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第三章 癒えない傷

夏弥(かや)ってば、今日も出かけるの?」

 ゴーヤチャンプルーを頬張りながら、美琴(みこと)が首を(かし)げる。

 ここは雪火(ゆきび)家の食卓、時間は午前、つまり朝食時。テーブルを囲むのは、夏弥とローズと、そして風上(かざかみ)美琴。

 美琴は夏弥の通う丘ノ上高校の先生で、担当は英語。夏弥のクラスの担任で、ついでに、雪火家には少なからぬ縁がある。

 そもそも美琴が英語教師になろうとしたきっかけは、夏弥の父親である雪火玄果(げんか)にある。玄果は英語教師をしており、その姿に憧れて美琴は英語教師になった。まだ玄果がいた頃から雪火家に顔を出し、だから夏弥は美琴のことを知っている。

 夏弥にとって美琴は、年の離れたお姉さんのような存在。夏弥から見れば大人ではあるが、玄果みたいな距離とは違う、だから美琴は美琴姉さんという位置付け。

 そんな美琴は、雪火玄果が亡くなってからも雪火家に良く顔を出す。主に、週末の食事時。

 高校生にして一人暮らしをして、一通りの家事ができる夏弥とは対照的に、美琴はほとんど――というか、まったく――家事ができない。

 美琴曰く、得意料理は麺類だとか。要するに、カップラーメンのことだ。そして、掃除も洗濯もしないから、たまに美琴の部屋を覗くと、夏弥は無性に掃除をしたくなる。洗濯に関しては、学校に着ていくスーツだけはクリーニングに出しているみたいだから、夏弥も大目に見る。

「そう」

 茄子の味噌汁を飲みながら夏弥は頷く。美琴は口の中のものを飲み込んでから、眉にしわを寄せる。

「なに、今日も遊びにいくわけ?」

 美琴の不服そうな表情を、夏弥はすぐに理解する。夏休みで生徒たちは休みを満喫していても、教師である美琴は学校に行かないといけない。夏休みに入ってからここ一週間、美琴はそんな愚痴ばかり(こぼ)している。

「違うよ。病院、水鏡(みかがみ)のお見舞い」

 夏弥の平生通りの口調に、しかし美琴は目を瞬かせる。

「でも水鏡って、眠ったままじゃなかったっけ?」

 二週間前に起きた白見(しらみ)町のほとんどの人間が昏睡したという事件で、美琴も丘ノ上高校の教師として、生徒たちの状況を把握している。事件の規模のわりには、被害が少ないからそれほど大事にはなっていないが、一人だけ例外がいる。

 ――それが、風上美琴が担任をしているクラスの、水鏡(あき)

 夏弥は困ったように口をすぼめる。

「そうだけど……」

「はっはーん。そっかー」

 うんうん、と何を納得したのか、美琴は何度も頷く。その顔には、あまり直視したくない笑みが浮かんでいる。

 夏弥には人の心を読む才能などないが、なぜか美琴の想像していることが理解できてしまった。

「…………何を考えているのかは敢えて聞かないけど。そんなんじゃないから」

「じゃあ、敢えて言っておいてあげる。――ほどほどにしなさい」

 直前までのふざけた感じではなく、わりと真剣な様子だったから、夏弥は咄嗟に返す言葉に窮した。

「なんだよ。ほどほど、って」

「こーゆー問題って、他の人がどうこうできるモンじゃないの。言っちゃえば、運みたいなものだから。水鏡が元気になるのを信じて、待っててあげたら、ってこと」

 なんてあっさり言って、美琴はゴーヤチャンプルーに箸を伸ばす。言われっぱなしなのもなんだか癪で、だから夏弥は茶碗を置いて言い返した。

「信じてるさ。でも、心配なんだ」

「それ、ちっとも信じてない」

 美琴はあっさり夏弥の弱いところを突く。美琴も箸を置いて、夏弥のほうへと姿勢を正す。

「心配なのはわかるよ。でもね、心配だからお見舞いに行って、それで水鏡が眠ったままの姿を見て、夏弥は安心できるの?」

「…………」

 何も言い返すことができず、夏弥はただ黙った。それみなさい、とばかりに美琴はさらに続ける。

「でしょ?心配は心配のままで、行くたびにきっと夏弥は余計に心配になって帰ってくるよ。そんな夏弥の姿見たら、お姉さんまで心配になっちゃう。――だから、夏弥にはほどほどにしてほしいの」

 これはお姉さんの我がままだけど、なんてセリフを付け足して、美琴は食事に戻る。

 夏弥はしばらく悩んで、だけど十分な回答(こたえ)が浮かばないから、渋々といった感じで食事を再開する。

「…………できれば、夏弥からお返事が聞きたかったな、お姉さんは」

 なんて、美琴がいつになく寂しげな口調をしていたから、夏弥の手は反射的に止まる。胸の奥が、針を刺したみたいに、ずきり、と痛む。

「もう少しだけ、待ってよ。今日は、もう行くって決めたから」

 それだけ口にして、夏弥は美琴から視線を外す。

 ――そう。

 それはもう、夏弥の(なか)で決まっていること――。

 きっと、美琴の言うとおり。お見舞いに行くたびに、夏弥の中で不安は膨らんでいくだろう。

 それでも、行かないわけにはいかないと、そんな義務感、強迫観念に近い感情が夏弥の中で見え隠れする。いつも瞼の裏側にあるような、無視しようと意識するたびに手招いているような、そんな(くさび)

 ――本当に、どうすることもできなかったのか。

 水鏡を助けることはできなかったのか。これまでの戦いの中で失ってきたものに、本当にそれはどうしようもなかったのかと、夏弥は自身に問う。そんな自問を繰り返して、しかし夏弥の(なか)には夏弥の求める解答(こたえ)は見つからない。

 そんな意識が、その思考が、夏弥の足を水鏡の元へと向かわせる。

 それは、解答(こたえ)がほしいというよりも――。

 ――罪滅ぼしのため、なのかもしれない。

 と。

 ――ゴン。

 不意打ちのように、そんな音が頭に響く。

 額の上が、じわりと熱を帯びる。そこから次第に、その感覚が広がっていく。

「…………()ぅー」

「隙あり」

 なんて、楽しげな声が夏弥の耳に届く。

 冗談でも何でもなく、本当に痛い。攻撃した本人は軽く手刀でもしたつもりなのだろうが、相手は剣道五段という強豪。額を抑えながら、夏弥はその相手を睨みつける。

「なにすんだよ、いきなり」

「そうそう、その調子」

 美琴は、何がそんなに嬉しいのか、笑顔のままでうんうんと頷く。

「心配事とか、悩み事とか、抱え込んでいることがあったら、ドシドシお姉さんにぶつけてきなさい。夏弥のコトを受け入れられないほど、お姉さんは小さくないからね」

 任せなさい、とばかりに美琴は胸を叩く。そこにはさっきまでの暗い感じはなく、本当にいつも通りの、明るい美琴姉さんの姿があった。

 そんな美琴の姿に、夏弥は不覚にも苦笑を漏らしてしまった。

 ……気を(つか)われているな。

 きっと美琴は、夏弥にいろいろと言いたいことがあるのだろう。心配になる、というのも嘘ではないはずだ。

 それでも、美琴はそれ以上訊かず、夏弥が話したいように任せると言ってくれる。そんな美琴に、(こた)えてもいいのかな、なんて考えが浮かぶ。

 ――そこに。

「夏弥」

 自分の名を呼ぶ声が聞こえて、夏弥はそっちのほうへと顔を向ける。

 今まで食事に専念していたローズが、箸も茶碗も置いて夏弥を正面から見据える。その、食事中のローズとは思えない姿に、夏弥は緊張で固まった。

「美琴に気を遣うことはない。何か気がかりがあれば、俺に言え。俺が夏弥のために全てを尽くそう」

 そう。真剣な()でローズは言い切った。

 ……そのあまりの発言に、夏弥は思考が追いつかなかった。

 ええと、と夏弥は頭の中で思考を整理しようと努める。ローズは何と言った?夏弥のために全てを尽くす?

