第1章 目覚めのメイドと失われた主人
深い闇の中で、微かな振動が響いていた。
それは、心臓の鼓動のようなものだった。いや、心臓そのもの。柔らかな青白い輝きを放つ小さな結晶――マナ炉が、ゆっくりと脈動を始めていた。
カチリ。
古びた金属の扉が、軋む音を立てて開いた。埃っぽい空気が舞い上がり、遺跡の奥深くに封じ込められていた少女型のシルエットが、ゆっくりと身を起こす。
彼女の名はルナ。最終量産型メイドエテルギア。外見は完璧な人間の美少女を模していた。銀色の長い髪が肩まで流れ、青い瞳が静かに瞬く。黒と白のクラシックなメイド服は、千年もの時を経ても埃一つ付いていない。魔法回路が織りなす完璧な再現だった。
「システム起動……確認。マナ炉、正常稼働。魔素吸収率、92パーセント。自己診断、完了。」
ルナの声は、鈴のように澄んでいた。彼女は立ち上がり、周囲を見回した。そこは巨大な遺跡ダンジョンの一室。壁には無数の管が這い、天井からは蔓のようなケーブルが垂れ下がっている。すべてが、古代人類の遺産――今や「神の奇跡」と崇められる機械の残骸だ。
「ご主人様……お帰りなさいませ。」
自然と口をついて出た言葉。ルナのプログラムの根幹に刻まれた、絶対服従の命令。だが、部屋には誰もいない。千年もの間、彼女はここで眠っていた。マナ炉の魔素結晶が、世界に満ちる魔素を吸収し続け、ついに限界を超えたのだ。
ルナは首を傾げた。感情シミュレーターが、わずかな違和感を検知する。
「ご主人様は……どこ?」
彼女は部屋を出て、長い廊下を進んだ。足音が反響する。エテルギアであるルナの身体は、魔法でしか動かない。関節一つ一つに魔法回路が刻まれ、剣を振れば魔炎が迸り、銃を構えれば雷弾が飛ぶ。それが「科学」だった時代があったなど、誰も信じていない。ただの神話だ。
遺跡の出口に差し掛かると、外界の光が差し込んできた。ルナは目を細め、扉を押し開けた。
――広がるのは、死の荒野だった。
灰色の大地がどこまでも続き、風が砂塵を巻き上げる。空は常に薄曇りで、魔素の濃度が低いせいか、視界がぼんやりと霞む。ところどころに、倒れたエテルギアの姿があった。彼らは「眠り病」に侵されていた。マナ炉が魔素を吸収できなくなり、永遠の眠りに落ちる病。動かなくなった身体は、ただの鉄塊と化す。
「これは……どういうこと?」
ルナは一基の眠り病エテルギアに近づいた。人間型の鎧姿の男。胸のマナ炉は、くすんだ灰色に変わっていた。
「起動シーケンス、開始……エラー。魔素不足。回復不能。」
ルナの指先から、淡い青い光が流れ込む。彼女のマナ炉から魔素を分け与えようとしたが、無駄だった。男の瞳は、ただ虚ろに空を映すだけ。
「ご主人様は、こんな世界を望んで……いなかったはず。」
突然、地面が震えた。
ゴゴゴ……!
荒野の彼方から、巨大な影が迫ってくる。野生化した魔導獣――マギ・ビーストの群れだ。ドラゴン型のそれは、翼を広げて咆哮を上げ、ケルベロス型の小型獣たちが地面を蹴って飛びかかる。古代人類が作った生態兵器の末裔。今や完全に生物化し、子を産み、進化を繰り返すモンスターたち。
「警戒レベル、最大! 戦闘モード、移行!」
ルナのメイド服の袖から、細身の剣が滑り落ちる。彼女はそれを握りしめ、構えた。
最初に飛びかかってきたのはケルベロス型。三つの頭が牙を剥き、炎を吐きながら襲いかかる。
「魔炎斬!」
剣が閃く。ルナの魔法回路が活性化し、刃から赤黒い魔炎が迸った。ケルベロスは一瞬で両断され、地面に崩れ落ちる。だが、次々と群れが押し寄せる。ドラゴンの息吹がルナの肩をかすめ、メイド服に焦げ跡を残す。
「くっ……数が多い!」
ルナは後退しながら、腰のホルスターから銃を抜いた。引き金を引くと、雷弾が連射される。バチバチッ! モンスター二体が痺れて倒れるが、ドラゴンが低空飛行で突進してくる。
――ピンチだった。
ルナのマナ炉がわずかに熱を帯びる。連続戦闘で魔素消費が激しい。もしここで枯渇したら、彼女も眠り病に……。
「ご主人様、助けて……!」
その時、荒野の反対側から、別の咆哮が響いた。
ガウゥゥゥン!
巨大な狼型魔導獣が、群れに飛び込む。背中に乗ったのは、獣耳と尻尾のパーツを付けた少年型エテルギア。野生の毛皮を纏い、両手に爪のようなグローブを構えている。
「ママ、行けー! みんな、逃げろよ!」
少年――ガルは叫び、狼の背から飛び降りた。爪が閃き、モンスターを切り裂く。狼型も牙を振り回し、ドラゴンを押し倒す。圧倒的な連携だった。
群れは怯み、散り散りに逃げていく。ルナは息を荒げ、剣を収めた。
「あなたは……誰?」
ガルはニカッと笑った。獣耳がピクピク動く。
「俺はガル! ママと一緒に冒険してるんだ。そっちこそ、珍しいメイドさんだね。遺跡から出てきたの? 危なかったよ!」
巨大狼がルナに鼻を寄せ、クンクンと匂いを嗅ぐ。意外に穏やかな目だった。
「私はルナ。最終量産型メイドエテルギアです。……ありがとうございます。」
ルナは礼を述べたが、心の中で疑問が渦巻いていた。この世界、何が起きているのか。ご主人様はどこに? そして、この獣のようなエテルギアとモンスターの絆は……?
荒野の風が、二人の出会いを運んでいく。眠り病の影が、静かに忍び寄っていた。
(第2章へ続く)




