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いつもの通学の道。目の前の景色を確かめる様に見渡しながら歩く。視界が良好か。空の様子は変わらないのか。
まずは前者。
道路、壁、電信柱、川……。うん、いつも通りだ。これと言って紅く見えたりしない。瞳の色が紅く変色したから、もしかしたら景色まで紅く染まるのかと心配していたが、そんなことはなかったようだ。本当に、変わったのは色だけ。でも、たった一晩で何が起こったんだ? 昨日の夜、歯を磨く時は黒かったのにな……
次が後者。
昨日あれだけの変化を見せたにも関わらず、空は全く変わっていない。青々としたスカイブルー。綿菓子のような白い雲。眩しい太陽……
空の片隅にも昨日のような色は見えない。ごく普通の、当たり前の空色だった。
今日の朝のニュースも、昨日に引き続き虹色の空の特集をしていた。まあ結果として“理由は分からず”になることは明白だったんで途中で消したが。でも、あの空はなんだったんだ? テレビの言うように、何かの前触れか? とまあ色々と推測したが、そこも昨日と同じ。俺に分かるわけがない。
それにしても、あの綺麗な石はどこに行ったんだろうか。割と気に入ってたんだが。
(………)
ふと、思いついた。
虹色に染まる空、あの石、あの夢、消えた石、紅くなった目……
まさか、繋がってるのか? いや、繋がってるんだろう。あんな出来事やこんな出来事が、この短期間で立て続けに偶然連発するなんて考えにくい。だとしたら、あの石は何だったんだ? 俺に何をしたんだ? 俺、どうなるんだ?
(……なんて、な)
止めた止めた。そんな中二クサいことが起こるわけがない。ここはどこだ? 現代文明の中心地ではないか。そんなファンタジーな話なんてのはあくまでも小説やら漫画やらゲームの世界だけの話に過ぎないし、俺みたいな一介の高校生が“選ばれし者”とかなら、世界の四割も選ばれし者になってもおかしくない。所詮俺はその他大勢の人物であり、それ以上でもそれ以下でもないわけで……
などと考えながら角を曲がると、そこには女性が立っていた。
「―――」
思わず鳥肌が立ってしまった。凄まじく美人だ。
サラサラの黒い長髪と小さな顔。顔のパーツはどれもまさに理想形とも言える形で、それが絶妙なバランスで顔に配置されている。唇は薄ら桜色に染まり、妖艶な黒い瞳は心を鷲掴みにするかのようだった。体のラインもモデルのようで足も長く……おまけに胸もスンゲエ大きい。
ここまでの美人は初めて見た。このあたりの人物ではないだろう。だってこんな人が住んでいたら、完全に話題になってるぞ。ていうか、芸能界に入ればいいのに。
しかしながら、少し変わった服装をしている。白い……軍服か? 左胸にはキラキラ光る階級章のようなものが付いてるし。両腕には何かの紋章のような刺繍もある。コスプレとは違う気がする。何というか、あまりにも違和感がない。まるで昔から着こなしているかのように自然だった。
さらに妙なこともある。胸元に上げた左腕のブレスレットのようなものから、何だか緑色の四角い平面の画面が3Dのように浮き出ている。
そんな奇怪な服装をした超絶美人は、キョトンとした目で俺を見ていた。もしかしたら、俺はとんでもなくアホ面をしていたのかもしれない。
「……は」
我に返った俺は、さっさと女性から視線を外し、その横を通り抜けようとした。
「――ねえ、キミ」
すると、その女性は突然言葉を出した。
キミ……。周囲を見渡しても俺しかいない。ということは、俺に言ったのか?
おそるおそる女性の方を振り返り、自分の顔を指さして確認してみた。
「そう、キミよ」
女性は笑顔を俺に向けていた。
とても透き通った声だった。声だけでも十分引き込まれるが、その容姿が更に声の艶のようなものを増強させるかのようだった。
「……はあ、何でしょうか」
すっかり心ここにあらずとなってしまった俺は、何ともマヌケな声を出す。その理由は察してほしい。こんな美人が、俺に声をかけたのだ。それだけでも十分幸せを感じてしまう。そんな俺を、誰が責めれようものか……
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど……」
そっから女性は少し黙り込んだ。これから言う言葉を頭の中で慎重に選んでいるようにも見える。
「……キミさ、珍しい石、知らない?」
一瞬にして凍り付いた空気。速攻で思い付いたのは、あの石。しかもこの女性は軍服。
もしかして、所有者か? もしくは持ち主に依頼された人? どちらにしろヤバい。勝手に持ち帰って、そんで現在進行形で紛失中……。そんなことが判明すれば、シバかれるかもしれない。思い返すのは昨日の自分。何で警察に届けなかったんだよ。もしタイムマシンがあるなら速攻であの時間に戻り、ポケットに入れようとする自分をグーパンチして思い止まらせるだろう。
全身から冷や汗が出る。さっきまで見惚れていた女性の目が何だか怖い。慌てて目を逸らすと、女性はクスリと怪しい笑みを浮かべた。
「……知ってるんだ」
「―――!!」
心臓がハッキリとドキッ!! って言った。心を読まれた俺。追い詰められた俺。完全にピンチな俺!
