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第五章 孤独な王

 ……彼女は、よく傍にいてくれた。

 年上だった彼女は、多くのことを知っていた。自分の何故に、よく答えてくれた。目に映る様々な不思議、この世界のこと、自分の家のこと。

 自分の家は、魔術師と呼ばれる家系。それは、この世の真理を探究する存在。魔術師の間では、世界の起源への到達、などと呼ばれている。

 ゆえに、魔術師は智を学び、智を研鑽し、智を積み重ねる。得られた智はさらなる高みへ、築き上げられた智はより完成されたものへと。それを、遥か昔から繰り返し繰り返し、何百年という月日、何代にも渡って続けられている。

 そこには、積み重ねられてきた血の重みがある。今生で到達できなかった叡智を次の代へ、また次の代へ、と。積み上げられた智は、この家の中で渦を巻き、遥か彼方の世界へと到達するための、巨大な塔。

 ――まるで、バベルの塔。

 そう呟き、微笑んだ彼女の横顔は、よく覚えている。

 魔術師というものが積み上げてきた知識。歴史の中に残された数多くの伝説、神話。土地の文化を色濃く映した物語や、戦乱の世に残された教訓。

 そんな、たくさんのお話を、彼女から聞かされた。

 それは、とても楽しい、幼い頃の日々だった。

 一日一日経るごとに、新しい積木が積み上がっていくよう。彼女から与えられた知識が、自分の知識となり、どんどん巨大なものになっていく。より大きく、より高い塔を作りたくて、だから彼女に何故と問う。彼女の話を聞く。彼女は優しく答えてくれる。彼女は丁寧に教えてくれる。

 毎日が、新鮮で変化に富んでいる。次第に、魔術師のことや自分の家のことも知るようになる。が、それは知識の一つでしかなかった。

 ――世界への到達、そんなものは知っている、だから勉強しているんじゃないか。

 そう。当たり前のように。

 特別なことなんて、何もない。毎日がいつも通りで、それでいて新鮮な日々。一日経るごとに、大きくなっていく塔を見上げるように。ずっとずっと背伸びをするように。

 目標なんて、知らない。『世界』という単語は知っているけれど、それがどのくらいの高さにあるのかなんて、知らないから。だから、ただひたすらに、ひたむきに、がむしゃらに。高くなれ、高くなれ、と。

 それが、幼い頃の自分。

 彼女との、思い出。

 ずっと、変わらない。何年経っても、色褪せない。あれが遠い、幼い頃だと知っていても、それを忘れるなんてできるわけがない。

 ――だから。

 覚えている――。

 あの日のこと。

 彼女に、紹介したい人がいると言われたその日は、いつもと変わらなかった。新しい知識、物語を語ってくれるときと同じ。特別でもなんでもない、ありふれた一日でしかなかった。

 ――うん。わかった。

 そう、頷いたことを覚えている。

 約束された日、約束された場所に。彼女よりも少し早く、辿りつく。それは、これまでと同じこと。彼女に約束されたら、楽しみで楽しみで仕方なくて、いつも先回りしている自分。

 だから、それは特別なことではない。

 ……そこに、彼女ではない、別の待ち人がいた。

 まるで、逆さまの鏡を見ているみたいだった。そう、いまでも覚えている。自分とは、まるで反対の色をまとった、その相手。なのに、どこか似た雰囲気があったから、色だけ反転されたように錯覚した。

 ……少しだけ、驚いた。相手も、同じように驚いている。

 まるで、同じ反応。意地悪な鏡を見ているよう。

 彼女がやってくる、約束の時間まで――。

 ――ぼくたちは、お互いを見合っていたんだ。


 目を覚ましたとき、王貴士(おうきし)は内心で不平を漏らした。

 ……いまさら、あんな夢など。

 顔には出さない。表情を作るということは、その意図を他者に知られるということ。だから、知らしめるとき以外には、表情を見せるべきではない。それが、長く王家で暮らしてきた貴士の思考だ。

「…………」

 片手で自身の顔を覆い、静かに息を吐く。重く、長い吐息。それは、他に漏らさない、ただ自分自身に聴かせるだけの儀式めいた行為。

 一〇秒で済ませて、貴士は上半身を起こす。ここは、墓地の中の寺院だ。一応、僧侶はいるようだが、普段は別宅に住んでいて寺院にやってくるのは稀だ。そのため、貴士はここを寝床として利用している。

 身を起こすと、その気配を察知してか、貴士のすぐ傍まで(きん)が駆け寄ってくる。

「貴士、おはよう」

 いつも通りの邪気のない笑顔。対する貴士の返答も、至極いつも通り。能面のような顔でその言葉を返す。

「おはよう」

 その返答だけで、さも極上の褒美をもらえたように、金は一層笑みを強くする。

「はい、貴士」

 差し出されたモノは、濡れたタオルだ。顔を拭いて、それを金に返す。金はタオルを洗うために、外へと消える。

 一人になって、改めて貴士は周囲へと目を向ける。寺院の中には生活感などなく、ろくに掃除もされないから埃だらけだ。

 王家の財力を使えば、貴士はこんな生活を送る必要もない。どこか上等なホテルのスイートルームでも貸し切っていれば、寝る場所はもちろん、食事も入浴もそれなりのものが保証される。警護のものを数人つけることだって、可能だ。

 それを断ったのは他でもない貴士本人だから、今の生活に不平はいうまい。むしろ、こんな生活も悪くはないと、最近はそんなことさえ思い始めている。食事はコンビニ弁当で済ませ、入浴も近場の銭湯で済ませる。あまり目立つようなことは避けたいのだが、ホテルを借りるよりはずっといいだろう。名前を名乗らずに済むだけで良しとして、それ以上を望むのは無理な相談だろう。

 ――姿を隠す以上は、それくらいしなければならない。

 しかし、それも一昨日で終わった。

 路貴(ろき)に、自分の存在を知らせた。昨日などは、神託(しんたく)者の一人と戦闘まで行った。挙句、この町の血族(けつぞく)にも顔が割れてしまった。もはや、隠れる生活も終わりだ。

 ――だが。

 それも、かまわない――。

 残る神託者は、貴士を含めて三人。今日の再戦で、神託者はさらに二人のみ絞られる。それが、最後の戦い。なら、ここで貴士が動いても問題はあるまい。

 ふと、貴士は寺院の中の仏像に目を止める。この小さな寺院には相応しい、小さな仏像。全く手入れされていないわけではないが、それほど綺麗な印象もない。それでも、仏像というものは珍しいから、最初の頃などは物珍しく眺めたものだ。

「――輪廻転生、か」

 仏教で出てくる用語。あらゆる命が巡るとされる六道の世界――天道、人道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道。命はそのいずれかの世界に転生し、永遠にその輪廻を繰り返す。

 命は、絶えず変化する。その傾向は似通ったものになろうとも、命は歩む道によって変化を織り交ぜながら、その一生を遂げる。

 この世界に起源という唯一があるなら、人の一生もその起源に縛られる。それは、抗おうとして抗えるものではない。人という形になるより以前、有象無象の命のときから放たれた衝動、それが起源というもの。

 なら、六道とは何なのか――?

