第十五話 フェルドの悩み
「うへぇー」
一日授業を受けたのは久しぶりかもしれない。
疲労感に体を伸ばすようにして机に突っ伏す。
そんな俺のほうへ、かつかつと足音を響かせ、ツカータ先生が感動したように目を潤ませる。
「まさか……一つもサボることなく出ているなんて……!」
「そりゃあ、俺だってたまにはやりますよ」
「……今年初めてよ。って、感動していたけど、これが普通じゃない!」
ツカータ先生は思い出したように叫ぶ。
授業をすべて終えた今、放課後の時間は少ない。
「それじゃあ、先生さいならー! カルナ、俺は先に帰るからなー」
「待ちなさい。あたしも行くわ」
「また授業はちゃんと出るんだぞー?」
廊下を走るようにして寮へと戻る。
昨日借りていた本を鞄に入れ、カルナとショットを連れて病院へと向かう。
「ふん、またあの女のもとに行くのか。マスターは私とフェルド、どちらが大事なのだ!?」
「フェルド」
「なに……っ!」
「まったく、ショットは比較対象が間違えているよ。あたしとフェルド、どっちが大事?」
「フェルド」
「がーんっ」
二人は落ちこんだようで、歩みが遅くなる。
どうせ目的地は決まっている。
二人をおいていくように先を歩く。
病院に到着し、面会の許可をもらって、病室に入った。
「よ、フェルド、元気だったか?」
「……はい。ラクナさん……それに、お二人もお見舞い、ありがとうございます」
一瞬暗い顔であったが、作ったような笑顔を見せた。
……わかりやすいな。
何か、よくないことがあった。
とりあえず、自然な会話の中で彼女と関わっていけばいい。
内容によっては、話してくれるかもしれない。
「ほら、お見舞いにお菓子持ってきたわよ」
カルナが袋をあげると、
「あっ! 私甘い物好きなんです! ありがとうございます!」
嬉しげに彼女は手を叩き、冷蔵庫からオレンジジュースを取りだす。
「みんなでパーティーと行きましょうか!」
フェルドが紙コップを用意し、小さなテーブルを引っ張ってくる。
……こんなに自由にしてもいいのだろうか。
本人が楽しそうなので、気にせずに俺は壁際におかれている椅子を三つ持ってくる。
「この本面白かったよ! 主人公が一人で寂しそうにしているのを淡々と描いててさ。でも、たまに出てくる魔物をかっこよく倒すとか……最高だった!」
楽しかった部分を思い返しながら口にする。
俺ってあんまり人に勧めるのは得意じゃないんだ。
楽しい、面白いくらいしか言葉に出せないんだよね。
だけど、フェルドは嬉しげに頬を赤らめてくれた。
「そうでしょう? 主人公が面白いんですよね、この作品! 魔物はあっさり倒しちゃうけど、人と話すのが苦手……むしろ人が天敵みたいな感じがいいんですよね!」
「そうそう。いやー俺も結構一人でいるのが好きだから気持ちはよく分かるんだよ」
「あ、そうなのですか? 女の子二人も侍らせてよくいいますね?」
「どうも、彼女です」
「私のマスターを奪うなっ。私に魅了されなくなったらどうしてくれる!」
「カルナは俺の義妹だし、ショットだって、俺の部下みたいなもんだからな?」
「へぇー、そうなんですか?」
ニヤニヤと、からかうような目つきをやめてくれることはない。
ま、他人からしたらからかいがいのある人間、ってのは承知している。
カルナとショットがすっかり仲良く口喧嘩を始め、フェルドがそちらをみながらはかなく笑った。
「……ラクナさん、少し、話をしてもいいですか?」
「どんなだ?」
彼女の口調から、ふざけた会話でも楽しい会話でもないのはわかった。
「私のことです。ラクナさんには、私がどうして入院しているのか、伝えていませんよね?」
「……そういやそうだったな」
出来ればあまりそういう話はしたくないんだよね。
悲しい話になるのは、彼女の表情から理解できた。
……たぶんだけど、話すのもつらいはずだ。
「フェルドは、どうして入院してるんだ?」
「……魔臓の病気です。一応、手術で魔臓を取り除けば結構すぐに退院もできるようなものなのですが……」
「だったら、手術を受ければ――」
だから、か。
フェルドは困ったように頬をかき、俺は否定するために両手を振り頭をさげる。
「ご、ごめん。その、別に……なんていうか……」
「謝る必要はありませんよ。私が話をしたかったんです」
