暴露話2
ずっと誰にも言えないままいたこと。
口下手で言いたいことが話せないこと。
人が怒ったり悲しんだりすることが怖くて顔色ばかり見てしまうこと。
何をやっても今イチで間が悪いこと。
運動ができないこと。
これといった特技や自慢がないこと。
嘘をついてしまうこと。
家族とうまくいかないこと。
自分が好きになれないこと。
頭の中でもやもやとしていたものが口に出したとたん形になって止め処なく流れ出る。
泣きながら、後ろ向きで陰湿で感情的な自分を目の前の京太郎にさらけ出した。
*****
「ほん、とは」
「うん」
「もっと明るかったら、運動神経がよければ、ちゃんと言いたいこと言えればっ」
「うん」
「こんなことになってない、私が、全部悪くて!だから、い、いなくなればいいのにっ」
「ん、そうなの?」
「え、あ、わかんない」
深夜、二人だけの静かな部屋にしゃくり上げる声と短い相槌が交互に交わされる。
どのくらい経ったのだろうか。
もう、里見の言いたいことは出尽くしてしまい、この会話も終盤にかかっていた。
「うん、ほら、ティッシュ」
「あ、ありがとう」
鼻水さえ出てきた顔を一度冷静になって整えようとする。
きっとぐちゃぐちゃでドン引きの状態になっているに違いないのに、京太郎はあくまでニコニコしながら里見と顔を突き合わせてくれている。
渡されたティッシュで顔を覆うようにして拭きつつ、里見は目の前の同級生の顔を窺った。
はっきり言って、こんな話をしたのは京太郎が初めてだ。
一番親しい美麗にさえ相談したことはない。
しかも泣きながら支離滅裂な言葉でぶちまけているのだから、何だか穴があったら入りたい気分だ。
それでも、里見の気分は清々しかった。
「…青木君」
「あ、もう1枚いる?」
「ううん、そうじゃなくて…ありがとうね。何か、本当にスッキリした」
「えー、俺何もしてないぜ?聞いてただけだし」
天井を仰ぎながらそういって笑う。
彼のこういうところが自分にすべてを話させたのだろう、と里見は思った。
京太郎は、決して里見にどうしろとは言わない。
ただ頷き、ときどき質問してくる。
里見がどう思っているのか、どうしたいのか。
この数十分間のやりとりは、里見の頭の中をきれいに整理させてくれた。
「せっかくだからコーヒーもう一杯持ってこようか?洗面所も使いたいなら下の階にあるぜー」
「青木君ってすごいよ」
「何だよ突然」
「だって、何でも受け止めてくれる感じがするから。優しいし、気を使ってくれるし、すごいよ」
「えっ?照れるなー!でも、村崎は特別だぜ?」
京太郎がはにかみつつ手を振る。
特別?
京太郎に何かしただろうか。
里見には思い当たることがなかった。
「何か似てたんだよなー」
「似てる…?あ、さっきの弟さんとか妹さんに?」
「いや。中学のときの俺に」
里見は答えずに京太郎を見た。
まだ笑顔を湛えた顔に、わずかに真剣な感情がにじむのがわかった。
「出口のない迷路にいるみたいな、さ。周りに何も言わないまま溜め込んで、つらいばっかで。そんな感じだよなー」
「青木君も?」
「うん。最初はさ、自分でも納得してるんだって思ってた。でも、そう思い込んでただけだったんだ」
京太郎はゆっくり話し始めた。
もともと、8歳まで実の母親と暮らしていたこと。
どこにでもあるような一般家庭。
何不自由なく育ち、小学校にもすっかり慣れた、ある朝。
「母ちゃんがさ、消えたんだよ。何の前触れもなく」
「消えた?」
「うん、起きたらいなくてさ。父ちゃんに聞いても知らないって取り合ってくんなくて。で、それっきり帰ってこなかった」
ガキだからわかんなかったけど、父ちゃんは全部知ってたんだ、と京太郎は笑った。
離婚。
原因は母親の浮気だった、と。
「事情がちゃんとわかったのは中学に入ったときだな。それまで父ちゃんが黙ってた。だから、しばらくは母ちゃんが帰ってくるんじゃないかって待ってたんだ。でも、10歳のとき父ちゃんが玲子さんとチビ二人を連れて家に来た。で、言うんだ。”今日からこの人がお母さんだ”って」