 結局、命が唯一の起源に束縛されるなら、その六道という象徴は、生命の一体何を表すというのか。享楽も、苦楽も、破滅も、無知も、苦悩も、罪悪も。その全てが、起源の前では唯一でしかないのか。あるいは、六道の果てにその絶対存在があるのか。

 ……輪の中の人間には、そんなものはわからない。

 魔術師として、世界に挑むというのなら、その輪から外れる必要があるのかもしれない。その可能性を求めて、いままで数多の魔術師が様々な犠牲を払ってきた。

 ――果たして、楽園(エデン)は何を犠牲に求め。

 そして。

 どれだけの叡智を魔術師に見せてくれるのか――。

 その楽園(エデン)も、あと少しのところまで迫っている。魔術師で叡智を望まない者などいない。ゆえに、王貴士は楽園(エデン)を求める。長年、王家が求め続けたものを、貴士の代で手にいれられる。その可能性が、もう目の前。

「貴士」

 その声に、貴士は視線を下ろす。いつのまに戻って来たのか、金が貴士の足元で立っている。金に見上げられて、貴士は小さく頷いた。

「食事にするか」

「うんっ」

 弾んだ、金の声。

 また、コンビニ弁当。王家の豪勢な食事とは随分と落差があるが、貴士も金も、ともに不平はない。貴士は自身の思考を打ち切って、金とともに外へ出る。


 朝になって、夏弥(かや)は連打されるチャイムの音に叩き起こされた。

「夏弥、客人だぞ」

 薄目を開けると、隣にはローズの姿があった。すでに彼女は着替えを終え、漆黒のドレスを身にまとっている。

 夏弥は額を抑えながら上半身を起こす。

「眠い……」

 結局、夏弥が眠れたのは外がすっかり明るくなってからだった。あれからどれくらい眠れただろうか。周囲を見回しても、時計は見当たらない。

 隣のローズは立ったまま、腰に手を当てる。

「あまり待たせていい相手ではないと思うぞ」

 確かに、一向にチャイムの音が消えない。というか、ありえない速度で連射されていないか。

 夏弥は寝不足の頭痛に耐えながら、ローズを見上げる。

「誰……?」

「昨晩のことを覚えているなら、すぐにわかると思うが。――(あや)だ」

 理解するのに、五秒かかった。理解した瞬間。

「……っ」

 夏弥は慌てて立ち上がった。絡まったタオルケットを放り出し、そのまま玄関に向かう。寝巻のままだが、そんなことを気にしている余裕などない。玄関に行く途中で、時計を見つける。

 ――八時五分。

「いくらなんでも早過ぎないか……!」

 それでも、夏弥は急がないといけない。サンダルを履くのも飛ばして、てこずりながらも鍵を開ける。

「遅い」

 開いた瞬間、そんな声を聞く。

 外にいたのは栖鳳楼(せいほうろう)と、そして潤々(うるる)。栖鳳楼が玄関の正面で、潤々がチャイムの前というポジション。……潤々さん、式神だからって、チャイム連打は勘弁してください。