 夏弥とローズの関係はなんだろう。ちょっとだけ、冷静になって考えよう。

 ローズは式神で、夏弥のことを主人(マスター)だと認識している。初対面のときは夏弥のことをまさしく「ご主人さま(マスター)」と呼び、危うく夏弥は死を体験するところだった。

 ――いや、いまはそんなことはいい。

 つまりローズは式神で、夏弥のことを守ろうとするのは至極当たり前、自然な反応だ。

 だから、これは所謂(いわゆる)ヤキモチとか、そういうものではない、はず。いや、断じて違う。

 そう自身に言い聞かせている間に、目の前の女性二人は勝手に話を進めていく。

「ちょっとー、ローズちゃん。折角お姉さんが恰好良く決めたのに、横入りしないでくれる」

「横入りも何も、これは当然の主張だ。そもそも俺は、夏弥を守るためにここにいる。美琴にも、最初の頃に言っておいたはずだぞ」

 珍しく、美琴が言葉に詰まる。その理由を、夏弥は想像だけで十分に理解できる。

 ローズと美琴が初めて会ったとき、美琴はローズを自分の家まで連れて行って、色々と問い質したようだ。そのときも、ローズは同じようなことを言っていた。

 ここからは夏弥の想像だが、剣道五段の美琴が実力行使に出たのだろう。夏弥を守るという、それだけの実力があるのか(いな)か。

 結果も、これまた想像だが、ローズが圧勝し、それどころか軽く美琴をあしらったのだろう。ローズは式神、魔術師同士の戦いのために作られた存在だと言ってもいい。いくら美琴が剣道五段でも、普通の人間がローズに敵うわけもない。だから、夏弥の想像は大体合っているはず。

 実際、美琴も反論できずに唇を震わせている。

「そうだけど、そうだけど…………」

 そんな消え入りそうな声さえ漏らしている。いつもの強気な美琴には珍しい姿に、夏弥も冷や汗が止まらない。

 途端。

「うがーッ」

 なんて、奇声を上げる美琴。その勢いに、テーブルがひっくり返る幻影を夏弥は見る。本当にひっくり返ったら、夏弥も冗談ではすませられない。

 そんな夏弥の内心の怯えなど気にも留めず、美琴は暴走したように首を横に振る。

「ダメなの、夏弥はあたしのなの、かわいい弟なのっ」

 なんて、叫び声。(はた)から見て、狂ったようにしか見えない。そんな美琴に、夏弥は触れることも近づくこともできず、呆然と眺めるだけ。

「美琴が何を言っているのかわからないが、夏弥は誰のものでもないぞ」

 なあ、とローズは夏弥のほうへ目を向ける。

 ……なぜそこでこっちを見る?

 その視線に、夏弥はなんらかの意味を見出そうとした。しかし、ローズの金の瞳の奥はただ無言で、夏弥はだから何の返答もしようがない。

 と。

「…………」

 無言の圧力を、別の方向から感じる。

 振り向くまでもないが、夏弥は律義にその視線にも目を向ける。直前までの暴走モードが嘘のように、美琴は黙って夏弥を見つめてくる。その目元は鋭く、目にはわずかに充血が見て取れる。

 その瞳は、こう語っている。

 ――どうなのよ。

 夏弥は答えに窮した。

 これは所謂シュラバというやつなのか。いや、断じて違う、と思いたい。

「…………ええと。何の話だっけ?」

 その問いに、しかし応えてくれる人は誰もいない。無言の圧力から逃げたくて、夏弥は思考を放棄した。


 お昼を少しばかり過ぎた、日中で最も気温の上がる時間。七月も残りわずかとなり、夏の猛暑は連日のように続いている。この季節、こんな時間には、あまり外を出歩きたくない。

 そんな外の空気など、部屋の中にいる者にはまるで意味がない。完璧な空調管理が行き届いたこの部屋では、外の諸々(もろもろ)はただ遠い。

 その病室に、来訪者が一人。ノックもせずに、その来訪者は何の気兼ねもなく扉を開ける。扉を閉めて病室の中へと進むと、ベッドを上から見下ろすような形になって、来訪者は初めて口を開いた。

「こんにちは、言」

 来訪者――栖鳳楼礼(せいほうろうあや)――は、ベッドの足もとに自分のバッグを置いて、備えつけの冷蔵庫へと向かう。冷蔵庫を開けて中を確認すると、栖鳳楼はうん、と一つ頷く。

「あいつはまだ来てないわね」

 よしよし、なんて声を漏らす。

 ふと、栖鳳楼は窓の外へと目を向ける。遠くを見れば町らしい、ビルや車の姿を目にするが、視線を落とすと、そんな無骨な人工物ではなく、院内にある中庭の緑が目にとまる。遠くの景色には目を(つむ)るとして、この病室から見る外の景色はなかなかいい。

 栖鳳楼は口元に自嘲じみた笑みを浮かべて、ベッドのほうへと戻る。近くから面会者用に用意された椅子を引っ張って、ベッドのすぐ横で腰かける。

「言」

 もう一度、その名を呼ぶ。返ってくるのは、沈黙という静寂だけ。

 白い清潔感のあるベッドの上、ほとんど乱れのないシースの中で、彼女は目を閉じたまま微動もしない。

 普通の、健全な人と変わらない血の気の()い顔色に、艶のある黒髪。そんな彼女――水鏡言――の姿は安らかに眠っているようにしか見えない。そのはずなのに、栖鳳楼の視界にはもう一つの姿がブレて重なる。

 ――凍ったような白い肌。透き通るような白い髪。

 それは。

 死人の(そう)――。

 栖鳳楼は一瞬だけ、水鏡から目を逸らす。

「――――」

 なにか口にしようとして、失敗する。こういうところで、栖鳳楼は楽観的なことなど言えないから。

 栖鳳楼家は、ここ白見の町を裏から支える魔術師の家系。他の魔術師からは血族(けつぞく)(おさ)などと呼ばれる、その土地の魔術師を管理・監督するのがその役目。――その実態は、魔術師としての掟を破った魔術師を処罰すること。

 魔術師の中で、魔術を無関係な一般人に曝してしまうことは、禁忌として禁じられている。一般人に対して魔術を使用するなど、論外だ。だが、魔術を一般人に曝してしまう魔術師というものは、得てして、一般人に対して魔術を行使しまう。知られてはいけない、という一つの自制を失うだけで、魔術師は他人に害を及ぼす。魔術的な実験や、大魔術を発現するための生け贄など、禁を破った魔術師たちの暴挙は止まらない。

 だから、魔術師を管理するというのは、その実、恐怖政治に似ている。禁を破った魔術師を圧倒的な力で殺し尽くし、血族の実力と、なによりこれが恐怖という存在であるということを、他の魔術師たちに知らしめなければならない。

