47 スパイスガール
「チドリさんのお知り合いですか?」
エプロンで手を拭きながらこちらにやってきたカティアちゃんの金色の髪がやわらかく揺れる。
「はい、新しい仕事場の雇い主です。少し外に出て、彼と話してきます」
「私もご一緒しましょうか?」
彼女が一緒なら心強い。確かに全く心配がないとは言い切れないけど、あの草食系の補佐官なら素性も知れているし大丈夫だろう。
「ありがとうございます。でも玄関前で話すだけなので大丈夫です」
「そうですか……。なにかあれば、すぐに知らせてください」
「分かりました」
私は軽くうなずき、玄関のドアを開けた。夜の空気がひやりと頬を撫でる。
そこに立っていたクレーマー補佐官ことディビットは、相変わらず人を値踏みするような嫌味な眼つきで静かに私を見つめていた。
彼は中指でモノクルの縁に触れ、軽く位置を整える。
一歩外に出た私は背後のドアを静かに閉めた。カティアちゃんに会話を聞かれないようにするためだ。
「職場には慣れましたか?」
生半可な環境ではないと分かっているクセに、まるで世間話でもするかのような穏やかな口調だ。
「言いたいことは、たくさんあります……」私は小さくため息をつく。
「そうでしょう」
「そうでしょうって……」
あまりにあっさりした返事に思わず眉をひそめる。
「彼らとは上手くやっていけそうですか?」
「さあ……、まだなんとも言えません。ただ、事前に聞いていた話と違って彼らは協力的でいろいろ教えてくれます」
その言葉にディビットはわずかに目を細め、「ほお……」と感嘆するように静かに息を吐く。
「それは僥倖です。やはり、あなたを送り込んだのは正解でした。どうやら彼らは、あなたをどう扱うか決めあぐねているようですね」
「どういう意味でしょうか?」
私が聞き返すと、彼は淡々と続けた。
「以前お話した通り、あなたの先任者たちは精神的にも肉体的にも追い込まれていました。隊員たちは自分たちと同等の知識と体力を司令官にも求めたのです。前線で戦うはずないのに非合理的で馬鹿げた話だ、指揮官というものは決断を下すだけの機能であるべきにも拘わらず……」
冷淡にも聞こえるセリフと共に夜風が通りを抜ける。
「しかしながら――」
ディビットはそこで一度言葉を切り、私を見た。
「あなたが女性だという理由で、その点はスルーされているようですね」
カチンときた。胸の奥で言い表せない何かが煮えたぎるようだ。
まるで私が何の苦労もしていないみたいな言い方、せっかく彼らと向き合おうと心に決めたのに、水を差されたようで気分が悪い。
「女子供だから救われたとでも?」
語気を強める私に、ディビットは表情を変えない。
「あなたも先任者たちと同じ目に遭いたいのですか?」
彼は鼻で嗤い、「やめておいた方がいい。あれは拷問の類です」と呆れるように首を左右に振った。
「とにかく、彼らを刺激しないようにしてください。あなたは何もしなくていい、何もする必要はないのです。大人しくしていてください」
そんな職場に私みたいなか弱い乙女を送り込んだのは、アンタでしょうが……。そこまで彼らが憎いなら、司令官を変えるのではなく隊員たちを辞めさせて新しいメンバーに入れ替えればいいのに。それができない理由でもあるのだろうか。
私は腕を組み、小さく息を吐いた。
「私にも思うところはありますので、私なりにやってみようと思います」
ディビットの眉がわずかに動く。
「余計なことはしなくて結構です」
「やり方については契約書に記載されていませんでした。仕事を受けた以上は、私のやり方でやらせていただきます」
私はきっぱりと言った。
「ですが――」
「このままだと、本来の私の休日を迎えられませんので」
「本来の私の休日?」
ディビットが首をかしげる。
私の座右の銘は【適度な労働は、至福の時間を過ごすためのスパイスである】だ。
サウナを出た時の爽快感のように、私はあえてストレスを溜め込むことで、休日の幸福度をブーストさせてきた。
確かに今の職場は、私にとって適度とは言い難い。どう考えてもオーバーワークだ。それでも投げ出したくない、ナメられたまま終われない。
「いえ、なんでもありません。気にしないでください。それでは失礼します」
そう言って踵を返し、
「なにかあれば、こちらから連絡しますので――」
私は玄関の扉に手を掛けながら続ける。
「もう、ここには来ないでください」