 じろり、と栖鳳楼の半眼が夏弥を睨みつける。上から下まで、まるで品定めするように眺めた後、さらに目元を鋭利に細める。

「いま起きたわね」

「……はい」

 素直に、夏弥は頷く。栖鳳楼の目がキリキリと吊り上げっていくような気がした。夏弥は、しかしどうすることもできないから、自身の鼓動の音を聞いて耐えるばかりだ。

 夏弥、と栖鳳楼のさらに落ちた声が降ってくる。

「あなた、やる気あるの?」

 なにが、なんて問うまでもない。問うた瞬間、この場で夏弥が殺されかねない。

 夏弥は、黙ってそれに耐えるしかない。なにか口にしたほうが誠実だろうかとも考えるが、(こた)える言葉を夏弥は持たない。

 ……やる気は、ある。

 夏弥が、楽園(エデン)争奪戦に臨む意思。その決意にしたがって、夏弥は今まで戦い続け、そして生き残ってきた。

 それを、改めて問われることになった理由が、昨晩の貴士との戦い。

 結局、夏弥は何もできなかった。何もしないまま、あのままやられるしかなかった夏弥は、しかし助けられた。

 だから、それは夏弥自身も問わねばならないこと。

 ――誰も死なせない、殺させもしない、守る。

 守られてきた自分が、守ると、そう決意した――。

 問われなければならない。そして、応えなければならない。

 それを確かなモノとして示せなければ、意味などない。しかし、いまの夏弥にソレはない。何を口にしたところで空虚でしかないから、だから夏弥は沈黙しかできない。

 そんな緊張とはほど遠い声が、夏弥の背後から上がった。

「やあ、礼、潤々。よく来た」

 栖鳳楼の強張った表情が一瞬で溶けた。だから、夏弥もわずかに後ろのほうへ目を向ける。ちょうど、ローズが玄関のほうへと姿を現したところだった。

 栖鳳楼と、隣の潤々がローズの声に返事をする。

「あら、ローズ。おはよう」

「おはようございます。ローズさん」

 栖鳳楼は笑顔のままに、さらに言葉を続ける。

「早速、夏弥をしごきに来たわよ」

 表情は笑っているが、内心までその通りだとは、夏弥には思えなかった。第三の目に睨まれているような気がして、夏弥は緊張に身を縮める。

「ああ、その件なんだが――」

 夏弥のすぐ後ろに立って、ローズはいつも通りの調子でこんなことを口にした。

「――俺に一任させてくれないか」

 今度こそ、夏弥は完全に振り返ってローズを正視した。栖鳳楼のほうも、驚いたように目を大きくする。

「……あなたが?」

「案ずるな。考えがある」

 本当に考えがあるように、ローズの表情は自信に溢れている。夏弥は理解が追いつかず、ただぽかんとローズを見上げるばかり。

 そう、と栖鳳楼は口元に手を当てる。一瞬考える素振りを見せたが、すぐにうん、と頷く。

「そうまで言うなら、任せようかしら」

 あたしも帰って寝たいし、と栖鳳楼はしれっと言ってのける。

 ――だったら、こっちだって少しは寝かせてくれよ。

 そんなふうに叫びたかったが、夏弥はぐっと堪える。そんな甘えを許して真っ先に被害を受けるのは、他でもない夏弥自身なのだから。

 それで用は済んだのか、栖鳳楼と潤々は呆気ないくらい簡単に帰って行った。「じゃあ夏弥。しっかりやるのよ」なんて、笑顔のセリフを残して。

 怒気を孕んだ目で睨まれるのも勘弁してほしいが、あそこまで極上の笑みで言われるのもいい気がしないものだと、栖鳳楼のやり取りで夏弥はそんなことを学んだ。

 だが、夏弥の今日はまだ終わらない。そもそも、まだ始まってすらいないのだと、玄関を閉めた夏弥は突きつけられる。

「では、夏弥」

 ローズの、いつもよりやや上機嫌な表情がまだ夏弥を見下ろしている。

「朝食後、早速特訓を始めようか」

 それだけ残して、さっとローズは居間へと姿を消す。ようやく解放されたと安堵の息を漏らせばいいのか、これから始まる特訓に不安の溜め息を吐けばいいのか、夏弥は判断に迷った。それでも、夏弥の口からは勝手に息が(こぼ)れた。……まずは、朝食の支度かな。


「まずは、夏弥の戦闘スタイルを確定するべきだと思う」

 朝食の後片付けが終わって、早速。居間に戻った夏弥に、ローズはすでにやる気満々だった。

「……戦闘…………スタイル?」

 まだ状況についていけていない夏弥は、ただ首を(かし)げた。今まで、楽園(エデン)争奪戦のためにいろいろな特訓をしてきた。それでも、ローズから指導を受けることなんて初めてだから、一体どんなことになるのかと、ただただ夏弥は不安でたまらない。

 そうだ、とローズは迷いなく頷く。

「昨日の礼の家のときといい、あの神託者との戦いのときといい、夏弥は自分の持っている魔術に不満なのだろう」

 『不満』という言葉の選択が正しいかどうかわからないが、『抵抗がある』というのなら、夏弥にも心当たりはある。

 その抵抗の根がどこにあるのか、夏弥だって自覚している。――思い出すのだ。

 二週間前、牛鬼(ぎゅうき)に行使したこと。右腕を切り落とすほどの威力。ローズでさえてこずった相手に、夏弥の魔術はあっさりとそれだけの成果を遂げてしまった。

 ――式神相手でさえ、それだけの威力。

 なら。

 人間相手なら、それはどれだけ致命的なのか――。

 魔術を使うときに、不意に脳裏を()ぎる、その認識。それが、夏弥の手を止める。

「それでは、いくら魔術を習得したところでまるで意味を為さない。夏弥にとって必要なのは、実戦で使える魔術なのだから」

 どんなに強力な武器を手に入れても、使うことに躊躇してしまうなら、それは足枷でしかない。戦う、と決めた夏弥に、それは邪魔でしかない(くさび)

 ローズの言わんとしていることは、夏弥にもわかる。わかるのだが……。

「ええと……。そんな魔術を、今日一日で身につけないといけないんだけど」

 原因がわかっても、解決策がなければ何もならない。しかも、一日という期限付き。なのに、ローズはどこまでも揺るがない。

「任せろ。おそらく、夏弥にとって最も扱いやすい魔術のはずだ」

 栖鳳楼の前で語ったことは、嘘ではないらしい。一体それはどんな魔術なのか、魔術師としての知識も付け焼刃でしかないから、夏弥には想像もできない。

 話が飛ぶが、とローズはどんどん話を続ける。

「夏弥には、剣が必要だと思う」

「剣……?」

 いきなりの単語に、夏弥は反応に遅れる。

「以前、夏弥が使っていた武器は路貴から渡された魔具だったろう」

 ああ、と夏弥は頷く。

 魔術は、術式と魔術がなくなれば消滅する、基本的に一回限りのモノだ。その魔術を物質に固定して、半永久的に使用できるようにしたモノを魔具と呼ぶ。

 路貴から渡された魔具は、見ためは一メートルくらいの鉄の棒でしかない。それは〝奪帰(だっき)〟と呼ばれ、周囲から強制的に魔力を奪っていくモノ。つまり、敵の魔術から魔力を吸い尽くし、魔術を短時間で壊してしまう魔具。だが、それは同時に使用者の魔力も奪っていくため、扱いが非常に難しい魔具でもある。

 その武器は、もう夏弥の手元にはない。すでに路貴に返してしまったから、夏弥は新しい武器を模索している。

「その魔具を使いこなすために、夏弥は美琴(みこと)から剣の指導を受けた」

 ああ、と夏弥はさらに頷く。

 路貴から武器を渡されたが、夏弥にはその武器を使いこなすための体術の心得などなかった。だから夏弥は風上(かざかみ)美琴から剣道を教えてもらった。剣道五段の美琴から習ったので、素人の夏弥でも楽園(エデン)争奪戦で戦うための方法を手に入れることができた。

「ええと、つまり……」

「だから、夏弥は剣のほうが性に合っているということだ」

 ようやく、夏弥も理解する。つまり、ローズの言う〝剣〟とは〝剣道〟のことを指すらしい。

「いまの魔術に抵抗を感じるのも、それが原因だろう。石を投げて発現するいまの魔術では、力のセーブがつけにくい。その加減がつけられなくなって、手を離せなくなっている」

 いまの夏弥が習得した魔術では、一度手を離してしまったらその後の制御がつかない。それは、変化に追随しにくいということ。変化に対応したいなら、その変化すら予測したうえで、魔術に組み込まなければならない。


 だから、加減がつけられない。そのため、その結果に恐れて、抵抗を感じている。

「……で、剣なら大丈夫だと?」

 当然の疑問を、夏弥は口にする。ああ、とローズはこれまた自信満々に頷く。

「それ、本当か……?」

「可能性としては高いだろう。今までの実績があるのだから」

 可能性はわからないが、実績でいうなら、それは確かにと頷ける。

「じゃあ、あれか。俺は竹刀を持って戦いに挑んだほうがいいのか?」

「別に竹刀である必要はないと思うが。夏弥にとって最もしっくりくるモノを選べばいい」

「そんなこといわれても…………」

 夏弥に合う武器は剣だという。しかし、今の御時世、剣なんてものがそう簡単に手に入るわけがない。選ぶ、なんて言われても、そもそもそこに選択肢が存在するのか、そこから疑問だ。

