呼んで良いのかもわからないような形をしているが、夏弥の中では剣なのだから、とりあえずそう呼んでおく。

 栖鳳楼が、何をいまさら、みたいに薄く睨んでくる。

「魔術師の戦いは人目についちゃいけないんだから、そもそも人に見られるなんて失態を犯した時点でアウトよ。だから、その心配の仕方はぴんとがズレてる」

「でも、もし誰かに見つかったら……」

「一般人に見つからないように、深夜とか、人目のつかない場所を選ぶの。安心しなさい、楽園(エデン)争奪戦中は、無関係な人間が夜遅くまで出歩くことなんてないから」

 そんな皮肉に、夏弥は諦めたように頷いた。橋を渡り、丘ノ上高校までもう少しというところで、栖鳳楼は思い出したように口を開く。

「念のために確認しておくわ。あたしは夏弥と王家の神託(しんたく)者の戦いを見守るためにいるだけで、夏弥の手助けはしないから」

 夏弥は即座に頷く。

「もちろん」

 うん、と栖鳳楼は一つ頷く。

「結界もそうだし、周囲の様子もちゃんと見ているから、派手にやっても大丈夫だからね」

 そう、あっけらかんと宣う栖鳳楼に、夏弥の頬は自然と引きつった。

「派手に、って……」

「忠告でもあるのよ」

 夏弥の言葉を遮って、栖鳳楼は付け足す。

「夏弥だけでなく、相手だって遠慮はいらなくなる。それは、夏弥だって必死にならないといけない、ってこと。そういう意味でもあるから」

 そうあっさり言われては、夏弥も返す言葉がない。栖鳳楼の(げん)は最もだから、素直に夏弥も頷くことにした。

「ああ……」

 栖鳳楼は校門を素通りして、駐輪場側の裏口へと向かった。鍵はかかっていない。監視カメラがあるが、栖鳳楼の言葉によると問題ないのだとか。いろいろと、準備は怠っていないのだと改めて感心させられる。

 グラウンドも、普段なら鍵がかかっていて無闇に入ることはできないのだが、栖鳳楼はあっさりと鍵を開けてしまった。

「まだいない、か」

 グラウンドの真ん中まで来て、栖鳳楼はぐるりと辺りを見回す。時刻は一時半くらいだろうか。約束の時間まで、あと三〇分。

 最初のうちは結界の準備に集中していた栖鳳楼も、しかし準備が整ってからはやることがなくなったのか、夏弥の新しい武器へとまた目を向ける。

「ところで…………」

 なんて口に出しながら、栖鳳楼の目はずっと夏弥の剣に釘付けだ。

「そのヘンテコな武器、一体どこから引っ張り出したの?」

 そのあんまりな言いように、流石の夏弥もムっとする。自分でも変わった武器をつくったと自覚はあるが、そこまで言わなくてもいいじゃないか。夏弥が反論するよりも先に、栖鳳楼は無遠慮に夏弥の手にしたものを眺めながら続ける。

「夏弥のお父様が残してくれていたの?」

 あまり期待せず、といった感じの問い。夏弥はきっぱりと言ってやろうと、胸を張って否定する。

「いや、これは俺がつくった」

 その簡潔な夏弥の返答に、栖鳳楼はぎょっとしたように瞠目する。まるでお化けにでも遭遇したように、声は震えている。

「つくった……?」

 夏弥でさえ、栖鳳楼の反応(リアクション)に一歩引いた。

 ……そこまで驚くようなこと、言ったかなぁ。

 夏弥は律義に付け加える。

「魔術には『具現』ていう、モノをつくるための魔術があるんだろ。それでつくったんだ」

 そもそも、夏弥なんかより栖鳳楼のほうが魔術のことは詳しいはずだ。魔術でつくった、なんて、栖鳳楼にはすぐに納得できることだろう。なのに、栖鳳楼の顔は闇夜のしたでもわかるくらい白く、血の気が引いていく。

