EP07 チート野郎
翌日、桃子と蒼空は一緒にチェスクラブに顔を出した。
桃子「やっぱり、あのチェスセットは駒も盤も見た目よりちょっと重たかったって以外は、ただの古い駒だったみたいね。装飾は独特だけど、私が握っても何も起きなかったし。材料はなんでできてるんだろう?ただの木製じゃないよね」
蒼空「でも……母さんの持ち物だったってわかっただけで嬉しい。俺、母さんのこと、ほとんど何も知らなかったから」
ふと柔らかく笑った蒼空に、桃子は少し言葉を飲み込んだ。
そこへ部長の伊織が声をかけてくる。
「二人とも、ちょうどいい。大会の地区予選を前に、外部のクラブと練習試合をするんだ。今日は“銀河チェスクラブ”に顔を出す予定でね。地元のベテランとも打てるから勉強になるよ」
桃子「蒼空、いい経験になるわよ。行きましょ」
蒼空「え……大人とやるのか。緊張する……」
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商店街の一角にある『銀河チェスクラブ』。
木の看板がかかった細い扉を開けると、部室とはまるで違う空気が蒼空を包んだ。
コーヒーの香り。カップを置く小さな音。
駒が盤に当たる乾いた響きと、時折混じる笑い声。
そこは学校の部室よりも雑然としているのに、どこか大人の余裕と熱気が漂っていた。
「お邪魔します。よろしくお願いします」
伊織が頭を下げると、マスターがにこやかに迎える。
「おお、伊織くん。待っていたよ。ここは夜になると会社帰りも集まってにぎやかになるんだ。好きな相手に声をかけてごらん」
蒼空は思わず周囲を見回す。年齢も性別も様々な人が盤を挟み、集中した目で駒を動かしていた。
「さ、行くわよ!」
桃子はためらいなく近くの席に声をかける。
対面に座ったのは、猫背の初老の男性。優しげな表情だが、指先の動きは鋭い。
「ふふっ、お手柔らかにね。おじいちゃん♡」
軽口を叩きながら、桃子は鮮やかに勝ち切った。
「Smothered Mate(窒息詰め)か、お嬢ちゃん強いなぁ!」
一方、伊織は奥の大柄な男に歩み寄っていた。
「こんにちは。よければ一局、お願いできますか」
相手は一瞬顔を上げ、鋭い視線を送る。
盤面に駒が並ぶと、その手つきは盤上を支配する将軍のよう。
しかし伊織は微笑を崩さず、着実に形勢をひっくり返していった。
マスター「山田さんはELOレート2000の猛者だよ(ELOレートはEP03参照)、やっぱり伊織くんは別格だな」
「蒼空、あんたも早くやってみなさいよ」
桃子に促され、蒼空はおろおろと辺りを見渡す。
(俺も……相手を探さなきゃ……)
その時、入り口の扉が開いた。
制服姿の高校生が一人。鋭い目で室内を一瞥し、まっすぐ伊織の盤へ向かう。
しばらく腕を組んで観戦し、伊織が勝利して握手を交わすのを見届けてから口を開いた。
「伊織、こんなところで会えるとはな。去年の地区大会では苦汁をなめたが、今年はお前を踏み台にしてやる。一局お願いしたい」
マスターが低くつぶやく。
「……あいつは隼人。ELOレート1900くらいだったけど、最近めきめき力をつけてるんだ。うちのクラブでも連勝続きでね。ただ――打ち筋が少し妙なんだよ。時計ばかり気にしててな……」
伊織は隼人に微笑んだ。
「そうか、久しぶりだね。こちらこそ光栄だ。ぜひお手合わせを」
そして二人は盤を挟んだ、空気が一気に張り詰める。
蒼空は思わず息を呑んだ。
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伊織が先手のポーンを前に出す。
その瞬間、隼人の腕に巻かれた時計が小さく震えた。
隼人はそれに気づいたのか気づかないのか、涼しい顔で水を一口飲み、ためらいなくナイトを跳ねさせる。
その一手は、伊織の知る定跡からわずかに外れた、教科書にはまず載らない手。
「……変わった手だな」
伊織がつぶやくと、隼人は口元を歪めて鼻で笑った。
「ククッ……だからお前は去年、俺に勝てたんだよ。俺の本当の棋譜は、人間には理解できない」
その言葉に、観戦していたクラブの人々がざわりとした。
桃子は眉をひそめ、蒼空は小さく息を呑む。
♢♢♢中盤。
伊織は、これしかないと確信した一手を放った。
ビショップを捨て、攻撃ラインを通す大胆な犠牲。
盤面は、彼の狙い通りに傾き始める。
「これは……もらった!」
だが次の瞬間。
