第十一話 授業
次の日の朝、案の定の寝坊だ。
一日二日で、乱れた生活が戻るわけもない。
急いで準備をした俺は、まだベッドで眠っているショットを見る。
俺がホムンクルスになりたいもんだ。
ショットは昨日も夜遅くまで漫画を読んでいた。
まったく、そんな自堕落な生活を送るなんて、ダメなホムンクルスだ。
身支度を整え、寮を飛びだす。
校舎に入り、 このまま行けば、どうにか一時間目に間に合うというところで、
「ラクナ! おまえ、ちょっと!」
廊下を走っていたラクナだったが、ツカータ先生に掴まる。
ちょっと! このままだと遅刻してしまいます!
その場で急かすように、俺は足踏みをする。
「せ、先生! なんですか!」
「お、おまえ、レジニアの決闘を受けたのよね!? どうしてそんなことをするのよ! いくらホムンクルスとはいえ、まだ戦闘にも慣れていないあなたたちが、レジニアに勝てると思っているの!?」
「レジニアの制服がほしかったからです! もういいですか!?」
省略して伝えると、ポカンとツカータ先生は手を離してくれた。
「ちゃ、着用済みのがほしい、つまり……そういう性癖、か。ならば、止めることはできないか……」
まずい、俺が変態みたいになっている。
訂正している時間はない。
チャイムが響き、急ぎ教室に駆け込むと、
「おや、ラクナくん。どうぞ、ゆっくり席についてくださいね」
担当の教師がラクナに穏やかな笑みを向ける。
――まるで、遅刻しても許されそうな笑み。
ホムンクルスを召喚したことで、俺に対して……どうにも寛容な人が増えたな。
鞄を机の横にかけて席に着くと、教師は黒板を書く手を止める。
「六月になり、みなさんゴーレムの登録が終了したはずです。というわけで、一度みなさんにはゴーレム士について考えてもらいたいと思います」
必要な教科書を机の中から取り出し、ホムンクルスについて調べる。
……詳しいことはのってなさそうだな。
「ゴーレム士は、黒雨と戦う存在、というのは知っていますね? 黒雨とはなにか、分かる人はいますか?」
「はい。黒雨は、通常の雨とは異なり、夢の魔力を含んだものです」
「そうですね。悲しいことに、今この時間にも多くの人間が死んでいます。……その死は、殺人であったり、病死であったり……色々ありますが、多くは黒雨が作り出した黒雨虫が原因です。では、黒雨虫の発生の原因をみなさんは知っていますか?」
「黒雨虫は、黒雨が地上に降ることで生まれます」
「では、その黒雨はどうして作られてしまうのでしょうか?」
「……それは、人々の夢が原因です。死んだ、人たちの」
人々が、夢や希望を持ったまま死ぬと、その残留思念が雲に取り込まれ、やがて雲を変質させる。
死んだ人たちは、まだ生きたいと思う。
生きたいと願う心は……やがて呪いのように変化してしまう。
生きたいという、個人の願いから、生きている人間を憎むように変化してしまう。
その憎しみが、黒雨虫を作り出してしまう。
「ゴーレム士を霊媒師、と呼んでいたときもあります。我々は、死んだ人の夢を破壊して、死んだ人たちを落ち着かせるために戦わなければなりません。……みなさんがゴーレム士になったということで、簡単に復習しましたが、みなさんは常にこの心を持って授業に臨んでくださいね」
教師はそういってから、前回の続きを始める。
教師の話を聞き、皆の表情が引き締まっているが……だから、なんだって感じだ。
この世界を守るために、ゴーレム士は戦っている。
……なんというか、温度差。
真面目に授業に取り組んでいる人を、ボケーと眺めた。
歴史の授業が終わり、ゴーレム操作の授業となる。
全員が体操着に着替えるため、少し気分が高揚する。
夏が近づき、今日は比較的日差しが強い。
風もほとんどないために、そろそろ女性たちも半ズボンを履くようになるだろう。
