表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アズライル大陸史  作者: 胡麻十朗
第二話 水車小屋のある村の少女
5/9

後編(2013年 9月15日 改)

【1】


「狭いですけど」


 と言って、アデラが開けた戸は馬小屋ではなく、家の裏手にある納屋のものだった。

 薬師の老婆の口添えもあり、畑仕事の最中であったアデラの両親によそものを家に寝泊りさせることを金銭と引き換えに了承してもらえたまではよかったのだが、案の定、腰に刀を差した怪しげな男を母屋に入れるのにはいい顔をしなかったのである。

 病人の少女は母屋おもやに、仮面を被った男は馬小屋にと話はまとまったのだが、そこでも問題が発生した。おとなしい気性のはずの飼い馬が男を前にすると怯えきってしまい、鼻息を荒くし瞳を潤ませ、目の前を木の仕切りで塞がれた狭い場所で後ずさりを繰り返すという異常な行動をとり始めたのだ。弱り切ったアデラに、男が提案したのが馬小屋ではなく納屋を借りることだった。


「いや、じゅうぶんだ」


 男は野宿に慣れており、屋根があるだけましだとの認識なのかもしれない。物置に使われている納屋は整然としておらず、人間ひとりが眠るための空間を確保するにも苦労しそうだったが、動じた素振りはまったくない。

 老婆の語る昔話を聞いた後では特に、このようなねぐらしか提供できないことにアデラは心苦しさを感じていた様子だったが、男が本気で言っているのを悟ると気が楽になったようだ。


「なら、よかったです。あの子も、わたしたち家族以外の他人には気を許さないところはあったんですけど。今回ほど頑なな態度は初めてで」


 ほっとした表情で胸を撫で下ろしながら、飼い馬の無礼を申し訳なさそうにしている。それにも、男は気分を害してはいない雰囲気だった。


「馬は小心なものだ。まして、俺は数日前に大勢の魔物を殺めてきたばかり。その匂いを感じ、怯えたのだろう。そうでなくとも、俺は馬には嫌われるたちだ」


「大勢の魔物を?」


 武力らしい武力を持たない小さな村であれば、一匹の魔物を相手にしてすら、追い返すのに多大な被害を覚悟しなければならない。魔物の脅威については噂程度しか耳にした経験がないアデラには実感がなかったが、こともなげな男の言い様に、凄腕の剣士なのだな、と改めて感心させられていた。


「……飼われているとはいえ、どんな動物にも野生は残っている。してみると、人間は鈍いな。ごくまれには勘の働く者もいるが」


 アデラが魔物との戦いの話に興味を抱いた風だったのを誤魔化すように、男は過去を振り返って自論を述べた。だとすると、男はそのために水車小屋では彼我の戦力差を理解できない村の大人たちに囲まれ、アデラや老婆には当たり前の態度で接してもらえていることになる。他者を恐怖で支配せずに良好な関係を築くには便利な気質ではあった。


【2】


 平民にとっては高価な馬を飼っているだけあり、その家は村の代表者たるおさの家ほどではないが、それなりに広く立派なたたずまいだった。普段は使われていない客間もあり、ひとまずは暖炉のある居間に簡易的な寝床をしつらえ、アデラはせっせと病人のための巣作りに励んでいる。

 居間では、眠っている少女を間に挟み、仮面を被った男と薬師の老婆が暖炉の火にあたって向かい合っていた。少女の足裏の怪我の処置も終わり、老婆がこの場に留まる理由はないのだが、なぜか去ろうとしない。やがて、決意が固まったのか、厳しい面持ちで口を開いた。


「すこし、よろしいですかな」


 意識のない少女に目をやりつつ、老婆は居間の外に出ることを求める。これからする話が患者の耳に入るような事態は万が一にもはばかられるのだろう。薬師にそういった態度をとられては、男の心中に不安の種がきざし、老婆の後を追って廊下に出るのが一拍遅れたのも当然だった。