 そんな夏弥を前に、ローズの思考は遥か上にあった。

「そんなに悩むことでもなかろう。夏弥のイメージに合うものを、夏弥がつくればいいのだから」

 ぽかんと、今度こそ夏弥の思考はローズに追いつかなかった。ローズは、それがさも当然の帰着であるかのように告げた。

「――魔術には『具現』と呼ばれる、モノをつくるためだけの魔術が存在する。それを会得(えとく)すればいいだけのことだろ」

 なんて簡単に言われて、しかし夏弥はすぐに頷けない。いま夏弥が習得している魔術だって、その会得に一週間近くかかっている。なのに、また新しい魔術を会得して実戦で使えるようにするなんて、たった一日で可能なのかどうか。

 そもそも、夏弥に必要なのは剣の代わりになる武器のはず。その武器をつくるために新しい魔術に取り組むなんて、なんでわざわざ、というふうにしか夏弥には思えない。

「なんか、まどろっこしくないか?」

 しかしローズは、そんなことはない、と胸を張る。

「『具現』でつくられたモノは、術者の魔力の(かたまり)だ。すなわち、術者の手の延長と言ってもいい。なら『具現』でつくったモノが術者にとって最も扱いやすい武器であることは明白だろう?」

 さも当然とばかりに真顔なローズに、しかし夏弥は頷けるだけの知識を持たない。ローズの説明も、そんなものか、ぐらいにしか聞けていない。夏弥の魔術に対する知識なんて、そのていどのもの。

 だから、夏弥には判断できない。けれど、ローズがこんなにも真剣だから、夏弥も否定するのは気が引けた。

「…………そうかも、な」

 だから、夏弥は頷く。ローズの中で、特訓のための方針はすでに揺るぎない。だったら、夏弥もそれに応えようと、覚悟を決める。

 ようやく話がまとまったから、ローズは改めてうんと頷く。

「さあ、夏弥。イメージしてみるがいい。夏弥の思い描く、理想の剣を」

 おう、と夏弥も応える。剣を、イメージする。夏弥自身が思い描く、理想の剣。夏弥が楽園(エデン)争奪戦を最後まで戦い抜くための、相棒。

 さあイメージしよう、と意識して、はたと夏弥の手が止まる。

「………………で」

 イメージする、夏弥の握る剣を。夏弥がこれからの戦いで使う、唯一の武器。

「どんな形がいいんだろうなぁ」

 そんなイメージすら浮かばず、夏弥は自身の戸惑いを口にする。

 しれっと、ローズが返す。

「だから、夏弥の理想の剣だ」

「いや、そんなこと言われても……」

 現代において、剣なんてものはそう簡単にお目にかかれるものではない。美術部所属で、絵を描くときには実際のモデルを強く意識する夏弥にとって、なんの参考もなしにイメージしろなんて言われても、無理がある。

 夏弥の困っていることにようやく気づいたのか、ローズも一緒になって考える。

「なら、身近な刃物を連想したらどうだ。例えば……」

 ローズが居間から消えて、一〇秒ほど。戻ってきたローズは、手にしたそれを夏弥の前に突きつけた。

「これなどどうだ」

「……!」

 夏弥は焦りのあまりに硬直した。ローズの手に握られたそれは、それだけの破壊力を持っていた。

 それは、夏弥にとって見慣れたものだった。料理のときに使い、ローズのいうところの身近な刃物にまさしく相応しいモノ。

 ――解答(こたえ)は、包丁。

 右手に掴んだそれを、ローズは夏弥に向けて突きつける。刃物を人に向けたらいけません、なんていう人間の常識を知らないローズは、平然と刃の部分を夏弥に向けている。夏弥の内心では、変な危機感が反応して悲鳴をあげている。

 落ち着けと、夏弥は自身に命じて声をあげた。

「そんなの、一発で警察呼ばれる、って!」

 それでも、夏弥はすぐに落ち着けなかった。肩で息をするように、何度も荒い呼吸を繰り返す。五分近くそうして、ようやく落ち着くことに成功した。ローズの冷静な声が夏弥に問いかける。

「ではどうする?」

 夏弥は悩んだ。ローズは、夏弥に一つの可能性を示してくれた。それを否定しておいて夏弥自身が何の可能性も示さないのは、身勝手な気がする。それ以前に、夏弥がちゃんと考えなければ、夏弥の武器はまだ目の前に突きつけられている包丁になりかねない。外で包丁を振り回しているなんて、一発で逮捕される。

 夏弥は居間を出た。廊下を奥まで進み、二階に上る階段のその裏側にある物置を開ける。小さい頃は面白半分で覗いたことがあるくらいで、一人暮らしを始めるようになってからは今日まで一度も入ったことがない。高校生の夏弥にとっては狭苦しいだけで雑多にモノが積み上げられた場所。何かないかと漁る夏弥の手に、応えるようにそれが納まった。

 得たり、とばかりに居間に駆け戻り、ローズに向けてそれを突きつける。

「これとかッ」

 ローズは何も言わずに硬直した。夏弥のとった反応(リアクション)とは違う、まるで呆然としているかのよう。

 現代では、あまり見なくなったモノ。こんな古い家だからこそ、残っていたのかもしれない。小学生だったら掃除の時間、チャンバラごっこにでも使いそうなモノ。

「はッせいッせやァ」

 まさしく、その再現を夏弥は真剣に行った。振るたびに、カサカサと先が音を立てる。絶対に、本来の用途とは逸脱している。

 ――解答(こたえ)は、箒。

 ローズは夏弥から顔を逸らした。自分の腹を両手で押さえ、彼女の背中は小刻みに震えている。夏弥は決めたままのポーズで、半眼で彼女を睨む。

「……………………笑うなよ」

「無茶を言え。そんな姿(なり)で……」

 改めて、夏弥は両手でかまえた箒に目を向ける。小学生ならともかく、高校生になって、お芝居でも何でもないのにこんなことを真剣にやるなんて、というセリフは一時棚にあげておく。すぐに目を逸らして、夏弥は口元を曲げる。

「これでも、少しは真剣なんだぞ」

 強がっていても、冷静に見たら滑稽以外の何ものでもない。もちろん、夏弥は自身のセリフに嘘は混ぜていない。ただ、真剣三に対して、「これはナイよなぁ」が七だという気持ちを吐露していないだけだ。

