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アズライル大陸史  作者: 胡麻十朗
第二話 水車小屋のある村の少女
4/9

前編(2013年 11月18日 改)

【1】


 国では知らぬ者のいない魔の森と交易都市ミュドニルの間にある、小村ロクロワに暮らす少女、アデラの朝は早い。日の出と共に目覚め、村の共有財産である井戸で自分の家族の分の水を汲む作業に従事するのである。生来の負けず嫌いな性格のおかげで、この役割をあたえられた十歳当時は他の家の者に遅れをとることもしばしばだったのだが、十六歳の誕生日を迎えた現在は、村中で一番の早起きの地位をほしいままにしていた。


「いってきます」


 寝室で眠る両親を起こさないようにそっと声をかけ、木材で編まれた桶を手に玄関口を飛び出す。吐息が白く曇るほど低下した気温に抗うため、軽く駆け足になって体温の上昇に努めた。幼かった頃は擦れ違う村の大人たちに、転ぶと危ないよ、と注意されたものだったが、癖になってしまっているのである。

 村では小さな頃から働き手としての価値をもとめられるため、運動不足とは縁のないほっそりした体格の少女だ。畑で農作業の手伝いをする時間が長く、陽に焼けた健康的な肌をしている。決して美人ではないが、内面の明るさが滲むような愛嬌のある顔立ちだった。

 朝露に濡れた地面と、植物の葉っぱ。熱を帯び始める前の陽射しといい、いつもどおりの朝の光景だ。

 アデラが今朝も擦れ違う大人たちがいないことに得意になっていると、弾むようだった足取りがゆっくりになり、やがて完全に止まった。目的の場所である井戸の近くには水車小屋があるのだが、その入り口に仮面を被った不審な人物が立っていたのである。

 明らかに村の住人ではない。乾いた泥にまみれ、ところどころがほつれた黒ずくめの衣服を着ており、腰には夜の闇そのものを凝縮したような色合いの大振りの刀を差していた。


「えっと」


 刺激してあの刀で斬りかかってこられたらたまったものではない、とアデラが考えたかは定かではないが、彼女は脱兎のように逃げ出すこともなく、といってにこやかに話しかけるでもなく、ちょっと距離をあけて仮面の男の様子をうかがった。


「この村の住人か?」


 物腰や声を聞く限りでは、アデラと大差ない年齢のように思える。


「はい。そうですけど……」


 答えるアデラの声は固かった。警戒しているようである。


「すまないが、井戸を使わせてもらえないだろうか。熱を出した連れがいるんだ。熱さましと怪我に効く薬も分けてもらえると助かる」


「お連れの人が」


 男の物言いは淡々としており、憐れを誘うようなところはなかったが、それだけに誠実に感じられたのかもしれない。アデラは男の周囲に視線を向けたが、それらしい人の姿はなかった。


「勝手だが、水車小屋を使わせてもらっている。この村に到着する以前から、苦しそうにしているのでな」


 と言って、男は水車小屋の入り口の扉をかすかに開いた。

 アデラが隙間から小屋の中を覗くと、黒の上着を被せられた小柄な少女が床に寝かせられて、息を荒くしていた。特徴的な波打つ髪に美しい顔立ちと相まって、艶っぽいとでも思ったのか、アデラはごくりと喉を鳴らす。同時に、小鳥のように儚い姿に、母性本能に似た感情が湧いてきたらしい。


「わかりました。井戸の水は自由にしてもらって構いません。薬についてはばばさまに頼んでみます。わたしにまかせて、お兄さんは妹さんとここで待っていてください」


 水を汲むための木桶を差し出し、奇妙なほど張り切るアデラに、仮面を被った男はやや、とまどっているようだった。


「ああ……それは、ありがたいが。俺がこの子の兄だと?」


「違いました? ずいぶん、必死になっているみたいだったので。他人ではないのかな、って」


「必死になっているように見えるのか?」


「だって、苦しんでいる妹さんをひとりにすることもできず、ずっと水車小屋の外にいて、眠らずに誰かが来るのを待っていたんですよね。じゅうぶん、必死だし、一生懸命だと思いますけど」


 早朝に近い時間帯になって降った小雨こさめで、男の服は湿っている。おそらく、アデラが根拠にしたのはそれだった。

 表情にはあらわれないが、男はきまり悪そうに、話していた相手から視線を逸らした。図星だったらしい。見透かされてしまったが、内心の動揺をうまく隠せているつもりでいた様子だった。


「じゃあ、婆さまを呼んできますね。お兄さんは妹さんについていてあげてください。ひとりにはしておけませんから」


 からかっているともとれる発言をすると、アデラは水を汲むための桶を置いて、来た道を引き返そうとする。


「まて」


 そこに声がかかり、アデラはつんのめった。急いだ方がいいに違いないのに、と不満そうに背後に振り返る。そこに皮袋を投げて寄越され、受け取ったものの意外なほどの重さによろめいた。