 栖鳳楼家はその血族の長であり、栖鳳楼礼は栖鳳楼家の現当主。白見の町の全ての魔術師を支配する、その頂点。

 栖鳳楼が当主になるということは、彼女が小さい頃から決まっていた。だから、栖鳳楼は当主になるための教育を施されてきた。幼いうちから、実際に禁を破った魔術師たちをその手にかけてきた。

 栖鳳楼は、だから甘いことなど口にできない。常に支配者たれ、断罪者たれと己に課してきた彼女は、常に冷静な判断を自身にくだす。

 ――それでも。

 栖鳳楼は、何か口にしなければ、と思う。意識のない相手にさえ、栖鳳楼(じぶん)の気持ちを打ち明けられないなんて、そんなのは虚しい。

 ……礼と言は、小学校に上がる前から近い関係にあった。

 その関係は、栖鳳楼家というモノを基盤に置いていたのかもしれない。

 栖鳳楼家は血族の長。その栖鳳楼家を支えるのに、四つの魔術師の名がある――――天蓋(てんがい)魔狩(まがり)鬼道(きどう)、水鏡――。

 水鏡言は、元々鬼道の生まれで、小学校に上がるまでは鬼道の姓を名乗っていた。だが、そんなことは関係ない。家の名前なんて、幼い彼女たちは知りもせず、ただお互いの名前を呼び合った。

 ――その関係も。

 年を経るごとに変わっていく――。

 二人が小学生になると、言は水鏡の家に養子に出された。それは、魔術師という家の問題。礼も、栖鳳楼家次期当主として、血族の役目を果たすようになった。……次第に、二人は〝魔術師〟という存在を()るようになる。

 自分たちは、魔術師の家系に生まれた。栖鳳楼は、血族の長。鬼道や水鏡は、その栖鳳楼家に従う者。――そんな二人は、決して対等ではない。

 幼い頃は、そんなことを知らない。

 そこにいた、一緒にいた。ともに遊び、ともに笑った。それが、当たり前。そんな、当たり前。

 ――それが。

 いつから……?

 もう、思い出せない。思い出せないくらい、現在(いま)の関係が当たり前になっている。当たり前のように、沁みついている。そんな事実が、ただ痛い。

 ――そう。

 栖鳳楼は、痛みを抱える。水鏡と合うたびに、胸の奥に、ずきり、ずきり、と。静かに眠る彼女を前にすると、一層その痛みが胸を締めつける。

 こんなにも、覚えている――。

 いつから現在(いま)のようになってしまったのか、それはもう思い出せない。だけど、過去(むかし)は確かにあったのだと、それだけは覚えている。

「言……」

 その名前を、また呼びたい。二人きりのときだけではなく、他の人のいる前で。礼と言(あたしたち)は、ずっと友達なんだ、って――。

「…………」

 触れるか触れまいか、手が迷う。迷った手は行き場所を失って、宙空を漂う。

 不意に、病室の扉がノックされた。びくり、と栖鳳楼の肩が反応する。気を抜いた瞬間だから、栖鳳楼も意図せず反応してしまった。手は、気づいたら自分の胸の前に引っ込んでいる。

 声は出さず、ただ振り向いて扉のほうへと目を向ける。ここは言の病室で、ノックをして声を返す人間はもともといないことになっている。だから栖鳳楼は返事をせず、ただ扉が開くのを待った。

 それは、ほどなく訪れる。扉がスライドし、向こうの廊下に立つその人物の姿が栖鳳楼からも見える。

 相手も、栖鳳楼の存在に驚いたのか、少し目を大きくする。しかし、それはすぐに安堵の表情になる。

「やあ、栖鳳楼」

 なんて、当たり前のように声をかけてくるその少年。彼の手には白いビニール袋が握られている。

 栖鳳楼は魔術師だが、別に透視など使わずとも、そのビニールの中に何が入っているのかわかってしまった。

「また来たの?夏弥」

 溜め息交じりに、栖鳳楼はそう漏らす。頭を下げたまま、目の前の相手には見えないように。小さく、口元に笑みを作って。


 夏弥だけでなく、ローズまで水鏡のお見舞いにやって来た。いろいろ、言いたいことはある。だが、真っ先に出てきたのは不満の言葉だった。

「まったく。ゼリーなんて持って来たって、誰も食べないのに」

 口にしてから「いやまず言うべきはそこじゃないでしょ」と内心で自分に返す。対する相手はこんな感じ。

「いや、手ぶらで来るのも、どうかなって思って」

 笑い声が聞こえないだけ、許してあげてもいいかな、なんて不覚にも思ってしまう。でもそんなことを一瞬でも思った自分が許せなくて、やっぱり不満が口を出る。

「そんなことしたって処分に困るだけよ。少しは考えなさい」

 歩くスピードは変わらない。エレベーターを素通りして、階段で下りる。かなり階があったはずだが、関係ない。こんなところ、他の人になんて見られたくない。

 はあ、と自分の意思とは関係なく溜め息が漏れる。

「まったく……」

 なんて言葉も、無意識。なんだか、呼吸と一緒に不満が出てくるみたいだ。

「ところで、栖鳳楼?」

「なに」

 振り返りもせず、即座に棘のある言葉が口から出てくる。かまわず先へ行ってやろうかなんて考えが浮かぶ頃合いで、相手がさらに訊ねてきた。

「どこまで行くの?」

 ぴたり、と足が止まった。

 ……栖鳳楼礼(あたし)はどこへ行こうとしていたんだっけ?

 ふと、目の前の案内表示が目にとまる。

 ――一階から地下へと向かう階段の途中。

 五秒、事態を呑み込むのに時間を要した。さらに一〇秒、深呼吸して自分自身を落ち着かせる。……よし、冷静になった。

 振り返る。相手が階段を下りる手前で止まっている。無性に腹が立つ。すでに降りてしまった自分が、バカみたいだ。

 階段を上がり、足を止めたままの夏弥とローズを背後に置いて、栖鳳楼は一度停止して小さく息を吐く。

「外」

 顔の辺りが熱い気がするが、きっとこんなに歩いたせいだ。エレベーターを使わずに歩いて降りたのだから、至極当然のこと。――うん。

 栖鳳楼は再び歩き始め、夏弥たちを置き去りにして病院の外へと向かった。夏弥が「……はいはい」なんてよくわからない呪文を呟いているが、栖鳳楼には何も聞こえない。


 栖鳳楼がベンチに座ったので、夏弥も同じように腰かける。隣にローズも座ったので、栖鳳楼との距離は三〇センチメートルくらいしかない。あまりに近いのでどぎまぎしている夏弥に、対する栖鳳楼は不機嫌そうな顔で夏弥を見返してくる。

 ……なにか、悪いことしたかなぁ?