 まあいい、とようやく笑い終えたローズが顔を上げる。

「勝負のときまでに、具現を成功させればいい。あとは、体が自然と動くだろう」

「ちょっと待てよ。成功すれば、って。そこからまだ、戦うときのための特訓もあるんだろ」

 大丈夫だ、とローズは本当に問題ないとばかりにあっさりと返す。

「武器さえ持てば、夏弥は十分戦える。それだけの鍛錬を、美琴や、他の神託者相手との手合わせの中で、夏弥は積んできたんだ。――安心しろ、俺が保証する」

 夏弥は返す言葉を失った。確かに、夏弥に合った武器をつくることがローズの方針だったから、それ以上のことは必要ない。戦うための準備とは、あくまで武器の用意であって、実戦に向けた特訓ではない。けれど、彼女から「必要ない」と断言されるのは、なんだかこそばゆい。そんな感情は一時棚上げ、と夏弥はイメージの特訓に意識を切り替える。


 屋敷に戻るとすぐに、栖鳳楼礼は本家の奥へと向かった。

「…………」

 欠伸(あくび)が出そうになるのを、なんとか抑え込む。まだ、睡眠は取れていない。とっととベッドに潜り込みたいが、そうもいかない。栖鳳楼にはまだやることが残っている。今日はもう始まったものと見なして、起きているしかない。

 どこかで、時間を作って仮眠を取りたい。それまでは、魔力の流れを操作して無理矢理活性状態を維持する。そんな強制駆動にももはや慣れ、おかげさまで(くま)もできない健康な毎日を送っている。

 ……無理は体に良くない?そんなの知ったことじゃないわ。

 自分の屋敷を失って、本家で生活をするようになったが、栖鳳楼に戸惑いはない。もとより、次期当主に選ばれたときから良く足を運んだ場所だ。いまさら馴染みのない場所など、あるはずもない。

 だから、本家の奥の奥、一族の中でもあまり知られていないこの場所を歩くことさえも、栖鳳楼は何の抵抗もない。その部屋の前に立つと、栖鳳楼はその部屋の中にだけ聞こえるように声をかける。中から、一人の女中が出てくる。女中を下がらせて、辺りに誰もいないことを確認する。

「見張りは任せたわ、潤々」

 すぐ後ろの潤々にそれだけ残して、栖鳳楼は部屋に入る。そこは、昔から物置として使われている。それでも、栖鳳楼の屋敷で使われている物置だ、広さは普通の部屋と同じ。普段から小間使いが掃除をしているから、汚い印象はない。部屋の隅に天井へ届くほど積まれた用途不明の品物の数々、それがあるだけの物置。

 そこに足を踏み入れ、栖鳳楼はさらに部屋の奥へと向かう。

「気分はどうかしら」

 栖鳳楼が話しかける相手は、部屋の奥に座っている。いや、その男は腕を後手に縛られて、柱に拘束されていた。男はギリと奥歯を噛んで、栖鳳楼を鋭い視線で見上げる。

「……路貴。いい加減、名字を呼べないのは辛いわ」

 路貴から二メートルの距離をあけて、栖鳳楼は立ち止まる。路貴は動けないまま、ただ栖鳳楼を見上げるばかりで何も喋らない。

「そろそろ白状してくれない。どうしてあそこにいたの?」

 昨晩、夏弥と貴士が戦っていたあの墓地に、実は路貴もいた。その路貴を見つけたのが、栖鳳楼だ。栖鳳楼は路貴を捕まえて、こうして自分の屋敷の奥に縛りつけている。

 路貴はサングラスをかけていない目で栖鳳楼を睨みつける。

「何度も同じこと言わせるな。たまたまだ、つってんだろ」

 栖鳳楼が何度も聞いたわけではない。取り調べはさっきの女中に任せて、栖鳳楼は一晩中調べ物をしていた。調べた内容は、夏弥の相手となった王家のこと。

 そういえば、と栖鳳楼は話し方を変える。

「こうやってあなたと……」

「路貴、だ」

「……路貴とこうしてちゃんと話をするのって、初めてじゃない?」

 薄く、路貴を見下ろす栖鳳楼。まるで興味がないとばかりに顔を逸らす路貴。

 ……仕方がないか。

 栖鳳楼は小さく息を吐く。栖鳳楼には、まだやることがある。路貴の相手ばかりしているわけにもいかない。それに、気持ちのうえでもあまり余裕がない。栖鳳楼は早くコトを終わらせてベッドに入りたいのだから。

 その致命的な名を、栖鳳楼は呼ぶ。

「――ねえ、名継(なつぎ)路貴」

 効果は、栖鳳楼の思っていた以上にテキメンだった。

 路貴の目が、殺気を帯びて栖鳳楼を睨み返す。ギリギリ、と噛みしめられた奥歯があてつけのように聞こえる。

 栖鳳楼は、しかし淡々と路貴に返す。

「王家は隣の国の血族。その王家を支える魔術師の一つに名継がある。路貴は、名継家の跡取りなのね」

 どうして今日までわからなかったのか、栖鳳楼にはそれすら疑問だ。

 王貴士のことは、一目見ただけで王家の人間だとわかった。血族は割り当てられた領土の中で、他の魔術師たちを管理する。だから、白見(しらみ)の外の魔術師だったとは言え、王貴士のことはすぐにわかった。

 なのに、名継路貴の存在に気づけなかったのは、迂闊だった。昨晩のうちに調べてわかるていどのことなのだから、今までの自分の調べ方が悪かったということだ。血族の(おさ)として、そんな失態は許し難いことだが、いまは無視しよう。路貴からは、訊き出さなければいけないことがあるのだから。

「名継路貴が、王貴士の戦う場所で身を隠していた。これをたまたまだと信じられるほど、栖鳳楼は甘くない。名継路貴は王貴士を手助けするためにあの場にいた、そう考えるのが自然でなくて?」

 それが、第一に確認したいこと。王家にとって名継家とは、栖鳳楼家にとっての四家(しけ)と同等。名継路貴が王貴士のために動くことは当然懸念すること。それは、栖鳳楼礼にとっては甚だ不都合だ。

 ハッ、と路貴は小馬鹿にするように声をあげる。

「誰が、あんなやつの手助けなんかするかよ。たまたま、って言葉を信じられねーならそれでもいいが、これだけは誓ってやる。俺は王貴士の手助けなんざしない。もちろん、雪火(ゆきび)夏弥の邪魔もしない。ああ、手助けもな。だから今晩の勝負か、ぜひ勝手にやってくれ」

