表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/10

第二章 呪われた邂逅

 夏のこの時期では陽が落ちるのは遅い。なのに、周囲は暗幕を垂らしたように闇だった。月の光は弱く、星の明かりは皆無に等しい。陽が落ちても、肌にまとわりつく空気の熱気は拭えない。

 時刻は、あと半刻ほどで零時になろうという頃。路貴(ろき)は一人、帰路を行く。バスもないので、歩くより他にない。タクシーを使えるほど路貴の金銭は豊かではない。だからこそ、バイトに明け暮れているようなもの。

 駅から路貴のいまの寝床たるアパートまでは、ずっと上り坂。日中は車の通りも多いが、この時間だと数台くらいしか見かけない。上りと下りで一車線ずつしかないのに、これだけがらんとしていると妙に広く感じる。

 バイトも終わり、今日の路貴の雇主に夕飯をご馳走してもらって、それに付き合っていたらこんな時間になってしまった。流石(さすが)に、帰り賃までは望めない。タダ飯で満足しておく。

 日中バイトをして、食事は近くの弁当屋かコンビニ弁当、店の売れ残りをもらうか、今日みたいに店の人にご馳走してもらう。バイトが終わればすぐに帰宅か、時間に余裕があれば楽園(エデン)争奪戦の動向を窺う。魔術師同士の戦いだ、どこかに結界かなにかないかと探る。路貴は呪術の家系の人間だ、嫌な気配とかそういうものには敏感なほうだと自負している。それで何もなければ、夜にアパートに戻って次の日のバイトに備えてさっさと寝る。

 ……そんな生活も、もう一年。

 本来、ここ白見(しらみ)町は路貴の生まれ育った町ではない。高校に入学はしたが、ずっと行っていない。順当にいっていたら高校二年生ということになるが、一年間通っていないから留年だろうか。高校で留年があるのか、路貴は知らない。そもそも路貴にとっては興味のない話だ。

 ――そう。

 路貴にとっての興味は、もっと別のもの――。

 一年待って、やっと巡ってきた楽園(エデン)争奪戦。魔術師最高峰の戦い。勝者にはあらゆる願いを叶える楽園(エデン)への鍵が与えられる。それは、魔術師にとって最大の栄誉。

 路貴が白見の町に楽園(エデン)争奪戦が訪れると予想したのは、一つの希望的観測。

 八年前に楽園(エデン)争奪戦は、白見町にほど近い海原(あまはら)という町で行われた。しかし、海原の楽園(エデン)争奪戦では、最後まで勝ち残った神託(しんたく)者が楽園(エデン)を拒んだらしい。そのせいか、楽園(エデン)は海原町を()いた。その災害は魔術師だけでなく、表側の社会にまで知れ渡った大きな災害。

 楽園(エデン)が正式に勝者の手に渡らなかったため、再度、海原から近くの場所で楽園(エデン)争奪戦が開かれるだろうと、路貴は踏んだ。その予想は見事に当たり、路貴は楽園(エデン)に選ばれ、その身に刻印を得た。神託者として、楽園(エデン)争奪戦に参加することができた。 

 ――しかし

 それも一夜の夢――。

 楽園(エデン)争奪戦における最初の脱落者こそ、路貴だ。

 路貴の刻印は、いま雪火夏弥(ゆきびかや)のもとにある。その雪火夏弥は、戦いの半分が終わった状態でまだ生き残っている。しかも、この町の守護者たる血族(けつぞく)(おさ)までも倒して、夏弥は生き残っている。

「ふざけやがって」

 帰路の上、路貴はつい、そんな悪態を漏らす。

 今日バイトで偶然その雪火夏弥に会った。楽園(エデン)争奪戦関係で進展があったかを聞いてみた。二週間前に白見町全体を覆った結界は果たして神託者の仕業なのか(いな)か。

 ――違う。

 夏弥の返答(こたえ)は、しかし路貴の期待するものとは違っていた。

 ――あれをやったのは、神託者じゃない。

 その事実に、路貴は大いに不満を持っている。あのとき、路貴が口走ったことも全て本心だ。

 ――楽園(エデン)争奪戦とは無関係。

 ――無駄騒ぎ。

 ――さっさと楽園(エデン)争奪戦が終わってほしい。

 町全体を巻き込んだ事件だ。きっと、楽園(エデン)争奪戦絡みだと思っていた。なのに、現実は全く関係のない、ただの小火(ぼや)

 それは、不満だ。大いに、不満。悪態も出てくるというもの。だが、それ以上に路貴には腹の立つことがある。

「なにが『無駄じゃない』だ」

 夏弥は、あの事件が決して無意味なものではないと言っていた。無駄ではなく、必要なものだった、とも。

 ――無駄だ。

 路貴からすれば、あの事件は無駄以外のなにものでもない。

 楽園(エデン)争奪戦に関係していないものなんて、全部無駄――。

 魔術師にとって最も重要なこと、それは世界の起源への到達。この世界はどこから生まれ、そしてどこへ向かうのかという、この世の全てが記された、それは全知全能。

 多くの魔術師が、長きに渡って研鑽を続けて、しかしいまだ叶わぬ願い。

 その全ての魔術師たちの願いを叶える一つの可能性が、楽園(エデン)。いままで多くの犠牲を払っても達成していないその目標が、五人の魔術師を退けることで手に入るという。

 それが、楽園(エデン)争奪戦。

 その、魔術師最高峰の戦いに選ばれるだけでも大いなる栄誉。しかし、敗北した瞬間に、それは屈辱以外のなにものでもない。楽園(エデン)という世界に到達する可能性を手にしておきながら、呆気なくその権利を失った敗残者。

 ――その負け犬が路貴(じぶん)で。

 ――ド素人の夏弥が勝ち組、ってわけだ。

 路貴の目から見て、夏弥は魔術師らしくない。魔術師同士の殺し合いを、しかし夏弥は「人殺しは良くない」なんて一般論をぶつけてくる。

「甘い、ってんだよ」

 魔術師同士の闘争は、すなわち殺し合い。敗北は個人のみならず、家の名まで(おとし)める。なぜなら、魔術師は代々魔術を受け継ぎ、次の世代へと魔術を託すから。一人の一生では到達し得ない、何百年、何千年という月日を重ねて、世界の起源を永遠に夢見る。

 なのに、夏弥は魔術師の闘争を根本から否定する。そんな半人前以下の夏弥に、路貴は無性に腹が立つ。そしてそんな夏弥がいまだ楽園(エデン)争奪戦に残っているという事実に、余計に苛立ちを募らせる。