 もう、どんな言葉も浮かばないから、夏弥は困惑気味にこめかみを指で()いて、栖鳳楼から目を逸らす。

「勝負の時間までに、間に合ってよかったよ」

 精々、こんなセリフを吐くのが関の山。それでも、栖鳳楼の目が夏弥を凝視するから、夏弥は早く解放してくれないかと、それだけを思う。

 一〇秒近く、栖鳳楼は呆然としていただろうか。やがて彼女の焦点は夏弥からすぐ後ろにいるローズのほうへと向けられる。

「ローズ、あなた……!」

 まるで怒鳴るような勢いでローズに迫る栖鳳楼は、しかしそれ以上の言葉を続けなかった。ぴたりと止まった栖鳳楼が、苦々しく零した。

「…………時間ね」

 夏弥は栖鳳楼の視線の先を負った。グラウンドの入口に、その白い影は悠然と立っていた。


 その姿を、夏弥が見間違えるはずはなかった。この闇夜の中でも白く輝くようなその色に、自然意識が向く。

 王貴士は夏弥たちから五〇メートル離れた位置で停止する。後ろからついてきた(きん)も、彼に従って歩みを止める。

「準備は整っているか?」

 真っ先に貴士が声をかけたのは、栖鳳楼だ。栖鳳楼は血族の(おさ)として簡潔に応じる。

「御覧の通り」

「宜しい」

 貴士もまた、彼自身が備え持つ気品に即した態度で応じる。

「では、栖鳳楼の姫君は退がって頂こう。これは楽園(エデン)争奪戦、神託者同士の決闘なのだから」

「当然ね。あとは、当事者同士、好きに始めなさい」

 あっさり頷いて、栖鳳楼は夏弥の後方へと移動する。残るは夏弥とローズと、貴士と金のみ。

「新たな武器を手にしたか、雪火夏弥」

 貴士は今度こそ、夏弥のほうへと目を向ける。夏弥の剣を一瞥(いちべつ)しただけで、貴士はすぐに勝負のことへと話を移す。

「戦いの前に決め事を設ける。昨晩はそちらの式がために決着をつけられなかった。楽園(エデン)争奪戦において重要なことは、どちらの神託者がより楽園(エデン)に相応しいか、ではなかろうか。――ならば、(いたずら)に式を動かすのは如何なものだろう」

 ローズの目が、ギリギリと、音を立てるように険しくなっていく。その気配を感じながらも、夏弥は黙ったまま貴士の口上の続きを待つ。

「そちらが式を出さぬというなら、我も式を動かすようなことはしない。――返答は?」

 その傲岸(ごうがん)な口調に、昨日のローズならありありと殺気をみなぎらしたことだろう。今だって、その一歩手前くらいの気配を夏弥は感じている。

 しかし、ローズは貴士に飛びかかるような真似はしない。代わりに、夏弥のほうへ訴えるような目を向ける。

「夏弥……」

 その先の言葉を、しかしローズは口にしない。夏弥はただ、自身の瞳だけでローズに返す。

 ――俺が戦う。

 ローズに戦わせるわけにはいかない。ローズは式神で、抑えなければ簡単に人を殺してしまう。こんなにも人間らしい彼女が、平然と人を(あや)めるなんて、夏弥には耐えられない。

 だから、夏弥が戦う。誰も殺さない、誰にも人殺しをさせない。――守る、と。

 その決意を見て、ローズはわずかに目を伏せる。彼女の瞳の奥で揺れる感情が見え隠れするが、夏弥は黙ったまま、彼女の返答を待つ。

 彼女を信じている夏弥だから、その返答(こたえ)はわかりきっていたこと。

「……わかった」

 微笑を返して、夏弥は改めて目の前の相手へと視線を向ける。

「勝負は俺と王貴士だけでつける。それ以外の邪魔は許さない」

「同意した。なら互いに、式を離そう。――勝負は、それからだ」

 夏弥が頷く。その動きに応じるように、ローズが退がる。一〇〇メートル離れた位置、栖鳳楼のすぐ隣でローズは立ち止る。

「…………」

 相手もまた、式と呼ぶ少女に合図を送る。その小さな少女は一度だけ不安そうに貴士を見上げて、すぐに視線を落として後退を始める。一〇メートル、二〇メートル、三〇メートル…………。

