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時間にしてほんのコンマ数秒のことだったと思う。
光の線が四方を包んだかと思えば、突然景色は落ち着きを取り戻した。……が、今度は俺が落ち着きを失った。
「……な、何だよ…ここ……」
目の前の景色をじっくりと眺めてみる。そこは、どこかのブリッジだった。ブリッジ、艦橋……何でもいい。とにかく、アニメやゲームで見たことがある、何かの船のブリッジだった。
前方には椅子が三つあり、その前にはよく分からない計器やレバー、ボタン……そして、中央の椅子の前にはU字のハンドルがあった。
後方を振り返れば、そこは一段高く、他の椅子とは違う、どこか立派な椅子とこれまた色々な計器、ボタンがある台があった。
そして、何よりも信じられないのが、メインモニターらしき前方のスクリーンに映る映像。
(あれって……地球!?)
そこには、ゆっくりと自転する丸く青い地球があった。本来なら偽物の映像だと疑いたくもなるが、到底作り物の映像には思えない。うまく説明出来ないが、まるで窓の外の景色のように、さも普通にあるように、圧倒的なリアリティーがある映像だった。その球体は、それが本物の地球であることを半ば強制的に理解させるほど、青く美しかった。
もちろん地球の周囲も漆黒。いや、点々と輝く星があり、まん丸の月まである。
(ここ……どこ?)
そうは言っても、考えられるのはただ一つ。……ここが、地球外宇宙であること。
「……ハハハ……嘘だろ?」
思わず笑えてしまった。頭がどうにかなりそうだ。乾いた笑いを浮かべながら、グシャグシャと両手で頭をかく。そして目をゴシゴシと擦り、今一度その映像を見る。……何度見ても、同じ光景が広がっていた。
「……ああ、これは夢だ。夢に違いない。また明晰夢を見てるんだよ。それしか考えられない。きっと、まだ俺は家の布団で幸せそうに寝ていて……」
「――残念だけど、夢じゃないわよ?」
自分に暗示をかけるかのように独り言を並べていた俺に、後ろから声が届けられた。ついさっきまで聞いていた声だった。ゆっくりと振り返ると、そこにはやっぱりあの美人が立っていた。そしてその周囲には他にも三人。男一人、少年一人、少女一人……。皆一様に、俺の方を見ていた。
言葉を失い戸惑う俺に、その美人は歩いてきて、俺に手を差し出した。
「……自己紹介がまだだったわね。私の名前は“ユウスフィア・ドル・シュテルン”。この艇の艦長よ。よろしく」
「―――」
未だに言葉を発せない俺は、思考停止状態のまま、柔らかい艦長と握手を交わした。そんな俺を見た艦長は、どこか困った顔を浮かべながら微笑んでいた。さっきまでとは少し違う、どこか同情するような微笑みだった。
交わした手を解き、艦長は再び穏やかに微笑む。
「おお!! キミが例の人かね?? むむむ……」
艦長の後ろから一人の少女が飛び出してきた。そして背伸びして俺の顔を覗き、そのまま爪先までじっくりと体を観察していた。
「う~ん、普通の体だけど……ちょっと調べてみるかな……フフフ」
目が怪しく光る少女。両手をワキワキと動かしながら俺に迫ってきた。
(な、何だよコイツ……)
「マリアベル……止めなよ……」
さらにその後ろにいる少年が少女を静止していた。とても小さな声で。見るからに気が弱そう。
(……マリアベルって、さっき艦長が言っていた名前?)