 俺の知ったこっちゃねー、と路貴は吐き捨てる。

 当然、栖鳳楼は路貴のセリフに(いぶか)しむ。王貴士と名継路貴には、その家の名における主従関係がある。なら、名継路貴が王貴士の側につくというのは自然のはずだ。なのに、路貴は貴士の手助けをしないという。栖鳳楼の予想していた返事とはあまりにもかけ離れているから、栖鳳楼も判断に迷う。

「……そんな言葉、信じられると思う?」

 栖鳳楼自身も、愚問だと思う。そんな迷いを曝したところで、相手に隙を見せるだけなのだから。

 路貴は肩を(すく)めて口元を歪める。

「信じられねーっつーならそれでもいいけどよ。吐いたセリフは(たが)えない。誓ったんだ、それだけは言っておく」

 それが全てだというように、路貴は口を閉ざす。だが、栖鳳楼は納得できない。幼い頃から次期当主として、禁を犯した魔術師を狩る者として、栖鳳楼は甘い考えを捨ててきた。彼女に求められるものは、表面的な甘言ではなく、より即物的な現実だ。

 震えを悟られないようにと、栖鳳楼は当主として、高圧的な自身を意識する。

「なら、教えてくれるかしら?王貴士の実力を」

 栖鳳楼は要求する、路貴が口にした証拠として、今ここで味方の情報を提供しろ、と。そんなことをすれば当然、路貴は裏切り者になろう。そうなってもかまわないというなら、さあ、吐いてもらおう。

 そんな栖鳳楼の賭けも、しかし路貴はあっさりと口にする。

「今までに魔術師同士の決闘はしたことがない。要するに、実戦経験はなしだ。まあ、一応血族だからな、魔術師としての知識はかなり深い。が、つまるところ分厚い本だ、ありゃ。戦う上で、あいつ自身の実力が脅威になることはない」

「でも、王家は血族でしょう?実戦経験がないなんて……」

栖鳳楼家(テメー)と一緒にするな」

 路貴は息を吐きだしてから、さらに続ける。

「場所が変われば、血族の在り方も変わる。テメーらは魔術が一般人に知られないようにすることに力を入れているみたいだが。王家は違う、世界の起源へ到達することを第一に掲げている、生粋(きっすい)の魔術師だ。そのせいで、家同士の争いもあるにはあるが、それは当人同士が解決することだ。だから、王家配下の家では魔術の研究と同時に実力のほうも重視する。王家は、あくまで他の家が貢いできた成果に評価をくだしていればいい。だから、知識はあるが実力はない。そんな連中が育つんだよ、王家には」

 血族とは、魔術師を管理する存在だ。しかし、そこには管理範囲が存在する。すなわち、場所の問題だ。ゆえに、血族とは土地ごとに存在する。栖鳳楼家が白見の町近辺を管轄にするように、王家はまた彼らの領土内の魔術師のみを監視していればいい。

 それは同時に、血族とは土地ごとに特色が違うということ。そのことは、栖鳳楼も知っている。何人かの他の血族とは関係があり、話をするごとにその違いを見せつけられる。

「一般人に魔術師の存在がバレたら、どうするの?」

「バラしたやつがなんとかしろ、ってことになってる。王家は関与しない。まあ、そのせいで過去に協会から警告が出たらしいが、その代価は王家ではなく、その下の家が負う羽目になった。だから、それぞれの家は隠蔽のほうでも責任を負わされる」

 まったく、と路貴は心底からの感情を吐き出す。

「メンドくせーよな。全部こっちに押しつけて、あっちはいい悪いを判断するだけ。良ければ家の名が上がり、悪けりゃ資源が制限される。だから、それぞれの家は王家に媚びを売るんだ。……何もできねー、お飾りのくせに、偉そうに」

 栖鳳楼は、これ以上この件で路貴から情報を引き出すことを止めにした。後は、裏を取るために栖鳳楼自身が調べればいいだけのこと。ここから先は、話がループしかねない。

「その王家が、何故楽園(エデン)争奪戦に参加を?わざわざ、自国から出てまで」

 楽園(エデン)は有効範囲の存在する魔術だ。そして楽園(エデン)が刻印を通じて神託者を選ぶとき、その範囲を超えた魔術師を選ぶことはない。このことは、楽園(エデン)の伝承を知る者なら、誰もが知っていることだ。

 楽園(エデン)は、楽園(エデン)が存在できる場所の中から最も世界に相応しい存在を神託者として選ぶ。だから、楽園(エデン)争奪戦に参加したいのなら、その有効範囲内に存在しなければならない。王家の領域は、明らかに範囲外だ。そんな彼ら――王貴士と名継路貴――が神託者に選ばれるということは、彼らが進んでここ白見の町に滞在していることになる。

 仮に路貴の話が正しいのなら、実力のない王貴士が楽園(エデン)争奪戦に参加するのは自殺行為だ。それ以前に、王家の方針に従うなら、王家自身が動く必要はない。そもそも、王貴士が神託者に選ばれる、その因とはなにか。

 栖鳳楼の頭の中で、あらゆる可能性が湧きあがる。しかし、そこに明確な解答はなく、ただ問いだけが溢れるだけ。

 そんな栖鳳楼の問いに、しかし路貴は非協力的だ。

「さーな。俺の知ったこっちゃねー」

 まあそうだろう、と栖鳳楼もそれ以上は問わない。名継路貴と王貴士は、ともに白見の外の魔術師だ。名継路貴が神託者に選ばれるためにこの地に居座るなら、そもそも王貴士がこの地にいる必要はない。それでも二人が二人して神託者となったなら、それはもう、血族に従うだけの名継の人間が知る由のないことだ。

「……では、最後に路貴に忠告を」

 話の終わりに、栖鳳楼はただ命じる。

「あたしの許しがあるまで、ここから出ることを禁じます。少なくとも、明日の朝まで許すつもりはありません」

 路貴の話が真実かどうか、そんなことはわからないままでもかまわない。要は、夏弥と貴士の再戦のときに路貴を動けないようにしておけば、それですむこと。栖鳳楼が路貴を捕えてここに縛りつけているのも、結局はそのため。

