第十八話 突き進む
必死に手と足を振る。
黒雨が、街へと降り始める。
……やばいな。
肌を伝っていく黒雨、これが地上におりれば、地上の魔力を吸い上げて虫の形をとっていく。
ちらと落ちた雨粒を見る。
雨粒は段々と膨らみ、巨大な虫の形へとなる。
そして、人々を喰らっていく。
道のあちこちに血が流れ、逃げ惑う人々の声が痛いほど耳を打つ。
彼らを助けるつもりはなかった。
俺は強く踏み込んだところで、カルナが道を塞ぐ。
「シルド! 助けに行きたいのはわかってるわ! けど、一度落ち着きなさい!」
ジロウに乗った彼女は冷静な色の残る目でこちらを見てくる。
確かに、焦ったまま戦闘に入るのは危険だ。
……敵の規模ははっきりいってかなりだ。
正面突破では、絶対に勝てない。
「みんな、頼む。俺に協力してくれ」
「わたくしは、姉さんを助けられればなんでもいいですわ」
「レジニアも協力してくれるのか?」
「ええ、死なれては、模擬戦の決着もつけられませんわ」
「あたしはラクナのためなら、全部あげるわ」
「わ、私だって、マスターのためならば、頑張るぞ!」
よかった。ホッとしながら、俺たちは駆けだす。
「作戦はありますの?」
「とにかく、敵の薄い場所から攻めるぞ!」
「ま、そうなるわよね」
カルナは慣れた様子でジロウの背中にまたがる。
「……あんた、いいの?」
「何が!」
「……嫌がってたじゃない」
控えめにカルナが言ってくる。
黒雨のことか……。
ああ、怖いさ。
……けど、少しだけ考え方も変わったんだ。
「俺は世界中を守れるような立派なゴーレム士になるつもりはねぇし、市民にヒーローとして崇められるようなのは絶対に嫌だ。けど……わかったんだよ。俺が戦う理由が」
「戦う理由?」
「あいつの笑顔、楽しそうだったんだ。俺は大事なものを守るだけのゴーレム士になる! それだけだ」
「……そうなんだ。あの子のおかげ、か」
「おまえだって大事なんだ」
「え?」
「なんでもっと早く気づけなかったんだよなぁ、私利私欲で力使ったっていいんだよな?」
「は、はは、あなた、なかなか面白いことを言いますのね」
俺の言葉に、レジニアが走りだして笑う。
病院近くの道に到着し、うじゃうじゃといる黒雨虫どもを見やる。
無駄な時間をかける余裕はない。
黒い雨が肌を打つ。ゴーレム士たちは、この雨の影響を受けにくい。
だが、あくまで受けにくいだけだ。
雨からは、死んだ人々の希望や夢が伝わってくる。
感情移入の激しい人ならば、雨に精神を乗っ取られることもある。
ま、俺には関係ないことだ。
なるべく、虫のいない場所を縫うように道を抜けていく。
病院が視界いっぱいに収まる場所まで来て、俺たちは足を止めてしまう。
多くの黒雨虫が、人々を喰らっていく。
病院には様々な夢や希望を持つ人が多くいる。
それに、吸い寄せられたのだろう。
「マスター!」
呆然としたラクナの横から、人間程度の虫が飛びついてくる。
反応に遅れる。
が、ショットの振りぬいた刃が首をはねる。
黒い液体を吹き出しながら、虫は動かなくなる。
レジニアは特に引きつった顔だ。
……これが初めてなのだろうか。
だとしたら、この驚きは仕方ないかもしれない。
何度も経験している俺とカルナでさえ、動きに迷いが出るほどなんだ。
全員を奮い立たせるために、俺は声を張る。
「さっさと……中に行く! 全員戦闘準備を整えてくれ!」
……といっても、みんな準備自体は完璧だ。
どちらかといえば、心の整理のほうだろう。
……カルナはわかりやすいほどの怒りを表に出している。
レジニアは手が震えている。
カルナよりも、レジニアのほうが心配であった。
どうみても、戦場に慣れていない。
「レジニア、怖いのか?」
びくりと肩があがる。
自信に溢れた笑みを作ろうとしたのか、レジニアは笑みを浮かべるが、覇気はない。
諦めたように嘆息した。
「……実戦は初めてですの。あなたは、慣れていますの?」
「……ま、何度か襲われたことはあるしな」
「そうでしたの」
「安心しろって。レジニアを巻き込んだのは俺なんだ。何かあったら絶対に守る」
「わたくしがここに来たのはわたくしの意思ですわ。……感謝しますわ、少し落ち着けてきましたわ」
まだ怖さはあるようだが、何度かの呼吸で彼女の表情から険がなくなる。
……カルナも落ち着いた。
「それじゃあ、行くとするか」
刀を抜くと、全員の頷きが返ってくる。
庭全体を見回す。
……さすがに凄い虫の数だ。