「むむ! 離すんだニクル!! 止めないでくれたまえ!!」
ニクルなる少年にそのまま引っ張られる少女。なんとまあ騒がしいことで。何というか、天真爛漫って感じだ。
そんな光景を見た艦長は、一度咳払いをして改めて話してきた。
「とりあえず、あなたの名前を教えてもらえないかしら?」
「……え? あ、ああ……」
(えっと……名前名前……)
一瞬自分の名前すら度忘れしてしまっていた。俺自身、自分が思っている以上に混乱しているようだ。
そんな自分を律するため、一度大きく深呼吸をした。そして、自分の顔に握り締めた右の拳を勢いよく一発入れる。鈍い音がブリッジ内に響き渡った。
「―――なっ!?」
艦長と他の三人は言葉を失い、引きまくっていた。俺の行動は、周囲から見たら気が狂ったかのように見えるかもしれない。でも、今の自分の内情を考えれば、このくらいの荒治療が必要だろう。
今の自分の置かれた環境や状況が何にせよ、それを冷静に観察、推測、判断することが重要だ。冷静さを欠いてしまっていたら見えるものも見えなくなるし、それは自分自身を危険に晒し続けることを意味する。
どれだけ理解出来ない状況になっても、どれだけ絶望的な状況になっても、その状況と反比例させるように頭の中は常にクールでいろ。――それが、親父の教えだ。
「痛ッ―――」
頬がビリビリと痺れ、追いかけるように痛みが走る。口の中には血の味と香りが広がり、頭がクラクラした。
数回頭を振り、再び艦長に目を向ける。さっきよりも、はっきりとその整った顔が見える。だいぶん頭が冴えてくれたようだ。
「――俺はイツキ、蔵臼イツキだ。説明、してくれるか?」
艦長は呆れるような笑みを浮かべていた。そして言葉を呟く。
「……あなた、変わった子ね」
(……やかましい)
「まあいいわ。付いてきて」
そう言って、俺は四人に艇の奥に案内された。
* * *
艇の奥は意外と広かった。ブリッジを先頭とするなら、後方最端の壁までおよそ百メートルってところか。
案内されながら艇内を見渡してみた。白い廊下にはいくつもの照明が灯され明るかった。宇宙船と言えば、機械的な角ばった内装やらドデカイエンジンに圧迫された狭い空間、むき出しのコードやら所狭しと並ぶ計器などがある船内を想像していたのだが……この艇は、全然違っていた。ダイニングルーム、トレーニングルームもあって、通路の奥の方には居住スペースのような小部屋がいくつかあった。ちょっとした研修施設のような雰囲気だ。窓から見える景色は宇宙そのもので、感動とか戸惑いとかが入り混じる複雑な心境になってくる。
俺は最後尾を歩いていたが、案内するまでの間に他の四人は雑談をしながら歩いていた。
こうして見ると、俺と同じ種族のようにしか見えない。艦長は異星人らしいので、他のメンバーも同じ星の人間なのだろうが、想像していた宇宙人とはかけ離れていた。脚がニョロニョロあったり、口の中から更に口が飛び出したりもしない。普通に軍服っぽい服を着て、ブーツも履いている。まるっきり、地球人と同じだった。
それにしても、宇宙にいるはずなのに普通に廊下を歩けている。重力制御装置でもあるのだろうか。それに、考えてみれば相手は異星人なのに、彼らの言葉がハッキリと分かるし、彼らも俺の言葉――つまりは日本語を極自然に話している。
それらの要素があるからこそ、より一層、本当にここが宇宙船で、彼らが異星人なのかという疑いを持ってしまっていた。
俺が案内されたのはブリーフィングルームのようだった。部屋の中央には円形のテーブルがあり、その周囲に椅子が五脚。