「どーせ、誰も死なずにすんで良かった、なんて考えてるんだろーよ」

 それが、甘いということ。

 魔術師が()したモノ、魔術師が捧げたモノ、そのあらゆる犠牲を、夏弥は否定する。そしてこれからも、夏弥(あいつ)はそれを願い続けるのだろう。

 ――誰も殺さない、殺させない、なんて願いで、本気でこの世が救われるなんて思ってるんじゃないだろうな。

 腹が立つ。怒りが込み上げる。今日の出会いが、本当に悪夢のようだ。

「ハッ――」

 吐き捨てる。

 ……早く。

 早く、この戦いを終わらせてほしい。

 早く、路貴のなにもかもが無意味だったと、そう突きつけてほしい。

 そうすれば、路貴がいつまでもこの地に残り続ける理由なんてなくなるのだから。どこか、また遠いところで、次の可能性を探すことができるのだから。


 半刻歩いて、路貴が寝泊まりしているアパートが見えてきた。すぐ隣に広い田んぼがあって、この季節はやたらと蚊が入ってくる。秋になったら秋になったで、コオロギや鈴虫の鳴き声で(やかま)しい。部屋の狭さは、まあ我慢するが、ユニットバスなのは頂けない。知り合いの伝手(つて)で安いからこそ、路貴も入居している。

 そのアパートの前に、奇妙な男が立っていた。アパートに備え付けられている灯かりに照らされて、その男の姿は白く浮かぶ。事実、男の放つ色はあまりに白い。

 磨き抜かれた白の靴から、腿の部分は細く、足首に向かうにつれ口を開いた優美な白のボトム。しわ一つない白のシャツの上に天女の羽衣を思わせる白のショールを羽織っている。肌は白く、腰まで伸ばした長髪は色素を失ったように完璧な白。月灯かりは弱く、星の瞬きさえないこの闇夜において、男の存在はただ目を惹くばかり。

「――ようやく戻ったか」

 能面のような顔に、まるで抑揚のないセリフ。事実を確認した、というよりも、台本でも読みあげているように淡白だ。

 対して、路貴の口元が強い怒気の色を帯びる。奥歯を強く噛み、もしも唇を噛んでいたら血が出ていただろう。頬が固く震えている。ギリ、という音が聞こえてきそう。

「テメー……ッ」

 吐き出された音には、明らかな敵意があった。

 そんな路貴を前にして、しかし男は袖口から時計を確認する。男の白さに融け込みそうな、淡い金の時計。

「零時。日をまたいだか」

 涼しい口調。流水のように滑らかで冷たい動作。路貴のまとう気配とはあまりにも真逆な態度。

 路貴は一層の怒気を込めて、白い男を()めつける。

王貴士(おうきし)……!」

 告げるその名には、もはや殺意すら込められている。

 自身の名を呼ばれて、ようやく応じる気になったのか、白い男――王貴士――は路貴に向けて声を発する。

「随分な出迎えだ。我を待たせた非礼を詫びるのが先であろう」

 その態度は古代の貴族か、はたまた王族を思わせる。あまりにも堂に入ったその立ち振る舞いに、しかし路貴は怖じることなく、変わらぬ視線を貴士へと向ける。

「何しに来やがった?貴士」

「問われるのは、路貴、君のほうだ。君は何故(なにゆえ)、ここにいるか?」

 ハッ、と小馬鹿にするように路貴が吐く。

「テメーの知ったこっちゃねー。俺は俺の意思でここにいる。文句あるか?」

「無論。呪術の家の長男が逐電したとの報を受けた。王家からも捜索隊を出している。一年もの間、全くの行方知れずであった君と、よもやこの地で再会を果たすとは」

 貴士は自身の顔の前に右手を上げる。その甲に刻まれたモノを目にして、路貴は瞠目する。もはや語る必要すらないその印に、しかし貴士は敢えて問う。

「君も、名継(なつぎ)家の跡取りであるなら、この地で何が行われているか理解しているだろう?」

 禍々(まがまが)しいその模様は、しかし貴士の立ち振る舞いの前では良く映える。神々しい白と邪悪なソレは、ルネサンス期の絵画のよう。

 路貴は貴士の言葉など聞かず、無意識にソレの名を告げる。

「刻印――ッ!」

 貴士は腕を真横に切り、そのまま下ろす。まるでローブをなびかせるように、白が揺れる。

楽園(エデン)争奪戦。もっとも世界に近いとされる楽園(エデン)を巡る魔術師同士の戦い。それがここ、白見町で行われているモノの名だ」

 その言葉は神の宣告のように(おごそ)かに響く。深夜のはずが、そこだけ白い光を受けて明るい。

 路貴は、しかしその雰囲気に抗うように吐き捨てる。

「ハッ――。テメーが神託者に選ばれるなんざ、世も末だな」

「――そういう君は?」

 問われ、しかし路貴は(こた)えることができない。返す言葉に詰まっていることを悟られまいと口を閉ざし、しかしその沈黙を破る法を彼は持たない。

 その沈黙を十分に受け、貴士は自身の気を一歩、前に出す。

「何故この地にいる?君が神託者であるというのなら、その証を示すがいい。――王家に仕える一三の因子(いんし)、名継の路貴よ」

 突きつけられた難題に、しかし路貴に返せるものなどない。路貴は、二か月前なら刻印を持ち、神託者として楽園(エデン)争奪戦へ参加していた。だが、その証はもはや路貴のもとにはない。

 そんな過去の栄光など、曝せるわけもない。曝した瞬間、現在(いま)の虚栄が知れてしまうから。そして、そう認識している自分が許せなくて、路貴は自分の(なか)で線が切れそうになるのを感じる。

「調子に乗ってんじゃねーぞ、貴士。――バラすぞ」

 漏れたその声には呪詛すら含まれている。事実、あと少しだけ術式を重ねれば、路貴は十分に目の前の男を呪うことができる。

 脅しではない。これは、警告。

 だから、貴士は一つ、声を落とす。

「その不穏な殺気を控えよ、路貴」

 白い威厳は保ったまま、貴士は諭すように首を振る。

「君と争うには、まだ我には理由がない」

 そう。

 お互いに、争うには理由がない。貴士だけではない、路貴にも当てはまること。もしもこのまま路貴が貴士に攻撃すれば、路貴は貴士の問答に言い包められて癇癪を起しただけになってしまう。それは闘争ではない、駄々をこねた子どもと同じ行為。そんな失態、路貴の矜持(プライド)が許さない。だから、路貴はギリギリのところで自身を保つ。

