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アズライル大陸史  作者: 胡麻十朗
第三話 刀使いの天使
8/9

中編(2014年 1月5日 改)

【1】


 夜が明ける頃に蜥蜴人の王がたおれると、速やかに配下の蜥蜴人たちは撤退していった。

 人間の戦士たちは一晩で出した数十人の犠牲のうち、三人に一人は命を落とすほどの被害を受けたが、魔物の王の率いる軍勢と戦場でまみえてこの程度で済めば幸運な方である。ただ、死傷者に数えられこそしなかったものの、蜥蜴人の王と一対一の死闘を演じ遂にはその首を取ってのけた少女は、重傷者として即席に設えられた野外の医療施設に運び込まれる結果となったため、彼女を精神的支柱にしていた者たちの表情は一様に暗く沈んでいた。


「フツさまは十使徒じゅうしとのひとりなんだし、大丈夫だよな……」


 無事に生き延びた戦士たちには、同じく犠牲を出しながらも生き延びた村の住人たちに暖かな食事を振る舞う務めがある。今回は村の救援に駆けつけるまでの時間的猶予があまりなく、少数で奮闘した戦士たちは疲れ果ててもいたため、物資を輸送して遅れて到着した者たちがその任務にあたっていた。しかし魔物の襲撃をまったく警戒しないわけにもいかず、見張りに立ち周囲の警戒にあたることも重要な役目だった。

 当初おこなっていた炊き出しの仕事を免除され、見張り役に選ばれた新兵の少年は、周囲の様子を警戒しつつときどき背後に振り返っては、遠目に彼らにとっての英雄がいるだろう医療施設を眺めている。そういった気もそぞろな状態でいる者は彼だけではなかった。

 十使徒とは、民間宗教団体でありながら同時に国家に雇われる傭兵集団でもある天使教において、極めて優れた戦士であると認められた十人におくられる称号のことだ。いんてつを用いて鍛えたとされる黒塗りの刀が身分の証となり、十使徒に向けられる一般の信徒たちの戦場での信頼は絶大なものがある。それだけに、功績をあげはしたものの英雄倒れるの報せは天使教内に動揺を走らせるのにじゅうぶんな効果があった。

 まして、人によって無謀とも勇敢とも評されるが、我が身の危険をかえりみずどのような状況、敵に対しても戦う姿勢を貫く少女フツを慕う者は天使教の内外を問わず多い。昨晩、蜥蜴人の王に殺められる運命だったのを寸前で救われた小さな兄妹きょうだいのように、彼女に恩義を感じている者たちは相当数いるのだ。


【2】


 炊き出しをして生き残りの村人たちを元気づける役割を終えると、村の護衛部隊に任じられた者たちを置いて、怪我人と死傷者も含めた天使教の面々は王都に帰還する運びとなった。重度の怪我人は医療設備の整った王都の病院に収容され、残念なことに生きて戻れなかった信徒たちはその死をいたむ宗教的な儀式の後、墓地に埋葬される決まりになっている。

 病院は王都の中央部に、国王の住まう城にも迫るほどの敷地をもって建てられていた。それだけ少なくない数の怪我人が連日訪れており、腕ききの頼れる医師たちはここが自分たちにとっての戦場だと主張するように、せわしなくしている。医師の働きの補助をする看護師の負担も並ではないが、少なくとも彼らが患者の前で弱音を吐くことはなかった。戦士たちの怪我の意味を理解しているだけではなく、命を救う人間としての誇りを持って職務に励んでいるのである。

 そんな病院の関係者たちに、その日は動揺があった。意識不明の重体で、十使徒のひとりであるフツが担ぎ込まれてきたのだ。糸で縫い合わせた傷口は熱を発し、細かく刻まれる呼吸とときおり痙攣するように震える体は、いまだに彼女が生死の境を彷徨っていることをしらせていた。