 身動きを封じられた路貴は、しかし思いもよらないことを口にする。

「――あのままだと、夏弥は死ぬぞ」

 驚いて、栖鳳楼は路貴を見る。偽ることのない()が、静かに栖鳳楼を見返すだけ。

 ――自分の心配より他人の心配?それも、よりによって……。

 王貴士ではなくて、雪火夏弥。路貴が口にしたのは、夏弥の名だ。改めて考えなければならないことが出てきたが、一時保留にして、栖鳳楼は素直に頷く。

「そうね」

「結界役を買ったことにかこつけて、あいつの手助けでもするつもりか?」

 あっさり返した栖鳳楼の態度を不審に思ったのか、路貴はさらに訊いてきた。自身の内を探られたくなくて、栖鳳楼はすぐに返した。

「そんなことはしません」

 もとより、夏弥の手助けをするつもりはない。栖鳳楼が気にするべきは魔術の痕跡が世間に残らないかどうかであって、勝敗がどうつくかではない。

 魔術師同士の決闘は、家の名を背負う。夏弥には、そんな意識はないのかもしれないけれど、それが決闘である以上、その戦いは夏弥だけのものだ。栖鳳楼が手出しすることは許されない。

 路貴は訝しむように目を細める。

「テメーは、あいつに何もしないのか?」

「後は雪火夏弥の問題。こちらが手を貸すようなことはしません」

 魔術の特訓くらいは面倒を見ようかと思ったら、ローズに取られてしまった。だから、栖鳳楼にはやることがない。後はせいぜい、本番になって彼らの戦いが他の人に気づかれないように結界を張るだけ。二週間前の名残があるからといって、血族の長がそんなことでしくじるなど、ありえない。

 ふーん、と路貴が気のない声を漏らす。

「そうかよ」

 納得がいったのかいかないのか、路貴はそれ以上の言葉を発しない。栖鳳楼も、もう用がないから、路貴に背を向けて部屋の外へと向かう。

「では、路貴はしばらく、ここで大人しくしていなさい」

「ちょっと待て。まだメシをもらってねーぞ」

 栖鳳楼は扉を開ける手を止めて、路貴へと振り返る。さも当然とばかりに、栖鳳楼は告げる。

「――一日くらい、何も食べなくても生きていられるでしょう?」

 栖鳳楼は扉を開けて、後手で閉める。扉が完全に閉まるまで、路貴の恨めしそうな視線が栖鳳楼を()めつけていた。しかし、栖鳳楼はまるで気にする素振りもなく、笑って扉を閉めた。


 日は沈みかけ、辺りは茜色に染まりつつも、夏のこの時期ではまだ暑さがまとわりつく。見事なまでの夕焼け空に、王貴士は見入ったように歩みを止める。隣を歩く金も、貴士に倣って足を止める。

 ともに言葉はない。金は夕日などまるで見ていないように、貴士のほうにばかり目を向ける。まるで、次の命令を待ち望む従者のように。それ以外の事柄など、まるで眼中にないかのように。

 その、すでに慣れた沈黙に、貴士は息を吐くついでに口を開く。

「――戻るか」

「うん」

 この簡素なやり取りも、もはや決まりきったこと。二人は自分たちのねぐらである寺院へと向かって歩き出す。

 ただ無為に、一日中町を歩き回っていたわけではない。貴士はただ一つの標的を見つけるために、いつもの散策を繰り返していた。

 ――神隠し。

 ここ白見の町で起きている誘拐事件――。

 それが誘拐事件なのか、果たして殺人事件なのか、その実際はいまだに不明。人が忽然と姿を消す、それは神隠しと称されるほどに、何の痕跡も残さない。

 白見町で開催されている楽園(エデン)争奪戦の初期の頃から、その事件は起こっている。それが世間に知られるようになったのは、それからしばらくして。貴士がその犯人を捜し出そうと、こうして町を調べながら歩くようになってからだ。

 隣の金が平生と変らぬ表情で口を開く。

「今日も、見つからなかった」

「そうだな」

 貴士もまた、いつものように頷きを返す。

 ……今日もまた、見つけることはできなかった。

 いままでずっと捜しているというのに、貴士はいまだに相手の気配を見つけられたことはない。違和感を覚えて現場に向かったころには、すでに誰かがいた気配すらなくなっている。唯一、被害者のものと思われる衣類やバッグが残されているだけだ。

 まるで、透明人間を相手にしているような感触。そんな徒労にも、しかし貴士は別段焦りを覚えてはいない。

「だが、この無駄足も今宵まで。明日になれば、残るは、我と最後の神託者との最終決戦となろう」

 まだ相手を示す手掛かりなどなにもないが、貴士は相手が自分に気づいていることを疑わない。貴士が違和感に気づき、近づく頃にはすっかり姿を消している。それは、相手が貴士の接近に気づいているということ。

 ――なら。

 最後の二人のみになったなら。

 互いを認めた瞬間に、死合(しあ)うことになるだろう――。

 その確信を持っているがゆえに、貴士はいつも通りの結果に不満を持たない。準決勝のお膳立ては済んでいる。それさえ済めば、いよいよ…………。

 不意に視界に入った金の表情に、貴士は思考を打ち切る。自分を見上げる彼女の顔には、どことなく不安の色が見て取れた。

「…………どうした?」

 ふるふる、と金は表情をそのままに首を横に振る。

「なんでもない」

 すぐさま、金は視線を正面へ移す。前を向かれてしまっては、見下ろす貴士には彼女の表情を見ることはできない。それ以上の追及はせずに、路貴もまた正面へと視線を戻す。

「貴士……」

 すぐさま、下のほうから声があがる。彼女がなおも前を向いているのを知っているから、貴士もまた前を向いたままに返す。

「なんだ」

 五秒の沈黙。まるで言葉をまとめるようにして置いた間の後に、金はとつとつと語りを始める。

楽園(エデン)、手に入る。それ、世界の起源、到達すること。王家の悲願。――それから、どうなる?」

 その漠然とした問いに、貴士は応える(すべ)を知らず、金へと視線を落とす。

「――どう、とは?」

「あ、その…………」

 困ったように、金は左右のこめかみに手を添える。うんうんと考えるように小さく首を振ってから、また言葉を紡ぎ出す。

「金、よくわからない。世界の起源、の、到達。それ、魔術師の、目標。それ、知ってる。でも……。それ、達成したら、全部、終わり?もう、魔術、いらない?」

 貴士は歩みを止める。その問いは、貴士にも答えようがないものだ。

 ――楽園(エデン)は世界に最も近い場所。

 魔術師の悲願を叶える可能性、それが楽園(エデン)――。

 その(うた)い文句は知っていても、それが実際、何を意味するのかまでは、貴士も知らない。

「それは楽園(エデン)を手にしてみなければわからぬ。楽園(エデン)はあくまで世界に最も近いとされているに過ぎん。楽園(エデン)が示すのは、すなわち可能性ということだろう。そこから世界にまで届くか否か、それは手にした魔術師の実力次第ということか」

