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EP27 Monika(桃子 vs 怜・準決勝)

【二日目の朝と、並ぶ名前】


全国高校チェス選手権・二日目。


ブリーフィングルームに集められた選手は四人。掲示板には、淡々と数字だけが並ぶ。

・10:00 — 桃子(ELO1000) vs 怜(ELO2250)

・13:00 — 蒼空(ELO1000) vs サンドラ(ELO2400)

・15:00 — 決勝


簡素なトーナメント表に、四本の線が一本へ収束する図が描かれている。


その細線のうち、いちばん上の枠――桃子 vs 怜。


===================

【舌戦:薄絹の下の牙】


ブリーフィング直後の廊下、天井の灯の白が床に線を敷く。


怜「君の昨日の棋譜を見た。ヒロキはELO1950の全国常連だった。その彼を手玉に取り、タイムトラブルに落とした。君は一体、何者だ?」


桃子は首を傾げ、あどけない声で。


「なんのことですかー? 私、ただ一所懸命に考えて打っていただけですよー♡」


怜は鼻で笑い、静かに目を細める。


「俺は騙されない。君の本来のELOは2100はある。決勝のサンドラだけをマークするつもりだったが――準決勝から気は抜けないようだ」


そこで、桃子の表情がわずかに変わった。


“あざとかわいい”の薄絹が、すっと外れる。


「ばれちゃってました? でも2100って、ずいぶん安く見積もってくれましたね。――ということは昨日の試合はまずまず成功かな♡」


怜「ブラフは効かない。俺もまだ本気を出していない。目標はサンドラだ。今日はきっちり勝つ――静かにね」


桃子はただ微笑み、三音だけ置く。


「……じゃあ、静かに詰めてあげる。サンドラが目標なら、本気を出した方がいい。――でないと後悔しますよ、怜さん」


その声は柔らかいのに、刃渡りの長さだけは隠せなかった。


===================

【開幕:Fear Spike の刺さり】


二人の盤の周りには、報道と観客が凝縮していた。海外メディアのさざめきが混じる。


“I'm not sure, but I think I've seen Momoko somewhere in Europe before…”


(どこかで――ヨーロッパで彼女を見た気がするんだが……思い出せない)


白:桃子。黒:怜。


1. e4


(来い)


怜は…c5で応じる。――シシリアン、いつもの寒色。


2. Nf3 …Nf6


その瞬間、怜は奇妙な違和感を覚えた。


(怖がらせに来る駒音……?)


桃子のNf3は音がない。けれど、拍がある。Fear Spike――感情を針みたいに、呼吸の隙間へ刺すEmotional Gambit(心理のガンビット)が発動する。


怜は、額の汗を指でぬぐった。


(――大丈夫。俺は理で測る。恐怖はノイズだ)


3. e5 Nd5 4. Nc3 e6 5. Nxd5 exd5 6. d4 Nc6 7. dxc5 Bxc5 8. Qxd5 Qb6


(白の女王、早めの実務。Qxd5――取引の速度が速い)


怜は…Qb6でb2とf2を双眼鏡に入れる。

(正確に、静かに。俺の“静”で窒息させる)


9. Bc4 …Bxf2+


(刺す)


怜は一度目のチェックを打ち込む。Bxf2+――f2を割る黒の矢。


評価バーは、しかし+1.0(白よし)から微動だにしない。


(いい。まだいい。最善を重ねればいつか沈む)


10. Ke2 …O-O 11. Rf1 …Bc5


(王を中央へ? 挑発か?)


…O-Oで安全を確保し、…Bc5でラインを重ねる。


(形は黒に吠えているはずだ)


12. Ng5 …Nd4+


(二度目のチェック)


…Nd4+で揺さぶる。

――それでも、評価バーは+1.0を保つ。

(なぜ評価値が動かない)

――この怜の二度のチェックは桃子に吞み込まれ、後に窒息の鎖骨の形を整えることになる


13. Kd1 …Ne6 14. Ne4 …d6 15. exd6 …Bxd6 16. Nxd6 …Rd8


(16手まで+1.0。白よしのまま、変わらない)


怜は気づく。桃子のFear Spikeは、形勢ではなく時間を削っている。


気づけば、視界の端で持ち時間が思ったより速く減っている。


(落ち着け。理に戻れ。盤面だけを数字で捉えろ。――“恐怖”は数えない)


17. Bf4 …Nxf4


(ここは取る。利きを剥がす)


黒ナイトがf4を噛み千切る。


(冷静だ、俺は冷静だ)


18. Qxf7+ …Kh8


白の女王がf7+へ走る。怜はゆっくり、…Kh8。


(安全域。hの影は深い。まだ詰めろではない)


19. Qg8+ …Rxg8


白のクイーンがg8+に飛び込む。


怜は…Rxg8で噛み砕く。


(女王を喰った。重いピースの価値は、理の勝ちだ。落ち着け――静かに、静かに)