 フツは天使教の同胞たちに強い仲間意識を抱いており、王都に滞在する際には必ず病院に顔を出して、怪我人に声をかけてまわっていた。それを目にする機会のあった医療関係者たちの中には十使徒としてではない彼女個人に好感を抱いている者がおり、緊急時ほど冷静でなければならない職務にありながら、不覚にも思考に空白を生じさせてしまったのだ。

 改めて適切な処置がフツには施されたが、それでも命を拾えるかは賭けになる。医師や看護師の他にも患者と、病院に見舞いに訪れた者までが憂鬱な気分で幾度かの夜を過ごした後、奇跡的にフツは目を覚ました。その報せに、何も知らない患者たちは純粋に喜びをあらわにしたが、事情を知る一部の者たちは複雑な心境であった。過去に負った数多あまたの傷の影響もあり、たとえ意識を取り戻せたとしても、二度とフツは刀を握って戦うことはできないだろうと医師による診断がくだされていたのである。その現実を告げられることは、何よりも彼女を打ちのめすに違いなかった。


【3】


 流れ者の傭兵集団であった天使教がオードアルヌに腰を落ち着けたのは、およそ百年は昔である。当時の国王が魔物への対抗勢力としての天使教の価値を認め、大規模な医療施設の建設や報酬面の優遇などの政策を用い、自国に取り込んだのだ。現在では天使教の信徒たちを余所者よそものとみなすオードアルヌ人の風潮も薄まり、垣根らしい垣根はとりはらわれていた。


「寝るのはいいとして、病室にいなくていいのかい? 蜥蜴どもとの戦いじゃあ、だいぶ無理をしたと聞いてたんだけど」


 病院の中庭に植えられた大木の陰で寝転んでいたフツの顔を覗き込むように、棒きれを連想させるほっそりとした長身と黒の神官服が目をひく、白髪まじりの初老にさしかかった年齢の男性が現れ声をかけた。人のいい笑顔を浮かべてはいるが、身のこなしに隙がなく、腰には黒塗りの流星刀を差している。穏やかな物腰とは裏腹に、暴力とは無縁の人種ではなさそうだ。

 あらかじめ男の接近に気づいていたのか、フツは驚いた素振りをみせなかった。


「……あんたこそ、暇ってわけじゃないんだろ? 何をしに来やがった、教主」

 

 仏頂面で返したフツの言葉に、皮肉めいた思いを感じとったのか、教主と呼ばれた男は口許を歪めてみせる。わざとらしく空を見上げて、フツに問われたこととは関係のない過去を語り始めた。


「思えば、きみとの出会いは衝撃的だったなあ。ぐっすり寝てたら、夜中、急に体を揺すられてさ。どこぞの馬鹿が暗殺者でもよこしたのかと……いや、失礼。とにかく慌てて起きてみれば、見知らぬ子供がそこにいて、いきなり『天使教に入れてくれ』だもの。うちの信徒になりたいからって、わざわざ厳重な屋敷の警備を擦り抜けてまで私に直談判しに来るなんて、後にも先にもきみだけだったよ」


 腕利きの戦士たちによる屋敷の警備を突破し、殺意を放っていないにせよ、体を揺すられるまで天使教の教主にして十使徒のひとりでもある男に接近を気取られなかった。恥じ入る気持ちでもあるのか、フツはそっぽを見て頬を紅潮させているが、戦士としての彼女の才能を感じさせる逸話である。

 本来、天使教の末席まっせきに加わるのに、教主の許しは必要ない。幹部候補ですらない一般人の入信に、そこまでの審査基準を設けるはずがないのだ。そのことに想像力が及ばなかったのか、あるいは逆に想像を膨らませ過ぎてしまったのか。山奥で長く暮らしていた野人やじんのように、オードアルヌを訪れたばかりの当時のフツは、常識をわきまえていなかったのだった。