艦長は一番奥に座り、その両サイドに先ほどの少年と少女。そして、艦長の右後ろの壁には大人の男性がもたれかかって立っていた。
「まずは、この艇の紹介からしましょうか。この艇は“ヴァイスレーベン”、私たちの家よ。もちろん正式名称じゃないわ。正式な名前は、“探索兼遊撃戦闘用特殊武装宇宙間飛航艇”って言うんだけど、堅苦しいでしょ? だから、そっちでは呼びたくないの」
「は、はあ……」
探索兼遊撃……何だって? まったく覚えれない。何でそんなに無駄に長いんだよ。
……ヴァイスレーベンという名前の方で覚えよう。
「次に、クルーを紹介するわ。まずは、彼から」
そう言って艦長は後ろを振り返る。そして視線を俺に戻し、続けた。
「彼は“シュート・ルーベンス”、この艇の砲撃手兼操舵補助よ。射撃の腕では彼の右に出る者はいないわ」
年齢は俺よりもだいぶん上のようだ。艦長よりも上だろうな。赤色のオールバックで身長も高い。言いたかないが、正直イケメンと呼ばれる部類に入るだろう。
「……まあな。この俺様に勝てる奴なんざいねえだろうな。なにせ、俺様は天才だからな」
自信たっぷりに言い放つシュート。相当な自信家のようだ。でも、艦長の話ではその腕は確かなようだ。絶対の信頼を置いているように思う。裏打ちされた自信、というやつだろう。
……ていうか、何で座らないんだ? 椅子は空いてるのに……
「あの……シュートさん?」
「おおっと、敬語はなしだぜ? 痒くなってくらぁ」
「あ、はい。じゃあ、お言葉に甘えて……。――シュート、座らないのか?」
その言葉を受けた瞬間、シュートの表情が固まった。ピシッ、という音が今にも聞こえてきそうだった。
それを見た艦長は、ニヤリと笑う。実に不気味だ。
「……だそうよ、シュート」
「い、いや……俺様、立ってるのが好きだから……」
さっきまでの余裕はどこへ旅立ったのだろうか。完全に慌てふためいている。
(いったいどうしたんだか……)
それを見た艦長は、更にニヤリと笑い、静かに席を立った。そして、ゆっくりと優雅にシュートに向けて歩き出した。
「……座れないんですものね、シュート」
(座れない?)
「ユウスフィア! それ以上は来るな! 俺様の半径一メートル以内に入るんじゃねえ……!」
「あら……どうして?」
艦長はシュート目の前に立った。そして、妖艶な瞳を向けたまま、細い指でシュートの頬をなぞる。
「ひぃぃぃぃッ!!」
シュートはその場で腰を抜かしてへたり込み、四つん這いになって艦長から離れはじめた。艦長から十分距離を取ったところで、ガタガタと震えはじめていた。
「な、なんじゃぁ?」
俺の呟きを聞くと、艦長は再び席に戻り、ニッコリとした優しい笑顔に戻した。
「……彼、女性恐怖症なの。普段は大丈夫なんだけど、一メートル以内に女性が近づくと、あんな感じ」
「女性、恐怖症……」
一度シュートに目をやると、壁に手をついて息を荒げながら立とうとしていた。
(ハハ……)
思わず浮かぶ苦笑い。この艦長、分かっててやったんだろうな……。中々腹黒い……。
「さて、気を取り直して」
艦長は“それは置いといて”的なノリで話を再開した。……自分が話脱線させたのに。
「次はこの子。操舵手兼整備士補助の“ニクル・ナリッジ”よ」
先ほど少女を止めた少年だった。俺が視線を向けると、はにかんだ笑顔を見せるニクル。
緑色の短髪でおかっぱのように伸びていた。優しそうな表情と怯えるような目をする彼。身長はあまり高くなくて、縮こまるように椅子に座っている。
「……あ、よ、よろしく」
消えそうな声であいさつをするニクル。本当に気が弱そうだ。突けば泣くんじゃないのか?
(ていうか操舵手って……大丈夫なのか?)