「…」
「いや、訳わかんないよな。お前誰だよ、って思いっきり言っちまったし。頭小突かれたけど」
軽い調子なのに、聞いていてつらい。
それでも黙って最後まで聞こうと里見は姿勢を正した。
「で、なんか一緒に住み始めてさ、しばらくいるうちに玲子さんは口うるさいけどいい人で、ガキたちはまあ可愛いなって思い始めた。そんで1年経って玲子さんが妊娠して、妹が生まれたんだ。父ちゃんと玲子さんの子供。その頃には、まあいいかって気分になってた。母ちゃんも帰って来ねえんだって理解してた」
「じゃあ妹さんとは血が繋がってるんだ」
「そう。すげー可愛かったぜ。今もまあまあだな。ちょっとシャイだけど」
玄関で玲子にくっついていた女の子の顔を思い出す。
少し怯えたような顔でこちらを見上げていた。
「そんなこんなで中学にあがるくらいにはすっかり馴染んでたんだけど、そこでさっきの母親との離婚の話をされたわけ。でも正直聞いたときはふーん、って思うくらいだった。もう母ちゃんのことはあんまり気にしてなかったし。でもさ、それと一緒に言われたことが俺、できなかった」
「何て言われたの?」
「”玲子さんを母ちゃんって呼んでくれ”って」
なんと言っていいのかわからない。
でも、里見は確かに見た。
京太郎の笑いが一瞬、嘲笑に変わった。
「なんでかな、ガキたちは弟だって呼べたのに、玲子さんを母ちゃんって呼べなかった。だって、弟はいなかったけど、母ちゃんはいたんだ。たぶんそのせい。そのことで気まずくなって、中学2年の途中で爆発した。バカだよなー」
「お母さんのこと気にしてなくても?」
「うん。違うって思うとどうしてもできなくて。強情だし」
「意外だなあ」
「村崎の中の俺ってどんだけ心広いんだよ!割と普通!腹立てたりすると結構激しいし根に持つよ」
「へえ…で、爆発ってどんな感じだったの?」
「よくある話だけど、非行?やっちゃった。バイクとか乗れねーから暴走族は無理だったけど、何人かでつるんで深夜コンビニで座り込んだりしたぜー」
「ますます…意外」
今の姿からは連想できない過去だ。
しかもほんの数年前。
里見は一瞬柄の悪そうな京太郎を想像してみようとして…あきらめた。
「どうやって今みたいになったの?」
「やっぱ悪いことは続けらんないからな!玲子さんに何度も説得されて、父ちゃんと殴りあいとかして、結局やめた。バカらしくなったし、受験とかもあったし。それで、おしまい」
「おしまい?」
「そ!今は全然仲良いだろ?雨って地固まる!結果オーライ!」
そういって両手を挙げる京太郎に、里見は言うかどうか迷って…口にした。
「それでも…今も玲子さんなんだね」
「…そこ突っ込まれると参るなあ」
今度は泣き笑いに近い表情。
笑顔にもたくさんの種類があるのだなあ、と里見は感心した。
「村崎、俺さ、今でも玲子さんのことは母ちゃんだと思ってないよ。これから先、考えが変わることもないと思う」
「そうかあ」
「理屈じゃないんだよなあ。玲子さんのことは好きだし、家族だとも思ってるんだ。でも俺の母ちゃんは、今でも消えたあの人で、他にはいないんだよなあ。俺ってひどいかな」
「ううん…そんなもんだよ。きっと」
頭ではわかっていても、感情がそれを許さない、というものがある。
里見もそのことはよくわかっていた。
おそらく誰にでもそういった部分はあって、割り切れなくて悩みを抱えるのだ。
里見も、京太郎も。
「あー、なんか語っちゃったな!悪い悪い」
「こちらこそ」
「…俺もさ、聞いてほしかったんだ、誰かに。ありがとう村崎」
時計はすでに午前4時過ぎ。
カーテンの隙間から、わずかに白んだ空が見えた。
「もう朝か」
「朝だね」
「どうする?」
「どうしようか…あ!そうだ」
里見が晴れやかな顔で提案する。
「夜明け頃の星、結構綺麗なんだけど」
悩みを打ち解けあって晴れ晴れとした気分でいた里見は、すっかり忘れていた。
京太郎は気づいてはいたけれど、特に口にはしなかった。
いまだとんでもない爆弾を抱えているという、その事実を。