 五〇メートルの位置で、ぴたりと金は足を止める。前を向いたままの貴士は、しかし少女の異変に気づかない。

 ――ガギン。

 代わりに、貴士はその気配を聴く。

 振り仰いだその先に、黒い男の姿がある。狂喜の笑みを浮かべる男の左手に、その凶器の気配を幻視する。

 ――それは。

 黒光りする機関銃(マシンガン)――。

 魔術を解放した呪符から、魔弾が一斉に放たれる。

「……!」

「貴士っ!」

 轟音が、夜の闇を切り裂いた。黒い弾丸が殺到し、貴士の姿は土煙に消える。


 絶え間ない銃撃は、一分近く続いた。その間、誰も動くことができなかった。夏弥もローズも栖鳳楼も、金でさえ、主の危機の前に無力だった。すでに銃撃が始まってしまった中で、彼女のできることなど、何もない。

 それだけの猛攻も、しかし永遠ではない。魔力が尽きたのか、轟音は始まったときと同じように、唐突に止んだ。

 夏弥たちはその襲撃者を見上げる。グラウンドの向こう側、周囲のネットよりも外の道路の上。夏弥たちからは建物の四階分も上の高さから、男はただ標的にした相手だけを見下ろしている。

「無粋な……」

 薄れゆく煙の中から、貴士の声が上がる。煙を払うように腕を振る貴士は、無傷だ。不意打ちで、しかもあれだけの猛攻を如何にして防いだのか、夏弥はもちろん、ローズも栖鳳楼も理解できなかった。

「…………」

 外の影が坂を駆け降りる。どうやらグラウンドへ向かっているらしい。その黒い男の動きを、貴士は目で追いかける。

「貴士……!」

 金は叫び、貴士の無事を確かめたくて駆け出そうとしたが、彼女の声に反応して貴士は手で制する。その命令に忠実に、金は直ちに足を止め、貴士と、そして新たな闖入者へと意識を向ける。

「栖鳳楼の」

 貴士は迫る影へと目を向けたまま、栖鳳楼の名を呼ぶ。栖鳳楼は即座に、しかし一片の情も見せずに、貴士に応じる。

「こちらの役目は、社会に魔術の存在が知られぬよう隠蔽すること。魔術師相手まで見張る義理はない」

 貴士は満足も不満も見せない。黒い影が遂に自身の視界に入っても、まるで驚く様子はない。能面の表情を張りつけたままに、しかし低い声は押し殺した怨嗟のように強い感情が見え隠れする。

「路貴……」

 貴士から五〇メートル離れた位置で立ち止った彼こそ、間違いなく路貴だった。路貴の右手には奪帰(だっき)が握られ、左手には真新しい呪符が握られている。

 貴士は低い声のままに、路貴に問う。

「何故、君がこの場にいる?」

 遠目で見ている栖鳳楼は、表情を変えないままに、内心で舌打ちする。

 ――地下牢にでも放り込んでおけばよかったかしら。

 栖鳳楼が路貴に施したのは、ただ腕を拘束して柱に縛りつけただけ。確実に路貴の動きを封じるなら、栖鳳楼家の地下に用意された秘密の部屋に閉じ込めておくべきだったが、栖鳳楼は進んでそうしようとはしなかった。あの地下牢は拷問や実験の意味合いが強く、つまるところ、一度入ったら生きて出ることは許されない。

 路貴に死刑を宣告するほどの罪はないから、栖鳳楼のくだした決定も、それほど酷いものではなかった。そのために、路貴が夏弥の決闘に割って入るなんて、自分自身の甘さを反省するしかない。