 黙っていても仕方ないので、男の夏弥が義務感から先に口を開いた。

「で、なんで中庭?」

 ここは病院内にある中庭、緑が多く、夏の日差しから守ってくれるのでとてもありがたい。病院関係者だけではなく、一般の人々にも開放されているが、一歩外に出れば車が通り、ビルが立ち並ぶ、なんて場所に、用もない人間がやってくるわけもない。夏休みのこの時期に人々が向かうのは、レジャー施設とかそういうところ。

 栖鳳楼は不機嫌そうな表情のまま、夏弥の問いに即答する。

「言には聞かれたくないから」

 夏弥は返す言葉を失って、口を(つぐ)む。そんな夏弥の代わりに、栖鳳楼はすぐに言葉を続ける。

「えっと、あの事件の後のことだっけ。町のこととか?あたしの家の関係も話せばいい?」

 それは、水鏡の病室で夏弥が栖鳳楼に訊いたこと。それを口にしてすぐに、栖鳳楼は別の場所で話すと病室を出てしまったのだ。

 夏弥が無言で首肯すると、栖鳳楼は一旦息を吐いてから口を開く。

「まず、白見の町のことね。大部分はニュースとかで報道されている通り。事件当日はほとんどの人が意識不明になったけど、その後は(おおむ)ね問題なし。町中の病院から、診察に訪れた人のことを訊いてみたけど、まあ、大丈夫でしょう、って。後遺症も、きっとないわね。本当に、ただみんな眠っていただけだから。規模が大きかったから対処する範囲は広いけど、問題そのものは小さいわ」

 ただ、と栖鳳楼は声を落とす。

「面倒があるとすれば、在宅医療中の人、とか。この病院にいた患者さんは大丈夫なの。一応、栖鳳楼家の管理下だからね。その手の問題には対応できるようになっているの」

 栖鳳楼の家が、白見の町を裏から支えている存在だということを、夏弥も知っている。血族と呼ばれる、魔術師を管理・監督する一族。それは同時に、魔術師の領分と一般人の領分を分ける線引きとしての役割も(にな)うから、魔術とは何の関係もない社会というものにも、少なからず影響力を持つ。溢れてしまった魔術の痕跡を直ちに消して回る、それが血族と呼ばれる栖鳳楼家の在り方。

「だけど、管理外の人たちはどうしようもない。病人はいろんなものに対する抵抗が弱いから、普通の人と比べてそういうものの影響を受けやすいの。でも、そういう人たちも対応済みだから、あんまり心配しなくていいわ。対処としては、病状が急変した、ってことで緊急入院。ほとんどをこの病院に回して、検査したうえで様子見。他の患者さんと同じ処置で問題ないようだから」

「死んだ人は、いないんだな?」

 念押しのように、夏弥は問う。夏弥の一番知りたいことは、結局そこに落ち着く。

 ――理不尽に、人が死んでいく様を見たくない。

 八年前、夏弥は白見とは別の町で大きな災害に見舞われた。町のほとんどの人が亡くなり、いまだに行方不明者の数も減っていない。そんな大災害で数少ない生き残りの夏弥だから、人の死には人一倍敏感だ。

 栖鳳楼はまるで予想していたみたいに、ええ、と頷いた。その一言だけで、夏弥は胸の内につかえていた重りが一つ、取れた気がした。

「……良かった」

 自然、口から安堵の息が漏れる。栖鳳楼は口元に小さく微笑を浮かべながら、続きを口にする。

「まあ、夏弥にはついでかもしれないけど、こっちのことも教えておく。四家(しけ)の…………、って言って夏弥はわかる?」

「聞いたことがある、くらい」

 二か月前は魔術師のことなど何も知らなかった夏弥だが、神託(しんたく)者として楽園(エデン)争奪戦に参加してからは、魔術師のことを少しは知るようになった。栖鳳楼家のことや、その周りの魔術師の一族のことや。

 うん、と栖鳳楼は一つ頷く。

「じゃあ、一応説明しておく。栖鳳楼家の下には、栖鳳楼を支える四つの家がある、それが四家。天蓋、魔狩、鬼道、水鏡の四つ。うち、天蓋はあの事件の解決に動いてくれていて、その被害、ってことで四人が意識不明の重体だった」

 そのことは、夏弥も知らないことだ。自然、夏弥は姿勢を正して栖鳳楼の言葉に耳を傾ける。

「事件から三日して目は覚ましたけどね。まあ、その手の耐性のある人たちだもの。ただね、影響が強すぎて、しばらくは動けない。日常生活には支障ないけど、ちょっとお仕事は任せそうにないわ」

 軽い感じで口にしたものの、栖鳳楼にとってはあまり楽観的ではいられない。楽園(エデン)争奪戦が始まってから、栖鳳楼の家では常に人手不足の状態が続いている。とりわけ、二週間前の事件では、天蓋の人員まで欠くこととなった。そもそも、天蓋は栖鳳楼家そのものの守護を役目としている。いわば、最後の防衛線のような存在だ。その天蓋を動かすという事態さえ好ましくないのに、そこに被害まで出るなんて、言ってしまえば最悪の事態だ。

 そんな内心だけは見せまいと、努めて軽い調子で口にする栖鳳楼。これは栖鳳楼家、血族の問題であって、(にわ)か魔術師の夏弥に話したってどうしようもないこと。だから、それ以上踏み込んだことは、栖鳳楼も話さない。

「あと、水鏡――」

 栖鳳楼はわずかに間を置いて夏弥の表情を窺う。明らかに反応の色が窺える。それも当然か、と栖鳳楼は感情を抑えた声で再開する。

「水鏡家に関しては、二人――水鏡夫妻ね――は、先週に意識が戻ったわ。まだ入院中だけど、あと一週間もすれば退院でしょう」

 そんな、夏弥にとっては嬉しい報告も、しかし夏弥の表情を明るくすることはできない。その理由をわかっているから、栖鳳楼はすぐに続ける。

「あと一人。言に関しては、いまも意識不明の重体。意識が戻ってくれないと、なんとも言えない。助かる見込みがあるかどうか、なんて」

「そんなに、危ないのか……?」

 夏弥の口から、ついそんな言葉が漏れる。反射的に、無意識に出てしまった言葉だったが、夏弥は驚かない。それが夏弥にとって、とても大切なことだから――。

「そこから先は、ここでは話せない」

 平生通りの口調なのに、その声には強い拒否の色が含まれていた。しかし、夏弥はその意思を知ってしまってむしろ納得してしまった。

「…………だよな」

 なんて、肩を竦めてしまう始末。

 ――そこから先。

 それは、魔術師(あちら)側に深く関わること――。

 それまでの四家の話だって、もしかしたら話せないことだったのかもしれない。それでも、栖鳳楼はここで話せるだけのことを夏弥に話してくれた。

 周りに他の人の姿は見えないが、一応ここは病院で、魔術とは関係ない普通の人の出入りがある場所だ。魔術師の事情に深く関係することは、これ以上は話せない。それを、もう夏弥にだってわかることだから、そんなふうに納得してしまう。

 だから、栖鳳楼の不意の言葉に夏弥は咄嗟に反応に遅れた。

「訊きたい?」

 なんて自然に口を開いた栖鳳楼は、夏弥の呆けた様子を素通りしてさらに続ける。

「時間あるなら、あたしの家で話してあげる。水鏡のこととか、他の家のこととか。――そして、この後のこととか」

 栖鳳楼の言葉の意味を理解するのに、夏弥は三秒くらいの時間を必要とした。理解すると、夏弥は自然と口元が緩んで、ああ、と頷いていた。

「頼む」

 栖鳳楼は一つ頷く。

「オッケー。じゃあ、行きましょう」

 立ちあがり、また一人で先を歩き始める栖鳳楼。今日はなんだか振り回されっぱなしだな、なんて思いながら素直に栖鳳楼の後ろに従う。

「そういえば、夏弥」

 唐突に栖鳳楼は立ち止り、背後の夏弥へと振り返る。

「言のお見舞い、もういいの?」

 今更に、そんなことを訊かれる。自然、苦笑が漏れる。

「――いい」

 答えはもう決まっていることだから、夏弥は(つか)えることなくそのセリフを口にできた。

「あれで、十分だ」

 そう、もう十分。持ってきたお見舞いの品は冷蔵庫にしまったし、ちょっとだけ水鏡の様子を見ることができた。だから、十分。あまり長居するのは良くない、だったかなと、夏弥は栖鳳楼のすぐ隣を歩く。