 路貴の沈黙を承諾ととったのか、貴士は悠然と歩き出す。

「ついてきたまえ。君に、我がこの戦いに挑む理由を語ろう」

 貴士がすれ違う、その瞬間。

 ――ギリ。

 と。

 路貴は奥歯を噛む。

 サングラスの奥で、射殺さんと殺意を込める。

 だが、ここで手を出すわけにもいかない。不承不承、なんて単語すら踏み潰したい気分で、路貴は十分に距離をおいて貴士の背を追う。


 細く曲がりくねった道を行く。所々に田んぼや畑が目につく。午前零時を過ぎたこの時間に、周囲の民家からは明かりもない。うだるような暑さに、ただ蝉の声が聞こえるだけ。

 街灯さえも少ない暗い道を二人の男だけが歩く。白い衣服をまとった貴士を案内役にして、その後ろを三メートルほど離れて路貴が行く。

「――こうして直接、君と言葉を交わすのはいつ以来だろうか」

 最初に口を開いたのは、貴士だ。前を向いたまま、貴士は背後の路貴へと語りかける。

「王家という立場もあり、因子に直に接することも少ないが、幼少の頃はそれでも少なからずの関わりがあったと記憶している」

 そんな昔話も、しかし路貴は無視して貴士の後を歩く。路貴の沈黙などおかまいなしに、貴士は語り続ける。

「王家が開く決闘でも、君の実力は群を抜いていた。正直に言おう。君の実力は、称賛に値する」

 感情のない、平坦なセリフ。その飾らない口調に、反って率直な評価が表れているようにも聞こえる。

 路貴は、しかし変わらず無言を貫く。その怒気も、サングラスの奥でぐつぐつと煮え(たぎ)っているようだ。

「当然、名継家にも大きく期待している。これは我個人の見解ではない。王家そのものが、名継に託すところを有する。難易度の高い技術でありながら、あれほどに完成した逸品を仕立てあげる。いずれ、王家の悲願も叶えられよう」

「無駄口叩いてんじゃねーよ。さっさと用件済ませてお(うち)に帰りな」

 初めて、路貴が口を開く。その声に応じるように、ぴたりと貴士は進めていた歩を止める。

「その台詞は、君に対してこそ相応しいのではないか?」

「……んだと!」

 路貴も止まり、反射的に声を荒げる。その怒りを制するように、貴士は振り返り、路貴に応じる。

「君は名継の長男。家を継ぐのは君と決まっている。早急に実家へ戻り、名継家のために尽くすがいい」

「ハッ――。誰があんなところに戻るかよ」

「これは君だけの問題ではない。名継の家はもちろんだが、王家にとっても重要な意味を持っている。それを理解しない君ではなかろう?」

 その淡々とした物言いに、路貴は反って苛立ちを募らせる。事実を事実として提示し、それを当然と断じる様は、独裁者ではなく独善者のそれだ。

 チッ、と路貴は舌打ちする。

「知ったことかよ。んなこと言いだしたら、テメーはどうなる?王貴士。テメーだって、家から離れるのは良くないだろうが。こんなトコまで、このタイミングで」

 王家という存在。路貴の一族。

 それを知る路貴だから、このセリフは至極自然で、同時に、相手は王貴士だからこそ、その意味も自明のこと。

 そのはずが――。

 貴士は眉一つ動かさず、相対する路貴へ、告げる。

「――だからこそ、我がここにいる」

 その宣言に、真実迷いはない。能面の顔に浮かぶのは、静かな自信の表れだ。

 路貴は理解できず「はあ?」なんて声を漏らす。貴士は表情を、見知らぬ人間にはわからないていどに固くして、語りを続ける。

「君は言った、我が神託者として選ばれるなど世も末だ、と」

「…………」

 路貴は沈黙を以って肯定とする。貴士の口元が、また静かに上がる。見せつけるように掲げられた右腕の甲に、その模様は明白な意味を突きつける。 

「だが、我は選ばれた」

 刻印――。

 それは神託者の証。楽園(エデン)争奪戦に参加する、参加するに足る存在であると、楽園(エデン)そのものが選んだ印。

 それがどれほどの意味を持ち、どれほどの価値を持つのか、路貴は知っている。そして貴士がわざわざ示す意味も理解できるから、路貴は吐いて捨てる。

自惚(うぬぼ)れんじゃねーよ、クズが」

「自惚れではない、これは事実」

 路貴の罵倒に、しかし貴士は高らかに応じる。

「つまり、我には楽園(エデン)に選ばれるだけのモノがあるということ」

 もはや反論する気も起きない。ここまで自分に陶酔している者に、どんな罵詈雑言を投げつけたらいいだろうか。路貴は嘲笑を含んだ吐息を漏らして、その返答にする。

 貴士は頷きもせず、笑みも消して、ただ顎でその方向を示す。

「ここだ」

 示された先には、ただ闇が広がっていた。街灯はなく、ゆえに深夜のこの時間には平面の闇が広がるだけにしか見えない。

「君なら、君だからこそ理解できるだろう、名継路貴。ここに、我が楽園(エデン)争奪戦に参加する理由がある」


 そこは、広い公園だった。縦に長い、歪な形をしている。その公園は、綺麗に二分されている。ベンチやシーソーのある遊具側、そして何もない、ただ平らな土が広がるばかりの運動場。

 貴士が向かったのは、運動場のほうだ。

「…………」

 路貴は妙な気配がないかと辺りに見回す。街灯はないが、ここまで何もなければ少しは見渡せるだろう。それに、路貴は呪術師だ。嫌な気配とか、そういうものには特に敏感だ。

 ……特に異常はない、か。

 路貴の警戒など知らず、貴士が再び語りを始める。

「――我がこの地に着いたのは、四カ月前」

 路貴は貴士のほうだけ見ず、わずかに聴覚を意識するだけ。

「その頃からすでに、いまでは神隠しと呼ばれる事件が起きていた」

 その単語に、しかし路貴は興味を示さない。路貴は白見(ここ)の人間ではない。この町で起きていることなど、楽園(エデン)争奪戦に直接関係することでもなければ、興味などない。

 貴士はわずかに口調を強くして、なおも続ける。

「ここ最近は静かなものだが、長く放置することはできない。そいつは膨大な魔力を得ているはず。おそらく、楽園(エデン)争奪戦の最終戦まで残るだろう。その神託者を、我は一日でも早く倒す必要がある」