 そんな内心など欠片も表には出さないで、栖鳳楼は黙したまま事の成り行きを見守ることにする。

 貴士は能面の表情のままに、しかしその声はいつもより一段低い。

「全てが終わるまで大人しくしていろと命じたはずだが」

「うるせーよ」

 吐き出された路貴の声は、貴士以上に低く毒々しいモノを帯びている。サングラスのない、剥き出しの眼が敵対するべき相手を()めつける。

「俺は俺の勝手で動く。テメーの勝手なんざ、知ったことじゃねー」

 路貴は身体(からだ)の左側を突き出すようにかまえをとる。もはや言葉を(ろう)する気などなく、今にも駆け出そうとする黒豹のような姿勢。

 ほう、と貴士は能面を張りつけたまま路貴に問う。

「では、君の勝手とは?」

「テメーなんざより、俺のほうが実戦経験がある。実力もある。今までこそこそ隠れて、いざ勝負、ってときには欠片のお情けにしがみつく臆病者なんかよりは、ずっとなッ!」

 それ以上言葉を交わすのは無駄とばかりに、路貴は呪符を解き放つ。路貴の魔力に呼応して、呪符から幻想の鎖が溢れ、路貴を守護するように宙空(ちゅうくう)を漂う。

 放り出された呪符の中でただ一枚だけ、地面に落ちずに路貴の左の甲に張りついた。それは路貴の術式と一つとなり、再度、魔弾を放つ魔術となる。

 ――ガギン。

 という、不吉な気配。

 術式が組まれ、魔力が正常に流れ始めたことを告げる。それはすなわち、魔術が成立したことの証。

 路貴の左腕から、黒い魔弾が放たれる。断続的な銃撃が、再度貴士を襲う。

 しかし、貴士は恐れることも退くこともなく、路貴の猛攻を受け止める。貴士の欠片が、常に術者を保護しているからだ。

 路貴は駆け出す。自身に肉体強化でも施しているのか、その速さは通常の人間の域を逸脱している。

 だが、どれだけ肉体を強化したところで、魔術師戦ではあまり意味がない。貴士から五メートルの距離で、路貴の足が急に止まる。まるで不可視の壁に阻まれたように、路貴を守護する幻想の鎖が光を散らしながら砕けていく。

 いつか見た光景に、貴士は余裕を込めて顔を歪めた路貴を見据える。

「同じこと。君では我を超えることはできない」

 ハッ、と路貴は吐き捨てる。

「それは、どうかな……ッ」

 路貴は魔弾を解き、その魔力と術式を鎖の魔術に重ねる。その補強された術式と充填された魔力に、新たな魔術が駆動する。幻想の鎖が不可視の防壁に溶け込み、金縛りとなってその障壁を封殺する。

 しかし、それも一瞬のことにすぎない。なぜなら、貴士の欠片はいまだ健在なのだから。

 路貴も、そんなことは承知の上だ。だから路貴は、さらに一歩を踏み出す。貴士は反撃をしようと腕を上げる。それよりも、路貴は速い。しかし、貴士の余裕は崩れない。欠片が生きているなら、貴士は常に防壁に守られている。不可視なのはもちろん、魔力の気配すらない。どんなに路貴が前に出ようとも、その壁に阻まれ、先手は貴士のものだ。

 その余裕がゆえに、貴士は攻撃を遅らせた。路貴の足が止まってからでも攻撃が間に合うと、そう判断してしまった。

 路貴が無策のままに貴士に再戦を挑むなど、どうして考えられるだろうか。路貴の右手に握られているものが何なのか、貴士はその一撃が振り下ろされるまで、ついに見過ごしてしまった。