「頼みごとの対価だ。きみと薬師くすしとで分けてくれ」


 皮袋を開いてみると、大半は価値の低い銅貨だが、中には銀貨や数枚の金貨もまじっている。アデラは目を瞠って驚き、慌てて皮袋の口を閉じた。おそれおおいとでもいうのか、その場に捨てることもできずに、手を精一杯に伸ばしてなるたけ皮袋を自身から遠ざけようとする。


「こんなにもらえませんよ! そりゃあ、お使いのお駄賃程度ならほしいですけど。この金額は多過ぎます」


 それはアデラの本音に違いなかったが、男はひかなかった。


「なら、それは預けるだけだ。きみはともかく、薬師まで無償で働かせられるとは思っていない。報酬を支払った残りを後で返してくれればいい」


 そうまで言われてはこの場での返却はかなわない。大金を持たされることに怯えているのか、「預かるだけですからね」と捨て台詞を残すと、ようやくアデラは男に背を向けて走り出した。


【2】


ばばさま、ばばさま!」


 走ってきた勢いのまま、村のはずれにある家の戸をたたく。そんなアデラの焦りを理解していないのか、皺だらけの顔をした老婆がやや迷惑そうに顔を出した。


「なんじゃい、騒々しい」


 森で拾い集めてきた薬の材料となる植物の香りが老婆には染みついている。家の奥には煮えたぎるかまどがあり、大量の緑色の草を煮詰めているようだった。

 薬の精製作業中であり、激しく戸をたたく音で、老婆は目覚めたのではないらしい。


「騒がしくしてごめんなさい。でも、大変なの! 水車小屋にね……」


 事情を聞くなり、老婆は真剣な表情で家の中にとってかえした。竈の火を消すと、壁際の棚にある瓶詰めされた作り置きの薬品を数本とり、アデラの前に戻ってくる。


「怪我にはこの薬を塗ればいいが……熱さましの薬といってもな。強い薬と弱い薬があって、症状にあわせて使いわけねばならん。素人に見極めは難しいだろうから、直接、わしが診てみよう」


「ありがとう、婆さま。……そうだ、薬のお礼にってお金を預かってきてるんだけど。どのくらいが相場になるの?」


 価値の低い銅貨が大半ではあるが、硬貨がたっぷりと詰まった皮袋を見ると、老婆はなぜかしぶい顔をした。


「いらんわい、そんなもの。受け取るにしても、病人を診てやってからじゃ。……ほれ、急ぐぞ」


 人として立派な態度に尊敬の眼差しを注ぐアデラを、それこそどうでもよさそうに老婆は急かした。

 ご老体ではあるが、日頃、森に足を運んで薬草採取に勤しむこともあり、まだまだ足腰は衰えていない。そうはいっても若者には及ぶべくもなかったが、できる限り急いでふたりは水車小屋に向かった。

 道中、老婆は擦れ違う多くの村人たちに声をかけられ、手短に朝の挨拶をかわす。村で唯一の薬師で人格者ということもあり、彼女は大勢の村人たちに慕われているのである。


「おはやいですね。婆さま、どうかされましたか?」


 井戸が近づいてきた頃、それまでのときのように話しかけてくる女性がいた。


「病人がいるらしくてな。診てやりに行くところじゃ」


 老婆は簡潔に言うと、歩みを止めずに女性と別れようとする。だが、「あ、そちらは……」と思わせぶりに女性が言うのに、面倒そうに足を止めた。


「井戸のところによそものがいるそうなんです。いま、村の男たちが集まって、その人と話をしているそうなのですが……」


 とだけ聞くと、老婆は女性との会話を一方的に切り上げ、それまでにもまして早足になる。アデラも老婆に続きながら、「そのよそものが連れてる小さな子が患者さんなの!」と叫んだ。


【3】


 アデラが老婆を連れて水車小屋の前に戻ってきてみると、仮面を被った男を数人の村の大人たちが取り囲んでいた。農作業に向かう途中だったのか、くわなどを持っている者もおり、いざというときには脅しの道具にでもするつもりなのかもしれない。とはいえ、腰に刀を帯びた戦いの本職を相手どるなど、気が気ではないに違いなかった。


「なんと……懐かしいお顔じゃな」


 自分なりの正義感から、アデラは仮面を被った男と村人たちとの間に割って入ろうとしたが、老婆の呟きを耳にして思わず足を止めた。


「なんの騒ぎじゃ! 村長!」


 一本の毛もない滑りのよさそうな頭部と、鼻の下に蓄えた短めの黒髭が特徴的な中年の男が村のおさである。怪しげな風体のよそものに対して表情を引き締めていたが、滅多にはない老婆の怒声を浴び、すっかり威厳をなくした様子で振り返った。


