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5対3の攻防3





「あら、もうこんな時間。美麗ちゃん何やってるのかしら。ごめんなさいねえ」


「…あの、すいません。たぶん、私のせい…」


「まあ、そのぶんゆっくり学校のこと聞けるわね!あの子恥ずかしがってるのか最近話してくれなくて~。あ、お紅茶入れなおすわね」


「ありがとうございます。そうなんですか?」


「そうなのよ!最後に聞いたのが小学校の中学年くらいだったかしら」






それって最近って言うのだろうか?

目黒家にお邪魔して早1時間。

お風呂をいただいてヒラヒラのネグリジェを着せてもらった里見は、なかなか事情の話せないまま紅茶が3杯目に突入していたのだった。






*****






「美麗ちゃん、最近お部屋に似合わない本並べてるのよねえ…一度こっそり占いの本と取り替えようとしたんだけどばれちゃって」


「ああ、何か聞いたことありますそれ」


「怒っちゃって、本棚のガラス戸に鍵つけちゃったのよ。しかも無骨な南京錠で…もっと可愛いの用意するっていったらもっと怒っちゃった」


「あ、そうなんですか。ところでおばさん」


「せっかくだからお部屋を可愛くして、彼氏の一人や二人連れてきてくれないかっていつも思ってるのよお。でもあの子ちょっと無愛想でしょ?最近はフラワーアレンジメントとかお菓子作りとか趣味もいろいろ薦めるんだけど気に入らないみたいで」