「ニクルは少し気が弱いけど、操舵技術なら超一流よ。心配しなくていいわ」
まるで俺の心境を察したかのように艦長はフォローを入れた。それを横で聞いたニクルは恥ずかしそうに頬をかきながら身を更に小さくしていた。
「そして、次が……」
「はいは~い! アッタシだよ~!!」
艦長が視線を送ると同時に、元気よく席を立ち上がり、手を上げながらはち切れんばかりの笑顔で声を出す少女。
金色の髪は、頭で二つのお団子でまとめられていた。伸ばせば結構な長さになるだろう。身長は一番低いが、スラッとしたスタイルをしている。そして、マリアベルは唯一軍服ではなく白衣を着ていた。整備士と言えば作業着を予想できそうなのだが……現実はこんなもんなのかもしれない。
顔はとても整っていた。艦長が美人とするなら、彼女は美少女と言える。黙ってれば美人になるのだろうが、元気溌剌な雰囲気と行動が、そうは見せないようにするかのようだった。
「彼女は、整備士兼ナビゲーターの“マリアベル・レニ・マクシミリア”。この艇の機械系、武器系は全て彼女に一任しているわ。彼女、天才だから」
鼻高々に胸のはるマリアベル。それを見つめる艦長もまた微笑んでいた。
それはそうと、少し気になることが。
「……役職が、兼務ばかりなんだな」
「そうよ。だって、クルーはここにいるので全員なんだし」
艦長は当然のように答える。しかし、それは俺にとって意外なものだった。
「え゛!? この艇って、こんだけの人で運用してるのか!?」
「そうよ。だから、色々な役職を兼務する必要があるのよ。人、いないから」
驚きだ。この艇自体、そこそこ大きな船なはずだが、それをたった四人で運用しているとは……。この艇だけが特別少ないのか、それともこれが普通なのか……
「……で、最後が私。名前は……さっき言ったわよね。あなたのこと、何て呼べばいいのかしら? 名前は、確か“クラウス・イツキ”だったわよね?」
「好きなように呼んでくれ。ちなみに、“クラウス”はセカンドネームだからな」
「あら、そうなの? てっきりファーストネームかと思ってたんだけど……」
(そう思ったよ……)
「じゃあクラウスと呼ばせていただくわ。よろしくね、クラウス。私たちのことも好きに呼んで」
(……結局そっちなわけね。ま、いいけど)
「ああ。よろしくな、ユウ、シュート、ニクル、マリ」
そう言った俺を、不思議そうな目で見る乗員各位。何かマズイこと言ったかな?
「ねえ、その、ユウとマリって何?」
ユウが困惑した表情で訊ねてきた。マリもまた、首を傾げていた。
「え? いや、だってユウスフィアとマリアベルだろ? 長くて言いにくいから言いやすいように呼んだだけだけど……。嫌なら改めるけど?」
「い、いや……そんなわけじゃないけど……。ユウ、か……」
目を少し伏せつつも、どこか嬉しそうな表情を見せるユウ。軽いあだ名みたいなものなんだけど、あだ名って、ユウ達の星からしたら珍しいのかもしれない。
「うんうん! アタシも、マリって気に入ったよ!!」
マリもまた嬉しそうにドタバタと席を叩く。どうでもいいけど騒がしい。落ち着くってのを知らないようだ。
(まあ、気に入ってくれたんならいいけどさ)
それはそうと、結局のところ“本題”は全く触れられていない。全員の名前を聞けたのはいいが、俺が本当に知りたいのは、そこじゃない。
「なあユウ……。そろそろ、話してくれないか?」
「え? ああ、ごめんなさい」
そう言ってユウは、一度手を組み直した。そしてそれまでの表情を一変させ、険しいものに変えていった。それを見た他のクルーもまた、和気あいあいとした雰囲気から、ピリピリとした鋭さを感じる雰囲気を出す。
「……まず、最初に言っておくことがあるわ。今から話す内容は、全て事実に基づいて話すことなのよ。クラウスからすると信じられないようなことばかりだと思うけど……覚悟して聞いて」
どこか、怖いくらいの真剣さを感じる。それを垣間見た俺は、ゆっくりと一度唾を飲み込んだ。大きく息を吐いて、そして、ゆっくりと頷いた。
それを見たユウもまた、一度頷く。そして、静かに話し始めた。
「まず、今の宇宙の状況についてね。――今、宇宙は危機を迎えているの」
「危機?」
聞き直す俺に、ユウはもう一度頷いた。そして、少し間をおいて、神妙な面持ちで緊張と静寂に包まれる室内に、その言葉を響かせた。
「……宇宙の、終わりよ」