上もジャージが取っ払われ、人によってはブラジャーなどが透けるかもしれない。
ぐしし、と俺が一人笑みをしているとカルナが近づいてくる。
「はい。あんたのジャージ直しておいたわよ」
と、カルナは以前勝手に奪っていったジャージを渡してくる。
みると、膝にあいていた穴が綺麗に直っていた。
カルナは結構こういうの得意なんだよな。
「ありがとな」
まあ、今日は暑いから着ることはないだろう。
更衣室への移動のときに、必然的に平民と貴族で別れることになる。
この時間はホッとする。平民にまざるように歩いていると、よく話すクラスメートが小突いてくる。
「おい、ラクナ。おまえ模擬戦やるんだってな」
「……もうそんな話でてるのか?」
「まあな。頑張れよ? 貴族たちに泡ふかせてやれよ?」
「……まあ、適度にな」
平民と貴族の間には大きな壁がある。
平民代表が、カルナとすれば、貴族代表はレジニアってところだ。
更衣室に到着し、着替えていく。
と、更衣室内では、女性たちの体操着についてのあれこれの会話が飛び交う。
「やっぱり、レジニアさんのがいいだろ!」
いやいや、一番はツカータ先生だろう。
たまに運動着を着ていることがあるが、基本は貴重な姿だ。
……俺に盗撮の技術があれば、ツカータ先生の写真をたくさん撮っておくんだけど。
「そりゃあ、確かにレジニアさんもいいが……委員長もなかなか」
「馬鹿野郎! カルナさんの健康的なぺちゃぱいのほうがいいだろ!」
馬鹿は誰だ。カルナに聞こえるように言ったら、おまえ明日川を泳ぐことになるぞ。
「か、カルナさんか。あの太股……すっげぇ綺麗で、挟まれたいくらいなんだよなぁ……」
「ああ、確かに。普段、真面目な彼女に……見下した目とともに太股に圧迫されたい……」
「変態共が……ほら、さっさとしないと目的のも見れないぞ」
副委員長にせかされ、男子達は急いで着替えてくる。
それからも誰がいいかの話は盛んに行われる。
……結構、カルナって人気あるんだな。
兄として、きちんとした相手と付き合ってもらいたいものだと思いながら、更衣室を飛びだした。
校庭に集まっていくクラスメートたちは、全員自分のゴーレムを連れてくる。
上手く歩かせられないようで、背中を押してくるもの、小さいゴーレムなどは抱えて来ている人までもいる。
ゴーレムの操作はあれほど難しいのだろう。俺には必要のない授業だ。
ショットは自分勝手に動くからな。
命令したかったら声を使えばいいし。
授業が始まり、ゴーレムへの命令があちこちで起こる。
攻撃の動作をできるだけでも、凄いことのようだ。
「ジロウ、ほら!」
カルナは楽しげに木を投げ、ジロウにそれをとらせる。
「ふふーん、どうよラクナ!」
「ああ、凄い凄い」
「でしょ!? もっと褒めて褒めて!」
カルナは嬉しげにはにかみ、俺も賛美の言葉を並べる。
「……あれ、ラクナくんはどうしたんですか?」
近づいてきた教師が首を捻ってくる。
「えーと、その、まだ寝ています」
「……そうですか」
教師が苦笑いを浮かべると、生徒たちの歓声が聞こえる。
「おや……レジニアさんですか、さすがですね」
教師の興味がそちらに向き、俺も逃げるように人が集まっている方へ行く。
注目を集めていたのは……やっぱり、レジニアか。
カルナがむっと俺の手を掴んできたが、ライバルの情報を集めておきたい。
「ケルト、次は回ってごらんなさい」
それほど大きくないレジニアのゴーレム――ケルトは、俊敏な動きで回る。
レジニアはこちらに気づくと、挑発するように笑顔を浮かべる。
ぱちんと指を鳴らす。
ケルトは手に持っていた木剣を頭の上で回転させる。
それだけではない。
空を何度も高速で斬り、生徒たちの歓声がさらに増す。
「れ、レジニアさんさすがです!」