「その、これは……だな」


 動揺のあまりしどろもどろになっている。村長以外の村の大人たちの反応も似たりよったりだった。そもそも、なぜ老婆に叱られているのか、理解できていない様子である。

 声量を通常に戻し、諭すように老婆は言った。


「そちらのお人はわしの古い知り合いじゃ。決して悪いお人柄ではない。水車小屋を寝泊りの場としたことについても、お連れの病人を休めるため、やむなしといった事情がある。それに」


 言葉を切ると、老婆は立ち尽くしていたアデラに目配せした。


「後払いにはなるが、宿賃もいただける話になっておる。銀貨一枚ももらえればよいな? 村長」


「あ、ああ。……そうだな」


 粗末なねぐらに支払うにはじゅうぶんすぎる金額である。みな毒気を抜かれたように散り散りになり村長も迷惑料を兼ねた宿賃を受け取ると、後のことを老婆に任せて去っていった。


「え? どういう関係なの?」


 改めて老婆が口を開こうとしたのに先んじて、アデラが疑問を投げかける。老婆は咳払いをして、「およそ十年前になる。村の近くにある森での騒ぎを憶えておるか?」と質問で返した。


「その頃はまだ小さかったからあんまり……あ、でも、大人たちが大騒ぎしてたのは記憶にあるような……」


 なんとも曖昧である。老婆はある程度、詳しい説明の必要性を感じたらしかった。


「当時、群れからはぐれた狼の魔物が現れたことがあった。それもちょうど、わしが森に薬草集めに訪れたときにな。そのとき、たまたま森で野宿をしておったこのお人が駆けつけてくださり、ことなきを得たというわけじゃ。殺めた一匹以外、村に魔物が押し寄せるようなことはなかったのじゃが、森に放置したままの魔物の死体が村の他の連中に見つかり、かなりの騒ぎになった。若いアデラには実感が湧かないかもしれんが魔物の脅威は並大抵ではない。このお人がいあわせなければ、わしの命はもちろん、もっと大勢の人の命が奪われていたはずじゃ。このお人は村の恩人なのじゃよ。森でお顔を見たのはわしだけなので、みながわからんかったのも無理はないがな。本来であれば、宿賃をとるなどとんでもない話ではあるが……」


「……あのときも言ったとおりだ。できるだけ、注目を集めるような事態は避けたい」


 仮面で隠れて表情はわからないが、素っ気なく男が言う。それは老婆の話に登場した人物は自分だと認めたも同然の反応だった。

 活躍を広められたくないとは、ずいぶんと奥ゆかしい。物語に出てくる英雄や騎士でもあるまいし、立派な人がいたものである。……とでも思っているのか、すっかり感心していたアデラは、何気ない視線を男に向けられ慌てて言った。


「婆さまに聞いた話はみんなには黙っていたほうがいいんですよね? 安心してください。口は堅いですから」


「それはいいが。……そろそろ、病人を診てもらえるか」


「おお! そうでしたな」


 それだけ衝撃的だったのだろう。忘れかけていたここに来た目的を思い出し、老婆は水車小屋の床に寝かされている少女の病状を診ることになった。

 日光に照らされてみると、水車小屋の床は一部がうっすらと濡れていた。近くには井戸の水を汲んだ桶があり、それで横たわる少女の血まみれの左右の足裏を清めたらしい。汚れが落ち、露わになったぐずぐずになった皮膚と滲む血が、土を踏む度に走る激痛を想像させる。口許を手で覆ったアデラはもちろん、老婆も顔をしかめたが、そちらの処置は後回しにするようだった。


「どうだ?」


 診察を始めて間もなく、男が口を開く。老婆は焦るなとも言わず、「そうですな」とつぶやき、診察を続けた。黒髪の美しい少女は意識があったが、「わしは薬師じゃ。すこし、診させてもらうでな」と断る老婆に、衣服の下から手を入れて胸のあたりを触診されるなどしても、身動みじろぎするのも億劫だという風にされるがままにしている。


「ふむ」


 やはり心配なのか、仮面を被った男は病人の少女からかたときも視線をはずそうとしない。薬師の本領を発揮している老婆は落ち着いており、傍目はためにも頼りがいがあるように感じられた。


「命に別状はありませんな。薬を飲み、栄養をとって、暖かくして眠れば、数日で快復するでしょう。足の裏の怪我は見た目はひどいですが、無理をしなければ大事にはならないでしょう。塗り薬を処方しますので、根気よく治してください。問題は寝床の用意ですが……」


 水車小屋に寝かせておくわけにもいかないが、老婆の家は手狭で、病人が療養するのに適してはいない。そこで、アデラが助け船を出した。


「わたしの家はどうです? お金さえ出してもらえれば、父さんも母さんも文句は言わないと思いますけど。

……まぁ、お兄さんは馬小屋で寝泊りする羽目になるかもしれませんが」


「頼めるか」


 即決である。馬小屋のくだりは男にとってどうでもいいことらしい。

 そういうことになった。


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