「あちらのお嬢さん……リリさんといいましたな」


 水車小屋からの道中でお互いの自己紹介は済ませている。といっても、名前を教え合っただけである。リリについては目を覚まさなかったため、男が代わりに伝えていた。


「考え過ぎならばよいのですが、とある薬を飲まされた可能性があります。それは……ある錬金術師が数百年もの昔に作り出したとされる秘薬なのですが」


 なにやら続きを言い難そうにしている老婆に、自己紹介ではアイオンと名乗った男は微苦笑を漏らし、「薬師とはいえ、よく知っている」とあきれたようにつぶやいた。


「汗の臭いでも嗅いだか。あの薬を飲むと、柑橘系の体臭がうっすらと香るようになるというからな」


「では、やはり……」


 息を呑む老婆に、アイオンはあっさりと頷いてみせる。


「十代前半の子供のように見えるが、あれで二十歳はとうに過ぎている。まず、間違いはないだろう。リリに薬を投与した貴族は不幸にも命を落としているが、慰めにはならないな」

 

 聞きようによってはひっかかる物言いだったが、老婆は疑問をさしはさまなかった。


「俺は……他人の目にはどう映るかは知らないが、これでもリリがたおれたことでだいぶ動揺していた。治療をしてくれたあんたには感謝している」


 真摯にアイオンがさげた頭を、老婆は慌てて上げさせた。


「こちらこそ……十年前、あなたさまがしてくださったことへの恩に報いる機会に巡りあえた幸運に感謝を。ところで、さきほど、リリさんの汗で湿った服を着替えさせるおり、背中に奴隷の焼印がされているのを見ました。おふたりの関係を尋ねてもよろしいでしょうか? 興味本位ではないのです。ただ、聞くことでなにがしかの力になれればと」


「悪いが、詮索はしないでくれ。だが、ミュドニルで世話になる腕のいい薬師を紹介してもらえると助かる。それと……薬のことはリリには黙っていてほしい。特に薬の副作用のことは絶対にだ」


 老婆が「それは、もちろん」と色よい返事を口にしたとき、廊下の角を曲がってアデラが姿を現した。客間を急ぎ整えたためなのか、疲れたらしくしきりに肩をまわしている。注意力も散漫になっており、目の前にきてようやく老婆とアイオンの存在に気付くありさまだった。


「あ……婆さまとお兄さん。妹さんに付いてなくていいんですか?」


 面倒に感じているとも思えないが、アデラはふたりの名前を知った後も呼び方を変えていなかった。


「客間の準備は終わったのかい?」


 尋ねられたアイオンではなく、老婆が逆に問い返す。それにアデラが頷くと、アイオンは居間に戻り、眠っているリリの痩身を軽々と抱き上げた。

 アイオンの話によれば実年齢は20歳を過ぎているとのことだが、少女の外見は遥かに幼く見える。薬を投与された時点で成長がとまっているのだとすれば、この年頃が投与した人間にとっての理想だったに違いない。また、皮膚には擦り傷こそあるが、奇妙なほど日焼けやしみなどの痕跡がなく、それも薬の影響なのではないかと思われた。老婆との会話に出ていた副作用の詳細は不明だが、少女には報せるべきではないと意見の一致をみていたことからして、たとえば睡魔に襲われるなどといったなまやさしい類のものではなさそうである。


【3】


 病人の看病をしなければならないが、彼女の保護者であるアイオンには家人からの信用の面で難があり、暇なはずもない薬師の老婆にもまかせられない。村長に渡されたものとは別口で宿賃をとっている事情もあり、畑での野良仕事を免除されたアデラがその役にあたっていた。

 実直な性格らしく、リリを客間に運んだ後、アイオンはその場に長居することなく、納屋という手狭な宿に籠っている。それは村人からこれ以上のいらぬ不信感を買うことを嫌った以外にも、早朝リリのために奔走したアデラへの信頼をしめした行為ともいえた。


「ふぁ……」


 そのアデラはというと、単純な造りの木の丸椅子に腰かけ、退屈極まりない様子であくびを漏らしていた。

 話し相手でもいれば違ったのだが、苦しそうに息をする患者に適量の熱さましの薬を飲ませ、足裏の怪我の処置も済ませると老婆は去り、ひとり残された彼女にはときどき少女の額に載せた布きれを水に浸し丁寧に絞って載せなおすくらいしかやることがない。熱にうなされる少女への同情と義務感から、役目を放り出しこそしないものの、生来じっとしていられないたちの彼女は胸のうちに湧き出す退屈感とちょっとした戦いを繰り広げていたのだった。