大人のような微笑を浮かべ、思わず見とれる。
いかんいかんと視線を彼女から外す。年下に見とれるなんて、あんまり良くないよな。
「ラクナさん……手術、受けるべき、なんでしょうか?」
「……どうしてそんなこと聞くんだよ」
「……父は、手術をすぐに受けさせようとしています」
「そりゃあそうだろう?」
魔臓に関するどんな病気かは知らないが、魔臓の病はどれも人命に関わってくるものもある。
魔力はあまり人間にはよくないものだ。
今でこそ、多くの人間が魔力を持っているが、昔などは化け物として扱われることも良くあったほどだ。
「手術をしなければ、いつかは死ぬ、と思います。けど、私は……手術をしても生きていられるかわからないんです」
「なんでだよ。体が悪化するわけじゃないんだろ?」
「……ゴーレム士になることは絶対にできません」
「……夢が叶えられないから、生きていたくないってことか?」
少しばかり目つきを厳しくして問うた。
フェルドは震える唇を動かした。
「私は、母を殺しました」
「え?」
母を殺した……? それは言葉の意味のままなのだろうか。
「……私が逃げ遅れたせいで、私を庇って母は死んだんです。……そんな母は、ゴーレム士として家族を優先したと、多くの人間に馬鹿にされています。……だから、私は、私が活躍しなければ、母は本当に馬鹿、になってしまうんじゃないでしょうか?」
ゆっくりと吐きだした彼女は、今にも泣きそうで。
そんな悲しい顔は見たくはなかった。
たくさんの悲しみは散々見てきた。
これ以上、そんなものは増やしたくはない。
……俺がゴーレム士になりたくないのは、この『顔』があるからだ。
どれだけ戦っても、黒雨虫から完全に街を守るのははっきり言って不可能だ。
……命がけで戦っても、どこかで悲しむ人がいる。
それを見たくはなかった。
「……俺もたいした人間じゃないから、こんなこと言ってもあれだけどさ。死ぬよりかは、生きていたほうがいいんじゃないかな?」
「……普通は、そういいますよね」
「生きたくても、生きられない人って結構見てきたんだ俺」
別に学校で教えられたからではない。
俺とカルナの故郷は、黒雨の発生地であったために、その影響をもっとも受けてしまった。
部隊が到着する頃には、すでに村は跡形もなかった。
俺とカルナは、自分の両親が身を挺して守ってくれたから……生き残ることが出来た。
……他にも、いくつかの村を転々として、最終的にここに着いた。
途中で、色々な人を見てきた。
生きている間はつらいこともあるが、楽しいこともあった。
まだここで死ぬ、という選択は早い気がした。
「……生きる道は、ゴーレム士だけじゃないだろ?」
「え?」
「ゴーレム士を支える人間だっている。例えば、軍には必ず数人には黒雨虫の情報をまとめたり、作戦をたてたりする奴がいるだろ? そういう、人になったらどうだ?」
「……そう、ですね」
「フェルドが頑張って、有名なサポーターになってさ。俺も頑張って有名なゴーレム士に……なる。そうしたら、フェルドに俺のサポートをしてもらえば、フェルドのことも、フェルドの母さんのことも、みんな伝わるんじゃないかな?」
笑みを向けると、フェルドは言葉の意味を理解してくれたのだろう。
小さく何度も頷き、可愛らしい唇を震わせた。
「ありがと、ございます」
「お、おう」
どうにか元気付けようとあれこれと口にしたが、彼女の話を聞いて少しだけ考えが変わる。
――ゴーレム士を本気で目指したいとはまだ思っていない。
けれど、彼女のように必死でどうにかしたいと思っている人もいる。
その事実を知った今、自分の力についても少しだけ考えてしまっていた。
……もっと、ちゃんと話をしてみよう。
ゴーレム士を目指す皆に、どうして目指すのかを。
「……早ければ手術は月曜日に出来るそうです」
「月曜日か……俺も大事な用事があるんだよな」
「そうなんですか?」
「うん、まあね。学園の模擬戦って知ってるだろ?」
「はい。互いに高めあうための訓練、ですよね? 負けたほうは相手の言い分を一つ受け入れる、というものでしたか?」
「そうそう。俺、それで結構強い相手と戦うことになっててさ……絶対に勝つから、その」
フェルドもその日に、手術を受けたらどうだ?