シバかれる。そう思った俺だったが、女性は意外な反応を示した。
「ねえ。どこで見たか教えてくれない? とっても大切なものなの。あれがないと……」
そう言って女性は、目を伏せてしまった。その顔には焦燥感とか絶望感とか、とにかくネガティブな色しか見えなかった。もしかしたら、あの石はこの女性にとって、形見等のかけがえの無いものだったのかもしれない。そう思うと、まるで津波の様に自責の念が押し寄せてきた。俺に出来ることは、もはや一つしかなかった。
俺は女性から一歩離れる。そして、圧倒的な速度で、全身全霊を込めて、見事なまでの土下座を披露した。
「――すみませんでしたああああ!!」
「え? え?」
女性は凄まじく戸惑っていた。突然の俺の奇行に、どうすればいいのか分からないようにアタフタとしていた。
「すみませんでした!! 実は―――!!」
俺は、洗いざらい全て話した。昨日の天気の後に見つけ、持ち帰り、そして、なくしてしまったこと。
静かに聞いていた女性は、ゆっくりと俺に立つように促した。そして怒鳴るかと思っていたら、笑顔を俺に見せてきた。
笑顔で全てを許してくれるのか……まるで菩薩のように心が広い人なん―――
「……どうしてくれようかしら?」
そして俺は気付いた! その笑顔は、決して俺を許すものではないことを。
刺すような視線、笑顔の奥に見え隠れする殺気、氷の微笑……。怒りを通り越せば笑いが生まれると言うが……あれ、ホントなんだなあ。
――と悠長に考えてる場合ではない! どうしよう……法外な損害賠償を請求されたら……
「あなたのせいで、とっっってもマズイことになるわね……」
(それ以上は言わないでください! 良心の呵責がぁぁぁ……)
「ねえ、本当になくしたの? しっかり探した? もう一度一緒に探しに行きましょうか?」
「あ、いや……正直、俺にもよく分からないんですよ。机の上に置いていたはずなのに、いつの間にかどっかへ行ってるし……。かと言って泥棒に入られたわけでもないみたいですし」
「どういうこと? ちょっと意味が……」
その時、女性は俺の顔を見て固まった。いや、俺の目を見て、と言った方が妥当だろう。何かを発見し、そして絶句する。
そして突如俺の顔に整った顔を近付け、マジマジと目を見てきた。
「紅い……輝き……」
「え?」
「……ね、ねえ、この目、いつからなの?」
「……はい?」
「だから! この目はいつからこうなったの!?」
さっきまでの落ち着いた雰囲気とは打って変わり、声を荒げる女性。見るからに、動揺していた。
「い、いや……今日の朝起きたら、こんな目になってて……」
言葉を受けた女性は、再び固まった。眉はハの字になり、目は見開いて焦点が合わない。口を少しだけ開け、冷や汗を流し始めた。そしてそのまま俺から後退っていく。
「……う、嘘……そんな……こんなところに? ……S? ……しかも……神託!?」
(S? 神託? ……何のこっちゃ)
女性はワナワナと震えていた。ひたすらに俺の目を見続け、今の状況を必死に理解しようとしているようだった。
(……ん? 何でこの目が元々の目じゃないことを知ってるんだ?)