 路貴の左手が貴士へと伸びる。わずかに残った魔力がゆえに、触れればたちどころに呪詛に侵される。

 再度の障壁に、路貴の足が止まる。まだ魔力が残っていても、再度金縛りを放つだけの術式も魔力も足りない。

 貴士は口元を歪め、その一撃を振り下ろそうとして、悟った。

 ――さらに速く、路貴が右手を振り上げる。

 振り下ろされたそれは、あらゆる魔力を奪い尽くす〝奪帰〟――。

 防壁の崩壊を、貴士は聴く。

 形のない壁も、しかし防御の瞬間は魔力を帯びる。それがゆえに、奪帰はその魔力を喰い尽くす。

 にやり、と路貴の口元が喜色に歪む。

 さあ、と貴士の顔から余裕が消える。

 貴士を守る防壁も、この近距離ではもはや発動しない。つまり、路貴は貴士の懐に入ったのだ。

 路貴は振り下ろした奪帰を両手で握りしめ、斬り上げるようにして貴士の顎を狙う。最後の最後で防壁に阻まれることを予想していた、路貴の必中の一撃。

 ――その路貴の深読みが、貴士の窮地を救うこととなる。

 両者の間に、割り込む影があった。

 金だ――。

 驚愕は、路貴と貴士、両者のものだった。

「……!」

「金……!」

 路貴の斬り上げを、金は両腕を盾として、振り下ろすように迎える。鈍い衝撃が、三者の狭い空間を震わせる。

 もしも路貴が呪詛を放つ左腕で突いたのなら、魔術に対する抵抗の弱い金は踏み止まることができなかっただろう。しかし奪帰の前では、金は純粋な物理的な力として耐えることができた。奪帰が魔力を奪うとはいえ、人間から生命力を削るまでの魔力を奪うには一〇分以上がかかるからだ。

 金が押さえつけたがために、路貴の攻撃には一瞬の空白ができてしまった。その隙を、体術を得意とする金が見逃すはずもない。両手で奪帰を抑えたまま、左足で路貴の胸を蹴り抜く。その的確な衝撃に、路貴の身体は呆気なく吹き飛ばされる。

「くっ……」

 苦悶の声を漏らしながら、路貴は地面の上を横転する。まるで予期していなかった反撃だから、路貴はすぐには立ち上がれなかった。

 路貴が起き上がる前にと、金は前を向いたまま声を上げる。

「貴士……!」

 呼ばれた貴士は、ハタと目の前の少女へと視線を落とす。その小さな肩は、少しも乱れていない。自分はこんなにも動揺して、呼吸を乱しているというのに。

 自分を救ってくれた少女に、しかし貴士は礼を口にしない。自分と少女の関係は、すでに決まっている。従者が主人を守るのは当然であり、ゆえに主人は従者をこき使う。

 だから、貴士は表情を凍らせ、息を止める。暴れる呼吸は後で整えるとして、いまは無理にでも止めてしまう。王者はただ傲然と、家来に向けて命令をくだす。

「金。路貴の相手をしろ」

 それ以上の言葉を交わす必要はない。くだされた命令は、直ちに実行される。

 路貴は起き上がる。周囲を確認するより先に、路貴は前を向く。その直感に、路貴は救われた。

 彼のすぐ前には幼い金が無表情のままに迫っていた。躊躇も遠慮もない猛攻が、路貴を襲う。路貴は反射的に奪帰で防御する。肉体強化を施していても、金の攻撃を防ぐのに手一杯。

「この、テメー。貴士……!」

 吐き出したい罵詈雑言も、形になる前に消えてしまう。そんな口を()いていられるほど、いまの路貴に余裕などない。

「…………」

 貴士はゆっくりと、重く長い息を吐く。息を吸って、もう一度吐く。慣れないことだからすぐに落ち着くかわからなかったが、案外簡単に貴士の呼吸は落ち着いた。

 これで十分と、貴士は二人に背を向ける。

 ――そう。

 貴士が対峙すべき相手は、路貴ではない――。

 貴士は平生の能面のままに、尊大な態度を崩さずに、目の前の相手へと告げる。

「我らの決闘を始めよう、雪火夏弥」

 夏弥の意識は、その一言で貴士へと焦点が合う。その夏弥の闘志に、しかし貴士はすぐには応えない。夏弥の奥で険しい表情のままの漆黒のドレスをまとった少女を視界に収めながら、対峙すべき相手にその意思を問う。