綺麗だった庭のあちこちに穴があき、人々は悲鳴を残して逃げていく。
ゴーレム士も数人はいたが、正式な部隊ではない。
「……ゴーレム士の部隊は、まだ来てないのか?」
俺の呟きに、カルナがジト目を向けてきた。
「……言ってたじゃない。模擬戦前に、別の街で黒雨が発生したって」
「ダブルか、タイミング最悪だな」
ゴーレム士ではない人が斧を振り回すが、虫の顎に防がれ、
なるべく敵を避けていたが……やはり捕まる。
「任せろ、マスター」
言って飛び出したショットが、一瞬で敵を両断してみせる。
俺は倒れた虫の体を足場に、思い切り飛びあがる。
空中に漂っていた虫の羽も斬りおとす。
「よくもまあ、動けますわね」
レジニアからの嫉妬まじりの褒め言葉に、俺は自分の体が全開であるのを確認する。
着地と同時に刀をなぎ払い、周囲にいた虫も斬りつける。
新たに虫が出現し、俺たちのほうへやってくる。
迎え撃とうと刀に力をこめると、レジニアがばっと片手で制してくる。
「そちらはあなたに任せましたわ。ケルト!」
「グォォッ!」
ゴーレムのケルトが手に持っていた槍を振り回し、地面に突き刺す。
氷が多くの虫を凍らせ、襲われそうになっていた人々の間に盾を作る。
迫ってきた敵の一体を俺とショットで切り裂き、カルナの魔法で数を減らしていく。
なかなか病院に近づくことができない。
「私が敵を引き付ける! その間に進めマスター!」
「わかった。行くぞ!」
怪我するなよ。
ホムンクルスは魔力さえあれば自由に再生できるが、俺の場合は結構限界が早いだろう。
自由に戦場を駆け回るショットは、黒の血をつけながら縦横無尽にかけていく。
病院へと一気に走っていると、目の前を大きな黒雨虫が塞ぐ。
ジロウとカルナが火の玉を放ち、黒雨虫の足をレジニアとケルトが凍らせる。
俺は黒雨虫の体を蹴るように飛びあがり、その目へ刀を突き刺す。
……それでも仕留めきれない。
着地し、がら空きの俺の体へ黒雨虫が足を振り上げ、雷が走る。
守るように顔へ手をやりながら、雷の方角をみる。
「……姉さん!」
「はぁ……はぁ……まさか、こんなに体が衰えているなんて思ってなかったよ」
レジニアは病院から出て、膝をついている姉へと飛びつく。
姉の額には汗がびっしりと浮かんでいる。
……顔には出ていないが、疲れているのはよくわかった。
歩けるけど、体力はあんまりないって感じか。
「レジニアの姉って……あぁ」
カルナは初めて会ったようだが、すぐに理解した様子だ。
周囲の警戒にあたってくれる。
「あの、中の人は逃げましたか!?」
病院の中の人たちが気になった俺が訊ねると、レジニアの姉は、苦虫を噛み潰したような顔を作る。
「……いいや。この裏側は見た?」
「いいえ、何かあったんですか?」
「この前出現した……新種とかいう黒雨虫が出現しててね……助けられればよかったんだけど……」
そこで彼女は強くむせる。
レジニアが背中をさすり、俺はたまらず叫ぶ。
「そんな無茶をしないでくださいっ。レジニア、早くお姉さんを安全な場所まで運べ」
「まだまだ、キミのお姉さんじゃないよ?」
「今はそんなこと言っている場合じゃないでしょ! レジニア、おまえの目的は達成したんだ。こっちはもういいから……」
言いかけた俺の言葉を遮るように、レジニアの姉が口を開く。
「レジニア、私だって今は随分とだらしないけど、ゴーレム士だよ? 守られなくても、一人で避難はするから、彼を手伝ってあげなさい」
「……はい、姉さん。男、さっさと行きますわよ。あなたの目的はまだ終わっていない、ですわね?」
「い、いいのか?」
レジニアがいてくれるなら心強いが……。
体を引きずるようにしてレジニアの姉は逃げていく。
魔法は使えるようだが、それでも不安だ。
そちらをみていると、レジニアに頬を押さえ込まれる。
「いいんですの。ほら、時間が惜しいですわ」
「……わかった」
……そうだ。とにかく、フェルドを探しださないことにはどうにもならない。
シプラスン、授業で聞いていたが、一体どうやって倒すか。
「マスター、どうだ?」
ショットは肩に刀をもち、全身あちこちに黒の血をつけている。
洗濯が大変そうだな。
視界にいた雑魚は一掃してしまったようだ。……これがホムンクルス、か。
そりゃあ、特別扱いもされるよな。
病院へと入ると、壁のあちこちが破壊されていた。
見える部屋には、ベッドの上で眠ったまま殺されたものまでもいる。
……悲惨な状況だ。