そんなことまで話してなかったはずだ。もしかして、この女性はこの目の症状を知っているのか? 医者か何かなのかもしれない。でも、この動揺……まさか、極々稀な奇病とか言わないよな? ……途轍もなく不安なんだが。
「ちょっとキミ! そこを動かないで!!」
突然怒鳴られた。
「は、はい!」
直立不動となった俺を見るなり、女性は右耳に付けた白いピアスに手を当てた。
「……マリアベル聞こえる!? 今すぐサーチをかけて!! ……説明は後!! 早く!!」
女性はそのままの姿勢で俺を睨み付けていた。さっきまでの余裕の表情は既にどこかへ吹っ飛び、真剣で熱い視線だった。
「―――!? 私の前……それで間違いないの!? ……やっぱり。……うん…うん……そう、そのまさか、よ」
ひたすらに誰かと話すような声を出す女性。ケータイは持っていないようだが。一人芝居にしては鬼気迫る演技だ。まるで本当に誰かと話しているかのようだ。そして、何やら物々しい口調で話していた。
「しかもね……ランクSよ? ………ええ、私も驚いたわ。……そう…うん……いや、この目の輝きは、たぶんそうだと思う。……うん…そうね、それしかないわね。とりあえず、連れていくわ」
(……もしかして、俺を? どこに?)
「……仕方ないでしょ? ……それは分かってるけど……ううん、連れていく。多少の実力行使はやむを得ないわ……」
何やら物騒な言葉が出始めた。俺を見つめる女性の目も座り始めている気がする。
「大丈夫よ。抜かりなく進行するわ……。……ええ、大丈夫。警戒されないようにするから。いざとなったら縛り付けてでも……うん、じゃ……」
最後に何だかとんでもないことを言って、女性はようやく耳から手を外した。そして、俺に対し悪意に満ちた笑顔を向けてきた。
「ねえ、ちょっとお出かけしましょ?」
「絶対嫌だ」
即答で答える。
「……チッ」
(思いっきり舌打ちしやがった……!!)
今の会話を推測するに、俺をどっかに無理矢理連れ出そうとしているわけで、もしもの時は強制連行的に連れていく、ということだろ? そんな危ない会話を平気でする人なんかの誘いには乗るものか!
そんな俺を見た女性は、なだめるつもりなのか諦めさせるつもりなのか、何かをじっくりと考えていた。
「大丈夫。ちょっとパッと行ってサッと帰るだけだから」
相変わらずの怪しい笑顔を見せる女性。もはや美人かどうかなんて関係ない。そもそも、美人の誘いほど危ないものはない。ヒョイヒョイ付いてったら壺とか絵とか浄水器とかを売られかねないし。この時代、美人と家族を名乗る電話は信用してはいけないのだ。
「……だいたい、その、パッと行くところってのはどこなんだよ」
「別に怪しいところじゃないわ。――ただの、宇宙船よ」
「凄まじく怪し過ぎるわ!!」
「………チッ」
(あ! またしやがった!!)
俺から目を逸らし、さっきより強めの舌打ちをした。……ていうかこの人、そんな適当な説明で俺を納得させるつもりだったのか? そっちの方がびっくりする。
「……仕方ないわね」
とても残念そうな顔をした女性はそう呟き、再び耳に手を当てて不気味な会話を再開するのだった。
「私よ。拒否されたわ。……ええ、しょうがないわ。……準備して。……そういうことよ」
そして手を耳から手を外して、力なくぶら下げる。
俺を見つめる目は、完全に座っていた。悪意、殺意、その他多くの負の感情を感じる。
(……ラチられる)
瞬時にそう判断した俺は、勢いよく踵を返し逃走を図った。しかし、女性はいつの間にか俺の手を掴んでいて、その場を離れられない!
女性は、ニッコリと笑う。
「逃がさないわよ?」
そんな顔を見て、思わず引きつるように苦笑いが出てしまった。
「――転送」
女性がそう言った瞬間だった。突如として、空から光の筒のようなものが降り注いできた。その光は瞬く間に俺と女性の周囲を包み込む。全く状況がつかめない。自分の身に何が起ころうとしているのか分からない。ただ光に包まれ、女性に手を掴まれる俺。俺が今の状況の説明を求めることが出来るのは、目の前で不気味に微笑む女性だけだった。
「今度な何だよ! ――それに、アンタ何だよ!!」
その問いを受けた女性は、もう片方の手で自分を指さす。それに何度も何度も頷いて“アンタ以外に誰がいるんだよ!”的な怒号を目で訴える。
すると女性は、キョトンとした顔で、さも当然に答えるのだった。
「私? 私は、異星人よ。あなたにとってね」
「………は?」
俺が言葉を漏らすと同時に、瞬時に周囲の様子が光の線のようなものに変わった。そしてこれを最後に、俺は地球上から姿を消すことになった。