「先ほどの約束は、(たが)えぬであろうな?」

 貴士の式たる金は、いま路貴の相手をしている。貴士が一対二の状況になったとしても、牽制の役には立たない。ゆえに貴士は、夏弥に対してその是非を問わねばならない。

 ああ、と夏弥は真剣な瞳のままに貴士に答える。

「最初から、俺一人であんたと戦うつもりだったよ、王貴士」

 その真っ直ぐな返答に、貴士は口の端を緩める。

「良い覚悟だ、雪火夏弥」

 表面上は賛辞を送っておきながら、内心では皮肉を零さずにはいられない。

 ――愚行。絶好の好機を自ら捨てるか。

 だが、それは口にしない。表にも出さず、気取られるような愚行は断じて犯さない。

 全ては、王家のために――。

 これは、魔術師同士の闘争。それは個人のみの戦いではなく、家の名を背負った、生死を()した決闘。ゆえに、そこに個人の感情は挟まない。利用できるものは、全て利用しよう。そのための傲岸も、尊大も、全ては己が一族に勝利をもたらすため。――世界の起源に到るため。

 貴士は右腕を上げる。夏弥は両手で剣を握りしめる。貴士の背後では遠く、火花の音が聞こえる。夏弥の背後、その奥では栖鳳楼とローズが勝負を見守るために佇んでいる。

 ――この勝負は、王貴士と雪火夏弥だけのもの。

 王家と雪火家、神託者同士の、楽園(エデン)争奪戦――。

 小さく、貴士は密かに笑む。お膳立ては、完璧なまでに整った。一つ不確定因子が混じったが、それももはや貴士からは遠い。路貴から受けた傷も、これからの勝負には何の影響もない。このていどで、楽園(エデン)の一部たる欠片が使えなくなるなど、そんな柔なものではない。

 ――合図はなく。

 ただ互いの瞳を交わし、闘争は幕を開ける――。


 先手を取ったのは、貴士だった。それは当然と言えよう。夏弥は接近戦でしか戦えないのに対して、貴士は遠距離からの攻撃ができるのだから。

 辺りに、魔力の気配はない。ただ、右腕を振り下ろす、それだけ。たったそれだけで、その暴力的な風が夏弥を襲う。

 しかし、夏弥とてその一撃を許すほど甘くはない。昨晩の戦いで、嫌というほど貴士の猛攻を受けたのだ。もう、そのタイミングも威力も、十分すぎるくらい知っている。

 夏弥は剣を下段にかまえる。横に流し、下から斬り上げようとする、その姿勢。

 嵐の前の静けさというように、その一撃が襲いかかるまで、まるで気配を感じない。しかしその一瞬に、夏弥は完璧なタイミングで刃を走らせる。

 ドン、という衝撃。

 ガリガリ、と風が刃を超えようと迫る。

 踏ん張っていなければ吹き飛ばされてしまいそうな、その威力。足場を掬われた瞬間、夏弥の身体をその猛攻が襲うだろう。

 だから夏弥は耐え、そのまま跳ね返せと剣を振り抜いた。

「……ぉらあッ!」

 夏弥の髪を、肩を、無色の風が(はし)る。腕を撫でる風に敵意はなく、ゆえに夏弥は風を斬った感触を確かに掴む。

 無傷で立つ夏弥に、貴士は瞠目する。

「莫迦な……」

「…………」

 無言のままに、再度夏弥はかまえる。

 ――もう一発、こい。

 その煌めく眼光は、ただ語る。

 もう一度――。昨晩の貴士が最後に見せた、全身を襲う、あの一撃を。一方向からの一撃ではない。まるで目に見えない巨大な手で押し潰されるような、あの極悪の一撃を。

 それを超えたなら、夏弥が恐れるものは、何もない――。

 その屈強な意思に、貴士は高らかに吼える。

「ならば、これはどうか」

 先の一撃と変わらない、何の変化も感じられない。それは魔術でありながら、触れるまでその接近を気づかせない不可視の技。

 そのタイミングに合わせ、夏弥は自身の右側へと剣を振る。風を受けた手応えに、同時に、左と正面と背後から襲いくる風を感じる。

「くっ……!」

 左側は、左の腕で防御する。その勢いに逆らわず、流れるように身をひねる。

 押し出され、ひねった回転を利用して、夏弥は右手の剣を振る。巨大な剣の旋回に振り回され、夏弥の体は二回もその場で回る。

 風が止み、自身の体を整え、夏弥は対峙する相手を見たままダメージのほどを探る。左を直撃したが、思ったよりもダメージは少ない。攻撃を流したし、途中で防いだせいもあるだろう。

