友達の定義2
もともと早めに登校していたお蔭で公園を出た後も遅刻せずに済んだ。
京太郎の提案で先に疾風が公園を出て、その5分後ほどに二人はようやく教室にたどり着いた。
「なんだあ、良い弟じゃん。あれはマジで気にかけてるだろ~。自分で思ってるより、家族に好かれてるんじゃね?」
「…ああ、うん、1時間目は体育だから早めに更衣室行っとかないとね」
「…もしもーし、村崎大丈夫?なんか顔がぽかんとしてるんだけど」
「え、あ、うん、何?」
「…何か、よっぽど意外だったみたいだなあ」
かみ合わない会話に京太郎が里見の顔の前でわざとらしく手を振ってみせる。
里見はというと、先ほどから頭がうまく回らない、ぼんやりとした感覚が続いていた。
つい十数分前の状況を思い出す。
学校近くの公園のベンチ。
里見と疾風、その間で居心地悪そうに座る京太郎。
一方的な会話と時々入る仲裁の声。
そして。
『自分をめちゃくちゃにするようなことはしないでくれ!』
言われた内容を理解しようと先ほどからずっと試みているのだがどうも上手くいかない。
めちゃくちゃ?
私が?
思い当たることがない。
こういっては何だが、家族関係意外で特に自分の人生に問題があるとは思わない。
こうして学校に通って、友達と話して、成績は振るわないが勉強をして。
それとも。
疾風には自分が『めちゃくちゃ』になっているように映るのかもしれない。
小学生の頃を思い出しても、弟の疾風は欠点が見当たらないほどの人間だった。
成績も運動神経も良いし、なんでもそつなくこなす器用さがある。
容姿も、多少女性的過ぎるという点はあるものの整っているほうだろう。
性格も基本素直で、大人と話していても可愛がられることが多かったように思う。
そんな彼から見れば、容姿は中の中で良いところ、性格は陰湿、成績は下の中、運動神経は致命的と、里見の現状は悲惨の一言なのかもしれない。
やっぱり、こんな姉持つと恥ずかしいんだろうと思う。
前と同じで、たどり着く答えはやはりそれだった。
こう口にすると、京太郎は「悪いほうにとりすぎだろ」と笑うような気がする。
実際、里見も自分が人の言葉を素直に受け取れない悪癖があるということは重々承知していた。
それが単純なことを無駄に複雑にしてしまったのだという後悔もある。
わかっていても、里見は行動しなかった。
思っていることを洗いざらい話すことで状況が好転する保証なんて、ない。
現状の居心地が良いわけではないけれど、それを崩すことで取り返しのつかないことになる可能性だってあるのだ。
怖い。
ただその一心で。
*****
「どうした、顔色が悪いぞ?」
突然の声に一気に思考を引き戻される。
慌てて振り向いた先には、美麗の難しそうな顔があった。
「あ、お、おはよう!今日は早いね」
「いや、いつも通りだが」
そう言われて時計を確認すると、もう始業まで2分足らずといった時間だった。
いつの間にそんな時間になったのか。
「あ…だね、あはは」
「里見…」
「ちょっとぼーっとしちゃって!昨日、なかなか寝付けなかったからかな?やだなー」
「このところ変だぞ。何かとぼーっとしてるし、考え事してるみたいだし。なあ、何もないことないだろう。話してみないか」
「いやいや、本当になんでもないんだよ。ごめんね、心配させちゃって」
ふざけた調子で答えて、大丈夫だとアピールする。
最近美麗に心配されてばかりだ。
確かに今までになく災難続きだったけど、そのことが顔に出すぎていたのだろう。
里見にとって、美麗は家の外での生活の象徴だった。
どうでもいい話をして、授業を受けて、出かけて、不平不満を漏らして、笑って。
一緒にいるとほっとして、嬉しくなる。
美麗がいるから今幸せを感じることができる、そんな存在。
だからこそ、余計な心配はかけられない。
かけたくない。
気を引き締めて明るく振舞わなければ。
渾身の笑顔で笑って見返した里見は、友人の様子にわずかに表情を固くした。
美麗は笑わなかった。
それどころか、怒っているようにさえ見える。
視界までぼんやりしてしまったかと思って目を数回瞬かせるが、見える光景は変わらなかった。
「美麗ちゃ」
「もういい」
口を開きかけた里見の声を美麗がはっきりとした口調で遮った。
続けて何か言う前に予鈴がなり、美麗はそのまま席に戻ってしまった。
同時に入ってきた山吹先生が出席を取り始めるが、まるで頭に入ってこない。
先ほどのやり取りが頭の中をぐるぐるとリフレインしていた。
『もういい』って、何?
体温が急速に下がり、動悸が激しくなる。
胸を押さえつつ呼吸を整えようとするが、上手くいかない。
美麗の怒った顔。
感情のこもらない声。
たった今起こったことが現実なのだと理解することを脳が拒否する。
きっと、この予感は気のせいだ。
また、自分の悲観的な性格が妙なフィルターをかけてしまっているんだ。
そうに決まっている。
そうでなくてはならない。
気が気ではなかったが、里見はとりあえずホームルームが終了するまで必死で自分を落ち着けようとした。
美麗の席が自分より後ろにあるため、その様子が窺えないのがもどかしい。
15分ほど経ち、「起立、礼!」のお決まりの掛け声で再び教室が沸き立ち始めた。
慌てて立ち上がり、里見はまっすぐ美麗の席へ飛んでいった。
美麗は自分のカバンから体操着入れを取り出しているところだった。
少し俯いた顔はいつもどおりのように見える。
「あ、体育だよね、一緒に更衣室行こ…」
できるだけ明るい調子で言った里見に帰ってきたのは、睨むような美麗の視線。
そして、痛いほどの無言だった。
先ほどの嫌な予感が確信を得る。
それでも認められなくて「あ、その」とぎこちない笑顔で会話を続けようとする里見にかまわず、美麗は席を立ってそのまま教室の後ろの扉から出て行った。
残された里見は、いまだぎこちない笑顔を貼り付けて立ちすくむ。
気のせいではない。
何故だかはわからないが、間違いなく。
里見は、美麗を怒らせてしまった。
そしてたった今、話すことはないというように出て行ってしまった。
「あれ、目黒どうしたの。機嫌でも悪かった?」
様子を見ていたらしき京太郎が後ろから声をかけてきたが、返事ができなかった。
里見が最も恐れていたこと。
嘘をついてでも、土下座してでも、起こってほしくなかったこと。
美麗に、嫌われること。
頭の中で、自分の大切にしていた世界が崩れていく音を聞いた。