 だからどうした、とばかりに路貴は貴士へと視線を戻す。

 神隠しという事件については、路貴も聞いたことがある。以前、雪火夏弥から聞いている。なんでも、大勢の行方不明者が出ているらしい。その犯人が、どうやら楽園(エデン)争奪戦の参加者だという話。

 ――路貴(おれ)には、興味のない話だ。

 詳しいことは路貴も知らないが、要するに、無関係な一般人から魔力を奪っているのだろう。魔術師ではない人間の魔力量など大したものではないが、それでも数が集まれば無視などできない。それに、行方不明者が出ているという話だが、もしも魂にまで手をつけている場合、それは決して無視などできないレベルだ。魂を削ってまで得た魔力なら、たった一人分でも大魔術一つは放てるだろう。

 だが、そんな脅威も同じ神託者だからこその話。路貴はすでに神託者ではない。それに、一般人に手を出せば、誰かがその魔術師に手を下す。他の神託者だけではない。この町を守護する血族か、あるいはその魔術師が所属する本家そのものが動くかもしれない。また別の可能性として、魔術師そのものの管理を(うた)っている協会が、その魔術師の存在を滅ぼすだろう。

 ――それに。

 路貴はさらに冷えた眼で貴士を見る。

 貴士(こいつ)はまだ、楽園争奪戦(このたたかい)に参加する理由を話していない――。

 神隠しの(こと)なんて、楽園(エデン)争奪戦に参加した後にわかる(こと)。決して、楽園(エデン)争奪戦の参加を最初に決意した理由にはならない。

 だから路貴は、そんな話など無視して貴士の弱点を突く。

「それで、わざわざ国を出て白見町(こんなところ)まで来た、ってわけか。王家の人間が直々に。そんなこと、自分の手を汚さねーでも、他の家に任せりゃ良かっただろ」

 その当たり前すぎて、しかし致命的な指摘。それだけは、何があろうと逃れることなどできないと、路貴は期待した。

 だが、ここで路貴は失念していた。すでに王貴士が、目の前にいるということを。

「すでに家を出ていた人間の言うセリフか。…………もっとも、君がすでに逐電していたからこそ、我も国を出る理由ができたわけだが」

 そう平然と返す貴士に、路貴はすぐに理解ができなかった。はあ、なんて悪態まで漏らす。

 そんな理解の遅れている路貴の前で、貴士の右手の周囲の空気が破裂する。ばちばち、と大気を裂くような悲鳴。それは積乱雲の中で轟く雷鳴に似ている。

「貴士!」

 まるで、その音に誘われるように、その声は上がった。

 反射的に、路貴は周囲を見回す。怪しい気配など、どこにもなかった。抜かりなく、魔力の気配まで見たのだ。それはただ、魔力の在るを見るだけでなく、一般人のように魔力の無いまで見通すもの。それすらかわすなど、もはや木石でしかありえない。

 その存在は、まるでそれが自然であるように、貴士のすぐ足元で止まる。

「良かった。遅いから心配した」

 貴士を見上げる顔は、この闇の中でも良く見える。いや、それだけではない。身にまとっているもの、立ち振る舞いまでも、そのあらゆる存在が路貴には理解できる、以上に、直感できた。

 緑のボトムに、黄色のトップ、全体的にゆったりした服装。頭の上には布みたいに薄いクリーム色の帽子を乗せている。その明るい彩色は、白い貴士の横に立つと良く映える。

「き……ん…………?」

 発した声は、意図せず震えていた。そんなことには気づかないで、路貴はただ、少女の存在に瞠目するばかり。

 対して貴士は、自分に向いている少女の視線を路貴のほうへと向けさせる。

「相手の到着が遅れたためだ。その彼も、いまここにいる」

 貴士の視線を追って、少女は初めて路貴の存在に気づいたようだ。小学校高学年か、中学校に入りたてという頃合いだろうか、小さな顔の中で対照的に大きな瞳が路貴を見上げている。その瞳は、水面に墨汁を垂らしたような、吸い込まれそうな黒。

 路貴は、今度こそ意識して、少女の名を呼ぶ。

(きん)

「路貴?」

 きょとん、と。そんな擬態語がぴったりくるような仕草で、少女――金――は首を(かし)げる。じいぃ、と五秒ほど停止した直後、金はぱあっと表情を明るくして、空に向かって両手を上げる。

「路貴!」

 その歓声は、年相応か、それ以上に幼い印象を少女に与える。

「貴士と金、ずっと探してた、路貴を。一緒に帰ろう。家の人、みんな、心配してる。あ、金も心配してた、もちろん。だから、一緒、帰ろう。みんな、心配させる、良くない」

 舌足らずに(まく)し立てる金。彼女の表情には、言葉通りの感情が見て取れる。

 そんな、少女を前にして。

「貴士。テメー…………ッ」

 路貴は少女を素通りして、平然と突っ立っている貴士へとその鋭利な視線を向ける。

「なんで金を連れ出した!こいつのこと、テメーだって知ってんだろ?」

 びくり、と少女は震えて、すぐ近くにいる貴士を下から見上げる。

「理解している。だからこそ、だ」

 路貴の射殺さんばかりの視線を受けて、しかし貴士は動揺もなく、平然と返した。そのあまりに簡素な物言いに、だから路貴は言葉を失う。

「……な……に…………」

 路貴にしては珍しく震えた声が漏れる。路貴自身でさえ気づかないくらい、その音はか細く小さい。

 その声が聞こえているのかいないのか、貴士は路貴の動揺などおかまいなしに続ける。

「我がこの地に着いたのは四か月前だと言っただろう。そのときから、君がこの地にいることは知っていた。もちろん、君が神託者の一人であったことも」

 その告白さえも、路貴の耳には遠い。そんな致命的な内容でさえも、その前の発言に比べれば霞むよう。

「だが、君はすでに刻印を持たない。神託者ではなくなったときに君を実家に戻すことも、我にはできた。それをしなかったことに、最低限の感謝をするがいい」

 ようやく路貴も我を取り戻す。震える内心を押し殺すように、口元で牙をむくような形を作る。

「恩着せがましく喋ってんじゃねーよ。たんに、関わり合いになりたくなかったんだろ。いままでこそこそ隠れてたのに、俺に会っちまったら、他の神託者にも知られちまうからな」

 刻印を失った元神託者でさえ、楽園(エデン)争奪戦が終わるまで安全などない。まだ楽園(エデン)争奪戦に参加する神託者から狙われる可能性もある。他の神託者の情報を聞き出すために使われるか、あるいは元神託者としての実力を買われ盾として利用されるか。