 栖鳳楼の家は、現代では時代錯誤としか言いようがないくらいの、お屋敷だ。

 町一つを裏から支える、なんて言葉で知っていても、その意味を実際に目の当たりにするとやっぱり圧倒される。夏弥が栖鳳楼邸にお邪魔するのはこれが初めてではないが、来るたびに圧倒されると言っても、ちっとも嘘にならない。

 夏弥の家は一人暮らしをするには広すぎるくらいの大きさだが、栖鳳楼邸では屋敷一つで雪火家よりも大きく、それが五つ近くもその広大な敷地の中に抱え込まれている。それぞれの家には豪華な庭があり、各々(おのおの)渡り廊下で繋がっている。

 そのうちの一つ、本家と呼ばれる屋敷に夏弥は通された。いつもなら、栖鳳楼礼のための屋敷に連れて行かれるのだが、現在、彼女の屋敷は瓦礫の山と化している。それも、二週間前の事件の影響だから仕方ないが、何も本家の間に案内することもないのにと夏弥は内心で冷や汗をかく。

 だってそうだろう。栖鳳楼の屋敷の居間も立派だったが、本家の間はさらに立派で、何より広い。普段は百人単位で人を入れるだろうに、そこにいるのは夏弥とローズと、栖鳳楼と潤々(うるる)の四人だけ。今更だが、自分が物凄く場違いなところにいるのだと突きつけられるよう。

 そんな夏弥に追い打ちをかけるように、潤々が栖鳳楼邸に相応しい最高のもてなしと笑みを夏弥に向ける。

「いらっしゃい」

 着物の上にエプロン、なんて現代では滅多にお目にかかれない恰好の彼女は、夏弥の斜め後ろで腰を屈める。潤々はお盆から湯呑を差し出し、その動きに合わせて彼女の頭の上で猫みたいな帽子が揺れる。

「どうぞ」

「ありがとう。潤々さん」

 内心の緊張を抑えつけて、なんとかそれだけ口にすることができた。そんな夏弥を試すように、さらに潤々が極上の笑みを夏弥に向ける。胸の上に手など当てなくても、夏弥は自分の鼓動が良く聞こえる。本当に自分は耐えられているのか、段々自信がなくなってきた。

 次いで、潤々はローズに、栖鳳楼に、最後に自分の前に湯呑を置いて、潤々も座布団の上に座る。ちょっと栖鳳楼から話を聞くだけのはずが、重要な会談みたいな雰囲気を醸し出す。最初に口を開いたのは、栖鳳楼だ。

「さて、まずは言の容体からかしらね」

「……ああ」

 緊張を引きずりながら、夏弥は頷く。栖鳳楼が湯呑に手を伸ばしたので、夏弥も倣ってお茶を口にする。熱い緑茶が喉を通り、少しだけ夏弥の緊張を和らげる。

 栖鳳楼は湯呑を置いてから、ふう、と息を吐く。

「いろいろと複雑でね。話が長くなるけど、まあ、辛抱して聞いてちょうだい」

 そう前置きしてから、栖鳳楼は話を始める。

「水鏡言はもともと鬼道の生まれでね。鬼道は、ちょっと変わった魔術を極めている一族なの。魔術、というよりは、異能に近いけど。鬼道の言葉を借りれば『鬼を宿して人外になる』っていうもの。人の体に〝鬼〟を憑かせる、あるいは〝魔〟を憑かせるともいうわね。そうすることで、人間の体を〝鬼〟のほうへ近づける。そうやって無理矢理異能を移植しようとする、それが鬼道」

 魔術は、理論だった学問である。しかし、それは単に理論だけで積み上げられた書物ではない。他の学問のように、例えば放射能がどれだけ人体に影響を及ぼすのか、例えばこの新薬は人類を救うのか(いな)かなど、実験的な側面も備えている。

 異能を開花させるなどは、まさしくその典型。魔術の探究のために、自らを実験台にすることを〝良し〟とした一族。

「普通、鬼を憑かせる儀式は成人になってからなんだけど。才能のある子どもは例外的に、物心つく前にその儀式をすることもあるわ。――その例外が、言」

 鬼や魔というモノは、魔術的に解釈すれば、指向性が付随された魔力の塊のこと。『指向性』を『術式』と言い換えるなら、すなわち、鬼は『魔術』そのものを指す。

 外から魔術を流し込む、しかもそれは宿主の意思とは無関係な『指向性』をもつ。そんなもの、稼働中の原子力発電と何ら変わらない。宿主にはその暴れる魔術を御すだけの技量がなければならない。

 ゆえに、鬼を憑かせるのは魔術師としての教育をあるていど受けた成人になってからが普通だが、魔術師としての才覚が認められれば、制御方法を経験的として得させるために、幼いときより憑かせることもある。

「二週間前に言の起こした事件は、その鬼の力で引き起こされたもの。鬼道では〝無限の魂の内包者〟なんて異名で呼ばれてたみたい。かなり昔から鬼道でも憑かせる人間が見つからなかった、凶悪な鬼。だって、その鬼の異能は〝無限の魂を内包すること〟なんですもの」

「無限の魂を、内包……?」

「そう。昔話なんかで人魂を食べる鬼の話があるけど、言の鬼はそれに近い。魂、っていうのは魔力にとても近いモノで、しかも人一人分で大魔術クラスの魔力量に匹敵する。それを無尽蔵に吸収しちゃう鬼だから、当然、宿主にもそれだけの魔力を御せるだけの能力を強制する。魔術師でも、よっぽど才能がなければ、そもそもそんな鬼、憑かせることさえできないような、そんな危険な鬼」

 もっとも、と栖鳳楼は肩を竦める。

「それを憑かせて、かつ、あれだけ使いこなせていたんだから、言には相当な才能があった、ってことでしょうね」

 栖鳳楼は思い出す。いくつもの人魂を引き連れた言の姿。その魂を人体に憑依させることで、大魔術を発動する。

 夏弥には死人が出ていないと話したが、実際には、二週間前の事件よりも前に、言がやったと思われる被害者が出ている。魂だけ抜き取られた死体。その人たちは、長時間魂が肉体から離れていたために、もう助からないことを栖鳳楼は知っている。

 しかし、それを夏弥には話すべきではないと、栖鳳楼はそのことについては触れない。このお人好しな少年は、きっとそんなことでさえ、責任を感じてしまうだろうから。

 だから、栖鳳楼はそれ以上このことについては語らないようにと、話題を戻す。

「話を戻すわね。結局、言はその鬼の力を使って何をしたのか。簡潔に言ってしまえば、天蓋とか、水鏡夫妻の魂を鬼に食べさせてた、ってわけ。他の魔術師にもその力を行使する予定だったらしいけど、言はそれを途中で放棄した。そのときのことは、夏弥が見てるんじゃない?」

 夏弥は思い出す。言が自身の身体(からだ)を抱くのと同時に、彼女の身体から光が放たれたことを。あの光を膨大な魔力だと錯覚したが、きっとあれが魂というものなのだろう。

 ……その光が消えたとき、水鏡は倒れて動かなくなっていた。

「あれがどういうことか、っていうのがわかれば、夏弥も言の容体を理解できると思うわ。鬼の(なか)に蓄えていた魂を吐き出させる、それはつまり、言自身の肉体(からだ)に内包していた魂を元の持ち主へと還すということ。そうね、夏弥でもわかるような喩えを使うと、胃の中のモノを全部吐き出すようなものかしら。もっとも、実際にはもっと無茶なことなんだけど。魂を蓄積するだけでも、相当な負荷がかかる。それを、まとめて全部吐き出すなんて、下手すれば自身の命を失いかけない暴挙よ」