「ええ、ありがとうございますわ」
レジニアは自分を褒める賛美の声に、優雅に対応していく。
冷静な笑みで称賛を受け止めていくレジニアは、クラスメートたちに気づかれない程度に、ほくそ笑んでくる。
……凄いな。
周りの人間に大人の態度で接する。
俺、あんなふうに褒められても何を企んでいるんだ? と穿ってしか見れないぞ。
貴族の中で暮らしていたからこそ、ああやって振舞えるのかもしれない。
無駄のない動きを繰り返しているケルトは、ショットでもそう簡単に倒せそうにない。
これは、厳しい戦いになる。
誰もいないほうへ、レジニアは片手を向ける。
全員の視線が集中し、見せつけるように氷の矢を放った。
「……まさか、すでに魔法を撃てるのですか」
教師は心底驚いた様子で、ずれた眼鏡を直す。
ゴーレムが使用できる魔法は、マスターも魔法を放つことができる。
「わん!」
突然ジロウが声をあげる。生徒たち全員に届くような鳴き声に、視線が集まる。
「ジロウ! ファイア!」
ジロウの身体が炎をまとう。火の玉を作り、ジロウが放ったり、カルナが同じような魔法を使用したりする。
おお! と歓声があがる。
俺も拍手をすると、カルナはぱぁっと目を輝かせた。
「……カルナ、わたくしの邪魔をしないでもらえませんこと?」
カルナに近づいたレジニアがひくひくと口角を動かす。
「あたしのラクナの視線を奪わないでもらえる?」
「……ブラコン」
「……仮面お嬢様」
ぼそりと二人は言い合い、横目でにらみ合う。
結構仲悪いんだな。
平民代表のカルナ、貴族代表のレジニア。
すでに環境が、二人の関係を作っているな。
今から乱闘騒ぎにでもなりそうなところで、教師が、軽く手を叩く。
「みなさん、次の授業は視聴覚室にて行います。速やかに着替えて、移動してくださいね」
更衣室で制服へ着替えなおしたラクナは、すぐに次の授業が行われる視聴覚室へと向かう。
視聴覚室に入り、にぎやかな教室の一番端の席につく。
長机がいくつも用意された部屋であるが、仲のいい人同士で集まることが多い。
俺の隣には我が物顔のカルナが着席し、あれこれと話をしてくる。
やがてモニターの前に立った教師が、部屋の明かりを落とすように命令する。
明かりが消えると、カルナがむふふと目を細めてきた。
「……暗いとあれこれできるわよね」
「まあ、こっそり女子の太股を触ってもばれないかもしれないな」
「そうよね。それに、暗闇ってなんだか興奮しない?」
「今、俺の太股が誰かに触られているんだけど、犯人わかるか?」
「わかんないわよ。暗いんだからみえないでしょ」
「俺の隣には、一人しか座っていないんだ。この状況なら、犯人もわかるんじゃないか?」
「自分で自分の太股を触ってんの? まあ、魅力はあるわよね」
無意識に俺は自分の太股を求めていたのか。
そんなわけあるか。
「ほら、授業も始まってるんだ。前みろ前」
言ってやると、、カルナは俺の手をきゅっと握るだけに留めた。
それでも十分おかしいんだよな。
本当にいい加減、お兄ちゃん離れしてほしいものだ。
「今日は、新種の黒雨虫、シプラスンについての勉強をしてもらいたいと思います。シプラスンについては知っていますか、レジニアさん」
「はい、五月十四日に発生した黒雨にて発見された新種です。頑丈な甲殻を持った非常に戦いにくい相手です」
「そうですね。今は対策手段としていろいろと検討している段階です。そろそろ、黒雨が発生する可能性が出てきています。もしかしたら、シプラスンと対峙してしまう訓練生も出てくるかもしれません。そのときのために、シプラスンの映像を見てみなさんで対策を練っていきましょう」
戦場の様子がモニターに映し出される。
こういうときは居眠りの時間だ。モニターに顔を向けながらも、両目をゆっくりと下ろした。