腕時計が震え、隼人の指が動く。
盤上に置かれたのは、誰も予想できない駒。
意味のない、無駄に見える一手。
「……は?」
伊織の目が揺れる。
観客も首を傾げる。
しかし数手進むうちに、伊織の表情は一変した。
先ほどまで確実にあったはずの勝ち筋が、跡形もなく霧散していた。
「な、何だこれ……」
隼人は笑う。冷たく、残酷に。
「見えなかったのか? お前の攻撃は、十手前から全部潰れてたんだよ」
「結局お前のチェスは“人間の枠”に縛られてる。俺はもう、その外側にいる」
伊織の胸を冷たいものが締めつける。
まるで、盤を支配しているのが人間ではなく、鉄と光でできた無機質な“何か”であるかのようだった。
伊織は静かに駒を倒す。
「……参りました」
彼の声は、敗北を認める重い響きに沈んでいた。
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観客席に、ざわめきが走った。
「伊織が……負けた?」
「隼人の打ち筋、なんか変じゃなかったか……?」
隼人は桃子に目をつける。
「次は……お前だよ、そこの女。やろうぜ、軽くもんでやるよ」
桃子が立ち上がった、盤を挟んで向かい合う二人。
桃子は背筋を伸ばし、いつもの勝ち気な笑みを浮かべていた。
「いいわよ、やってあげる。伊織先輩を倒したからって調子に乗らないでね」
隼人は鼻で笑い、時計を軽く指で弾いた。
「フッ……お前みたいな小娘の棋譜なんて、全部読めてる」
♢♢♢序盤
桃子は迷わずナイトを跳ねさせた。
それはただの初手ではない。奇妙にリズムを刻む、彼女特有のFear Spikeの布石だった。
ジッ……と相手を見据え、ナイトを盤上に滑らせる。
――挑発的な犠牲、相手に「落とし穴がある」と思わせる独特のリズム。
「……来るね」
観客が息を呑む。桃子の目が光り、駒と視線がシンクロする。
隼人はしばらく盤を眺めてから、ニヤリと笑った。
「フフ……そんな“人間くさい小細工”で俺を縛れると思ってるのか?」
次の瞬間、腕時計が小さく震え、彼は何のためらいもなく駒を進めた。
まるでFear Spikeを真正面から無視するかのような冷たい一手。
♢♢♢中盤
桃子はさらに踏み込む。ナイトを犠牲に見せかけて攻め筋を作り、鋭い視線で隼人を射抜く。
「どう?少しは私の駒が怖くなったんじゃない?」
だが隼人は口元を吊り上げ、まるであざ笑うように言った。
「怖い?俺が? ハッ、冗談。俺がお前を恐れるわけがないだろう!」
その声は静かな室内に響き、観客の背筋を凍らせた。
桃子の手が止まる。
(……効いてない? 私のFear Spikeが……通じてない……!?)
盤上では、隼人の駒が冷徹に進軍し、桃子の攻め筋を一つ一つ潰していく。
まるで計算された機械の動き。
「どうした?さっきまでの威勢はどこに行った?」
桃子の額を冷たい汗が伝う。
視線の先で、自分のFear Spikeが霧散していくのを悟った。
(……この相手……人間じゃない……まるでAIとやっているみたい……でもどうやって……!)
沈黙の数秒。
(……あの時計がやはり怪しい、おそらく時計のバイブ機能かなにかでAIから指示を受けているに違いない……でも証拠がない以上これ以上やっても無駄ね)
桃子は駒を握る手をゆっくりと離し、盤上のキングを横に倒した。
「……Przegrałem(参りました)」
隼人は椅子にもたれ、勝ち誇った笑みを浮かべる。
「結局、お前はただの人間。俺はもう、その枠を超えてる」
桃子は唇を噛み、何も言い返せなかった。
その光景を見ていた蒼空の胸に、ざわりと黒い炎が灯る――。
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そしてその時は来た。隼人はターゲットを蒼空に移した。
「そこのお前、お前も大会に出るんだろう。ボーっと突っ立ってないで俺とやろうぜ」
桃子は蒼空の腕をつかみ耳元で囁く
「蒼空……こいつはOszukiwanie,チート野郎だよ。おそらくAIの指示で打っているの。あんたも絶対勝てないからこんな勝負受けちゃだめだよ」
ブラインド越しに入る西日が蒼空の顔を照らし、桃子には一瞬その瞳が深緑色に見えた気がした。
「いや……俺なんか今の隼人の打ち方みてたら……勝てる気がする……」
蒼空はなにかに導かれるかのようにすうっと隼人の前に座った。