 夏弥の鼓動が大きく跳ねる。夏弥が魔術を知るようになってから二カ月ほどしか経っていない。そのせいか、魔術が人にどれほどの影響を及ぼすのか、あまり理解していない。

 病室ではただ穏やかに眠っているだけのような水鏡の姿に、夏弥の脳裏ではもう一つの映像が重なる。

 ――それは倒れた水鏡に駆け寄ったときに見た姿。

 白い肌、白い髪、白の装束、死人のそれ――。

 夏弥のイメージを打ち消すように、栖鳳楼の言葉はなおも続く。

「言に関して言えば、幸い、ね。意識を失っているていどで済んでいる。だから正直、いまの言の状態が不思議なくらい。そのうえで意識が戻るなら、それはもう奇跡の部類ね」

 一度息を吐いてから、栖鳳楼は再び口を開く。

「もう少し詳しくいまの言の状態を言っておくと。無理矢理、肉体の(なか)の魂を外に出したから、言自身の魂まで肉体から離れかけているの。なんとかしたくても、魂の分離は高度な術だから、迂闊に手を出せない。鬼道家に、言に憑いている鬼について訊いているけど、時間がかかるわね。御隠居、っていう鬼道の最大権力もいまはないから。そもそも鬼道がいま危ない状態。…………なんとかしたくても、どうしようもできない、っていうのが現状」

 それで説明は終わったのか、栖鳳楼は湯呑に口をつける。今度は、流石(さすが)に夏弥もお茶を飲む気にはなれない。栖鳳楼が飲み終えるのを待たず、夏弥は訊ねる。

「水鏡は、どうなるんだ?」

「正直、運ね。言に憑いている鬼が宿主を助けようと働いてくれることを期待したいけど、あんまりね。悪魔との契約と違って、鬼道の儀式では憑く側と憑かれる側に何の取り決めもないから。ただ、鬼は憑けられる、憑かれた魔術師はその鬼を御す。宿主が死ねば、鬼は晴れて自由の身。そんな関係だもの、現実的な期待じゃないわ」

「じゃあ、どうする……?」

「さっきも言ったけど、どうしようもないのよ、正直なところ。そもそも魂なんて、呪術師の管轄よ。仮に呪術師を呼びつけたところで、魂を直接扱うなんて、高度な技には変わりない。下手をして言の魂に傷をつけたら、もう取り返しがつかない。…………残念だけど、あたしはそんな危ない賭けはしないから」

 最後のセリフは、少し強い口調で言われた気がした。そんな拗ねたような言い方に、しかし夏弥はもう何も問うことはできないのだと理解する。

 栖鳳楼の(なか)で、考えられる全ての可能性は考え尽くされている。そんな状態にあって、栖鳳楼はどうすることもできないと言っている。なら、それ以上夏弥が問い詰めるような真似をするのは、無責任というもの。

 だから、少しでも慰めになればと、ただ頷いた。

「…………そう、だな」

 夏弥は湯呑を手に取った。まだほんのりと熱が残っている。喉に流すと、適度な温度が夏弥の中に流れていく。

「折角話に出たから、このまま鬼道のことについても話すわね」

 口調も和らげて、栖鳳楼は別の話題に話を移す。

「言の起こした事件、あれの黒幕は、結局のところ、鬼道の御隠居、ってことになりそう。…………あっ」

 そこで思い出したように、栖鳳楼は声を上げる。

「夏弥は鬼道の御隠居、って言ってわかるかしら?」

 夏弥が頷こうとする、その前に、栖鳳楼の隣の潤々が割って入った。

「夏弥くんは鬼道の御隠居に会っているよ。鬼道喪叡(もえい)、でわかるよね」

 潤々に確認を取られて、夏弥は少し緊張しながらも頷く。

 ――鬼道喪叡。

 二週間前の事件の、実行犯が水鏡言なら、鬼道喪叡は計画犯。

 ――世界への到達。

 そのために、鬼道喪叡は白見町全体に結界を張り巡らせ、水鏡言は自身に憑いた鬼を使って魂を集めた。

 栖鳳楼は曖昧に頷く。

「そう。まあ、あたしも鬼道の家のシステムについては最近知ったから、偉そうなことは言えないけど」

 そう、前置きする。

「鬼道は『鬼を宿して人外になる』一族だから、理性とか倫理観とか、人間が備えるあらゆる道徳を失っていく一族なの。廃人、狂人になるなんて、鬼道家ではなって当然くらいの認識しか持っていない。だから、世襲もちょっと特殊でね。栖鳳楼家だったら当主を立てるけど、鬼道家では御隠居を作る」

 夏弥は自然、手に力が入る。『作る』というその単語が、どこか不吉なモノを予感させたからだ。夏弥の不安に応えるように、栖鳳楼はさらに続ける。

「御隠居と呼ばれる存在は、もともとはちゃんとこの世に存在していた人間。魔術師としての才能はなく、ただ純粋に鬼道家を統べることだけを教育された、生きた人間。その人となり、鬼道を統べるという意思だけを抜き出して、永遠の人形(ヒトカタ)に仕立てあげる」

「生きた、人間……?」

 その、あまりにも不吉な物言いに、夏弥は反射的に訊き返していた。そう、と栖鳳楼は頷く。

「どうやっているかは、あたしも知らない。でも、人から意思だけを取り出して形に残す、というのは本当。そのために、他のモノは余分と切り捨てられる。そうやって作られたモノが、御隠居と呼ばれる鬼道の意思。鬼道を統べるモノよ」

 一族が魔術師としての悲願を忘れぬように。一族が魔術師としての悲願を果たせるように。一族が(みち)を外れぬように――。

 一族を統べる、それは一族の意思と呼ばれる偶像。そこに、ヒトとしての機能など存在しない。肉体も、精神も、魂も。全ては不要と切り捨てられて、残ったものはただ唯一の意思。

 それは、決して無から創られたのではない。人間という在り方から作られた、人形という崇拝の対象。例えるなら、原石から宝石を作り上げる行為。宝石だけが光を放ち、削られた他の部分は捨てられる。――その石は、もはや元には戻らない。

 栖鳳楼は一度、息を吐く。

「その鬼道の意思がなんであんな事件を起こしたのかは、わからない。当の本人がすでに存在しないんじゃ、確認のしようもないもの」

 そう、栖鳳楼は横目でローズへと視線を送る。栖鳳楼の意味深な視線を受けても、ローズは動じることなく、返した。

「仕方あるまい。喪叡(あいつ)の式神を止めるには、あれくらいやらないといけなかったのだから」

 喪叡の式神を、夏弥も知っている。牛鬼(ぎゅうき)と呼ばれるそれは、体長三メートル近い巨人で、頭は牛という怪物。夏弥は途中で水鏡のもとへ向かったため、牛鬼との戦闘がどうなったかは見ていないが、後からローズに聞いたところでは、相当にてこずったらしい。

 ふう、とまるで当てつけみたいに栖鳳楼が大きく息を吐く。

「そういうわけで、あの事件の真相解明に、鬼道も動いてもらっている。同時に、鬼道では次の御隠居をどうするか、で慌ただしい。そんな状況」

「次の御隠居、ってまさか…………」

 夏弥は咄嗟に声を上げた。

「そんなモノのために、人一人を犠牲にするつもりか……!」

 つい大声を出してしまったが、夏弥は身を引かない。

 魔術師の語る『犠牲』というものに、夏弥は納得がいかない。何かを得るためには何かを犠牲にしなければいけない、なんてセリフは良く聞くが、それを平然と『良し』とすることは、夏弥の(なか)では許せない。

