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5対3の攻防2






痛いのに痛くない。


疲れたのに動き回りたい。


何だかすごく良い気分で。


今日は夜ずっと、何でもできるような気がする。



頭上には大好きな星。

河に浸って臭いが酷い、その上泥や草の切れ端で汚れた制服。

擦り剥いた膝と手のひら、ぼさぼさの髪に腫れた顔。

何もない、身一つ。



今の私は、きっと人生で一番輝いてる。






数メートル落下して木に掠り比較的やわらかい地面に尻餅をついたすぐ後。

適当に目に付いた家の庭の倉庫の影に身を縮めて里見は耳を澄ましていた。

ほとんど騒音のない今の時間は遠くの音もよく届く。


数人の走る足音。

よく内容の聞き取れない声。



頭の中は自分でも驚くほど静かだ。






見失わせること、これがまず大前提。

そして、次に距離を開けて動きやすい状況を作ること。

万が一見つかって対峙することになっても、相手の話に一切耳を傾けないこと。






言い聞かせるように頭の中で復唱する里見に騒がしい会話が近づいてくる。

あの3人だ。



「お前らのせいだぞ!ああ、怪我でもしてたら…」


「行け、とか焚きつけたの誰だよ!あの高さで無傷なわけねえし。どっかに転がってねえ?」


「あーあ、なんでこう面倒になるかな。もう帰れると思ったのになあ。腹減った」


「おい、妹が心配じゃないのか」


「だって勝手に飛び降りたのあいつだろ。で、あんた誰」


「里見の友人だ!」


「ふーん、じゃあ暇なら探すの手伝ってくれよ。手分けしたほうが早いし」


「お前な…」


「おい兄貴、一度疾風と親父も呼ぼうぜ。ここら辺にいるのは確かだし」



会話がやってきて、遠ざかっていく。

目の前を通り過ぎ、自分から向かって右方向に進んでいく。



人影が角を曲がるのを見送ってすぐ里見は街灯の少ない路地に身を滑り込ませた。






ここはよく知っている。

どこに行けばどこに出るのかもわかる。






言葉もなく、真っ暗な道を進む。

人の気配はまったくない。

家の明かりに照らされないよう、細心の注意を払う。

何度か帰宅途中らしい車とすれ違い眩しさで目を細めて。



人気のない住宅地は難なく通過できたものの、問題はその先だった。

美麗の自宅に行くのに必ず通らなければならない、大通り。

数時間前にここは止めておこうと避けた場所だ。

明るいそこは、まだ人も車も多い。

この格好で横切るのは危険。

勿論警察に捕まってもアウト。


どうしようかと一度立ち止まった里美の目に、放置された数台の自転車が目に映った。

数秒見つめて近寄る。

そのうちの1台、錆の目立つママチャリに、鍵はかかっていなかった。






これに乗ろう。






躊躇いなくハンドルに手をかける。

他人の自転車なんて、と普段であればブレーキをかける良心が今はない。

自転車なんて小学生ぶりだったが、乗れない気がしなかった。

そろそろと足を離して進みだす。






一気に行けば大丈夫。






スピードに乗り、広めの歩道を進む。

周りの人間にそれほど注目されているようには感じなかった。

意外なほどすんなり、難関と思い込んでいた場所を通り過ぎる。

風が体内に取り込まれるように、里見の高揚感はより大きく膨らんでいった。






今まで自分を縛っていたもの。

劣等感。

罪悪感。

いろんなものへのコンプレックス。

配慮、思いやりの心、という思い込み。



今日は何もない。

ただ、何でもできる、何でもしてやるという万能感と自信だけが満ち溢れている。

これが良いことなのか悪いことなのかは知らない。

考えるつもりもない。



自然と笑いが顔に浮かぶ。

自転車がもっとスピードを上げる。

すっかり乗りなれて、どこまでも行けそうだ。



やがて大通りを抜け、再び住宅の多い通りに差し掛かる。

目的地まであとわずかだった。



こんなに楽しいのは何年ぶりかな。

早いからもうすぐ着くし。

何だ、楽勝じゃない。

ついさっきお兄さんたちに挟まれたときはもう無理だと思った。

どうしようもないと思った。

でも。

全然、無理じゃなかった。

飛び降りる勇気があれば。

本気で撒こうと思えば。

できると思えば。

できた。






私、どこかで諦めてた。


何もできないし、何も変えられないって。


何年も、何年も、延々と。






いい気になってちゃだめだよ。



何度も聞いた幼い声が語りかける。



少し気分が乗ってるだけ。

明日になったらまた、小さくて弱い私。

絶対に後悔するよ。



「そうかもねー」



わざと、口に出して言う。



一体何をしたのかわかってる?

人の家に転がり込んで家族にも友達にも迷惑かけて。

もう終わり。

せっかく繕ってきた不安定な関係も、全部。

何もできないくせに。

その上良心まで捨てるつもり?

最低。



「最低かな」



もう終わり。

もう終わり。

今までの全部台無し。

あんたのせいで。

私のせいで。

私のせいで。



「うん、もういいんだ」



何がいいの?



「私が、いいの」



それでいいの?



「うん」



うん、それで、いいんだ。

いいんだ。






良かった。






一人だけの会話が終わる頃、里見は目黒家にたどり着いた。

駐車場の空きスペースに自転車を置かせてもらい、インターホンを一度軽快に押す。

穴という穴にフリルを縫い付けたナイトウェアの、妙齢の美女が顔を出した。



「あら、里見ちゃんじゃない。どうしたのそんな格好で」


「こんばんは、おばさん。お邪魔していいですか?」


「お風呂沸かしたところだったからナイスタイミングよ!美麗ちゃん、散歩に出てるけどたぶんもうすぐ帰ってくるわね。さ、お入りなさいな」


「ありがとうございます!」


「来るの久しぶりねえ。ね、後で学校のこととか聞かせてね」


「はい、是非」






ドアが閉まる音がする。



5年前のあの日。

すべてを諦めたあの日に、やっと勝てた気がした。






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