里見と兄弟2
「おはよう、さ……うわっ!何だその顔は。ひどいぞ」
「おはよ、美麗ちゃん…ですよねー」
一晩ネガティブな考えに蝕まれた甲斐あって、今朝確認した自分の顔は亡霊のようだった。
朝の明るい日差しの中では、それがより際立っていることだろう。
「昨日休んだことと関係あるのか?病気だったのか?」
「うん…まあね。ちょっと体調悪くて。でももう大丈夫」
「全然大丈夫そうに見えん。今すぐ保健室に行け」
心配する美麗に里見は力なく微笑んで「大丈夫、大丈夫」と繰り返す。
実際病気ではないのだから、睡眠が足りないという以外で体に問題はないだろう。
問題があるとすれば、精神的なものだ。
(どうなるんだろう)
疾風の昨日の様子を思い出すたび胃が痛む。
(疾風くんがあの話をしたら、どうなるんだろう)
昨晩徹夜で考えた結果、多少の予想を浮かべることができた。
まず、家族全員に疾風が学校での嘘の話をした場合である。
まず、父の正継について考えた。
普段から他の家族と比べて多く里見と接しており、何かと気を使ってくれていることもわかる。
もし嘘について知れば、少しくらいは傷つくかもしれない。
ただし、もし普段接している態度が本心だとすれば、の話だが。
次に、母の藤子。
里見が半引きこもりを初めてからほとんど会っておらず、向こうから接触してくることもない。
おそらくもう自分には関心を持ってないんだろう、と里見は結論付けた。
里見としてはトラウマの元凶ともいえる存在であり、接触しない方が助かってはいるが。
これは上の兄と下の兄も同様で、この3人に関しては直接何かをしでかさない限りこれ以上失望させることはないように思えた。
そして、問題の疾風だ。
今までだったら藤子たちと同じようにそもそも関心がないだろうと思っていたが、昨日は明らかに怒っていた。
先日もわざわざ三者面談をするように忠告してきたこともあり、里見は彼の行動が読めないでいた。
一体、どういう意図なのだろうか。
それについて出た答えは、同じ学校が故、というものだった。
(同じ学校にいる姉が、こんなにダメだったら恥ずかしいんだろうなあ。それで、きっと)
そこまで考えて夜が明けてしまい、いつも通り登校して現在に至る。
(やっぱり、困るのはお父さんに話されること。そして何より…学校で本当のことを広められること、だなあ)
先日、疾風について里見は『近所の人』とクラスメイトに説明してしまった。
本当は実の弟なのだと知れれば、なぜ嘘をついたのだと訝しがられてしまうのは確実だ。
いや、それだけならまだいい。
「ん、何だ里見。やっぱり保健室か?」
「違うよ…ん、何でもない」
里見にとって一番恐ろしいのは、大好きな友人の美麗に嘘をついていたと知られてしまうことだった。
美麗はまっすぐだ。
直球で、白黒はっきりしていて、素直で。
そして、何より私を信頼してくれている。
(美麗ちゃんだけには。ぜったいに、美麗ちゃんだけには知られたくない。家族のことも、嘘のことも…わたしの、陰湿な考えも)
家族である正継より知られたくない相手が、美麗だった。
彼女だけには、隠し通さなければならない。
何があっても。
「変な奴だな。頭が回ってないんじゃないか?それなら保健室に」
「ちょ、しつこいなあ。行かないよ」
「はよー、村崎。なんだ、ひでえ顔してんなー」
不意に聞こえた声に振り向くと、朝から元気いっぱいの顔で京太郎が近づいてきた。
美麗より遅く来るとは、ある意味猛者である。
「青木、何か用か」
「目黒もはよーす!いや、ただの挨拶だ」
「何で急に?」
「いやー、昨日村崎とたまたま会って話したからな!」
「…里見と?」
「く、薬!薬を買いに行ったときに偶然会って!ほら、うち、共働きだから誰もいなくて」
美麗の訝しげな顔に慌ててフォローを入れる。
同調を求めるように京太郎を見ると、にっとした笑顔が返ってきて、一瞬安心したのもつかの間。
「何だよ、ダチならバラしたって構わねーだろ。昨日村崎の奴、学校サボって遊びに行ってたんだってよ!悪いよなー」
「何だと?」
ああ、美麗さん、視線が痛いです。
そんなきれいな顔で見つめないで。
「里見…本当なのか?」
「……は、ははあ…」
「本当なら……何で私も誘わなかったんだ!一人で抜け駆けは許さんぞ!」
「え?」
「まったくだよなあー。ダチなら誘えよ、一人より面白かったろうになー」
美麗にがくがくと揺すられながら里見はあっけにとられていた。
美麗はお金持ちのお嬢様の割にワイルドな部分があるとは思っていたが、まさかサボりの連れに立候補するとは。
「次はちゃんと声をかけるんだぞ!」
「あ、じゃあ俺も!次サボるときは俺もな!」
「……っく、あははは!」
「ははははは!」
「何故笑う」
二人のやり取りに里見は思わず噴き出すと京太郎も一緒に笑いだし、美麗が怪訝そうな表情で二人を見る。
妙なやり取りだと思いつつも、里見は先ほどの暗い気分が吹き飛ばされていくのを感じていた。
絶対に。
絶対に。
バレてはいけない。
幸せな気持ちを感じる一方で、里見はそう強く決心を固めていた。
この穏やかな空間を壊すことが、何よりも里見には耐えがたいことなのだから。
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「何のつもり?」
怪訝そうな、驚いたような声が頭上から降ってくる。
「…ねえ、止めてよ」
今度は、多少焦りを含んだような声だ。
顔が見えないから声色で判断するしかないが、今日はどんな反応をされても食い下がるつもりでいた。
「姉さん!」
疾風の声が大きくなる。
しかし、昨日ほどは恐怖は感じなかった。
顔を見なければ案外平気なのかもしれない。
「お願いします」
自分でも驚くほど、静かで落ち着いた声が出たと思う。
「学校では、わたしと姉弟ということは黙っておいてください。家のことも、全部。何でもします。お願いします」
もう腹は決めていた。
自分の居場所を守るために。
「止めてって…もう良いよ、顔上げてよ。わかったから……くそ、そんなに嫌かよ…そんなに、俺たちが」
はっと顔を上げると同時に、目の前の障子がしまった。
最後の方の疾風の声が鼻声だったように感じたのは、また気のせいだったのだろうか。
それか、風邪気味だったのか。
「よ、よかった」
震える声で呟くと、里見は板張りの廊下に崩れ落ちた。
ここは疾風の部屋の前である。
長居はできない、と力を奮い起して立ち上がると、しびれた足が歩行を阻んだ。
「いたた…ずっと座ってたから…でも、土下座なんて初めてしたなあ」
人間、思いきれば何でもできるものだ。
いきなり姉に土下座された方の疾風はたまったものではなかったかもしれないが。
疾風の約束も取り付け、これで学校の方に情報は漏れないだろうと安心して、里見は息を大きく吐いた。
もう、今日は寝てしまおう。
しびれる足を何とか動かして歩を進めようとしたその時、背後で障子の開く音がした。
疾風かと思って振り向いた里見は、そのまま固まる。
「夜中にうるさいぞ」
「弟相手に一体何のプレイだよ。おもしれーことやってんな」
忘れていた。
弟と兄二人の部屋が、隣同士であることを。
「で、何の話よ?姉弟が何だかんだって」
氷河のおもしろそうに二ヤついた顔を見つつ、里見はさらなるトラブルの出現に頭を抱えるのだった。