 ……これなら、貴士の攻撃を防ぎきれる。

 夏弥は体勢を低くして、体のすぐ横で剣を地面と水平になるようにかまえる。もう、小手調べは終わりだ。相手の出方を待たず、夏弥は突進を開始する。

「思い上がるなッ」

 貴士は右手を上げ、振り下ろす。ワンテンポ遅れて、風が夏弥を押し潰そうと殺到する。だが、夏弥は足を緩めず、さらに速度を上げる。正面の風を夏弥は破り、左右背後からの風を無視して、逆にその勢いでさらに加速する。

 両者の間にあった五〇メートルの距離も、あっという間になくなる。貴士の技がワンテンポ遅れるために、手数も少ない。このまま突き進もうとして、しかし夏弥の剣は何かに阻まれたように止まる。

 貴士までの距離は、あと五メートル。一〇メートルの位置で不可視の壁に阻まれたが、夏弥は勢いに任せて強引にねじ込んだ。それでも、あと五メートル、そこから先がどうしても進まない。

「はアアアァァ!」

「無駄だ!」

 夏弥の周囲で風が荒れる。夏弥を押し潰そうと、その敵意を剥き出した魔力がのしかかる。

 しかし、夏弥は引かない。ここで防御に回ったら、折角踏み込んだこの距離が無駄になってしまう。どれほどの重圧を受けても、もはや夏弥には前進しかない。

 切っ先に、夏弥は意識を向ける。夏弥がつくった剣、それは夏弥自身に他ならない。だから夏弥は迷わない。この一撃で抜けるのだと、夏弥はその意思だけを研ぎ澄ます。

「届けええエエェェェェ!」

「なに……!」

 その叫びに呼応するように、夏弥の剣はさらに奥へと踏み込む。

 それは、強化の特訓に似ている。ただの石ころが、魔力と術式を組み合わせるだけで木の幹に食い込むほど鋭利に研ぎ澄まされていく。形が、ではない。その在り方、あるいは結果として、それがそういう存在に洗練されていく。見てくれは巨大な剣だが、その存在はすでにレイピアのように鋭く、どんな強固な壁だろうと貫く。

「……っ」

 突破されることを悟ったのだろう、貴士は防壁を放棄して後方へと跳んだ。あと一歩、貴士の体が右に逸れていなかったら、夏弥が放った魔力の余波が貴士を仕留めていただろう。

 そのギリギリを生き残った貴士は、しかし尊大な態度を崩さずに夏弥に告げる。

「称賛を贈ろう、雪火夏弥。たった一日で我に迫るとは、な」

 両者の距離は、二〇メートル。夏弥も貴士からの反撃に合い、距離を離されてしまった。すぐには攻撃に出られないと知って、夏弥はかまえたまま貴士の口上を聞く。

「――良かろう」

 途端、周囲の空気が変わった。

 今まで何の気配もなかった空間に、まるで化学反応でも起きたように意思のこもった魔力が満ちていく。空間という肉体が透けていき、血管が浮かびあがっていくように、それは脈動する不吉。

 その変化は、劇的で破滅的だ。丘ノ上高校のグラウンドさえも呑み込むように、触れる空気全てにその敵意を剥き出しにした魔力が絡みつく。まるで、億の眼に観察されているように、不快……。

「戯れを(しま)おう。我の全身全霊を示そう」

 夏弥の肌の上でその気配が這いずる。まさしく、その気配はいつでも夏弥に襲いかかれるだろう。これだけの気配に取り囲まれておきながら、ついぞ理解できなかったなんて、信じられるだろうか。この現実を前にしてなお、夏弥は理解が追いつかない。

 ……そう。

 夏弥は常に見張られていた。いつでも、襲いかかることができた。どこからでも、その魔力は夏弥の首を絞めることができた。どこから、なんて考えるだけ愚かだ。それは、常に夏弥の目の前にあった。この空間を満たす空気そのものが、夏弥を攻撃する無数の腕だ。

