予定の綻び4
「あれ、めずらしいね、平日の昼になんて。今日学校は?」
「行事の振り替え休日なんです。あ、カフェオレでお願いします」
「はいはい、ちょっと待ってね」
馴染んだやり取りを交わすのは、よく通っているプラネタリウム館の館長のおじさんだ。
休日や雨の降った夕方に良く顔を出すため、もうすっかり常連になっている。
「村崎さんは本当に星が好きだねえ。最近じゃお客さんも減ってるけど、若い子が来てくれるのは本当にうれしいよ」
顔をほころばせるおじさんに笑顔を返し、里見はいつもの席に向かってまっすぐ足を進めた。
いつもどおり、ガラガラだ。
いや、平日の昼のせいか、さらに輪をかけて人がいない。
観客は里見も含めてほんの3人だった。
「はい、カフェオレ。もう始まるよ」
飲み物を受け取り、演目が始まるのを静かに待つ。
何度も繰り返し見た内容だが、里見は飽きることがなかった。
天井に広く映し出される星々を見るたび、優しさと安心で心が満たされるのを感じるのだ。
いやなことも、苦しいことも、すべて忘れて。
ただ、光の美しさで頭をいっぱいにして。
穏やかな気持ちをかみしめて。
その日一日を、里見は座りっぱなしで過ごした。
****
「泊まりたかったな、いっそ」
さんざん演目を満喫したのち外に出て、一気に気分が下降するのを感じつつ里見は声を漏らした。
現在の時刻、午後7時45分。
もう今日という日は取り返せない。
終日星を見て消費してしまったのだから。
そう、今日は三者面談の当日…だった。
「今思うとありえない選択だったかも…ダメだなあ、切羽詰まってたから…」
とぼとぼと歩きながら里見は頭を抱える。
今から家に帰らなくてはならないというのに、事態の打開策が何も浮かばない。
(道に迷って学校にたどり着けなかった…は、ちょっと無理がある。登校中に気分が悪くなって休んでた…って一日中?これもダメ。ああ、どれも説得力がない)
このままでは帰れない。
できるなら帰りたくはないけれど、そうもいかない。
ジレンマでますます頭を抱える。
言い訳、言い訳、何か良い…理由は…
「あれ?村崎?よお」
急にかけられた声に振り向くと、見覚えのある男が片手をあげてこちらに歩いてくるところだった。
「あ、青木くん…どうしたの、こんな時間に」
同じクラスの青木京太郎だ。
普段そんなに話すことはないが、クラスの中でも明るくておしゃべりで友人の多い彼は里見もよく知っていた。
「夕飯の買い物!つーか、それこっちのセリフだし。今日村崎休んでたのに、こんなとこで何やってんの?」
そこ、あんまし突っ込まれたくなかったんだけど。
「えー、あー…」と言葉を詰まらせる里見に、何かひらめいたという風に京太郎が指をさす。
「わかった、サボりだな!なんだよ~村崎もけっこうやるなあ。どこ行ってたんだ?」
明るい調子の京太郎に思わず緊張感が薄れる。
あまり話さない里見にも親しみのある対応である。
彼はこういったところが好かれる要因なのだろう。
「まあ、そんなとこかな…ちょっとここら辺をブラブラしてたの」
「まあ、最近勉強とかもさっぱりになってきたかんなー。ストレスたまるのもわかるよ、俺」
うんうんとうなづく彼を見つつ、ふと里見は思いついた。
青木君に協力してもらえば、ひょっとしてどうにかなるのではないか。
「えっと、青木君。ところで…ちょっとお願いがあるんだけど」
「えっ?俺に?」
「うん…不躾でなんだけど」
「いーよいーよ!で、何?」
笑顔で引き受ける京太郎に感謝しつつ、里見は簡単に今の状況を説明した。
もちろん、いろいろと嘘を織り交ぜつつ、ではあるが。
「なるほどなー。なんか学校に行きたくなくなってサボったのは良いけど、今日が三者面談なのを忘れてた。で、サボったのがばれてるわけだけど、ちゃんとした理由がほしいわけだ」