しばらく時間がたつと、明かりがつく。
薄い意識の中で、断片的に聞こえてきた音を思い出しながら、気づかれない程度に伸びをする。
「それでは、近くの人と話してみてください」
グループが指定されていないために、自然仲のよい人同士になる。
「ラクナ、シプラスンを倒すならどうするのが一番いいと思う?」
「えっと……まあ、何かしらの魔法がいいんじゃないか?」
「シプラスン相手に様々な属性の魔法を放ったらしいけど、満足に通用しなかったらしいわ」
「そうなのか……なら、俺は逃げるのがいいと思うな」
「それじゃあ、町守れないじゃない」
だろうな。
カルナには曖昧な笑みを返す。
と、前にいた四人グループが後ろを向いてくる。
「なあ、二人はどう思う?」
視聴覚室ではよく話をするメンバーだ。
「そうね……。やるとしたら、熱して冷ますとかいいんじゃない? たいていの物質は熱して急激に冷ませばどうにかなるものよ。後は、凍らせて砕く、とかもね」
確かに黒雨虫の甲殻は、どちらかといえば鉱石の類に近いと発表されているが、そううまくいくものかね。
「……なるほど。さすがカルナだな」
「ありがと」
カルナの意見に全員が感嘆の息をもらす。
「そういや、ホムンクルスを使えば、どうにかできるんじゃねぇか?」
からかうような男子生徒の言葉に、俺は曖昧な笑みを作る。
あいつ、身体強化の魔法が使えるだけなんだよな。
おまけに、人見知りだし……みんなのゴーレムのほうがマシな気がしてきた。
「あ、そうだ。ホムンクルスってどんな力を持ってるの?」
「さぁ……俺もよくわかってねぇよ」
人から魔力を奪うのと、人を誘惑するのと、人見知り。
……まったく戦闘で使える気がしないね。
「かわいい子だよね? 一緒の部屋で暮らしてるの? 相手がゴーレムだからって変なことしないようにね」
「まあ、そう思わないことはないでもない」
「あぁ?」
カルナの低い声が俺の耳を殴る。
そんな冗談ですよ……はは。
「ま、シプラスンが出たときは俺はさっさと逃げさせてもらうからな」
そんな面倒な奴と対峙してまで守りたいものなどない。
俺の情けない発言に、カルナを含めた五人が苦笑をもらす。
「ラクナの気楽さは、俺も見習いたいもんだぜ」
「そうだ。皆ももっと適当にやってればいいんだよ」
「ラクナは適当すぎるのよ。もっとしっかりしなさいよ」
カルナがすかさず注意をしてくる。
相変わらずこの義妹は真面目である。
「そういえば、二人は付き合っているの?」
女子が目を細めながら俺たちを見やってくる。
これはかなり由々しき問題だ。
……俺はなぜかカルナと付き合っていることにされてしまっている。
おかげで、ばら色の高校生活を送れていないんだ。
この誤解さえなければ、今頃俺はハーレムだってきっと作れているのにっ。
だからこそ、否定しなければ。
俺の言葉を塞ぐようにカルナが胸を張った。
「当たり前じゃない! あたしとラクナは結婚も約束しているのよー!」
「こいつは俺の義妹だから、そんな関係じゃないっての。いつも否定してんだろ?」
「でも、血は繋がっていないんでしょ? ラクナくんだって、こんな可愛い子に言い寄られたら、ちょっとはぐらつくもんじゃないの?」
「でも、こいつは俺の妹なんだよ。それ以上の関係は絶対ない」
「……ばーか」
ぷいとカルナはそっぽを向いてしまった。
「おまえ、いいよなぁ……」
「まあ、恵まれてはいるんだろうけどさ」
カルナのような美少女にあれこれ心配されるのは、悪い気はしない。
……そういや、頼ってばっかだよな。
カルナが兄離れできないのは、俺が情けないのもあるのか。
「はい、それじゃあグループであがった対策を――」
教師が授業を始めながら、俺は午後の授業をサボることを決意した。