「――我が欠片〝暴夜の花嫁(アルフライラワライラ)〟の前に討ち滅ぼされよッ!」

 貴士の右腕が振り上げられる。その薬指に、銀の指輪が光る。指輪には、紅い宝石がその不吉の色を瞬かせている。

 暴風が巻き起こる。それはすでに、嵐とか台風と呼ばれるクラス。立っているだけでも辛い。風に押されて、夏弥の体は軽々と後退させられる。踏み止まっていなければ、耐えられない。目を開けるのでさえ、手で覆って薄目しか叶わない。

 その暴風に誘われるように、雷鳴が轟く。雲もないのに、豪雨が夏弥の身体をうつ。まさしく、台風の中に放り込まれたような天変。夏弥は貴士に近づくこともできず、その猛威に翻弄される。

「ちょっと、なによこれ……!」

 どこかで栖鳳楼の叫び声が聞こえる。その声でさえ、夏弥の耳にやっと届くくらい、小さい。

「王貴士。あなたの欠片はこちらの結界まで影響を及ぼしている。聞いているの?あなたの欠片はこちらの結界まで喰っている!」

「――当然」

 貴士の声だけが、何の乱れもなくこの嵐の中で響く。

「〝暴夜の花嫁(アルフライラワライラ)〟は周囲の魔力を己が魔力として使用する。空気中に散った所有者のない魔力も、敵が放った魔力も関係ない。その膨大な魔力を自身の魔術に取り込む」

 ゆえに、と貴士は口の端を歪める。

「〝暴夜の花嫁(アルフライラワライラ)〟の魔力は膨大であり、なおかつ無尽蔵。この嵐を止めることは誰にもできない。せいぜい、結界が砕かれぬように魔力を補填し続けることだ」

 どんなものにも魔力は存在する。それは生きているものだけでなく、石や木、空気にも魔力は含まれる。

 だが、そういった魔力は通常、無色のエネルギーでしかない。魔術師が自身の魔力を使用できるのは、自分という色のついた魔力だからだ。己の一部たる魔力、己の一部たる術式だからゆえに、魔術師は魔術を行使できる。自分の肉体から離れた無色の魔力など、本来は使い物にならない。

 魔術の中には、そういった無色の魔力を利用できるように吸収し変換するものも、ある。しかし、これだけ広範囲で、かつ、こんな精密に自身の魔術に取り込めるなど、通常の魔術の域ではない。これはすでに、大魔術の領域だ。

 暴風雨に耐えながら、結界が崩れないように魔力を注ぎ込みながら、栖鳳楼は大声で叫ぶ。

「こんな、あなた、栖鳳楼家まで利用する気……!」

 その叫び声も、この嵐の前ではすぐにかき消される。嵐の中心にいる貴士だけが、この猛威の中で平然としている。

「君は承諾した。なら、君は自身の責務を果たすがいい。我も、一度した約束は違えぬ。最後の決着がつくまで、この勝負を(まっと)うしよう」

 夏弥は薄目を開けて貴士のほうに目を向ける。風雨に遮られて、貴士の白い姿は霞んでしか見えない。

「さあ、雪火夏弥。君の全身全霊をかけるがいい。その全てが最後には、君自身の首を絞めることになる」

 それが、貴士のもつ欠片〝暴夜の花嫁(アルフライラワライラ)〟――。

 周囲から魔力を奪い、自分のものとする。人間一人から絞り出せる魔力量とは、明らかに桁が違う。また、夏弥の放つ魔力でさえも、一部は空間に漏れる。効率の限界だ、魔術に払った魔力が全て使われるわけではない。その捨てられた魔力は〝暴夜の花嫁(アルフライラワライラ)〟に取り込まれ、夏弥に襲いかかる。

 雷鳴が耳を塞ぐ。雨が身体をうつ。風に(もてあそ)ばれて、立っていることさえギリギリだ。そんな絶望的な戦況に、夏弥はかまえたまま固まっているしかなかった。


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