10 おふくろの味
いっけな~い、私ったら夕飯多く作り過ぎちゃったみた~い。ドジだぞぉ千鳥、てへへ!
――んなわけない。
私はシチューの入った鍋を両手で抱え、クラウディオの部屋の前に立っていた。湯気はもうほとんど立っていないけれど、蓋の隙間から立ちのぼる香りはまだ温かい。
別に、あんなヤツのことなんてどうでもいい。どうでもいいけどチーフに頬を叩かれてからのあいつは明らかに様子がおかしかった。
嫌味も言わない。荷物を持ったり宿舎の玄関ドアを無言で開けてくれたりした。
……なにそれ、気味が悪い。ひょっとして落ち込んでいる? いや、それはない。あいつがそんな繊細な生き物なわけがない。
じゃあ脳に障害でも起こしたのか。頭を打ったせいで良い子になるというアレなのか……。
そんなことを考えていたら、なんだか胸の奥が落ち着かなくなってきて。結果、私はここに立っている。もちろん謝りに来たわけじゃない。あの騒動が私のせいだとか、そういうのとは断じて違う。
ただ様子を見に来ただけで、そのついでに、たまたま作り過ぎてしまったシチューを差し入れるだけ。
よし、オキドキ。自然なシチュエーションだぞ、シチューだけに……、なんつって。
自分で吐いたオヤジギャグに恥ずかしくなった私は軽く咳払いをしてから、コンコンとドアをノックした。
少し間があって内側で気配が動き、ドアが開いた。
「なにか用か?」
無愛想な声に感情の読めない顔。
……よかった、いつも通りだ。いや、いつも通りなのもそれはそれで腹立つけど。
「その……あの……」
視線を泳がせながら私は鍋を少し持ち上げた。
「作り過ぎちゃったから……これ」
クラウディオの視線が私の顔から鍋へと落ちる。
「あ?」
短い言葉で訊き返してきやがった。
どういう魂胆だ、と言うかのように。
「ど、どうせ引っ越してきたばかりで、何も用意してないんでしょ! べ、別に毒なんか入ってないんだからね!」
普通に渡せばいいのに、なぜ私はツンデレているのだろか……。なんだかすごい恥ずかしくなってきた。
急に顔が熱くなって視線を逸らす。
「ほら」
差し出すと、クラウディオは一瞬だけ間を置いてから鍋を両手で受け取った。
そのとき、取っ手を掴んでいた私の指と彼の指が触れる。
温かい。それにごつごつして少し荒れていて、これが剣を握る手なのか。
「聞かないのか?」
「え?」
「あいつと……ノエルと、俺の間に何があったのか」
一瞬、言葉に詰まる。確かにノエルの態度は尋常じゃなかった。気にならないと言えば嘘になる。
でも、それはきっと彼にとって触れられたくないことで、私が一方的に知るべきじゃない。
だから私は即答した。
「聞かない! 男の子同士は色々あるんでしょ!」
するとクラウディオの表情がきょとんとしたものに変わり、顔を伏せると喉の奥で堪えるようにくつくつと笑い出す。
肩が揺れて、ついには声を出して笑い始める。
それは今までの彼とはまるで別人で、まるで少年のようだった。
「な、なによ! なんで笑うの! 変なこと言った!?」
「……いや」
笑いを噛み殺しながら彼は言う。
「母親みたいなこと言うんだなって思ってな」
……は? 母親?
「いい匂いだな。腹が減ってきた」
クラウディオは鍋を持ち直し、淡々と続ける。
「ありがたくいただく。何かあれば壁を叩け」
そして、少しだけ視線をこちらに向けたままドアを閉めた。
私はしばらくドアの前で立ち尽くしていた。
ムキィーっ! 母親ってなによ!!