「うん、できれば登校中に具合が悪くなった…ってことにしたいんだ。それで、本当に申し訳ないんだけど、たまたま近くにあった青木くんの家で休ませて貰ったということにできれば…」
「うーん、俺の家、確かに学校からすぐだし。言い分は通るなー」
口元に手を当てて悩む京太郎にすがるような目を向けつつ、里見は「本当にお願い」と繰り返した。
これが通らなければ、無策でとぼとぼ帰らなければならない。
まっとうな理由ならともかく、サボりでした、などと父の前でいえば、あの優しい父でも不愉快な顔を隠さないだろう。
もう、見たくない。
あの呆れたような、不快なような、ダメなものを見るような顔は。
もう二度と、絶対に。
「わかった!任せろよ。俺が何とかする」
一瞬ネガティブ思考に陥りかけた里見に、その言葉は天の助けのように響いた。
「じゃあ、せっかくだから今から送ってやるよ。村崎の家、どこ?」
次の瞬間、突き落とされた。
クラスメイトに家の場所がばれるわけにはいかない。
「あのあのえっと…!家までは来ない方向でお願いします!」
「へ?でも、直接説明した方が臨場感とか…」
「で、電話!電話番号教えてくれれば大丈夫だから!こっちからかけるから!」
「ああ、それでもいっか。そういや俺、買い物行く途中だったし」
こうして、家で説明して京太郎に電話で確認してもらうということで落ち着くと、里見は京太郎と別れてようやく家路についた。
まだ不安要素は残るが、これ以上贅沢は言えない。
あとは、ぶっつけ本番である。
「何とか、何とか…これで!」
****
「…おかえり」
「!」
玄関に入ってすぐにそこに立つ父親を見て、心臓が止まりかけた。
表情はいつもの通り穏やかだが、なにか言いたげな様子がはっきりうかがえる。
それだけではない。
正継のすぐ後ろには、むっつりと顔をしかめた疾風も控えているではないか。
何故そこにいるのか。
「た………だ、いま」
乾く喉に無理やり挨拶を発音させ、姿勢をただす。
緊張で嘘がばれてしまっては、せっかくの計画も台無しだ。
全力で演技しなければ、と里見は気を引き締めた。
「…そうなの、登校中に…」
「うん、急に頭がくらくらして、気分が悪くなって。貧血か何かだったのかもしれないけど、立っていられなくなったんです」
「それで、通りかかったクラスの人に…青木くん、だったかな?その人の家で休ませてもらったんだね」
「そうです。結構長い間寝ちゃって…起きたらもう夕方で。そのあと青木くんのおばさんに夕食を勧められたので、頂いて帰ってきた…んです」
正継の納得するような口ぶりに少し安心する。
うまくいきそうだ。
この分だと、電話する前に片付くかもしれない。
「本当なの、それ」
今まで黙っていた疾風がそう割りこんできて、里見は一瞬ぎくりとした。
頼むから、あまり余計なことは言わないでほしい。
この言い訳しか私にはないのだ。
「ほ、本当ですよ。なんなら、青木くんに確認してもらってもいいですし」
少しばかり声が震えてしまったが、こっちには口裏合わせもある。
問題ないはずだ。
疾風はしばらく里見を見つめていたが、その空気は正継の「わかったよ」という言葉によって打開された。
「里見、今の具合はどうなの?」
「え、あ、だいぶ寝たおかげか、もう平気です」
「そう、良かった。面談の日にこんなことになっちゃたのは残念だけど、無事が何よりだよ。今日はもう休みなさい」
やった。
やりきった。
ヤマを超えた里見は心の中でため息をついた。
どうなる事かと思ったが、これで学校で親がバレるような事態は避けられた。
「おやすみ」と自室へ引き返す正継を見送ってすぐ、安心して階段を上がろうとした里見の制服の裾がぐんと引っ張られる。
バランスを崩しかけて驚いて後ろを振り返ると、目が、合った。
あの時の。
母のものとよく似た感情をたたえる、その目を。
「どうして嘘つくの?」
責めるような、怒っているようなその目は、里見の中の恐怖心を蘇らせるのに十分だった。