「は、はあ…」



美麗の母の強烈さは里見が以前会った時とまったく変わっていない様子だ。

今いる応接間も石造りの床、バロック調の家具、巨大な暖炉、全レースのカーテンが巨大な窓を覆い、宮殿の一室を思わせる豪華さ。

おばさんの趣味全開だ。

はじめに来たときは開いた口が塞がらず出されたティーカップを持つ手が震えたものだったが、数回訪れた今は多少免疫がついた。

おばさん本人もその場にいて違和感のないほどの様相で、ここに来たときは里見はいつもタイムスリップしたような印象を受けてしまう。



「でも、あんまり遅いとお風呂冷めちゃうわね。一度連絡してみようかしら」



一人娘について満足できるほど話したのか、おばさんはビーズで隙間がないほど埋め尽くされた携帯電話を取り出した。

慣れた様子でボタンを押し耳に当てる。



わずかな沈黙の後、おばさんが話し出す。

無事通じたらしい。

里見は胸を撫で下ろした。


無事目的地にたどり着いたのは良いとして、兄二人と一緒にいた美麗をおいてきてしまったのは気がかりだった。

本人が後で追いつく、といったものの、戻ってこないということは何らかの足止めを食らっている可能性もある。

事情はまだ話せていないが、とにかく美麗の今の状況を把握したかった。



「え?何?なんで?」



おばさんの怪訝な声。

いても立ってもいられなくて、里見はおばさんのすぐ隣まで近寄った。

わずかに受話器の向こう側の声が聞こえる。



『だから!もう少し時間がかかるといっているんだ!』


「なんでぇ?近くを散歩するだけっていってたじゃない。どこまで行ったの?」


『何でもだ!』


「怒鳴らないでよ。もう、せっかく里見ちゃんが遊びに来てるのに」


『…今、何て言った?里見が来てるのか?』


「そうよお。せっかくだから3人でお喋りしたいわよねぇ」


『そうか、ならいいんだ、できるだけすぐに帰…おい、何するんだ!』



声が遠ざかってがさがさとくぐもった音がする。

数秒の後、受話器から別の人物の声が流れ出した。



『もしもし、済みません!』



機械を通してはいたが、疾風の声だとすぐにわかった。



「どなた?」


『急に失礼します、村崎疾風といいます。村崎里見の弟です。そこに姉はいますか』


「あら、里見ちゃんの?いるわよ~!…里見ちゃん、弟さんですって。代わる?」



何気ない調子で差し出された携帯電話を、一瞬考えてから受け取る。

深呼吸してから、ゆっくりと耳に当てた。



「もしもし」


『…姉さん?』


「はい」



恐る恐るといった様子の声に短く答える。

途端、大きな声が耳に突き刺さった。



『何やってるんだよ!みんな捜して……今、目黒先輩の家なの!?』


「はい」


『はいって…とにかく、今から行くから。お願いだから、そこにいて』


「ところで、そこに誰がいるんですか?」


『…目黒先輩と俺、兄貴たちと父さん、あと母さん』



なんと全員集合らしい。

まさか、と思い場所も聞いてみると、予想通り自宅だった。

里見の変わりに美麗を連れて帰ったらしい。

意味がわからない。



『だって姉さんが行くといえば、先輩の家しかないだろ。家に案内してほしいって言っても全然聞いてくれないし、かといってそのまま帰すわけにはいかなかったから』



いや、そこは帰しておくべきだろうに。

半ば誘拐になってるのでは、と里見は頭を抱えた。

まさかそこまでするとは。

美麗も先ほどの会話から察するに、まだ粘る気だったらしいから有難くも申し訳ない。

とにかく美麗を開放しなければ、と里見は落ち着きを保ちつつ説得を試みる。



「疾風くん、美麗ちゃん帰してあげて」


『駄目だ。姉さんが帰らないと』


「無理やり引き止めてるんでしょ?それじゃあ誘拐になっちゃうよ」


『それならそっちだってそうだ』


「私は、その、自分で来たから」


『帰ってこいよ!』



わかってはいたがすぐに要望は通りそうにない。

このままでは埒が明かないと、里見は説得しやすそうな人物を思い描く。

一人しかいない。



「あの、お父さんに代わってくれる?」


『……』


「あの、疾風くん?」


『また楽なほうに逃げるの?』



感情を抑えたような無機質な疾風の声。

聞き覚えのあるフレーズだと思って思い起こすと、昔母と下の兄によく同じようなことを言われていた。

疾風に言われたのは初めてだ。



その瞬間。

頭の中で何かが切れた。



「ずっとそう思ってた?」



自分でも驚くほど、冷たい声が出た。

河に浮かんでコーヒーを飲んで高所から飛び降りて放置自転車を乗り捨てるうちに頭が冷えたのかもしれない。



『だって、自分に甘い人間としか話したくないんだろ。それは逃げじゃないか』


「そうだね」


『姉さんはそれでいいの?嫌なこととか辛いこととか、人間いっぱいあるだろ。何でもかんでも閉じこもって避けてられないんだよ。このままだったら駄目になるばっかりだ』


「駄目になったら何かあるの?…人のことに随分熱心なんだね」


『…何、今なんていったの?』


「疾風くんはさ、おせっかいだよね。そういうところがすごく嫌い」



今まで口に出すことなどありえなかった、最近ようやく自覚したあれこれ。

それでも、相手に直接言うことは勿論、どこかで愚痴を言うことさえ考えられなかった。

言ってしまえば自分が卑怯で汚い人間になってしまう気がして。

我が侭で人を傷つける酷い人間になってしまう気がして。


もう今は最低人間でいいや。

言いたいことを言ってしまおう。



『姉さん?どうしたの?』


「どうもしないよ。そう思っただけ」



驚いたような疾風の声が滑稽に聞こえる。

家族の一挙一動に気を使って必死になっていた自分も、滑稽だったに違いない。

思わず笑い出しそうになった口元を片手で押さえる。



『ちょっと変だよ、落ち着いて。言い過ぎたんなら謝るから』


「別にそんな必要ないよ。いいから電話代わってくれない?これ以上そっちの説教聞くの、うんざりしてるから」


『そんなつもりじゃ…!』


「どうでもいいけど、もう話したくない」






逃げたら悪いの?

なんで私がいつも譲るほうなの?

