第十九話 戦いの中で
俺やカルナはまだしも、レジニアには結構刺激が強かったようだ。
「いいのか?」
「ええ、姉さんとの約束ですもの」
……恩に着るよ。
学園でもトップクラスの二人がいるのならば、心強い。
フェルドが、部屋にいるのは、考えにくい、よな。
……手術をしている最中だったかもしれない。
落ちていた病院の地図をみて、手術室へと歩きだす。
途中、黒雨虫が襲い掛かってくるが、俺一人でも十分対応できてしまった。
「意外と黒雨虫ってのも強くねぇんだなっ」
「……生まれてから時間が経っていませんもの。奴らは、一分、一秒でどんどん成長していきますの。短期決戦を仕掛けられれば、問題ありませんが……」
「ちっ、シプラスンが弱いままでありますようにっ!」
角を曲がったところで、足を止めてしまう。
……この先は手術室だった。
なのに、そこは素晴らしく見晴らしが良い。
手術室ごと、破壊されている。そこには、いくつもの人間の血や、人の体の部位が転がっている。
嫌な感情がわきあがる。
まさか、違うよな? フェルドは、いま手術をしてなくて、これは別の人間の、だよな。
「……マスター、落ちつけ」
ポンとショットに肩を叩かれる。
「これは、フェルドのではない。手のサイズが違う」
「だよな? ……フェルドの奴、どこに行ったんだか……」
自分の声が震えているのがわかった。
焦り――いつシプラスンが襲い掛かってくるかわからない。
手術室があった場所を抜けて外に出る。この辺りは木々が多かったようだが、その多くがなぎ倒されていた。
「な、んだあれは……?」
木々の隙間で、何か黒い物体が蠢いている。
……黒雨虫。おまけにさっきまでみていたものの数倍はある。
まさか――。
すぐにカルナとレジニアをみると、二人は既に警戒の濃い顔であった。
「シプラスン、ね」
カルナの呟きにあわせ、シプラスンは黒光りする甲殻を揺らしながら、吠える。
巨大なてんとう虫、という言葉が一番近いかもしれない。
黒く丸々と太ったその身体をみても、可愛さはまるでない。
「シェェェェ!!」
全身を縛り付けるような奇声。
気を抜けば全身が震えだしそうな異様な威圧感。
……最悪だ。
体を起こしたシプラスンは、見上げてしまうほどの大きさだった。
シプラスンの口には、肉を抉られた人間が咥えられている。
ごりごりという骨の砕ける音が響いた後、ぺっと、シプラスンはそれを吐きだす。
シプラスンは俺たちには気づいていないようで、尻を見せてきた。
どうしたんだ?
シプラスンの視界に俺たちは入っていたはずだ。
運がいい、今のうちに背後から攻撃すれば……怯ませるくらいはできるかもしれない。
シプラスンが一歩ずつ踏み込んでいく。
「ラクナ! あっちにっ!」
ショットの叫びがどこか遠くで響く。
……おい。
木々の隙間を縫うように、二つの人影が走っていく。
やめろ、そっちにいくな。
二つの人影。一人は少年、もう一つは見慣れた少女。
……フェルドは、泣きじゃくる少年の手をひき、必死に走っていた。
「やめろ……ッ!」
勝てないのはわかっている。
とにかく時間を稼がなければ。
気づけば身体は勝手に動いていた。
大地を蹴り、全速力でシプラスンへの距離をつめる。
シプラスンが足を振り上げる。
「こっちだ! おい、聞こえてねぇのか!」
声は届くだけだ。
シプラスンは淡々と前足を槍のように伸ばす。
風を切る音が耳に届く。
それはあっさりと、いともたやすくフェルドの体を貫いた。
……フェルドは寸前、少年の体を突き飛ばし、少年を助けていた。
少年は地面に顔から転がるが、大した怪我はしていない。
だが、フェルドは。
俺は走るのを止めてしまった。
「フェルドっ!」
フェルドの腹を前足が貫通していた。
遅れて近づいてきたカルナたちが、魔法を構える。
氷の刃がシプラスンの甲殻へ刺さる。
火が、足を派手に燃やす。
それでも、シプラスンが止まる様子はない。
ショットが刀を腰にやりながら、シプラスンの尻を蹴り、その背中へ飛びのる。
「……ハァァァアッ!」
気合の声とともに刀を降りぬくと、さすがに攻撃を知覚できたようでシプラスンがぴたりと動きをとめる。
羽を動かし、それに巻き込まれたショットの右足が切断される。
すんでで、跳んだおかげか、全身がサイコロにされることはなかったようだ。
とにかく、彼女達のおかげで、どうにかフェルドに駆け寄るチャンスができた。
ショットは心配だが、とにかく、フェルドだ。
俺はシプラスンの前を走りぬけ、フェルドの体を抱きかえる。
……あの時とまったく、同じで軽い。
今はこの軽さが余計に俺の不安を刺激する。
「お、おねえちゃん……」
「さっさと逃げるんだ!」
「う、うん……っ」
泣きながら少年は走り去っていく。
シプラスンの黄色く丸い目が見下ろしてくる。
火と氷がシプラスンの顔に着弾していき、ジロウに乗ったカルナがやってくる。
「ここはあたしたちに任せて、早くその子を安全な場所まで連れて行きなさい!」
「ま、任せた!」
どくどくと血が止まることはない。
木々を抜けたところで、
「……ラ、クナ?」
腕の中から声が聞こえた。
「フェルド! おまえ、意識はあるんだな!? 待ってろ、すぐに治療するから!」
「……もう、間に合わないよ」
声は枯れている。
……それはそうだ。喋れることだって奇跡なくらいの、怪我なんだ。
「何言ってんだよっ、いいから、黙ってろ! 俺のサポーターになってくれるんだろ?」
「……それ、別の人に、したほうがいいかも」
「今のはゼロ点だ! 悪いことは口に出すと本当に起きちゃうんだからな。いいのか? せっかくの席用意しておかないからな!」
「……うん」
「フェルドっ!」
ふざけるなよ……。
おまえ、まだ生きようと思ってるんだろ。
だったら、諦めるなよっ!