 逆に考えれば、元神託者への接触は他の神託者に自分の存在を知らしめることにもなる。だからこそ、戦いを有利にするために利用できる元神託者に敢えて接触しないという神託者もいるだろう。勝負を急がず、戦いの動向を遠くで観察しつつ、御身をひた隠しにする、という考えをもつならなおのこと。

 路貴の挑発など意に介さず、貴士は悠然と告げる。

「神託者も、残るは三人」

 路貴はサングラスの奥で目を細める。

 貴士の語った内容は、事実だ。楽園(エデン)争奪戦の参加者は、目の前にいる王貴士と、魔術師としては半人前の雪火夏弥と、そしていまだ正体不明の誰か。

 路貴がそのことを知っているのは、路貴が刻印を失ってからも楽園(エデン)争奪戦の動向を探っているからだ。楽園(エデン)争奪戦は〝索敵し撃破せよサーチ・アンド・デストロイ〟を基本とする。敵の居場所や状況などという情報は神託者には与えられず、各自で収集しなければならない。だが情報を集めるということは、逆に敵からも自身の存在が知られるという危険(リスク)が増すことになる。

 路貴は、今日に至るまで王貴士の存在など知りもしなかった。それだけ、貴士の隠匿は完璧だったということ。路貴からすれば貴士を称賛するなど屈辱以外のなにものでもないが、仮に貴士の隠匿が完璧だったとして、なら王貴士の情報収集力は低いと考えるのが自然だ。なのに、次の貴士の発言は、さらに路貴を驚愕させる。

「三人のうち、ただ一人が楽園(エデン)への鍵を手にする。神隠しの主謀者はいまだ居場所が知れぬが、もう一人の居場所はすでに掴んでいる。ほどなく、楽園(エデン)争奪戦も終幕となろう。それまで、君はこの地に残ることを許そう。いや、また行方を眩まされては厄介ゆえ、こう告げておこう。――――名継路貴、我が楽園(エデン)争奪戦に勝利するまで、この地に残れ。これは命令だ」

 王貴士は、他の神託者の情報が知りたくて路貴に接触したのではない。すでに敵の居場所は掴んでいるから、余計な邪魔立てをされたくなくて、路貴に釘を刺しに来たのだ。

 それは、今まで隠匿を続けてきた貴士がその正体を明かし、勝負に出るということ。

「――断る」

 迷いなく、路貴は吐き捨てる。

 ――低く見られたモンだ。

 居場所は知られていたのに、害はないだろうと今まで放置されていた自分。そして勝負をしかける番になって、邪魔だから家で大人しくしていろと命令される。元神託者としての知識や技量なんて(はな)から当てにされず、ただ邪魔だと断じられる。

 もはや奥歯を噛む必要もない。そんな怒りでは、そのていどの怒りでは、足りない。貴士は、路貴の(なか)の踏んではいけない部分をあっさりと踏み潰した。まるで、道を歩いている途中で蟻を踏んでしまったことに、気づかないとばかりに。

 ――ふざけやがって。

 貴士の周囲で、その気配が一つ落ちる。だが、路貴はそんなものは知らない。そんなことに、いちいち反応してやる義理なんて、ない。

「我の命令がきけぬと?」

「ああ、きけねーな。テメーみてーなカスが最後まで勝ち残れるなんざ、とても信じられねェ」

 平然を。平生を装って。路貴は右手を差し出す。

「その刻印、俺によこしな。俺が最後まで勝ち残ってやる。テメーなんかより、ずっと可能性がある」

 不思議と、頭の中は清んでいる。怒りは、沸騰しすぎると静かになるらしい。身にまとうこの殺気は、まるでそれが自然であるようにしっくりくる。

 握手とは、自分が武器を持たないことを証明するための行為だと聞くが、あれはきっと嘘だ。今の路貴なら、なんの抵抗もなく貴士の手を握れるだろう。そして、それが当然であるように貴士の身体に毒を流し込む。呪術師に接触を許すなど、殺してくださいと懇願しているようなもの。

「貴士…………」

 二人の空気に取り残された金だけが、不安そうに貴士を見上げている。幼い顔に、その大きな瞳に、ただ強い不安を浮かべて。

退()がっていろ」

 貴士は視線を落とすことなく、ただ手だけで示す。その意図に応じるように、金は公園の端まで身を引いた。

 対峙する二人の間には、すでに少女の気配などない。もう、二人は認めてしまったのだ。あとは、承諾するだけ。契約書にサインをするような、それは形式じみた決闘の宣告。

「――ようやく、君と争う理由ができた」

 貴士は右腕を振り上げる。白い光がローブでもはためかせたように、その気配は優雅に清んでいる。

 路貴は学ランのボタンを外した。その懐から、どんな呪詛、どんな災厄でもバラまけるように。その気配は、この夜に相応しく、黒々とした闇。

 ――ああ、なんて。

 呪われた邂逅、だ――。

 その響きは、まさしく路貴(じぶん)に相応しい。そんな皮肉も、今の路貴は(わら)って受け入れよう。刻印を失って以来の久しぶりの高揚に、路貴の胸は自然と高鳴った。


 路貴は、けれど、すぐには動かなかった。相手の動き、あるいは出方を窺う必要性を、十分に認識している。

 対峙する相手のことを、路貴は良く知っている。本当に、嫌になるほどに、知っている。その理解だけなら、路貴は躊躇わず前に出ていただろう。しかし、いまは路貴でさえ相手の技量を測らなければならない。

 ――神託者(あいつ)には、欠片がある。

 欠片とは楽園(エデン)の一部であり、それは強大な魔力と強力な魔術を備えている。神託者は欠片に施された魔術的な封を解くことで、その大魔術を放つことができる。神託者とは、すなわち選ばれただけでも、すでに上位魔術師の力を持っている。

 ……だが。

 とも、路貴は思う。

 貴士と会ってから、公園に着いてから、いざ魔術師同士の闘争が始まったというのに、周囲の気配は一向に変わらない。つまるところ、大きな魔力の存在など、微塵も感じられない。

 もちろん、魔術の中には魔力の気配を断つ隠蔽の魔術も存在するが、しかし路貴はその可能性を真剣には考えない。貴士の実力は良く知っている、ここまで綺麗に魔力の気配を断てる隠蔽魔術など、貴士が使えるはずがない。

「…………」

 路貴は、子細に相手の様子を観察する。遮るものはない、街灯は期待できないが、月明かりに照らされて貴士の白い姿がぼうと浮かび上がる。そのせいか、周囲の暗さにも関わらず、相手の表情が必要以上に見えてしまう。