私だって。

私だって、好きなことしたい。

一緒にいて楽しい人と付き合いたい。

笑っていたい。



腹立つ。

悔しいよ。






心の声が後押しする。

小学6年生の里見も今はいやいやモードだ。

疾風には悪いが、早く話を進めるためにも里見は特に傷つくであろう言葉を選んで攻撃した。



『…代わる、代わればいいんだろ』



ようやくその返事を聞けて、里見は小さくガッツポーズをとった。

受話器の向こう側からガサガサと雑音、程なくして「もしもし?」という声が聞こえる。

父だ。



「こんばんは…里見です」


『里見、お友達の家にいるの?』


「はい。そっちに美麗ちゃ…目黒さんはいますか」


『うん』



まずは互いの状況を確認する事務的な会話。

そして本題だ。



「目黒さんを家に帰らせてあげてください。その人は何もしてないので」


『それは勿論、そのつもりだよ。もう遅いから車で家まで送るって言ってるんだけど、嫌がられて』



それだと結果的に案内するのと変わらない。

だから美麗も拒否しているのだろう。



『歩いて帰るって言うんだけど、泥だらけの制服でこんな遅くに一人徒歩で帰すのも気が引けてね』


「ああ、それは…」



よく考えれば、正継の言い分はまったく正論である。

高校生が夜道に一人では事件に巻き込まれかねない。

美麗にしてみればもう巻き込まれているようなものだろうが。


じゃあ、こちらから迎えが来ればいいのだろう。

少し受話器から口を離しておばさんに確認を取ると、すぐに「良いわよ~」との返事が返ってきた。



「もしもし、目黒さんのお母さんが今から車で迎えに行かれるそうなので…場所は教えます。お願いできますか」


『里見は一緒に来るの?』


「…いえ、私は帰りません」



少し間をおいてはっきり告げる。

ここで流してしまったら意味がないと思ったからだ。



『…理由を聞かせて。正直なところ、頭が混乱してるんだ。母さんのこと気にしてるんだったら、僕が何とかするから』


「確かにお母さんのこともあります。でもそれだけじゃなくて…私、ただ単にあの家に居たくないんです」


『…今家に帰りづらいのはわかるよ。でも』


「"今"じゃないんです」



そう、母に叩かれたからじゃない。

逃げ出したからじゃない。



「ずっと、その家にいるのが嫌でした。家業も、家族も、全部、嫌いです。もう我慢できなかったんです。ごめんなさい」



直球の本心をぶつける。

ゆっくりかみ締めるように。

しばらく長い沈黙があったが、里見は催促せずにただ黙って返答を待っていた。



『里見』



声色が変わったように聞こえたのは気のせいだろうか。

名前を呼ばれただけなのに、ひどく体がこわばる。

口が重い。



「はい」



声が堅くなる。

何故こんなに緊張しているのか自分でもわからない。



『帰っておいで』


「帰りません」


『お友達と交換。じゃないと帰さないよ』


「話が違います」


『違わないよ、始めからそのつもりだったから』



いつもの調子の口調なのに。

違う。



『だから今すぐ帰ってきなさい。これは命令だからね』



有無を言わせぬその言葉に、里見は少しの恐怖、そして……何故か安堵の気持ちを感じていた。

その言葉は恐らく父の本心。

そして気付いた。

疾風が「変」だといったその部分。

里見の本心を受け取ったからこそ、父もそのまま返してきたのだということ。






今なら戦える。

本音で、ぶつかれる。



決心が固まった。






携帯電話を切っておばさんに返す。



「すいません、随分長話してしまって」


「いいのよ~。でも、何で美麗ちゃん、里見ちゃんの家にいるのかしら?」


「…おばさん、私、ついでに乗せていってもらっていいですか」


「あら、帰っちゃうの?泊まっていってもいいのに」



今ならまだ引き返せる。

そう思うが、もう里見は悩むのをやめた。



「せっかくですけど…帰ります」


「そう!じゃあ、着替えないとね。美麗ちゃんのお洋服貸してあげる!」



そういえばネグリジェだったと今更思い出す。

この格好で家族に啖呵をきっていたのかと思うと間抜けだ。



「本当にいいの?」



おばさんが最終確認のように問いかける。

いたずらっぽく笑ったその表情に、わずかに真剣な色があるのに気がついた。

何かあったのだと感づかれていたらしい。



「はい」



笑って答える。



この先どうなるかの予測はまったくつかないけれど。

今やらなければならない、そんな気がする。






言いたいこと言ってね。

ずっとこの日を待ってたんだから。






幼い声に頷いた。






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