 眠気を振り払うように頭をぶるんぶるんさせる様子は、体毛にみ込んだ水気を飛ばそうとする犬を思わせる。


「ん……ん……」


 あるいはまったくの偶然かもしれないが、そういったアデラの落ち着きのなさが功を奏したのか、薬を飲まされて数時間後、リリが目を覚ました。視線はさだまらず、いまだ半覚醒状態にあるといってよさそうな雰囲気だが、熱は若干さがっており病状は安定し始めている。

 茫洋としたリリの瞳は潤んでおり、異性どころか同性までも惑わせかねないような艶があったが、内心はともかく見た目の限りにおいてアデラに動揺した素振りはなかった。


「あ、起きた?」


 真上からリリの顔を覗き込むようにして、アデラは声を弾ませて言った。


「……だれ?」


 意識を朦朧とさせるほどの高熱だったせいか、リリはこれまでの記憶に曖昧な部分があるらしい。


「ええとね……初めまして、かな。わたしはアデラ。ここはわたしの家の客間だよ」


 アデラは言葉に迷ったが、とりあえず自己紹介と簡単な状況説明を済ませることにした。笑顔を浮かべたにこやかな挨拶ではあったが、目覚めた病人の警戒心をとりはらうには至らず、リリは崩れた体調をおしてベッドから降りようとする。しかし、両足が自身の体重を支えきれずにふらついてしまい、そこをアデラに支えられ、「駄目だよ、まだ寝てなきゃ」と強引にベッドに連れ戻された。

 聞き分けのない子供を諭すような叱りつけ方といい、なにも知らないアデラは少女のことを年下だと信じて疑っていない。若々しい容姿では理解を得られないのも無理はなく、リリは誤解を正そうと試みるのも億劫そうである。


「あの人……アイオンはどこ?」


 窓際に花瓶に活けられた花が飾られている他は殺風景な客間のどこを探しても見当たらない人物の所在を、掠れた声でリリは尋ねる。納屋にいるとは言い難いのか、アデラは「彼なら庭にいる……はずだけど」と視線をあらぬところにやって答えた。


「心配してたよ、お兄さん」


 まるっきりの嘘ではないが真実でもない。そうリリが見抜いたとも考えられないが、誤魔化すようにアデラは続けた。


「アイオンはわたしの兄じゃない。でも……」


 やまいで体と心が弱っているせいなのか、リリの口は常よりも軽かった。


「彼はわたしの伯父おじに似てる。母の思い出語りにしか知らない人だけど」


 事実、だとするにはふたりは年齢が近過ぎる。いや、仮面を被っているせいで声などの雰囲気からアデラは彼の年齢を推察するしかないのだが、薬師の老婆の語る逸話にあったように、およそ十年前当時すでに凄腕の剣士であった事実を踏まえると、意外と年齢を重ねているのかもしれない。

 過去の記憶に浸るような語り口に、伯父なる人物が故人であると察したのか、アデラは「優しい人だったんだね」とつぶやき、彼女の頭をそっと撫でた。それに対して、リリは否定するどころか「うん。優しい……人」と花が咲いたようにふわりと微笑み、飾りのない本音をらす。似ていると話した以上、伯父への評価というだけではなく、アイオンのことも同様に思っていると口にしたも同然の発言だった。


「……寝ちゃったんだ」


 微かに聞こえる寝息に、リリの頭を撫でるのをアデラがやめてみると、会話をしたことで気が紛れたのか、熱はさがりきっていないながら穏やかな表情で寝入っている。彼女の乱れた前髪を整えてやった後、アデラは伸ばしていた手を戻した。


「なんだか、可愛い子だなぁ。……それに、無防備だし」


 睡眠を邪魔しないよう気遣っているのだろう。アデラは潜めた声と息を吐き、今更のように顔を赤らめた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