38 レッスンワン
もう一度言おう。私は今、彼女に抱かれている状態だ。
「腕は怪我してないッスか?」
耳元でフェルさんの声がした。やわらかい声が鼓膜を震わせる。
転倒しそうになった私を、とっさに体で受け止めてくれた。その結果がこの体勢なのだから単なるハプニングで事故なのだけど、私の心臓は、早鐘を打っている。
「だ、だいじょぶです……」おもわず声が裏返った。
「そうスか、良かった」
安堵したように彼女が少しだけ距離を詰めた。吐息が頬をかすめる。
女同士なのにドキドキが止まらない。
なんなの、なんなのよこれは!? なんでこんなにドキドキしてるの?
おかしい、おかしいけれど、このまま百合の花弁を散らしてしまっても構わない、なんて思ってしまう自分がいるとでも!?
早く強く拍動する心臓とは対照的に、頭の中がぽわぽわと甘く霞んでいたそのとき、私を抱きとめたまま、彼女がすんすんと私の髪の匂いを嗅いできた。
「ふーむ、これが異世界人の匂いなんスね。自分が生きているうちに遭遇できるなんて感動ッス」
そう言って彼女はあっさりと腕を離した。解放された私は、よろよろと自分の足で立ち直る。
「は、はあ……」
やっぱり奇想天外というか、ちょっと変わった人だな……。
「ヤモリの方はネズミ用の罠でも仕掛けておくかぁ。繊細なタリスマンが多いから捕まえたかったスけど」
「そうだったんですね……捕まえられなくてすみません」
ふるふると、フェルさんは首を横に振る。
「気にしないでいいッスよ」
くりっとした瞳がこちらを向く。
「そういえばチドリ司令は、こんなところまで来て何をしていたんスか?」
「あ、えっと、資料室に資料を取りに行くついでに基地の地図を作っていたの」
「資料?」
「少しでも勉強しようと思って、この部隊の役に立ちたいから……」
ほぅ、と小さく声を漏らし、フェルさんの目がわずかに見開かれる。
「それは殊勝な心がけっスね。そういうことなら、自分が知っていることは教えてあげるッスよ」
「本当ですか? 助かります」
「何が知りたいッスか?」
「それじゃあ、魔導兵器と魔素兵器について教えてください。違いがよく分からなくて」
「自分の専門分野ッスね」
彼女は楽しそうに口角を上げる。
「ちなみに司令は、魔術に関してはどの程度知っているの?」
「えっと……こう、杖からばーんって炎とか氷の礫が出たりする感じ?」
「うんうん、なるほど! 全然知らないということが分かったッス」
「う、うん、そうね……」
「簡単に言うと、魔術ってのは魔力を燃料にした技のことッス。発動にはきっかけが必要で、詠唱だったり記号だったり、物質的な媒介だったりするッスね」
フェルさんの指が空中で五芒星を描く。
「基本的に魔術は対個人、せいぜい対小隊規模で使うもの。それを軍隊規模で運用できるようにパッケージングしたものが魔導兵器ッス」
「すごい火力を生み出す兵器ってこと?」
「まさに。でもこれがなかなか難しいんスよ」
彼女は椅子を引いて私に座るよう促した。私は素直に腰を下ろす。
「エレメント系をパッケージングするには今の技術じゃ容量が足りない上に、けっこうな頻度で暴発したりして不安定ッス」
彼女はくるりと体を反転させ、棚からリレーのバトンほどの筒を手に取る。
「その問題をクリアしたのが魔素兵器。つまり、毒魔術をパッケージングした兵器ッス。どの国も今、こぞって研究開発を進めているッス」
「どうして毒魔術だと問題がクリアできるの?」
「魔素毒は使い方によってはエレメント系に比べて少ない魔力で大きな効果を得られる、つまりパッケージする容量が少なくて済む。それから持続性ッスね」
彼女は手に持った筒をクルクルと回す。
「炎や氷はバーンと出て終わり。でも毒は効果が持続するし拡散する」
私はマッピング用の紙の隅に、彼女の話を書き留めていく。
「チドリ司令が初めてこの基地に来たときに白い霧を出した筒、あれも中身は毒ッス」
「うそ……、吸っちゃったけど……」