 自信に満ちた表情。さも、勝利を約束された試合に臨むかのように、その姿勢は余裕そのもの。何の疑いも、恐れもない。…………無性に、腹が立つ。

 念のためにと、路貴は学ランの内側から呪符を三枚引っ掴み、無造作に自身の周囲にばら()いた。路貴の魔力に反応して、呪符が魔術を形成する。それは、闇に溶けるような(あお)の鎖。まるで綿のように宙を漂い、しかし風に流されることなく、路貴の周囲で停滞している。その幻想は、深海の闇によく似ている。

「……ッ」

 間を置かず。コンマ三秒で魔力を指先に込め、その力の(かたまり)を相手へと放つ。それはガンドと呼ばれ、呪術の一種でありながら物理的な影響を及ぼす魔弾。当たれば、ハンマーで殴られたような衝撃を受けるだろう。

 その弾丸が。

「……………………」

 貴士の、顔面から三〇センチメートル直前で弾け消える。不可視の壁に阻まれたように、魔弾は砕けてすでにその残滓(ざんし)もない。

 両者に驚きはない。

 ……反応はない、か。

 路貴は改めて貴士の周囲に意識を向ける。

 魔力の気配は、依然ない。それでも、確かに路貴は貴士に向けて魔弾を放ち、その魔弾は貴士に当たる直前で何かに阻まれた。

 そう、何かは存在する。不可視であろうと、魔術師でさえその存在を知覚できなくても、貴士を守護する何かはある。そうでなければ、貴士のあの姿勢は理解できない。

 だから、両者に驚きはない。

「――そのていどか?」

 悠然と、自信に満ちた姿勢のままに、貴士は告げる。

「君の実力は、そんなものではないだろう。最善を尽くすがいい。我を超えるというのなら、それだけのモノを我に示せ」

 それで終わりとばかりに、貴士は微動だにしない。

 ……わかりやすい挑発だ。

 貴士には、自信があるのだろう。確かに、貴士のもつ欠片は得体が知れない。何の気配もないのに、確かに存在して、路貴の魔弾を防いだのだから。

 それが、どのていどの自信なのかは、路貴には測れない。どんな攻撃も防いでしまう鉄壁なのか、あるいは自身が路貴よりも世界の近いところにいることを示したいだけなのか。

 そんなことを反射的に思考してしまい、同時に相手の挑発に苛立ちが募る。――あんなわかりやすい挑発に乗るなんざ、冗談じゃない。

 だが、貴士は一向に動く気配がない。つまり、本気で路貴の攻撃の(ことごと)くを受けるまでは、手を出さない気でいる。それで路貴が攻撃をしなかったら、今度は怖気づいたか腰抜け、などとまた安い挑発を繰り返すのだろう。

 どちらにせよ、腹立たしいことには変わりない。

「舐めやがって」

 低く、吐き捨てる。

 ……だが、ならいいだろう。

 その自信たっぷりの鼻先をへし折ってやろう。身に余る力を手にして傲岸に踏ん反り返っているその足元を掬ってやろう。

 相手のことを、路貴はよく知っている。貴士だって、自分のことを理解しているはずだ。なら、それを突きつけてやろう。神託者となって、欠片を手にしても、互いの実力は何も変わらないのだと、まさしくこの実力で示してやろう。

「高みの見物しかできない王家のお坊ちゃまが、調子に乗ってんじゃねーよ。魔術師同士の決闘もなにも知らねーくせに。――度が過ぎてるぞッ」

 路貴は駆け出す。距離は二〇メートル、それは中距離戦としては申し分のない立ち位置。その距離を放棄し、路貴は近距離戦を仕掛ける。

 相手の反撃がないなら、全速力で駆けた二〇メートルの距離などあっという間だ。路貴は貴士の正面、五メートルの位置から左手でナイフを二本投じた。そのナイフは、単に敵を刺すだけではない。刺した瞬間、内包された呪詛が敵の肉体(からだ)蹂躙(じゅうりん)する。

 投じられたナイフは、貴士の一メートル手前で弾かれた。まるで手で払われたように、ナイフは貴士の左後方へと流れていく。その、ナイフが弾かれるとほぼ同時に、路貴は貴士の右側から三発の魔弾を放つ。ナイフを投じたと同時に、すでに路貴は貴士の右側へと跳んでいた。正面を囮にして、側面を狙う。しかも、脳天、心臓、足元の三点を、だ。二点の急所と、保険の一点。一瞬でこれだけの攻撃、果たして貴士はどう対処するか。

 ――その一瞬の攻防。

 結果は、あまりにも呆気なかった。

 三発の魔弾は全て、悉く不可視の壁に阻まれた。最初の一発の再現、今後は二〇センチメートル手前で砕かれたということしか変わらない。

 二回目の攻撃さえも防がれて、しかし路貴の顔に驚きはない。

 ……なるほど、自動(オート)で発動する魔術(タイプ)か。

 一度魔弾を防がれているところを見ていたので、二度目の様子は細部まで確認することができた。さらに、五メートルという近距離で三回もサンプルを観察できたのだ。魔力の気配がないのは相変わらずだが、それでも十分な収穫だ。

 そんな路貴の胸の内など知らず、貴士は立ったままの姿勢を崩さずに、地面に膝をついた路貴を見下ろす。

「それで、全てか」

 問いではなく、ただ確認するだけの平坦なセリフ。だから、路貴も応えない。もとより、貴士に応えてやる気なんて、端からない。

 五秒も待たず、貴士は路貴のほうへと身体(からだ)を向ける。

「――なら、次は我の番」

 掲げられた右腕。その薬指に見慣れないものがあることに、路貴は初めて気がついた。紅く燃えるような小ぶりの宝石を嵌めこんだ銀の指輪。その指輪に目を凝らそうとしたときには、すでに貴士は路貴のほうへと腕を振りおろしていた。

 ワンテンポ遅れて、風が吹いた。それは暴力的な、路貴の身体を易々と吹き飛ばすような強力な一撃。

「……!」

 路貴は地面の上を転がった。一〇メートルも転がって、ようやく路貴の身体(からだ)は停止する。息を吐く、同時に腹部の痛みを自覚する。路貴の周囲に停滞していた幻想の鎖を使って威力を抑えたはずなのに、この威力。腹を押さえながら、立ちあがる。防御なしだったら、とても立ちあがれそうにない。

「くそが……ッ」

 なんて、吐き捨てる。もしものために自動発動型の魔術をかけておいたことが幸いした、なんて思考してしまった自分に腹が立つ。こんな相手に、そんな上等なものを消費してしまったという考えが真っ先に浮かんでしまったからだ。

