42 私は何者でもないから
「しかし、あまりへりくだりすぎたり、距離が近すぎるのもよくありません。指揮系統があやふやになります。上に立つ人間は、立場にあった言動が求められる。今後はご注意を」
そう囁くと同時に、私の左手を掴んでいた彼の右手が私の顎をそっと掴み、クイッと持ち上げた。
言っていることとやっていることが違うじゃない!?
視線が強制的に絡み合う。彼の瞳に私の顔が映り込む。表情を強張らせながらも、瞳を潤ませ頬を朱く染めている。こんな顔が自分に出来るのかと冷静に戸惑いながらも抵抗できない。
王子様みたいな甘いマスクにモデル並みのスタイル、さらに鍛えられた肉体を持ったイケメンの顎クイ、これに抗える女子がこの世界にいると?
彼の顔がゆっくりと近づいてくる。思考がぐるぐると回り始める。
だ、ダメよ……正気を保って、千鳥――。
ここは現実じゃない。少なくとも私にとっては“非現実”。そうだ、ここは乙女ゲームの世界だと思い込みなさい。自分に暗示を掛けるの。
私は特殊部隊を舞台にした乙女ゲームの世界に迷い込んだヒロイン。この人は攻略対象、攻略対象、攻略対象、こうりゃくたいしょう――。いつものようにやればいいだけ。
この状況に応じた選択肢を選ぶ。好感度が上下するような、フラグが立つような、ルートが分岐させる選択肢を。そう、いつも通りよ。
……あれ? なんだか落ち着いてきたかも? 今こそ、少女漫画で培った乙女脳ヒロインムーブを発揮するとき!
私は勢いよくエドガーの手を払いのけた。彼の頬を思いっきりひっぱたき、ぱしんと乾いた音が室内に響く。
さらにキッと睨みつけ、「私は司令官です。具申は受けますが、指示は受けません。私のやり方でやらせてもらいます」と背筋を伸ばして告げた。
◇◇◇
「ぷはー! ちきしょー!!」
冷えた麦酒を一気にあおり、私は息を吐いた。泡が唇につき、ほのかな苦味が喉を駆け抜けていく。
現在、私は城下街にある行きつけの酒場にいる。まだ二回目だけどね。
うう……、やってしまった。なにがヒロインムーブよ……ただの暴力じゃない。
エドガーは打たれた頬に手を当てて一瞬だけ目を見開いたその後、怒るでもなく優しく微笑んで「失礼しました」と踵を返して去っていってしまった。
顔には出さないだけで怒っているに違いない。ああいうタイプはプライドが高くて、自尊心を傷付けられるのが何よりも侮辱なのだ。
明日から前任の司令官たちが精神を病んだという過酷なイジメが始まるのでしょうか!?
「あれ? お兄ちゃんの友達のおねえさん、今日も来たの?」
「あ、クラウディオの妹さん……」
「ちょっと飲み過ぎじゃないですか? ペース早いですよ」
「だいじょうぶだいじょうぶ、これくらいなんへことはい……」
舌が回っていないことに気付くと同時に、猛烈な眠気に襲われた私の意識が、だんたんと薄れていくのを感じる。
そういえば昨日は夜遅くまでマニュアルの活動編を読み込んでいて寝不足だったんだ……。
そのままテーブルに突っ伏したところまでは覚えているのだけど、意識を取り戻したときには私は誰かに背負われていた。
足を踏み出す度に体が揺れる。一定のリズムで、淀みなく進んでいく。
温かい……、なんか落ち着く……、でも、いったい誰? 私……、攫われちゃったのかな……。抵抗しようとしても意識が朦朧として上手く力が入らない。
「……どこに連れていくの……」
掠れた声で私を背負っている人物に訊いた。
「レオンハルトの家だ。まったく酔いつぶれやがって……」
「クラウディオ……」
「妹に頼まれていなければ、店先に転がしておくところだったぞ」
「そう、ありがとうね……」
「上層部が何を考えているか知らないが、アルタイルはお前のいる場所じゃない。聖女でもないただの素人のお前がどれだけ努力したところでたかが知れている。怪我をする前に早くやめろ」
「もしかして心配……、してくれてるの?」
答えは返ってこなかった。
「やめれないよ……」私は呟く。
「どうしてだ?」
「だって私には行く場所がないもの……。この世界のどこにもない……。わたしは、聖女でも悪役令嬢でもないから……、何者でもない、帰る場所も……。居場所を失ったら、この世界で……、生きていけないから……。だから、がんばるしか、ないんだよ……」
意識がまどろんでいき、自然と瞼が降りてくる。クラウディオが何か言った気がするけれど、私は眠気に抗えず、彼の背中で再び寝てしまっていた。
ここで第二章はおしまいです。遂に千鳥が指揮を執る第三章【初陣(予定)】は来週には更新できるかと思います。
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