「痛いよ、ラクナ」
なんで、全部わかったような目をするんだ。
「大丈夫だッ! 絶対に、どうにかしてやるから!」
「私……ラクナの補佐をしたかったよ。ゴーレム士にはなれなくても、そのくらいは出来るかな、って。ほら、チームの指揮をとる人とかって……ゴーレム士じゃなくてもできるでしょ?」
「ああ、いくらでもしてくれよ! 作戦とか考えるの大嫌いなんだっ、面倒なもん、全部やらせてやるから!」
「それはもう、私にはできない、かな……?」
「弱気なこと言うなっての! ほら、明るく笑えって! 太陽みたいにな! 今、太陽ないけどさっ」
「……ラクナ、私が一番、分かってるよ」
「何を、わかってるんだよっ。俺はなーんもわかりたくないからな!? 本だって返してないし、借りパクゴーレム士なんていわれたくないんだ。だから、生きろっ」
「……約束して。この先、みんなを守れるようなゴーレム士になって」
「おまえはゴーレム士になる俺の姿をちゃんと見てなきゃダメだろ!?」
周囲をみるが、すでにみんな避難場所に移動してしまっている。
……誰でもいい、こいつを治療できる奴はいないのかよっ。
フェルドは、震えながら俺の頬をぴたっと触ってくる。
「ラクナ、温かいね」
「おまえの手が冷たすぎるんだよっ。早くあったかいところに連れてってやるからな」
「私のことは、いいよ。……それよりも、あの虫を……どうにかしないと、でしょ?」
あっちでは激しい戦いが行われている。
……そりゃあ、二人も心配だ。俺が勝手に巻き込んだんだ。
けど、フェルドに死なれるのだって嫌だ。
そういう、悲しい顔をしている奴は大嫌いだ。
「わかってるよ。けど、俺はおまえにしなれたら……嫌だ。いい友達になれると思ってたんだ。一緒にいて、楽しかったんだっ」
「……私もだよ。そういってもらえて、嬉しいかな」
フェルドの笑みに、なぜだろうか。俺の視界がにじんできてしまう。
これだけの傷を負って、生きていられるわけがない。
人の死体は何度も見たことがある。虫に襲われる家族や、孤児院の人たち……。
みんな死んでいった。
「嬉しいなら、何度だって言ってやるから! 死んじゃったら何も聞けなくなっちゃうぞ?」
「私は……ここまでだよ。最後に、楽しい時間をくれてありがとね」
「最後って……なんなんだよっ! どいつもこいつも、仲良くなった奴はすぐに死んで……っ! もう嫌なんだよ! どうして、みんないなくなるんだよ!」
叫ぶと、フェルドは弱々しくデコピンをしてくる。
「泣かないで、ラクナ。私よりお兄さんなんだから……やることはわかってる、よね?」
「……フェルド」
「うん、最後は笑顔がいいかな。ちゃんと、ラクナのことは見てるから。天国で、みんなに自慢してあげるからね」
「……」
フェルドはゆっくりと目を閉じた。
口から血を流しながら、それでも口角は笑みの形をとっている。
くそ、悔しさに一度地面を殴る。
だが、それからすぐに顔をあげる。
……みんないなくなる。
だから、俺は戦いだって嫌だった。
……さっきの戦場でもたくさんの人が消えていった。人の死んでいる姿なんてみたくない。
だったら、関わらなければいい。
……けど、もしかしたら……もしかしたら、俺ならもっと人を助けられるんじゃないか。
後悔も、涙も……全部終わってからだ。