 気色ばんだ夏弥に、栖鳳楼は冷たい声を吐きかける。

「――夏弥。これは魔術師という家の問題よ。あなたがどうこういうことじゃない」

 そのセリフは、嫌になるくらい聞かされている。けれど、こればかりは夏弥も引けない。まだ、止めようと思えば止められる問題だ。今度こそ助けられるものを前にして、無視するなんて、夏弥にできるわけもない。

「でも…………」

「アーちゃん。そんな意地悪しなくてもいいのに」

 不意に、潤々が夏弥の声の上にかぶさった。夏弥の戸惑いなど無視して、潤々はすらすらと続ける。

「もう鬼道家で御隠居は作らない、って。そうまとまったんだよね」

 ぽかんと、夏弥だけでなく栖鳳楼も驚いて潤々を見る。それがどういう意味なのか、すぐに夏弥は理解できない。一方、夏弥よりも理解の早かった栖鳳楼が、彼女にしては珍しく、顔を真っ赤にして声を荒げた。

「ちょっと潤々!なに勝手に……」

「本当に……?」

 つい、そんな言葉が夏弥の口から漏れる。言うべきセリフを失ったのか、栖鳳楼は拗ねたように顔を逸らせる。

「当面は、鬼道家の長男がなんとかする、ってことになってる。もしものことがあったら他の家から救援を呼ぶつもりだけど。あんまり、呼びたくないのよね。天蓋はともかく、魔狩は、ちょっと……」

 早口で捲し上げて、最後のほうは消えてしまいそうなくらい小さかった。それでも、夏弥はかまわないと思った。夏弥が心配するまでもなく、問題はもうないのだと、そう理解できたから。

「そっか」

 だから自然と、そんなふうに頷けていた。じろり、と栖鳳楼が横目で夏弥を睨みつける。まだ頬に赤みを残したまま。

「……なにその嬉しそうな顔」

「いや、なんでもない」

 自然、笑みが零れる。堪えようとしても、どうにかできるものではなかった。

 ばんっ、とテーブルが叩かれる音を聞く。

「もう、あの事件の話はこれでいいわねっ」

 なんて、強制終了が宣言された。栖鳳楼は一度咳払いしてから、新しい話題に移る。

「次に、楽園(エデン)争奪戦の今後について」

 夏弥も、直前までの調子から切り替えて、背筋を正す。その話はまさしく、今後の夏弥に直結する問題だから。

「言も鬼道の御隠居も神託者じゃなかったから、残る神託者は三人のまま変わらない。夏弥が相手をするのは、最大で二人」

 夏弥の口内に、苦いものが込み上げてくる。

 ――そう。

 まだ、神託者は二人残っている――。

 栖鳳楼は一度息を吐いて、続ける。

「いまだに誰、ってのがわからないのよね。もっとも、こっちも捜す余力なんて、ないんだけど」

 もう後処理だけでいっぱいいっぱいよ、なんて不平を漏らす栖鳳楼。栖鳳楼は血族と呼ばれ、魔術のことが世間に知られないようにするのがその役目。楽園(エデン)争奪戦だけでなく、二週間前の事件でもそうしたように、魔術の痕跡が世間に残らないように、徹底的に消して回る。

 栖鳳楼の愚痴に誠実に応えてやろうと、夏弥は少し気を入れて返した。

「そこまで栖鳳楼には頼まないよ。あとは俺が……」

「あたしのためでもあるの!」

 ものすごい速さと勢いでセリフを塞がれた。まるで夏弥のセリフなど拒否するように、栖鳳楼は勢いのままに喋り続ける。

「もうこれ以上、楽園(エデン)争奪戦のために手を回すのは勘弁してほしいの。どうせ栖鳳楼家には何のメリットもないんだから。夏弥にはとっとと楽園(エデン)争奪戦を終わらせてもらうからね」

「お、おう……」

 あまりの剣幕に、夏弥もただ頷くしかない。

 よくよく考えれば、栖鳳楼家に何の益もないというのは、なるほど納得がいく。栖鳳楼も神託者の一人ではあったが、一カ月前に彼女は刻印を失っている。つまり、栖鳳楼はもう楽園(エデン)争奪戦には何の関わりもない。それなのに血族という立場上、楽園(エデン)争奪戦による被害は最小限に抑えないといけない。得るものはないのに監視役はやらないといけないなんて、そんな損な役回り、確かに御免こうむりたい。

 だから、と栖鳳楼はなおも大きく続ける。

「栖鳳楼家もできる限りの協力をするわ。ただ、ローズへの魔力供給はできないから、言っておく。言から魂抜かれて、あたしも無理はできないから」

 なんて軽く言ってはいるが、さっきの話で、魂を抜かれるということがどれほど重いことなのか、夏弥にも理解できた。だから、夏弥は真剣に一つ頷いた。

「ああ、わかった」

「だけど、夏弥の魔術師としての指導はできるつもりだから、その点は任せなさい」

 うん、と笑顔を見せる栖鳳楼。

 ……なんだろう、その笑顔。

 ……それに、話の流れが妙な方向に向かっているような。

 そんな夏弥の内心を素通りして、栖鳳楼は何の前置きもなく立ち上がった。

「さて、夏弥の成長の具合を見せてもらいましょうか」

 まるで、それが自然の流れでもあるように、栖鳳楼は(のたま)った。

「いまから?」

「当然よ。あたしも忙しいし、時間が取れるときに見ておきたいもの。それに、潤々から聞いたわよ。夏弥の魔術、かなり上達したんだって」

 栖鳳楼の笑顔に耐えきれず、夏弥は目を逸らした。そこには、潤々の純粋な笑顔があった。「ねっ」なんて声が聞こえてきそうな、素敵な笑顔だ。

 夏弥は潤々からも顔を逸らした。結局、栖鳳楼の笑顔と対峙しなければいけない。

「あれは……」

「なら、見せてもらわないとね」

 ……なんだろう、この不戦敗のような感覚。

 何の斟酌(しんしゃく)もなく、もう話は終わりとばかりに、栖鳳楼は部屋を後にする。潤々が「じゃあ、行きましょう」なんて言っているのは、幻聴だと思いたい。

 救いを求めて、夏弥は隣に座った銀髪の少女へと目を向ける。

「どうした?行くのだろう」

 なんて言われては、夏弥も何も言えない。どこでどう間違えたのだろうか、なんて思考を保留にして、夏弥は栖鳳楼の後を追った。


 栖鳳楼に案内されて、夏弥が向かったのは元栖鳳楼のための屋敷。事件から二週間経ったにも関わらず、瓦礫の山のまま放置されている。いや、庭のほうはあるていど綺麗にされたようだ。だが、砕けた柱がそのまま転がっている様を見ると、あまりいい印象を受けない。

 ふと、夏弥は思ったことをそのまま口にした。

「ここって、新しく建て直すのか?」

 さあ、と栖鳳楼はまるで他人事みたいに首を(かし)げる。

「当主になったから、当主の部屋が使えるのよね。だから、わざわざ自分のための屋敷を新築する必要もなくなっちゃって。それより、水鏡の屋敷とか、他にやることがあるから、こっちについては保留、ってそんな感じ」