「あたしの次の十使徒は誰になるんだ?」


 過去の失態を話題にされるのはおちょくられているようで嫌だったのか、やや強めの調子でフツは話題を変えた。教主の訪問の意図には心当たりがあったらしく、最近は歩く際の杖代わりとして重宝されていた愛用の刀の刀身を鞘越しに握り、目の前にいる男の胸元に柄頭つかがしらを突き付ける。教主は貴重な流星刀の返還を求めに来たのだろうと推察した様子である。


「……誰に教えられたのかな?」


 何を、とはフツは言わなかった。


「自分の体だ、他人に聞くまでもねぇよ」


 その答えにしばし教主は押し黙ったが、へたな誤魔化しや嘘は逆効果だと悟ったのか、やがて諦めまじりの溜め息を吐いて刀を受け取った。戦場での頼れる相棒を手放したフツの瞳は微かに濡れており、無理が祟って戦士として復帰不可能な状態にまでなった事実に、なんの痛痒つうようも感じていないといったことはなさそうだ。


「本音を言うとね」


 疲れたように、フツのとなりに教主は腰をおろす。

 天使教の教主を務める男と、十使徒随一の戦士ともうたわれた少女の顔は王都に広く知れ渡っており、遠巻きにして誰も近寄っては来ないが、彼らはたまたま病院の庭にいた患者たちの注目のまとになっていた。


「きみには期待していたんだよ。戦士としての素質は明らかだったからね。弱冠じゃっかん十二歳にして流星刀を授けることになるとは、さすがに想像を超えていたけれど」


 褒められてはいるのだが、いまになって聞かされたことが辛いのか、俯いたフツは「悪い」と小さくつぶやく。十使徒として実力を認められて以来五年、周りに無茶や無謀をいさめられていたにも関わらず、単独で突っ走ってしまう悪癖を改められなかった結果の現状なのである。しかし、彼女が無謀を通す度に、うしなわれるはずだった命が救われていたのも確かだった。


「人望も、きみにはあったしね。いずれは、私の後を継いでもらうのも悪くはないと考えていたよ。馬鹿には務まらない仕事だから、それなりの教育を施した後になるけどね」


 そもそも、村を襲った蜥蜴人たちの群れは前もって発見できていたものの、その中に魔物の王の姿があったことが話をややこしくしていた。王とまともに戦うには、最低でも半数以上の十使徒が力を合わせなければならない。その戦力を整えるのに必要な時間を考慮すると、村の住人たちには尊い犠牲になってもらう他はないと、天使教の教主による判断がくだされていたのである。それを不服としたのが、フツをはじめとする一部の信徒たちだった。

 軽率なフツのおこないを教主は愚かだと断じている一方で、組織としては罰をあたえられこそすれ、どのような結果になったとしても褒められはしないと知りながら、数十人の信徒を後に続かせた彼女の人望を評価してもいるらしい。


「……勉強はごめんだ」


 十使徒として刀を振るえなくなった事実に心苦しさを感じているのか、拒絶するにしては弱々しい声をフツは洩らした。ただし、教主のめいに背いたこと自体には後悔をしていないのか、それに関する謝罪はない。教主も終わってしまった出来事に目を向けて、執拗しつように責めたりはしなかった。


「ところで、きみは天使教の教義を理解しているかな? 教団の設立後、七百年経った現在、この国の用心棒めいた立場にある私たちだけど、本来の天使教の教義に照らし合わせると、あまり推奨されるおこないとはいえないんだ」


 剣や刀の扱い、体術の習熟に懸命になっていたフツである。そもそも、教団の崇める天使の実在を信じているかも疑わしい。

 問いは投げたものの、教主は答えが返るとは信じていなかったようだ。すぐに、「実は、教団が設立された本来の目的を果たす上でも、きみには期待していたんだよ」と続けた。


「いや……これに関してはいまでも期待しているのか」


 と、顎に手をあてて、教主は考え込むような仕草をする。


「怪我が治りかけの状態で、あまり無理はさせられないけどね。きみの担当の医師と話をして、外出の許可がおりるようなら、少し付き合ってもらいたい場所があるんだ。いいかな?」


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