言おうとしたが、口がうまく動いてくれない。
「……頑張ってくださいね。私も、頑張ります」
「俺も決闘が終わったら、すぐにこっちに来るからさ。頑張ってくれ」
出来る限りの笑顔で言うと、フェルドはぽろぽろと涙を流す。
やがて、嗚咽をあげて、困ってしまう。
「……あたし、外の空気浴びてくる」
「……背中でも撫でたら、どうだ? 私はされるとたぶん嬉しい」
ショットとカルナは言葉を残して、部屋を出ていった。
俺は頬の熱を自覚しながら、ゆっくりと背中をさする。
「……ごめんなさい。こんなこと会ったばかりの人に話すことじゃないですよね」
「いやーまあ、相談って親しくない相手にすることもあるんじゃないかな?」
フェルドはせきを切ったように泣いてしまう。
今まで、誰にも相談なんて出来なかったのだろう。
不安定な感情が、それを示すサインでもあった。
彼女の背中をただ撫でていた。小さな背中だ。
どれだけの悩みを抱えていたのだろうか。
……女性に触れられているから、もっと興奮とかするのかと思ったが、案外俺の身体は空気を読んでくれるようだ。
しばらくすると、フェルドは落ちつき、小さく口にする。
「なんだか不思議な人ですね。……話しやすい人です」
「そ、そうか? 昔っからこんな感じだからよくわからねぇな」
「きっと生まれつきの特性ですね」
「俺って才能に溢れているのかもな」
自由に生きる、というのが俺のモットーだ。そういうのが合う人なのかもな、フェルドは。
「その漫画も見たことない奴だな」
暗い話ばかりも良くないだろう。
ベッドに乗っていた読みかけの本を示す。
「あ、これラクナさんに貸そうと思っていた漫画なんですよ」
「へぇ、聞いたこともない出版社に作者だな」
「それが初めての作者さんらしいですよ。出版社も、一応大きな親会社はありますけど、初めての作品ですね」
「はぁー、色々知ってるんだな」
「……漫画読むか、勉強くらいしかやることないですからね」
「勉強もしてたのか?」
「はい」
棚にはゴーレム士に関する本もいくつか用意されている。
あ、みたことある教科書だ。
中等部のときの教科書もきちんとあり、付箋が貼られている。
「あ、どうぞ。オレンジジュース、飲んでください」
フェルドが紙コップを向けてきて、俺は一口もらうことに。
「……私このオレンジジュース大好きなんですよ」
「……おう?」
思わず首を捻ってしまった。
オレンジジュースなのだが、妙に甘い。
甘すぎて舌が痺れるような……あまっ!?
「おまえ、これ糖分過多で別の病気になるぞ!?」
「えぇー? おいしいじゃないですか?」
フェルドはさも疑問げな顔でオレンジジュースを見ていた。
引きつった笑みで、どうにかちょびちょびと飲んでいく。
二人で話を楽しんでいると、不意に病室の扉が開いた。
視線をそっちに向けると、ショットだけではなく隣にもう一人女がいた。
「レジニア……? どうしたんだ?」
意外な人物――レジニアが口をすぼめて腕を組んでいた。
ショットも気にくわなそうな顔だ。
「……か、彼女がマスターに用事がある、と」
耳元でくすぐるような吐息に体の力が抜けそうになる。
「……レジニア、さんですか?」
フェルドが目を瞬かせている。
レジニアの名前を知っている辺り、レジニアが有名なのだと良く分かる。
レジニアもはっとしてから、作ったような笑顔を見せた。
フェルドは嬉しげに頬に手をあて、身を捻る。
……有名人にあったって感じかな。俺だって声優さんに会ったらこんな反応になるかもしれない。
「少し、用事がありますの。来てくれませんこと?」
「わかった。ショット、よろしくな」
「うぇ……っ」
引きつった顔をするショットは、フェルドのほうをみて片手をぎこちなくあげる。
「……や、やぁ?」
「や、やぁ……です?」
……そういえば、二人はあまり話していなかった。友達の友達、というのは気まずいよな。
二人には少し申し訳なさを感じながらも、廊下に出て訊ねた。
「何か用でもあったのか?」
「……そ、そうですわね。敵であるあなたにこんなことを頼むのもアレ、ですけれど……」
レジニアは悩むように腕を組み、それから諦めたように息をはいた。
「……あなた、わたくしの彼氏になってくれませんこと?」
「か、彼氏ぃ?」
突然の申し出に、突拍子もない声をあげてしまった。