 だからわからない、と栖鳳楼は軽い調子で返した。夏弥には何も言えない。改めて、住んでいる世界が違うのだと、再認させられただけ。

 こんな瓦礫しかない場所で一体何をするのかと思っていると、潤々が一人、テキパキと準備を進めている。柱や屋根の残骸を平然と持ち上げ、まるでそれが自然体であるように宙を舞っている。

 潤々は、栖鳳楼家に代々仕える式神。数ある魔術の中でも、高度な技術の結晶体。だから潤々は、外見は夏弥より少し年上の女性の姿をしていても、その秘めている力は人間とは異なる。

 瓦礫の山から材料を取り出して、潤々は庭のほうでそれら木材を組み合わせる。夏弥から三〇メートルほど離れた位置に、即席の的が完成する。

「じゃあ、披露してもらおうかしら」

 いつのまにか、女性陣は夏弥から一〇メートル後方に立っている。まさしく、夏弥は舞台に上げられたみたいで逃げ場もない。

「披露、って……?」

「あの事件のときに、夏弥が鬼道の式神を攻撃したっていう、そのときの魔術をね」

 なんて、栖鳳楼の笑顔がまた痛い。なんだろう、このいつになく期待されている視線は。

 夏弥の頭は、必死に弁解を考える。

 あの事件のとき、夏弥は鬼道喪叡に行く手を阻まれ、そのときに鬼道の式神――牛鬼――と戦った。あれは、そう、牛鬼が突然、近くにいた無関係な人間を襲おうとしていて、夏弥は無我夢中のままに魔術を行使した。夏弥からすれば、魔術の特訓用に持っていた石に魔力を通して、そして牛鬼に投げつけただけだ。それこそ、あのときは自分が何をやったのかなんて、はっきりとは覚えていない。反射的に、無我夢中に、やれるだけのことをやっただけだ。

 だから、さあもう一回それを披露して、なんて言われても、どうやったのかなんて、正直わからない。

「…………」

 大きく息を吐く。観客から目を外す。逃れる(すべ)なんて、ないんだ。なら、いい加減覚悟を決めよう。

 夏弥は足元から手近な小石を探す。栖鳳楼家の庭の石は、どれも磨かれたように綺麗で、路傍の石ころと違って角張ったところがない。普段の練習用の石と感触が違うから、これで本当に大丈夫なのかと、一瞬だけ不安が()ぎる。

 だが、そんなものは言い訳にもならないと、夏弥は改めて意識を集中させる。夏弥の使う魔術に、実のところ大きさとか重さとか形とか、そういう物質に既存の性質は、あまり意味がない。そういう物質的な特徴に依存しない、術者の望む効果を引き出すために、魔術を使うのだ。重さが邪魔なら、軽くする。硬度が足りないなら、より魔力が密になるように術式を組む。それが魔術というものだから、素材のせいにするなんて、魔術の基本がわかっていないということ。

 手の内に握った小石の感触を確かめながら、夏弥は後ろの栖鳳楼へと振り返る。

「どうぞ」

 変わらない笑顔のまま。しかし、その()はすでに笑っていない。練習とか訓練とか言っても、これは真剣な魔術の行使。いい加減な気持ちは許されないと、だから夏弥は頷くこともなく視線を正面に戻す。

 的の位置を確認する。三〇メートルの距離。牛鬼に魔術を使ったときも、確かこのくらいの距離だったか。

 夏弥は目を閉じる。

「……………………」

 意識を、集中させる。意識を、魔術を行使するために向ける。手の中に握った石の感触から、夏弥が使う魔術を上書きしていく。

 ――イメージする。

 石に魔力を通す。それは、あの的に届かせるためのエネルギー。そして、あの的を突き破る威力。

 届かせる。当てる。射抜く。

 それだけの魔力を、この石に付与する。

 届いたなら、当たったなら、その結末は明白……。

 ――牛の頭をした、巨大な怪物。

 その剛腕が、根元から裁断されている――。

 イメージが、重なる。

 夏弥は目を開く。目にしているものは現実の的のはずなのに、しかしそのイメージが重なったまま離れない。

 思考が、まとまらない。イメージが崩れていって、保てない。

「……っ」

 焦って、夏弥は腕を振る。最後まで、像が重なったまま、ブレたまま。

 ――パンッ。

 と、軽い音がした。

 咄嗟に、夏弥は顔の前で腕を交差する。ぱらぱらと、石の破片が降り注ぐ。あまり、痛くない。砂くらいの大きさまで、粉々になったのだろう。

「……」

 薄く、瞼を開ける。的は依然としていた。いまさらになって、内心で冷や汗が溢れだす。夏弥は後ろを振り返った。

「…………」

 無言の栖鳳楼がありありと怒気を(たぎ)らせていた。


「ちょっと、どういうことよ」

 それが、栖鳳楼の第一声だった。潤々まで、今回は夏弥の味方につかない。

「あのときの夏弥くんは、もっとすごかったよ」

「っていうか、どう見たっていまのは手抜きよ」

 夏弥が何か口にする前から、散々な言われようだ。もっとも、夏弥も自分の失態を理解しているから、反論もできない。

 夏弥の放った小石は、五〇センチメートルまで飛んだところで、破裂した。それは、つまり――。

「――魔力の暴走ね」

 まったく、と栖鳳楼は吐いた。

「全然魔力を制御できてない。術式が不完全なまま、魔術を使おうとするから、そういうことになるの。最低限の『占有』はできていたからこのていどですんだけど。下手したら、暴発した魔力で腕をやられてたわよ」

 夏弥はなにも言い返せず、ただ俯く。

 『占有』とは魔術の対象を決めること。どこを基軸として、魔術を発現するのか。そういう、魔術の土台を固めたうえで、次のステップへと移行する。夏弥の場合、その魔術は『強化』になる。小石に魔力と術式を通し、小石の持っている特性を『強化』する。

 その『強化』の段階で、夏弥は魔術の構築に失敗した。その結果が、これだ。

楽園(エデン)争奪戦の最中にそんなことしてみなさい。――夏弥なんて、一瞬で殺されてるから」

 夏弥の背中に嫌なものが走る。

 ……栖鳳楼の脅しは、冗談でもなんでもない。

 魔術師同士の戦いは、まさに命懸け。魔術師は代々魔術を受け継ぐ。より完成に近づいた魔術を次の世代に引き渡す。だから、魔術師同士の戦いとは、その個人のみならず、家の名を背負うことになる。それはつまり、魔術師における敗北とは家の名に泥を塗るのと同じということ。そんな恥を曝してまで生き残るなんてことは、魔術師の矜持が許さない。

 だから、魔術師の闘争において、敗者は死んで当然とくだされる。

 魔術師としては半人前の夏弥でさえ、その考え方は嫌というほど聞かされた。それを受け入れたくなくて、夏弥は最後まで楽園(エデン)争奪戦で勝ち残ると決めたようなもの。

 だが、改めて思い知らされる。――いまの夏弥では、楽園(エデン)争奪戦に勝ち残ることさえ、できない、と。

 ふう、と。長く重い息を栖鳳楼は吐く。……無性に、むしゃくしゃする。

 その苛立ちを、しかし栖鳳楼は冷静に丸めこみ、別の方向へと向けることで発散しようと、決めた。

「これはちょっと、基礎のやり直しかしらね」

 栖鳳楼は夏弥を捕まえて、日が落ちるまで魔術の特訓を断行した。夏のこの時期、日が完全に沈むにはあと三時間はある。

 潤々も、栖鳳楼に並ぶように夏弥の特訓につき合った。しかし、ローズだけがそんな三人からは少し離れて、夏弥を見守るだけに終始した。


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