だが、脈拍は静かにできない。同時にAIの評価バーが一気に+∞に触れる、観客がざわめく。


Fear Spike。


桃子の視線は盤を見て、怜を見て、何も見ていないようで――全部を見ている。


(恐れるべきは“恐怖”ではない。“恐怖を理解できない理”だ)


===================

【Smothered Mate:やさしい窒息】


20. Nf7#


白のナイトが、d6からf7へ――跳ぶ。


黒王h8に、逃げ場がない。


自軍の駒が優雅に並ぶ壁となり、ルークはさっきg8で女王を喰んだばかり――つまり王の息道を自ら塞いでいる。


“包まれる”詰み――Smothered Mate。


盤上の駒たちは、締め上げるというより、腕の中でやさしく息を止める。


怜の“静”が、この瞬間だけ詩に変わる。


(……理解ではない。感受だ。詰みが――祈りの形をしている)


審判の声が遠い。「チェックメイト」


===================

【桃子の正体】


会場は一拍、無音。


すぐ後に、ざわ……と波のような驚愕が押し寄せる。


観客「え、去年の覇者の怜が負けた――しかもたったの20手で?」


「今のNf7#、やさしいのに残酷……」


サンドラは肩を竦め、英語で冷たく笑う。


“Of course. My only rival is Monika.”


(当たり前。私のライバルはMonikaだけ)


記者席が色めき立つ。


”Wait… Monika? The prodigy who dominated the European Youth Team—then vanished last year?”

(待って、Monikaだって?欧州ユースチームを席巻した天才少女!?そして去年忽然と姿を消したあの娘?)


“Monika!? The one even Sandra couldn’t beat—”

(サンドラでさえ勝てなかったあのMonikaか!?)


別の声が被る。


サンドラは、珍しくムキになって英語で噛みつく。


“Excuse you—I'm stronger now.”


(失礼ね、今の私の方が強いに決まってるでしょ)


【それぞれの表情】


友梨佳「えっ……桃子さんってそんな有名人だったの?」


颯真「一年で超強い子やと思てたけど、世界線が違たんか……」


アキラ「道理で勝てないわけだ」


部長の伊織は苦笑いで肩をすくめる。


「……聞いてはいたんだ。黙っててって言われてたけど、もういいよね(笑)」


蒼空は、ただ頷いた。


(桃子も、やる時はやる)


===================

【盤の上に残った“詩”】


怜は立ち上がらない。詰みの図のまえで、長く息を吐いた。


(詰みが“詩”になる瞬間を、初めて味わった。盤が、祈りの形をしていた――理の外側で)


対面で桃子は、あの薄絹の笑顔を戻して会釈する。


「ありがとうございました♡」


怜に向けられたその声には、むき出しの刃の気配はもうなかった。


【余白:記録としてのPGN】


盤側に置かれたスコアシートには、ただの記録が残るだけだ。


<PGN>1. e4 c5 2. Nf3 Nf6 3. e5 Nd5 4. Nc3 e6 5. Nxd5 exd5 6. d4 Nc6 7. dxc5 Bxc5 8. Qxd5 Qb6 9. Bc4 Bxf2+ 10. Ke2 O-O 11. Rf1 Bc5 12. Ng5 Nd4+ 13. Kd1 Ne6 14. Ne4 d6 15. exd6 Bxd6 16. Nxd6 Rd8 17. Bf4 Nxf4 18. Qxf7+ Kh8 19. Qg8+ Rxg8 20. Nf7#</PGN>


だが、そこに存在しないもの――Fear Spikeの針、静が詩へ反転した瞬間――が、観客の胸にだけ確かに残っていた。


===================

【そして、午後へ】


アナウンスが新しい時間を告げる。


13:00――蒼空 vs サンドラ。


会場の空気は熱と冷を同時に孕み、次の盤へ向かって流れていく。


桃子は客席の隙間から蒼空を探し、唇の形だけで言う。


「行ってらっしゃい、蒼空。決勝で待ってる。」


彼女の目は、常に強敵を探し求めていたあの頃のMonikaのものだった。

<PGN>1. e4 c5 2. Nf3 Nf6 3. e5 Nd5 4. Nc3 e6 5. Nxd5 exd5 6. d4 Nc6 7. dxc5 Bxc5 8. Qxd5 Qb6 9. Bc4 Bxf2+ 10. Ke2 O-O 11. Rf1 Bc5 12. Ng5 Nd4+ 13. Kd1 Ne6 14. Ne4 d6 15. exd6 Bxd6 16. Nxd6 Rd8 17. Bf4 Nxf4 18. Qxf7+ Kh8 19. Qg8+ Rxg8 20. Nf7#</PGN>


※ 駒の動きを確認したい方は、<PGN> ~ </PGN>の部分をコピーし、


Lichessの解析ボード(https://lichess.org/analysis)のPGN入力欄に貼り付けて、Importボタンを押してみてください。

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