 ――だが。

 路貴は努めて冷静になろうと意識を研ぎ澄ます。いまは戦闘中、感情に振り回されるあまりに反応や決断を鈍らせてしまっては、それこそ自分が許せなくなる。

 また、気配がない――。

 防御のみならず、攻撃の瞬間でさえ、相手の周囲からは魔力の気配が感じられなかった。いや、わずかだが――ほんのわずかだが――魔力の気配はあった。しかしそれは衝撃と同時の一瞬だけで、その後は純粋な物理的な力でしかなかった。つまり、路貴の身体にぶつかったその刹那だけ魔術という形をもったにすぎない。

 そんな、一瞬しか存在しない魔術。一体どういうカラクリなのか、路貴でさえも理解が追いつかない。

「…………ハッ」

 大きく咳き込んで、体を整える。

 ――どういう原理かなんざ、どーでもいい。

 路貴は、すぐに思考を切り替える。

 戦いのときに必要なのは、勝利の瞬間をイメージすることであり、そのために必要な情報を得て、戦略を立てて、状況を作ること。それだけだ。

 貴士の欠片は得体が知れないが、それでもわかったこともある。

 まず、防御は自動(オート)。それはただの壁ではなく、魔術構造に影響して内側から攻撃を破壊するタイプ。ただ防壁を張るよりも、ずっと性質(たち)が悪い。しかも、反応速度も精度も申し分なく、同時に多方向から攻めても貴士に届く前に防がれてしまう。

 そして、攻撃は手動(マニュアル)。攻撃が当たる瞬間まで魔力の気配は感知できないが、その軌道は貴士の腕を見ればすぐにわかる。しかも、腕の動きから大分遅れて攻撃が来るから、かわすことに問題はなさそうだ。

 それだけわかれば――。

「――十分だ」

 口元に笑みを浮かべる。学ランの内側から、追加で呪符を五枚ばら撒く。こんな相手に呪符を八枚、ナイフを二本も消費するなんて業腹だが、それでもかまわないと自身を納得させる。

 ――なぜなら。

「まだ立つか」

 その姿勢は崩さずに、余裕の表情も少しも薄れない。ただ、再度右手を掲げて貴士はその意思を示す。

「ここで敗北を認めるなら、それまでにしよう。大人しく部屋に戻り、我の命令に従うのなら」

 なんて甘言に、路貴が耳を貸すはずもない。攻撃してこないなら、こちらから攻め込むまで。路貴は再度駆け出した。

 貴士は言葉を切り、その表情にわずかに緊張の色を浮かべる。余裕を示すような動きで腕を振るうが、遅いうえに軌道が丸見えだ。路貴が走る角度を変えただけで、風は路貴のすぐ隣を吹き抜ける。距離があったせいか、先ほどの一撃よりも脅威を感じない。いや、もはや脅威を感じる必要さえないだろう。

 ――なぜなら。

 路貴は勝利のイメージを思い浮かべているのだから――。

 二度目の特攻は、今度こそ純粋な特攻。囮もフェイントも必要ない。貴士の欠片は、貴士の意思とは関係なく術者を守る。だから、人間相手のこけおどしなんて、意味がない。

 貴士は路貴の進行を呆気なく許す。路貴の迷いのない疾走に対処できないのか、その防御力に絶対の自信があるのか。

 ――かまわない。

 路貴の周囲で停滞していた藍の鎖が、路貴の魔力に呼応して(あお)い光を帯びる。貴士との距離が一メートルを切った瞬間、蒼の鎖が不可視の壁に衝突し、砕かれた魔力が紫電を散らして闇に消える。鎖は先端を砕かれながらも、しかしその長さは変わらない。魔力を砕かれ、形を失いながらも、それに平衡して路貴が魔力を供給しているからだ。

 砕かれた魔力が、宙に散る。その溢れた魔力に反応してか、二人の周囲で風が踊る。散り散りの紫電と相まって、まるで雷雲の中にでもいるように、空気は荒れている。

 防御に徹する貴士と、攻めきれない路貴。そんな膠着(こうちゃく)状態を、しかし路貴は一〇秒で終わらせた。嵐の中、路貴は静かに言霊を紡ぐ。あるいは、呪文と呼ばれるもの。それは魔術の呼び水となり、完成した(こと)()は怨敵を絡めとる呪術となる。

 それは、大地から天上へと向けて放たれた落雷だった。小さな紫電は一条の(いかずち)となって大気を震わせる。轟音は、大地さえも震撼させるよう。

「――(つか)んだ」

 それは、まさしく幻想の風景。

 地面から、宙空から、空間から。蒼い鎖は無数に伸び、その先は虚空を掴んでいる。その鎖は、檻のようだ。唯一人を捕えるために、空気さえも凍りつかせたような、そんな冷たい檻。

 その檻の中にいる、白い姿の男。その幻想にあって、しかし男の姿は囚人などではなく囚われた王族の人間の風格が漂う。

「これで、もうテメーは何もできない」

 路貴は学ランの内側から追加のナイフを取り出した。これが、最後の止め。

 すでに路貴は貴士に呪詛をかけている。それは貴士本人に対してではなく、貴士の魔術への金縛り。すなわち、欠片そのものを路貴は封じ込めたのだ。

 金縛りとは、肉体を物理的に縛るのではなく、精神を上から拘束すること。だから、動こうと意識しても肉体は何も反応しない。人によっては金縛りのときに息苦しさを感じることもあるようだが、それも肉体が悲鳴を上げているのではなく、精神が苦痛を感じているにすぎない。

 金縛りが精神という非物質のものを対象とするのなら、魔術に対して働くことができるのは不思議なことではない。最大の難点は、術者から見て対象を捕えることが困難だということ。人に金縛りをかけるときは、対象が精神であったとしても、術者には〝人〟を目視することができる。だが、魔術はそうはいかない。基本的に不定形で、魔力が尽きれば消滅してしまうようなあやふやな対象。それを捕えるには、相応の実力がいる。

 路貴がかけた金縛りは、そのレベル。肉体の自由までは奪わないが、効力が続く限り、敵の魔術さえも封じることができる。今回の場合は欠片そのものを封じただけだから、貴士本人は魔術を使えるだろう。だが、そんなことは瑣末な問題だ。貴士本人には魔術師同士の闘争で役に立つような魔術など使えないということを、路貴はよく知っているのだから。