 楽園(エデン)を手にして、全ての魔術師が世界に到達できるなら、とうの昔に誰かがその悲願を達成しているだろう。しかし、現実にはそんな話などなく、いつまでもその伝説だけが語り継がれている。

 楽園(エデン)を手にした者だけが世界へと到り、残された者にはそれを確かめる術はないのか。伝承の解釈では、それが最も確かなこと。なら、魔術師たる王家の一族がその悲願を遂げるためには、楽園(エデン)を手にするだけでは不足だというのか。

 貴士の思考を先んじて、金がさらに疑問を挟む。

「じゃあ、楽園(エデン)手に入れても、魔術師の目標、達成されない?」

 そんな彼女の問いに、貴士が応えられるわけもない。だから貴士は見上げる金へと視線を落とす。

「それを確かめるために、我はここにいる」

 楽園(エデン)さえ手に入れば、それで全てが明らかとなろう。正確には、楽園(エデン)への鍵だが。

楽園(エデン)手に入れても、貴士は、何かしないといけない?」

「わからぬ。が、可能性はあるだろう」

「何、する?」

 貴士はさらに思考する。

楽園(エデン)も欠片と同じく、高度に組まれた魔術だ。何かしら、魔術的に封を解く必要があるかもしれない。もっとも、欠片と同レベルではないだろうが」

 うん、と金が何かを納得したように一つ頷く。

「なら、それ解くために、因の家の人たち、必要になる」

「なるほど。確かにそうだ」

 そう応えてはみたが、果たしてそんなことが可能だろうか。前回の楽園(エデン)争奪戦では、優勝者が楽園(エデン)を拒んだことにより、大きな災害が引き起こされた。それは、楽園(エデン)への鍵を手にしてからそれほど猶予がない、ということではないか。なら、試されるのは楽園(エデン)への鍵を手にした者自身ではないのか。

 貴士は自身の思考を顔に出さなかったから、金はまるで理解しないままに明るい声で続きを口にする。

「じゃあ、路貴も必要ね」

「…………」

 貴士は応えることができず、口を閉ざす。そんな貴士の様子を不審に思ったのか、即座に金が首を傾げる。

「……貴士、どうかした?」

「なにも」

 それでこの問答は終わったとばかりに、貴士は歩き始める。大股で歩を進めるから、小さな金は駆け足で貴士の後に付き従う。

「ただ、この領域の血族からの報せが遅いと、そう思っただけだ」

 誤魔化すようなセリフに、金は微笑(わら)って返した。

「それ、仕方ない。だって貴士、あの女の人にどこ行くか、言ってない」

「……なるほど」

 墓地に辿りついても、辺りはまだ夕焼けのおかげで明るい。夏のこの時期だと、六時から七時の間だろうか。

 墓地なんて場所は、用がなければ誰も寄りつかない。明るいはずなのに、やたらと影が目立つ、そんな寂しいところ。

「確かに――」

 誰にともなく、貴士は呟く。

「――待たせたのは、こちらか」

 その気配は、すぐさま形となって貴士に応じる。空から降って来た彼女は、まるでそれが自然であるように貴士の前に姿を現す。その、人とは違う気配に、魔術師たる貴士は即座に理解する。

「栖鳳楼の式、か」

 自然に振る舞う貴士に、潤々もまた当然のように貴士へと会釈する。

「王貴士へ、雪火夏弥との決戦についてお知らせします」

 日常の中にぽっかりと空いた非日常(あな)の中で、式神は魔術師へと告げる。

「時刻は丑三つ(どき)、場所は丘ノ上高校グラウンド。わかりますか?」

「問題ない。把握している」

「審判は栖鳳楼家当主、栖鳳楼礼が直々に行います。両者決闘中の結界についても、栖鳳楼家が責任を負います。よろしいですね?」

 ああ、と貴士は頷く。

「かまわない。それ以外の手出しはせぬように、これだけ忠告しておく」

 能面のままの表情で、貴士は告げる。その尊大な態度に、潤々は微笑をもって応える。

「ええ。もちろんです。魔術師同士の闘争の規則さえ守っていただければ、こちらはそれでいいのですから」

 用件は済んだと、潤々は深く礼をしてから宙に浮く。

「では、時間を間違えないでくださいね」

「――ああ。請け合おう」

 潤々の忠告も軽く流し、貴士は一度だけ顎を引く。それで十分とばかりに、潤々は突風を残して空へと消えた。ようやく、というように金が声を漏らす。

「とうとう、今晩だね」

「そこまで気負う必要はない。前回の続きだ、我の勝利は約束されている」

 ううん、と金は小さく、しかしはっきりと首を横へ振る。

「貴士が魔術師の決闘するの、これが初めてだから」

 そうか、と頷きかけて、貴士はいや、と反論を口にする。

「では、この前のものは違うと。路貴との闘争も、魔術師の決闘には入らないか?」

 前回の夏弥との戦い、さらには路貴とも戦った。それでも、貴士の魔術師としての戦いはこれが初めてなのかと、貴士は金に問う。

 その問いに、金は微笑を浮かべたままきっぱりと頷く。

「他の二つ、やろうとしてやったのじゃない。なんて言う……。成り行き」

 彼女の微笑に、不覚にも頬が緩んでしまう。その指摘は、確かに正しいように貴士は思ってしまった。

「――確かに」

 口の()を緩めたままに頷き、しかしすぐに貴士は断固とした意思を言葉にする。

「気負う必要などない。我が欠片を超えられるものなど、いないのだから」

 それだけは、決して揺るがない自信。

 まだ見ぬ最後の神託者を脅かし、あの路貴でさえも(たお)した貴士の欠片。今晩の相手も、昨晩は為す術もなく、欠片の前に翻弄されていた。

 ――それに、と。

 貴士は自身の右手の甲に目を向ける。そこに刻まれた、禍々(まがまが)しい模様。楽園(エデン)に選ばれた、確かな証。

 路貴は、貴士の実力を低く見積もっている。楽園(エデン)に選ばれることすらありえないと、そう語る。

 しかし、事実はどうだ。

 貴士には、確かに楽園(エデン)に選ばれるモノがある。そして彼に与えられた欠片は、その彼を楽園(エデン)へと押し上げるかのように強力だ。

 何も憂うことはない。貴士は満足したように一つ頷いて、墓地の奥の寺院へと歩き出す。戦いまで、まだ時間がある。それまで、戻って今日一日の疲れを癒そう。王貴士は何も焦る必要などないのだから。


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