「俺は、テメーみたいに選択の余地なんざ与えねーぞ」

 互いの距離は、一メートル。一歩半でなくなるような距離。その距離を無くして、あとはナイフを振りおろせばいい。呪術師の刃は猛毒だ、刺されただけでコトは済む。

 一歩を踏む。

 許しを請うなら、聞いてやろう。苦悩を吐露するなら、それもかまわない。だが、それを聞き入れるかは路貴の気分次第。

 ……なのに。

 貴士は一言も発しない。恐怖に(すく)んだわけでもない。なぜなら、貴士の姿勢は、この状況にも関わらず変わらないから。いまだに、余裕の表情で近づく路貴を見返しているから。

 無意識に、路貴の頬が強張る。…………そんなわけはないと、胸の内で(かぶり)を振る。

 あとの半歩。同時に、ナイフを振りおろす。狙うは、心臓。心臓の上から刺したなら、呪詛は瞬く間に鼓動を止めるだろう。その瞬間の苦悶の表情を求めて、路貴は焦るままにその一撃をくだした。


 そのはずだった――。

「この結末は必然だ。君には、我を超えることなどできない」

 頭上から、そんな涼しげな声が降ってきた。

 何が起こったのか、いや、何をされたのか、路貴は正しく理解できていない。ナイフを握った手に痺れを感じたときには、すでにナイフは虚空を舞っていた。そして、手のうちに何もないことを認識したとき、直感だけで(まず)いと悟った。その理解と同時に、路貴は貴士から距離を置いたが、それは無意味の一言に没した。まるで、巨大な手に握り潰されたように体が圧搾されたのだ。胴はもちろん、腕も足も、指先さえも。頭までもやられたのか、一瞬視界が(あか)に染まった。

「……………………」

 そして意識を得たときには、路貴の視界は相手の白い足元を捉えていた。億劫だが無理矢理頭を上向けると、そこに嫌になるくらい見慣れた顔があった。そこでようやく、路貴は自分が地面に伏しているのだと理解した。

 口元が濡れている。口内では血の味がする。何かを言いかけて、しかし痛みに肉体(からだ)が反応して咳き込んでしまう。吐き出されたモノが地面に散って、紅い斑点を路貴の前に突きつける。

「さて――」

 貴士の右腕が路貴の顔面に向けて突き出される。あと五〇センチメートル、の距離でそれが崩れる音を聞く。貴士は身体を上げ、突き出していた右腕を脇へとおろした。

「やはり、まだ結界を残していたか」

 常に、路貴は最後の結界を残している。それは路貴とは独立していて、ただ周囲の気配を察知して内部の術式と魔力を駆動させる。迂闊に近づいた敵を最後の最後で引っくり返す、路貴の常套(じょうとう)手段。それも、いま消滅した。しかし――。

 三方向からナイフが飛来する。それは(たが)わず、貴士へと狙いを定めている。個々のナイフには呪詛をかけるだけの魔力が残っていなくても、三本があわされば、威力は十分。

 そんな不意打ちも、しかし貴士の前では無意味だった。

 ――なぜなら。

 貴士の欠片は、いまだに健在なのだから――。

 三本のナイフは同時に弾かれ、しかし宙空を舞ったナイフは再度向きを変えて貴士へと殺到する。その追撃さえも、貴士の欠片は術者の意思とは独立して貴士を守る。それで魔力が尽きたのか、今度こそナイフは地面に落ちて、それ以上は動かなくなった。

「…………つくづく、君は油断ならない男だ」

 余裕の表情を浮かべていた貴士も、この不意打ちには流石に表情を暗くする。自身を落ち着かせるように、溜め息をついて路貴を見下ろす。

「いまの技は初めて見たが、最後の結界に反応して発動するのか。ナイフに備えた魔力さえ残っていれば、何度でも不意打ちができる、と」

 冷静にそんなことを語られても、路貴には応える気力なんてない。仮にあったとしても、この男にだけは教えてやる義理なんて、ない。その意思だけを、路貴は瞳に込める。

 そんな路貴の姿に、貴士はさらに困惑ぎみに頭を振る。

「――もう少し、灸をすえる必要があるか?」

 路貴は右手を振り上げる。その意図は、もはや思考するまでもなく明白。右手の薬指、銀に光るリングに、時折視界に入る紅い輝き。白い装束の貴士とはどこか印象の違う、その紅い輝きを、路貴は無意識に追っていた。

 もはや指一本動かない。押しつぶされた身体には、痛みと痺れしか感じない。そこにくだされるであろう再度の衝撃は、しかし訪れなかった。

「貴士っ」

 二人の前に、少女の声が割って入った。その少女の接近にも気づけないほど、路貴の意識は危ういところにある。その少女が、路貴の視界に入る。貴士の胸までの背丈しかない彼女は、貴士の白い裾を引っ張っている。

「…………」

 貴士は無言で彼女を見下ろす。その視線に促されて、彼女――金――はとつとつと口を動かし始める。

「……もう、勝負、終わった、ね?もう、何も必要ない、ね?」

 途切れ途切れで弱々しい音、けれど決して消えてしまわない確かな声。金の問いに、対して貴士は無言のままに見返すのみ。

 金はさらに強く貴士の裾を掴み、そして泣きそうな声で訴えた。

「これ以上、路貴に酷いことするの、金は、嫌だ」

 その訴え、それだけの懇願に、果たして貴士は腕をおろした。

「案ずるな。もう用は済んだ」

 その一言で、全ての決定が下された。そう、勝敗は決したのだ。もはや、済んだものにさらに手を(わずら)わすなど、無意味でしかない。

 貴士は路貴に背を向ける。それが彼の決定だから。下した命令と意思は告げた。だから、もしも彼にすることがあるとしたら、それは最終通告のみ。

「――なあ、名継の路貴」

 貴士は振り返らない。それすら不要だから。貴士は最後まで何の気配も残さずに、その場を去る。

 うん、と明るい表情で頷いて、金は貴士のすぐ後ろに従う。

「じゃあ、帰ろう」

「ああ、帰るとも」

 それだけの短いやりとりを残して、貴士と金は公園から去って行った。一人残された路貴は、その事実を改めて認識する。

 指一本動かない。突きつけられた敗北という現実に、意識が遠のきかける。手放すまいと意識を集中させようとも、視界が霞んでいくのを止めることができない。体が痺れて、真夏なのに寒気すら錯覚する。

「ちくしょう…………」

 漏らしたその言葉が、せめてもの慰めのよう。路貴が(すが)っていたそのかすかな意識は、彼の気づかぬうちにふつりと落ちた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